第85話
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いつまでもあの状態の屋敷を放置しておくわけにはいかない。
普段は夫婦と四女の暮らす屋敷は長女と長男の喧嘩の殺到に晒されて瓦礫と化し、無惨なありさまを見せていた。
工事も着々と進み、金槌が動く音は、日がな一日絶えることがない。
「まだ直らんか」
「あ、どうも」
このたび父親から(無理矢理)家督を継いだ当主のオリヴィエが進捗具合を確認していた。
「今日明日には内装も全部、終わりますよ。元通り、ピカピカです」
笑顔で業者が答える傍ら、
「えいほえいほ」
「いそげいそげ」
支柱を持った作業員が横切った。
「それにしても、何をやってこんなに壊したんですか?」
「ただの姉弟 喧嘩だ」
門にはちょうど荷台いっぱいに木材を載せた業者が屋敷に入ってきていて、せっせと修理していく。
屋敷の周りにはいつの間にか雑踏ができており、聞こえてくる不吉な言葉の数々。
「ご両親を強引に追い出したらしいわよ」
「前々から仲が悪かったものねぇ」
当主となったオリヴィエに向けられて、批難の眼差しや小声が飛び交う。
「でも、家には誰も残ってないじゃない」
「力ずくで家督を奪っても、お屋敷が空の箱じゃねぇ…」
オリヴィエは他人の好奇心など知ったことかと言わんばかりの毅然とした表情で、背筋をまっすぐ伸ばしていた。
そんな時、コンコン、とノックの音が響いた。
「どうも、少将殿」
柔らかな笑みを浮かべるロイだった。
手に花束を抱えて傍に近づいてくる。
「ふん。貴様なぞに出す茶も椅子も無いぞ」
「その様子では、食事にお誘いしても無理のようですね」
「ああ。屋敷の修理で忙しい」
オリヴィエと並んで外へ出る。
彼女が継いだ屋敷は、さすがというべき大豪邸だ。
「…さすがアームストロング家。屋敷の広さも半端ではない」
屋敷は非常に広かった。
敷地面積は、どのくらいになるのか。
暗算ではぱっと出てこないくらいだ。
「中隊…いや、大隊くらいは入りそうですね」
何故、ここでいきなり軍隊の話が出てくるのか。
これにオリヴィエは……。
「……私にもしもの事があったら、この屋敷丸ごとくれてやってもいいぞ」
この口ぶり、彼女は確実に言葉の意味を理解している。
精鋭と呼ばれるにふさわしい腕利き揃いのブリックズ兵士を鍛え上げた雪の女王が危機に陥れば、誰かが指揮系統を執らなければならない。
その場合、屋敷の所有権と指令権がロイへと移譲された。
「棺桶に屋敷は入らんからな」
「弟君 に譲らないのですか?」
「あいつにやるくらいなら、貴様の方が毛一本ほどマシという事だ」
「少将殿に毛一本分でも信用されるとは光栄ですな」
言って、オリヴィエから屋敷の所有権と指令権をもらい、一時今の状況を忘れて、言葉を噛みしめる。
それらを得た今、ロイの中には確かに、新たな行動への弾みが生じていた。
自分一人で奮い起こすより、もっと大きな力であるとわかるほどに。
(もしもに備えておいて損は無いからな。それが起こる前に解決しておくぐらいの気持ちでいるべきだ)
その弾みを胸の奥に置き、心身に活力を得た彼はさらに言った。
「少将に信用される人物がどんなものか、一度見てみたいですね」
「まぁ、一人だけいるがな。この私が認めた実力の持ち主で、義兄弟の契りを……おや?」
急にオリヴィエの顔から凛々しさが減り、表情に隙ができた。
冷酷な雪の女王にしては珍しいほど、ひどく戸惑っている。
「どうかしましたか?」
「いや、何故か自分の言葉に引っかかった気がして……この私が強さを認めるくらいの人物なんて、いないはず……」
ロイは、そんな彼女にとある一つの事柄を問いかけ、確かめたい衝動に駆られる。
「――」
戸惑うオリヴィエの様子を一目見れば、違和感を持っていることはわかりきっていた。
現にリザもハボックも、大切な誰かの存在を覚えていない。
しかし、それでもなお、一縷の望みを絆に託して、問いかけ、確かめたかった。
「――か」
彼女、と声の出かけたところに、頭に白い光が走って思考を拒絶された。
考えれば考えるほど、頭痛が走る。
しばらくの間、荒れ狂う嵐が過ぎ去るのを待つかのように、深呼吸を繰り返し……やがて、落ち着きを取り戻していき……。
「これ。アームストロング家当主になられたお祝いです」
オリヴィエに花束を渡すと、客人に気づいた庭師が帽子を軽く頭を下げた。
「中央には良い花屋が多いと、以前言っていたでしょう」
不安感と焦燥感に襲われる間にも、言葉を継いでいた。
「ああ、そうだったな」
オリヴィエは、その意味にも仕草にも気づかない。
「ヒヤシンス?」
視線を花束へと移すと、一緒に挟まっていた紙切れを見つけて目を通す。
(「セリム・ブラッドレイは人造人間」…)
紙切れに記された一つの文章――とある人物の正体のリザが暴いて晒した――がオリヴィエの目に留まる。
「ご存知ですか?ヒヤシンスの花言葉」
事態を理解し、険しい顔になるオリヴィエへ、ロイは爽やかな笑顔で言い放つ。
「『しとやかなかわいらしさ』」
「余計なお世話だ!」
これにはオリヴィエ、肩をわなわなと震わせて怒り始める。
勢いよく腕を振りかぶると花束ごと焚き火に投げ捨て、
「わっ」
枯れ葉を掃除していた庭師は跳び上がらんばかりに驚いた。
「はははははははははははは」
対するロイはオリヴィエの激昂にもどこ吹く風だ。
両手をポケットに入れて、明後日の方向を向きながら大笑いをして立ち去る。
そして、こめかみを押さえた。
「………っ」
――言うな。話すな。
――知るな。渡るな。
――それ以上こちらに歩みを進めるな。
そんな言葉が延々と鼓膜に響き、鈍い頭痛をもたらし続けている。
――聞くな。寄るな。
――理解 な。探るな。
――世界の理 を曲げるな。
しばらくの間、荒れ狂う嵐が過ぎ去るのを待つかのように、深呼吸を繰り返し……やがて、落ち着きを取り戻していき……。
そして、ふと顔を上げて。
「……君は一体、誰なんだ……?」
そのつぶやきは、誰の耳にも届くことなく静かに霧散するのであった。
様々な思惑が渦巻く中で、ついに合同演習が始まった。
指揮官の指揮に従い敵根拠地へ進軍、交戦、制圧したら勝利だ。
逆に言えば、どんなに敵兵を撃破しても本陣の根拠地を先に抑えられたら敗北となる。
互いの根拠地を目指す進軍ルートは限定されている。
中央の平原を一直線に進む平原ルート、森の中を通り抜ける森ルート。
そして丘を越えるルートの三つに分かれている。
どのルートでも戦闘が始まり、大砲や銃声の戦闘騒音が響き渡る。
一際高いところにある櫓では、ブラッドレイと護衛の軍人が数名、練兵場全体の戦況を眺めていた。
(気味が悪いほどに大人しい演習だな。グラマンめ、何を企んでいる…?)
身構える軍人達の中、ブラッドレイだけが鋭い隻眼で、グラマンの動向を探っていた。
「うざったいなぁ」
練兵場の一角に敷設したテントで、グラマンは扇子で自身をぱたぱたと扇ぎながらつぶやいた。
「どさくさに紛れて、大砲でブラッドレイのいる所、吹き飛ばしちゃおうか」
小声で冗談でも許されない物騒な発言に、マイルズが頬を引きつらせて言う。
「やめてください」
「少佐」
軍人が近づいてきて、マイルズの傍までやって来ると、声を潜めるように耳元で囁いた。
「アルフォンス・エルリックの所在がつかめません」
「なんだと?」
北方軍と一緒に行動していたはずのアルが行方不明らしい。
「ブラッドレイ側に捕まったのでしょうか」
「黙って捕まるような奴ではないかと思うが…引き続き、捜索してくれ」
「はい」
「閣下」
その同時刻、一人の軍人が急ぎ伝えたいことがあるとブラッドレイのいる櫓に訪れた。
軍人の後ろには、左耳が欠けた軍人――ハクロは苦虫を噛み潰したような表情で立っていた。
「ハクロ少将です」
ハクロは苦虫を噛み潰したような表情で口を開いた。
「閣下にグラマン中将の事で、お伝えしたい事が…」
一方、革張りの椅子に座り、戦況を眺めていたブラッドレイは、彼の気色に押されるでもない。
平然と迎える。
「ほう…東方軍を使ってクーデターか?だとしたら予想の範囲内だ」
「いえ!東と北の合同演習は囮!」
ハクロは、この合同演習は囮だと断言し、肝心要の情報を伝える。
「閣下が東 に来る事により、手薄になった中央でイシュヴァールの残党によるテロが行われます」
衝撃の事実に、ブラッドレイは目を細めるだけだったが、他の軍人達は困惑が拭えぬ様子で、恐るべき謀反 の内容に戦慄する。
緊張が続く中、ハクロの口からさらに信じられない情報が放たれた。
「…が、それも囮。テロを口実に、混乱に乗じてマスタング大佐と呼応し、中央司令部を乗っ取る計画です!」
これから起きるであろうイシュヴァール人による中央の襲撃。
イシュヴァール人によって発生するテロの対処、中央司令部の警備に乗じて、グラマン率いる東方軍が武力蜂起。
さらに、若き野心家の誘いに乗って動き出した老体の将軍は、あわよくば大総統亡き後の政権を握る算段を立てているのだ。
イシュヴァール人によって発生するテロの対処、中央市内の警備に乗じて中央司令部を乗っ取る計画。
その情報の信憑性を裏付けるために、徹底的に調べ上げるようすぐさま軍人を走らせた。
「裏は取れたのか?」
「はい」
数十分後、ハクロから事情聴取を終えた軍人がブラッドレイの待つ櫓にやって来ると報告する。
「ハクロ少将は東部着任時からグラマン中将と反りが合わず、たびたび衝突していた様子。また、マスタング大佐の出世にも難色を示していたようです。どちらも多数の証言者がいます」
人造人間に与する上層部の誘いを断ったため左遷され東方司令部の司令官となったグラマン。
そして、その性格の適当さは、アメストリス国軍の間で有名だった。
だが、適当な性格の裏では軍部の頂点に輝き立つという野心が秘められていた。
「中央は?」
「ハクロ少将の言った通り。ここ数日で、多数のイシュヴァール人が中央付近に入り込んでいるとの報告です」
ハクロの言葉は全て真実――それをブラッドレイは理解し、頭の中で猛烈に思考を回転させる。
彼我の戦力と配置、ただちに中央に戻った場合とこの場に留まった場合の差異、戻ったことで生まれた時間をどこまで取り戻せるか、中央になだれこもうとするロイ達の侵行を、どこまで阻止できるか……。
諸々を進行しつつある状況と合わせ、決断を下す。
「…………私は中央に戻る。東 は任せたぞ」
勢いよく立ち上がり、櫓にいる一同に張りのある声で告げた。
「はっ!」
練兵場の一角に設置されたテントでは、謀反を企んでいるグラマンが暇そうに欠伸をしていた。
蒸気機関が重厚な駆動音を当てて、列車が線路を走る。
ブラッドレイと数人の軍人が座席の一角に腰かけ、急いで中央へと向かっていた。
「マスタングめ。大それた事を」
「使える部下を全て引き離して牙を抜いたというのに…」
ブラッドレイに随行する軍人が毒づく。
人造人間の計画に気づいたロイは、正義と信じていた軍の暗部を知ってなお大総統の地位をもくろんでおり、ブラッドレイは当然、それを警戒して戦力を削いだ。
信頼する部下を奪ったのは、反発する敵に攻勢を振るわせないため、という戦闘の常道によったものだが、人間の誇りを賭けて戦う焔の錬金術師である。
最後まで足掻き続けることを選んだ彼は、ひそかにグラマンと通じて焚きつけていた。
そんな時……突如として、列車が止まった。
「なんだ?」
「止まったぞ」
皆が何事かと立ち上がる。
「お急ぎのところ申し訳ありません。羊の大軍が線路を横切っているので…」
機関士が外に出て様子を窺う。
そこには申し訳なさそうに謝る羊飼いと、
「すんませーん」
たくさんの羊達が線路を横切っていた、
そののどかで牧歌的な風景は、見ているだけで心が洗われるようだが、先を急ぐ軍人にとっては大幅な時間のロスに過ぎなかった。
「急いでる時に羊!?」
「これだから田舎は…」
切迫している間に、列車の連結部分のレバーへと手を伸ばす。
ゴゥン、と鈍い音が響き、前方車両が切り離された。
「なんだと!?機関士は気付いていないのか!?」
「我々を置いて…」
驚く暇もなく、線路に仕掛けた爆弾が列車の真上で爆発を起こした。
轟音が響き渡り進行路上の橋が崩壊、列車は真っ逆さまに落ちていった。
「線路上の羊は排除しました。予定通り、中央へむかいます」
すると、森の奥から列車の様子を窺っていた人影が無線機を使って話し始める。
その人影はさっと手を上げ、背後で隊伍を組む東方軍の小隊へ号令をかけた。
「行くぞ」
「アイアイ」
彼らは、グラマンが擁 するイシュヴァールを経験した屈強な兵士。
ロイの掲げた理想に賛同し共に戦う仲間達である。
「懐かしいねぇ」
「この面子での作戦なんて、イシュヴァール以来じゃねぇの?」
砕けるさまも無残に、岩谷を周囲に生やす地帯へと墜落する列車を確認すると、統率の取れた動きで走り出す。
「マスタング大佐も、ぬるい都会生活で戦場の勘が鈍ってなきゃいいけど」
「今度は殲滅戦と話が違う。中央市街じゃ、大佐の大砲も使い勝手が悪いんじゃないのかねぇ」
「まぁ軍人 が活躍するような事態は起こらん方がいいけどな」
「そりゃそーだ」
やいのやいの言いながら、次なる目的地に向かって駆ける足は全く緩めない。
鬱蒼とした森を抜けるために、彼らは中央市内へと向かうのであった。
「うむ。うむ」
その頃、ブラッドレイの命令で練兵場に残された大総統付き補佐官である軍人のシュトルヒは険しい顔つきで相槌を打っていた。
切迫した声が、受話器から聞こえてくる。
「……そうか。そのまま車両の捜索を続けろ」
通話を終えると、苦虫を噛み潰したような表情で後ろに待機しているハクロへと振り向いた。
普段は夫婦と四女の暮らす屋敷は長女と長男の喧嘩の殺到に晒されて瓦礫と化し、無惨なありさまを見せていた。
工事も着々と進み、金槌が動く音は、日がな一日絶えることがない。
「まだ直らんか」
「あ、どうも」
このたび父親から(無理矢理)家督を継いだ当主のオリヴィエが進捗具合を確認していた。
「今日明日には内装も全部、終わりますよ。元通り、ピカピカです」
笑顔で業者が答える傍ら、
「えいほえいほ」
「いそげいそげ」
支柱を持った作業員が横切った。
「それにしても、何をやってこんなに壊したんですか?」
「ただの
門にはちょうど荷台いっぱいに木材を載せた業者が屋敷に入ってきていて、せっせと修理していく。
屋敷の周りにはいつの間にか雑踏ができており、聞こえてくる不吉な言葉の数々。
「ご両親を強引に追い出したらしいわよ」
「前々から仲が悪かったものねぇ」
当主となったオリヴィエに向けられて、批難の眼差しや小声が飛び交う。
「でも、家には誰も残ってないじゃない」
「力ずくで家督を奪っても、お屋敷が空の箱じゃねぇ…」
オリヴィエは他人の好奇心など知ったことかと言わんばかりの毅然とした表情で、背筋をまっすぐ伸ばしていた。
そんな時、コンコン、とノックの音が響いた。
「どうも、少将殿」
柔らかな笑みを浮かべるロイだった。
手に花束を抱えて傍に近づいてくる。
「ふん。貴様なぞに出す茶も椅子も無いぞ」
「その様子では、食事にお誘いしても無理のようですね」
「ああ。屋敷の修理で忙しい」
オリヴィエと並んで外へ出る。
彼女が継いだ屋敷は、さすがというべき大豪邸だ。
「…さすがアームストロング家。屋敷の広さも半端ではない」
屋敷は非常に広かった。
敷地面積は、どのくらいになるのか。
暗算ではぱっと出てこないくらいだ。
「中隊…いや、大隊くらいは入りそうですね」
何故、ここでいきなり軍隊の話が出てくるのか。
これにオリヴィエは……。
「……私にもしもの事があったら、この屋敷丸ごとくれてやってもいいぞ」
この口ぶり、彼女は確実に言葉の意味を理解している。
精鋭と呼ばれるにふさわしい腕利き揃いのブリックズ兵士を鍛え上げた雪の女王が危機に陥れば、誰かが指揮系統を執らなければならない。
その場合、屋敷の所有権と指令権がロイへと移譲された。
「棺桶に屋敷は入らんからな」
「
「あいつにやるくらいなら、貴様の方が毛一本ほどマシという事だ」
「少将殿に毛一本分でも信用されるとは光栄ですな」
言って、オリヴィエから屋敷の所有権と指令権をもらい、一時今の状況を忘れて、言葉を噛みしめる。
それらを得た今、ロイの中には確かに、新たな行動への弾みが生じていた。
自分一人で奮い起こすより、もっと大きな力であるとわかるほどに。
(もしもに備えておいて損は無いからな。それが起こる前に解決しておくぐらいの気持ちでいるべきだ)
その弾みを胸の奥に置き、心身に活力を得た彼はさらに言った。
「少将に信用される人物がどんなものか、一度見てみたいですね」
「まぁ、一人だけいるがな。この私が認めた実力の持ち主で、義兄弟の契りを……おや?」
急にオリヴィエの顔から凛々しさが減り、表情に隙ができた。
冷酷な雪の女王にしては珍しいほど、ひどく戸惑っている。
「どうかしましたか?」
「いや、何故か自分の言葉に引っかかった気がして……この私が強さを認めるくらいの人物なんて、いないはず……」
ロイは、そんな彼女にとある一つの事柄を問いかけ、確かめたい衝動に駆られる。
「――」
戸惑うオリヴィエの様子を一目見れば、違和感を持っていることはわかりきっていた。
現にリザもハボックも、大切な誰かの存在を覚えていない。
しかし、それでもなお、一縷の望みを絆に託して、問いかけ、確かめたかった。
「――か」
彼女、と声の出かけたところに、頭に白い光が走って思考を拒絶された。
考えれば考えるほど、頭痛が走る。
しばらくの間、荒れ狂う嵐が過ぎ去るのを待つかのように、深呼吸を繰り返し……やがて、落ち着きを取り戻していき……。
「これ。アームストロング家当主になられたお祝いです」
オリヴィエに花束を渡すと、客人に気づいた庭師が帽子を軽く頭を下げた。
「中央には良い花屋が多いと、以前言っていたでしょう」
不安感と焦燥感に襲われる間にも、言葉を継いでいた。
「ああ、そうだったな」
オリヴィエは、その意味にも仕草にも気づかない。
「ヒヤシンス?」
視線を花束へと移すと、一緒に挟まっていた紙切れを見つけて目を通す。
(「セリム・ブラッドレイは人造人間」…)
紙切れに記された一つの文章――とある人物の正体のリザが暴いて晒した――がオリヴィエの目に留まる。
「ご存知ですか?ヒヤシンスの花言葉」
事態を理解し、険しい顔になるオリヴィエへ、ロイは爽やかな笑顔で言い放つ。
「『しとやかなかわいらしさ』」
「余計なお世話だ!」
これにはオリヴィエ、肩をわなわなと震わせて怒り始める。
勢いよく腕を振りかぶると花束ごと焚き火に投げ捨て、
「わっ」
枯れ葉を掃除していた庭師は跳び上がらんばかりに驚いた。
「はははははははははははは」
対するロイはオリヴィエの激昂にもどこ吹く風だ。
両手をポケットに入れて、明後日の方向を向きながら大笑いをして立ち去る。
そして、こめかみを押さえた。
「………っ」
――言うな。話すな。
――知るな。渡るな。
――それ以上こちらに歩みを進めるな。
そんな言葉が延々と鼓膜に響き、鈍い頭痛をもたらし続けている。
――聞くな。寄るな。
――
――世界の
しばらくの間、荒れ狂う嵐が過ぎ去るのを待つかのように、深呼吸を繰り返し……やがて、落ち着きを取り戻していき……。
そして、ふと顔を上げて。
「……君は一体、誰なんだ……?」
そのつぶやきは、誰の耳にも届くことなく静かに霧散するのであった。
様々な思惑が渦巻く中で、ついに合同演習が始まった。
指揮官の指揮に従い敵根拠地へ進軍、交戦、制圧したら勝利だ。
逆に言えば、どんなに敵兵を撃破しても本陣の根拠地を先に抑えられたら敗北となる。
互いの根拠地を目指す進軍ルートは限定されている。
中央の平原を一直線に進む平原ルート、森の中を通り抜ける森ルート。
そして丘を越えるルートの三つに分かれている。
どのルートでも戦闘が始まり、大砲や銃声の戦闘騒音が響き渡る。
一際高いところにある櫓では、ブラッドレイと護衛の軍人が数名、練兵場全体の戦況を眺めていた。
(気味が悪いほどに大人しい演習だな。グラマンめ、何を企んでいる…?)
身構える軍人達の中、ブラッドレイだけが鋭い隻眼で、グラマンの動向を探っていた。
「うざったいなぁ」
練兵場の一角に敷設したテントで、グラマンは扇子で自身をぱたぱたと扇ぎながらつぶやいた。
「どさくさに紛れて、大砲でブラッドレイのいる所、吹き飛ばしちゃおうか」
小声で冗談でも許されない物騒な発言に、マイルズが頬を引きつらせて言う。
「やめてください」
「少佐」
軍人が近づいてきて、マイルズの傍までやって来ると、声を潜めるように耳元で囁いた。
「アルフォンス・エルリックの所在がつかめません」
「なんだと?」
北方軍と一緒に行動していたはずのアルが行方不明らしい。
「ブラッドレイ側に捕まったのでしょうか」
「黙って捕まるような奴ではないかと思うが…引き続き、捜索してくれ」
「はい」
「閣下」
その同時刻、一人の軍人が急ぎ伝えたいことがあるとブラッドレイのいる櫓に訪れた。
軍人の後ろには、左耳が欠けた軍人――ハクロは苦虫を噛み潰したような表情で立っていた。
「ハクロ少将です」
ハクロは苦虫を噛み潰したような表情で口を開いた。
「閣下にグラマン中将の事で、お伝えしたい事が…」
一方、革張りの椅子に座り、戦況を眺めていたブラッドレイは、彼の気色に押されるでもない。
平然と迎える。
「ほう…東方軍を使ってクーデターか?だとしたら予想の範囲内だ」
「いえ!東と北の合同演習は囮!」
ハクロは、この合同演習は囮だと断言し、肝心要の情報を伝える。
「閣下が
衝撃の事実に、ブラッドレイは目を細めるだけだったが、他の軍人達は困惑が拭えぬ様子で、恐るべき
緊張が続く中、ハクロの口からさらに信じられない情報が放たれた。
「…が、それも囮。テロを口実に、混乱に乗じてマスタング大佐と呼応し、中央司令部を乗っ取る計画です!」
これから起きるであろうイシュヴァール人による中央の襲撃。
イシュヴァール人によって発生するテロの対処、中央司令部の警備に乗じて、グラマン率いる東方軍が武力蜂起。
さらに、若き野心家の誘いに乗って動き出した老体の将軍は、あわよくば大総統亡き後の政権を握る算段を立てているのだ。
イシュヴァール人によって発生するテロの対処、中央市内の警備に乗じて中央司令部を乗っ取る計画。
その情報の信憑性を裏付けるために、徹底的に調べ上げるようすぐさま軍人を走らせた。
「裏は取れたのか?」
「はい」
数十分後、ハクロから事情聴取を終えた軍人がブラッドレイの待つ櫓にやって来ると報告する。
「ハクロ少将は東部着任時からグラマン中将と反りが合わず、たびたび衝突していた様子。また、マスタング大佐の出世にも難色を示していたようです。どちらも多数の証言者がいます」
人造人間に与する上層部の誘いを断ったため左遷され東方司令部の司令官となったグラマン。
そして、その性格の適当さは、アメストリス国軍の間で有名だった。
だが、適当な性格の裏では軍部の頂点に輝き立つという野心が秘められていた。
「中央は?」
「ハクロ少将の言った通り。ここ数日で、多数のイシュヴァール人が中央付近に入り込んでいるとの報告です」
ハクロの言葉は全て真実――それをブラッドレイは理解し、頭の中で猛烈に思考を回転させる。
彼我の戦力と配置、ただちに中央に戻った場合とこの場に留まった場合の差異、戻ったことで生まれた時間をどこまで取り戻せるか、中央になだれこもうとするロイ達の侵行を、どこまで阻止できるか……。
諸々を進行しつつある状況と合わせ、決断を下す。
「…………私は中央に戻る。
勢いよく立ち上がり、櫓にいる一同に張りのある声で告げた。
「はっ!」
練兵場の一角に設置されたテントでは、謀反を企んでいるグラマンが暇そうに欠伸をしていた。
蒸気機関が重厚な駆動音を当てて、列車が線路を走る。
ブラッドレイと数人の軍人が座席の一角に腰かけ、急いで中央へと向かっていた。
「マスタングめ。大それた事を」
「使える部下を全て引き離して牙を抜いたというのに…」
ブラッドレイに随行する軍人が毒づく。
人造人間の計画に気づいたロイは、正義と信じていた軍の暗部を知ってなお大総統の地位をもくろんでおり、ブラッドレイは当然、それを警戒して戦力を削いだ。
信頼する部下を奪ったのは、反発する敵に攻勢を振るわせないため、という戦闘の常道によったものだが、人間の誇りを賭けて戦う焔の錬金術師である。
最後まで足掻き続けることを選んだ彼は、ひそかにグラマンと通じて焚きつけていた。
そんな時……突如として、列車が止まった。
「なんだ?」
「止まったぞ」
皆が何事かと立ち上がる。
「お急ぎのところ申し訳ありません。羊の大軍が線路を横切っているので…」
機関士が外に出て様子を窺う。
そこには申し訳なさそうに謝る羊飼いと、
「すんませーん」
たくさんの羊達が線路を横切っていた、
そののどかで牧歌的な風景は、見ているだけで心が洗われるようだが、先を急ぐ軍人にとっては大幅な時間のロスに過ぎなかった。
「急いでる時に羊!?」
「これだから田舎は…」
切迫している間に、列車の連結部分のレバーへと手を伸ばす。
ゴゥン、と鈍い音が響き、前方車両が切り離された。
「なんだと!?機関士は気付いていないのか!?」
「我々を置いて…」
驚く暇もなく、線路に仕掛けた爆弾が列車の真上で爆発を起こした。
轟音が響き渡り進行路上の橋が崩壊、列車は真っ逆さまに落ちていった。
「線路上の羊は排除しました。予定通り、中央へむかいます」
すると、森の奥から列車の様子を窺っていた人影が無線機を使って話し始める。
その人影はさっと手を上げ、背後で隊伍を組む東方軍の小隊へ号令をかけた。
「行くぞ」
「アイアイ」
彼らは、グラマンが
ロイの掲げた理想に賛同し共に戦う仲間達である。
「懐かしいねぇ」
「この面子での作戦なんて、イシュヴァール以来じゃねぇの?」
砕けるさまも無残に、岩谷を周囲に生やす地帯へと墜落する列車を確認すると、統率の取れた動きで走り出す。
「マスタング大佐も、ぬるい都会生活で戦場の勘が鈍ってなきゃいいけど」
「今度は殲滅戦と話が違う。中央市街じゃ、大佐の大砲も使い勝手が悪いんじゃないのかねぇ」
「まぁ
「そりゃそーだ」
やいのやいの言いながら、次なる目的地に向かって駆ける足は全く緩めない。
鬱蒼とした森を抜けるために、彼らは中央市内へと向かうのであった。
「うむ。うむ」
その頃、ブラッドレイの命令で練兵場に残された大総統付き補佐官である軍人のシュトルヒは険しい顔つきで相槌を打っていた。
切迫した声が、受話器から聞こえてくる。
「……そうか。そのまま車両の捜索を続けろ」
通話を終えると、苦虫を噛み潰したような表情で後ろに待機しているハクロへと振り向いた。
