第78話
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オリヴィエ不在の代わりにブリックズ砦を管轄することとなった中央軍が我が物顔で闊歩している。
マイルズが何食わぬ顔で戻ってくると、バッカニアも無言でついてきた。
他の軍人達に紛れながら、しかし彼らは言葉を交わさない。
そのままお互いに知らないふりをしつつ、歩みを進める。
長い長い廊下を、一言も話さないまま一気に駆け抜ける。
自然と早足になり、肩が弾んだ。
もう周囲にはおろか中央軍はおろか、仲間達や作業員の姿さえ一人も見えない。
それでも念には念を入れて我慢しつつ、人気のない場所まで歩き続けた。
「キンブリーが行方不明と聞きましたが、本当ですか?」
ようやく立ち止まると、バッカニアが口を開いた。
「ああ。坑道が崩れる程の爆発があってな。キンブリー他数名が行方不明だ」
大規模な竪坑の爆発事故によって、数名が瓦礫の中に沈んだ。
何が起きたのか、竪坑があったはずの場所は瓦礫の山だ。
行方不明者を捜索・救出するために現場へと向かったが、いくら探しても死体は出てこない。
「十日間捜索したが、誰の死体も出て来なかった」
「む……『他数名』とはブリックズ兵ですか?」
何気ない口調でバッカニアが聞いてきた。
「キンブリーの部下二名と、鋼の錬金術師と氷刹の錬金術師だ」
マイルズは己の無力さを感じながら、冷静に言った。
同時刻、西部に左遷されたブレダは駅前の電話ボックスで連絡を取っていた。
「そうか……鋼の大将とお嬢が無事ならいいが……」
《西 はどうですか?》
相手は北に左遷されたファルマン。
西の現状はどうかと聞かれ、険しい表情になる。
「どうもこうも、ペンドルトンの国境線はひでぇもんだよ。わざと戦死者を増やしてるとしか思えない戦い方をしてる」
現在、隣国クレタとは国境線をめぐる小競り合いが絶えず、アメストリス国軍と睨み合って布陣している。
ここまではいい。
だが問題は、現在も戦闘が続いており、犠牲者の数が増えたことだった。
これではまるで、軍が意図的に率先して流血沙汰を起こしているような……。
「ファルマンよ。おまえの言った通り、軍が率先して流血沙汰を起こして錬成陣を作ってるようだな」
ブレダはそこまで考えてから小さくかぶりを振った。
いや、起こしているのだ。
軍の介入によって起きた流血事件から、エド達と協力して国土錬成陣の存在を明らかにしたファルマンの報告から、ブレダは知ったのである。
「南のフュリー曹長からは連絡ありましたか?」
《少し前に電話して話した。フォルセット南部でアエルゴ軍とドンパチやってるそうだ。俺達、マスタング組は憎まれっ子だからよ。無茶苦茶な現場に放り込まれてるかもな》
南方戦線に渡ったフュリーは、銃弾の飛び交う最前線での通信網の設営という、過酷な任務に就いていた。
――背後から爆炎と共に猛烈な爆風にしたたかに身体を叩かれ、
「ふがっ」
――かぶっていたヘルメットが身体が宙に浮いた。
――吹き飛ばされたフュリーの身体は、激しく地面に打ちつけられる。
――三半規管にダメージ。
――じゃりじゃりと口のなかに入った砂を吐きながら地面に手を突いて、痛む身体をなんとか起こす。
「トーマス!走れ走れ!!休むな!!」
――必死の形相で仲間に叫ぶ。
「トーマ…」
――仲間の名を最後まで言い終わる前に、フュリーは愕然とした。
――不運にもタッチの差で爆発に巻き込まれた仲間が白目を剥いて絶命していた。
「くそっ……畜生!!」
――銃弾が飛び交う戦場で仲間を失いながら思ったのは、必ず生き残ろうということ。
――生への強い思いはフュリーを強くし、ロイの下にいた頃以上に彼を心身共に成長させる。
「生き残ってやる!!絶対、生き残ってやるぅぅぅぅ!!」
――悔しげに奥歯を噛みしめ、泥土を跳ね飛ばし戦場を駆け抜ける。
第一次南部国境戦以来続く、アエルゴとの戦闘。
ロイの力を削ぐべく異動を命じられ、フォトセットの南に位置する激戦区に送り込まれてしまったフュリーの身を案じた。
「あそこも錬成陣の一部ですから、相当ひどい事になっているでしょうね。無事だといいのですが」
《大佐には連絡つけてるのか?》
「ええ。アームストロング家縁 のメッセンジャーを使って逐一……」
花屋のおばちゃんに扮した女性が伝達役となって逐一、報告している。
「……やはり、キョウコちゃんが行方不明だと知った時は、なんでもないふうを装っていましたが、声が震えていました」
ロイにとって、キョウコは大事な部下であり、全力で守ってあげたい少女だ。
そんな人間が生死不詳――本当は誰よりもロイが焦り、慌てふためきたいはずなのだ。
だが、部下の手前、そんなことはできない。
なけなし大人の矜持がなんとか思考を平静に保っている……そんな状態だった。
「そうか。特に。北 も大変そうだが、気をつけろよ」
ファルマンは数秒かけて言葉を咀嚼しつつ、小刻みに何度も頷いた。
「大変……ですよねぇ。足元で人造人間が穴掘ってるのに止められない……ってのがなんとも、もどかしいですよ」
固い岩を両手で削り、スロウスはひたすらトンネルを掘り進める。
「んあ」
洞窟を掘り進めてしばらくすると、目の前の光景に声をあげた。
出入り口がつながったのである。
「つな、がった。もう、仕事、しないでいいか?プライド」
ようやくトンネルを掘り終え、スロウスは満足げな笑みを浮かべた。
"お父様"と人造人間が集まる地下空洞では、とある信じがたい知らせの話題で持ちきりだった。
その真偽を考察する議論は、いっこうに収まる気配を見せない。
そして、その話題尽きぬ知らせの内容とは――。
「キョウコが行方不明って、どういう事だっ……!!」
坑道が崩れるほどの爆発事故の顚末を聞いたエンヴィーが激昂していた。
「何、黙ってやがる。さっさと答えろ、ラース」
闇の中で、ブラッドレイは鋭く目を細めた。
暗闇にあろうと、その眼光は鈍い輝きを放っている。
「言葉の通りだ。傷の男を最中に坑道が崩れる程の爆発があり、キンブリー他数名が行方不明だ。十日間、捜索したが誰の死体も出て来ない」
「――ハッ!その行方不明者の中に"氷の魔女"がいるとは!」
呆れたといわんばかりに大げさな振る舞いをして、エンヴィーは目を剣呑に細めていく。
「冗談じゃない…まだ、キョウコの柔肌に触れてもいないんだぞ。あの綺麗な黒髪を白濁で汚して、徹底的になぶって、苦痛を与えて、辱めを味わわせて……」
感じ取れるのは明らかな執着と冷たい殺意。
何が彼をそこまで怒りに燃え立たせているのか、ブラッドレイにはわからなかった。
彼の奥から湧き出た怒りが次第に尋常ではないものに変容していくのが、直感でわかった。
突如として湧き出た殺気に、ブラッドレイは微かな戦慄を覚えた。
「誰よりも先に、俺があの存在を見つけたのに……!!」
途端に、グリードが腕を振りかぶり、エンヴィーもそれに合わせる。
打ち合わされたグリードの拳打とエンヴィーの拳打ごと地下空洞がビリビリと震動。
ブラッドレイがゆっくりとそちらを見ると、自分の意思に反して動いた腕を押さえ、グリードは痙攣していた。
エンヴィーとブラッドレイは、何事かと目を見張る。
「それ以上……キョウコの心を……汚すナ!!」
その言葉がグリードのものではないということは、一目瞭然だった。
リン自身の声が、言葉を紡いでいる。
一時的にではあるが、やはりリンの魂は抗っていた。
「人造人間 側に堕ちたくせに……!」
リンとエンヴィーが睨み合う。
二人の視線が交錯し、火花を散らそうとした時……。
「――双方、そこまで」
ドアから漏れる光をバックにして、小柄な人影がカツカツと靴音を立てながら二人の方へやって来る。
エンヴィーとグリードは舌打ちをしそうなほどに顔をしかめた。
「プライド!もしキョウコが死んでいたら、どうするつもりだ!!」
「その心配は無用です。"氷の魔女"なら生きています」
「何を根拠に…!」
「彼女は最高品質の人材。八番目の大罪である虚飾にふさわしい人間ですから」
エンヴィーはカッと目を見開いた。
魂の主導権がリンからグリードへと渡った時だったので、肝心な台詞は入ってこなかったが、それでも凍りついた場の空気を察知する。
ブラッドレイも信じられないような瞳で聞いていた。
グラトニーだけは不思議そうに表情を揺らす。
「初耳だな。八番目の大罪があるというのも。それにキョウコ・アルジェントがふさわしいというのも」
「私もそれを知ったのは、つい最近の事ですよ」
今日 、知られる七つの大罪へとつながる最初の記述は、4世紀にエジプトのキリスト教修道士により八つの枢要罪として表された。
内訳は大食・肉欲・強欲・憂鬱・憤怒・怠惰・虚飾・傲慢である。
のちに虚飾は傲慢に統一され、怠惰と憂鬱が統合され、さらに嫉妬が追加され、七つの大罪となった。
「エンヴィー、あなたは嬉しくないのですか?」
「……この状況じゃなかったら素直に喜べたかもしれないよ」
プライドにこう言ったエンヴィーの声は、完全にいつもの調子だった。
「そうですね。いきなり納得しろといっても難しいでしょうし、お話しましょう」
プライドはエンヴィーへと頷き、兄弟へ目を転じた。
穏やかに微笑みながら、しかし目と声は真摯に告げる。
「知っての通り、キョウコ・アルジェントは我々の計画のために作り出された復讐者。越権行為が許される"氷の魔女"です。かつて我々が滅ぼした町"トゥールース"でただ一人、生き残った少女……」
まるで洪水のように、人造人間が町を破壊し尽くし、人々を無惨な肉塊へとバラバラに解体する。
炎と肉の臭いが、辺りに充満する。
「彼女個人に関しては、まだ知り合ったばかりで詳しくわかりませんが……それでも、年齢にしては随分達観していて、普通の人間に比べれば、恐怖心やといった感情がありません。心当たりがありませんか?」
その言葉に、グリードに取り込まれたリンの心臓は小さく跳ねた。
彼女がどれだけ聡明かはよく知っている。
勉強に関してはあまり聞かないが、会話内容を聞く限り思考力も高い。
知識も意外なくらい豊富だ。
そして何より――その洞察力。
理路整然と言葉を次から次へと並べ、誰に対してもその美貌で惑わす。
(聡明なんてそんなものじゃなイ。冷静沈着なんて生易しいものじゃなイ。彼女は誰かに言われて地獄での人生を選んだんじゃなイ。未来像も語らなイ、自分を犠牲にして、他者の幸せを願うんダ)
それだけに、キョウコの禍々しい狂気性が、より一層色濃く浮き彫りにされ、ことさらに恐ろしい。
「……確かに。これまで多くの任務で戦果をあげてきた手際については、模範的と言ってもいいのかもしれない」
「ゆえにこそ、我々の計画に担うふさわしい逸材。しかし……少し模範的すぎる」
本来なら、そうあるよう推奨されること、むしろといっていいはずの、理想的な復讐者の姿に、得も言われぬ違和感を覚えていた。
少女は、最上級の軍人達による英才教育を受けたとはいえ、国家錬金術師になってから数年、ほぼ見た目通りの年齢という幼さである。
それが、ここまでの……ほとんど同等の精神を備えているのは、どういうことか。
奇異――といっていい少女のありように、歴戦の軍人であるからこそ、頼もしさよりも、そうある不自然さへの胸中に湧かせていた。
潜んでいたもの――少女のありようへの違和感と正体を見極める、という真の理由を、ようやく明確に自覚していた。
「彼女の錬金術――広範囲に吹雪をまき散らす。何も錬金術で発動するだけではない。感情が高ぶっている時でさえも冷気をまとっているのです」
「感情が高ぶっている時であっても……?」
真理を見た者達は決まって錬成陣なしで錬成するのだが、それは意識して発動するということであって、無意識に構築され発動されることは絶対にない。
もし意図せずに錬金術を発動することがあれば――。
「……"お父様"と、同じ?」
グラトニーのつぶやきに、プライドは頷いた。
「えぇ。父上と同じく、両手を合わせる事なく錬金術を発動する事が出来ているのです」
マイルズが何食わぬ顔で戻ってくると、バッカニアも無言でついてきた。
他の軍人達に紛れながら、しかし彼らは言葉を交わさない。
そのままお互いに知らないふりをしつつ、歩みを進める。
長い長い廊下を、一言も話さないまま一気に駆け抜ける。
自然と早足になり、肩が弾んだ。
もう周囲にはおろか中央軍はおろか、仲間達や作業員の姿さえ一人も見えない。
それでも念には念を入れて我慢しつつ、人気のない場所まで歩き続けた。
「キンブリーが行方不明と聞きましたが、本当ですか?」
ようやく立ち止まると、バッカニアが口を開いた。
「ああ。坑道が崩れる程の爆発があってな。キンブリー他数名が行方不明だ」
大規模な竪坑の爆発事故によって、数名が瓦礫の中に沈んだ。
何が起きたのか、竪坑があったはずの場所は瓦礫の山だ。
行方不明者を捜索・救出するために現場へと向かったが、いくら探しても死体は出てこない。
「十日間捜索したが、誰の死体も出て来なかった」
「む……『他数名』とはブリックズ兵ですか?」
何気ない口調でバッカニアが聞いてきた。
「キンブリーの部下二名と、鋼の錬金術師と氷刹の錬金術師だ」
マイルズは己の無力さを感じながら、冷静に言った。
同時刻、西部に左遷されたブレダは駅前の電話ボックスで連絡を取っていた。
「そうか……鋼の大将とお嬢が無事ならいいが……」
《
相手は北に左遷されたファルマン。
西の現状はどうかと聞かれ、険しい表情になる。
「どうもこうも、ペンドルトンの国境線はひでぇもんだよ。わざと戦死者を増やしてるとしか思えない戦い方をしてる」
現在、隣国クレタとは国境線をめぐる小競り合いが絶えず、アメストリス国軍と睨み合って布陣している。
ここまではいい。
だが問題は、現在も戦闘が続いており、犠牲者の数が増えたことだった。
これではまるで、軍が意図的に率先して流血沙汰を起こしているような……。
「ファルマンよ。おまえの言った通り、軍が率先して流血沙汰を起こして錬成陣を作ってるようだな」
ブレダはそこまで考えてから小さくかぶりを振った。
いや、起こしているのだ。
軍の介入によって起きた流血事件から、エド達と協力して国土錬成陣の存在を明らかにしたファルマンの報告から、ブレダは知ったのである。
「南のフュリー曹長からは連絡ありましたか?」
《少し前に電話して話した。フォルセット南部でアエルゴ軍とドンパチやってるそうだ。俺達、マスタング組は憎まれっ子だからよ。無茶苦茶な現場に放り込まれてるかもな》
南方戦線に渡ったフュリーは、銃弾の飛び交う最前線での通信網の設営という、過酷な任務に就いていた。
――背後から爆炎と共に猛烈な爆風にしたたかに身体を叩かれ、
「ふがっ」
――かぶっていたヘルメットが身体が宙に浮いた。
――吹き飛ばされたフュリーの身体は、激しく地面に打ちつけられる。
――三半規管にダメージ。
――じゃりじゃりと口のなかに入った砂を吐きながら地面に手を突いて、痛む身体をなんとか起こす。
「トーマス!走れ走れ!!休むな!!」
――必死の形相で仲間に叫ぶ。
「トーマ…」
――仲間の名を最後まで言い終わる前に、フュリーは愕然とした。
――不運にもタッチの差で爆発に巻き込まれた仲間が白目を剥いて絶命していた。
「くそっ……畜生!!」
――銃弾が飛び交う戦場で仲間を失いながら思ったのは、必ず生き残ろうということ。
――生への強い思いはフュリーを強くし、ロイの下にいた頃以上に彼を心身共に成長させる。
「生き残ってやる!!絶対、生き残ってやるぅぅぅぅ!!」
――悔しげに奥歯を噛みしめ、泥土を跳ね飛ばし戦場を駆け抜ける。
第一次南部国境戦以来続く、アエルゴとの戦闘。
ロイの力を削ぐべく異動を命じられ、フォトセットの南に位置する激戦区に送り込まれてしまったフュリーの身を案じた。
「あそこも錬成陣の一部ですから、相当ひどい事になっているでしょうね。無事だといいのですが」
《大佐には連絡つけてるのか?》
「ええ。アームストロング家
花屋のおばちゃんに扮した女性が伝達役となって逐一、報告している。
「……やはり、キョウコちゃんが行方不明だと知った時は、なんでもないふうを装っていましたが、声が震えていました」
ロイにとって、キョウコは大事な部下であり、全力で守ってあげたい少女だ。
そんな人間が生死不詳――本当は誰よりもロイが焦り、慌てふためきたいはずなのだ。
だが、部下の手前、そんなことはできない。
なけなし大人の矜持がなんとか思考を平静に保っている……そんな状態だった。
「そうか。特に。
ファルマンは数秒かけて言葉を咀嚼しつつ、小刻みに何度も頷いた。
「大変……ですよねぇ。足元で人造人間が穴掘ってるのに止められない……ってのがなんとも、もどかしいですよ」
固い岩を両手で削り、スロウスはひたすらトンネルを掘り進める。
「んあ」
洞窟を掘り進めてしばらくすると、目の前の光景に声をあげた。
出入り口がつながったのである。
「つな、がった。もう、仕事、しないでいいか?プライド」
ようやくトンネルを掘り終え、スロウスは満足げな笑みを浮かべた。
"お父様"と人造人間が集まる地下空洞では、とある信じがたい知らせの話題で持ちきりだった。
その真偽を考察する議論は、いっこうに収まる気配を見せない。
そして、その話題尽きぬ知らせの内容とは――。
「キョウコが行方不明って、どういう事だっ……!!」
坑道が崩れるほどの爆発事故の顚末を聞いたエンヴィーが激昂していた。
「何、黙ってやがる。さっさと答えろ、ラース」
闇の中で、ブラッドレイは鋭く目を細めた。
暗闇にあろうと、その眼光は鈍い輝きを放っている。
「言葉の通りだ。傷の男を最中に坑道が崩れる程の爆発があり、キンブリー他数名が行方不明だ。十日間、捜索したが誰の死体も出て来ない」
「――ハッ!その行方不明者の中に"氷の魔女"がいるとは!」
呆れたといわんばかりに大げさな振る舞いをして、エンヴィーは目を剣呑に細めていく。
「冗談じゃない…まだ、キョウコの柔肌に触れてもいないんだぞ。あの綺麗な黒髪を白濁で汚して、徹底的になぶって、苦痛を与えて、辱めを味わわせて……」
感じ取れるのは明らかな執着と冷たい殺意。
何が彼をそこまで怒りに燃え立たせているのか、ブラッドレイにはわからなかった。
彼の奥から湧き出た怒りが次第に尋常ではないものに変容していくのが、直感でわかった。
突如として湧き出た殺気に、ブラッドレイは微かな戦慄を覚えた。
「誰よりも先に、俺があの存在を見つけたのに……!!」
途端に、グリードが腕を振りかぶり、エンヴィーもそれに合わせる。
打ち合わされたグリードの拳打とエンヴィーの拳打ごと地下空洞がビリビリと震動。
ブラッドレイがゆっくりとそちらを見ると、自分の意思に反して動いた腕を押さえ、グリードは痙攣していた。
エンヴィーとブラッドレイは、何事かと目を見張る。
「それ以上……キョウコの心を……汚すナ!!」
その言葉がグリードのものではないということは、一目瞭然だった。
リン自身の声が、言葉を紡いでいる。
一時的にではあるが、やはりリンの魂は抗っていた。
「
リンとエンヴィーが睨み合う。
二人の視線が交錯し、火花を散らそうとした時……。
「――双方、そこまで」
ドアから漏れる光をバックにして、小柄な人影がカツカツと靴音を立てながら二人の方へやって来る。
エンヴィーとグリードは舌打ちをしそうなほどに顔をしかめた。
「プライド!もしキョウコが死んでいたら、どうするつもりだ!!」
「その心配は無用です。"氷の魔女"なら生きています」
「何を根拠に…!」
「彼女は最高品質の人材。八番目の大罪である虚飾にふさわしい人間ですから」
エンヴィーはカッと目を見開いた。
魂の主導権がリンからグリードへと渡った時だったので、肝心な台詞は入ってこなかったが、それでも凍りついた場の空気を察知する。
ブラッドレイも信じられないような瞳で聞いていた。
グラトニーだけは不思議そうに表情を揺らす。
「初耳だな。八番目の大罪があるというのも。それにキョウコ・アルジェントがふさわしいというのも」
「私もそれを知ったのは、つい最近の事ですよ」
内訳は大食・肉欲・強欲・憂鬱・憤怒・怠惰・虚飾・傲慢である。
のちに虚飾は傲慢に統一され、怠惰と憂鬱が統合され、さらに嫉妬が追加され、七つの大罪となった。
「エンヴィー、あなたは嬉しくないのですか?」
「……この状況じゃなかったら素直に喜べたかもしれないよ」
プライドにこう言ったエンヴィーの声は、完全にいつもの調子だった。
「そうですね。いきなり納得しろといっても難しいでしょうし、お話しましょう」
プライドはエンヴィーへと頷き、兄弟へ目を転じた。
穏やかに微笑みながら、しかし目と声は真摯に告げる。
「知っての通り、キョウコ・アルジェントは我々の計画のために作り出された復讐者。越権行為が許される"氷の魔女"です。かつて我々が滅ぼした町"トゥールース"でただ一人、生き残った少女……」
まるで洪水のように、人造人間が町を破壊し尽くし、人々を無惨な肉塊へとバラバラに解体する。
炎と肉の臭いが、辺りに充満する。
「彼女個人に関しては、まだ知り合ったばかりで詳しくわかりませんが……それでも、年齢にしては随分達観していて、普通の人間に比べれば、恐怖心やといった感情がありません。心当たりがありませんか?」
その言葉に、グリードに取り込まれたリンの心臓は小さく跳ねた。
彼女がどれだけ聡明かはよく知っている。
勉強に関してはあまり聞かないが、会話内容を聞く限り思考力も高い。
知識も意外なくらい豊富だ。
そして何より――その洞察力。
理路整然と言葉を次から次へと並べ、誰に対してもその美貌で惑わす。
(聡明なんてそんなものじゃなイ。冷静沈着なんて生易しいものじゃなイ。彼女は誰かに言われて地獄での人生を選んだんじゃなイ。未来像も語らなイ、自分を犠牲にして、他者の幸せを願うんダ)
それだけに、キョウコの禍々しい狂気性が、より一層色濃く浮き彫りにされ、ことさらに恐ろしい。
「……確かに。これまで多くの任務で戦果をあげてきた手際については、模範的と言ってもいいのかもしれない」
「ゆえにこそ、我々の計画に担うふさわしい逸材。しかし……少し模範的すぎる」
本来なら、そうあるよう推奨されること、むしろといっていいはずの、理想的な復讐者の姿に、得も言われぬ違和感を覚えていた。
少女は、最上級の軍人達による英才教育を受けたとはいえ、国家錬金術師になってから数年、ほぼ見た目通りの年齢という幼さである。
それが、ここまでの……ほとんど同等の精神を備えているのは、どういうことか。
奇異――といっていい少女のありように、歴戦の軍人であるからこそ、頼もしさよりも、そうある不自然さへの胸中に湧かせていた。
潜んでいたもの――少女のありようへの違和感と正体を見極める、という真の理由を、ようやく明確に自覚していた。
「彼女の錬金術――広範囲に吹雪をまき散らす。何も錬金術で発動するだけではない。感情が高ぶっている時でさえも冷気をまとっているのです」
「感情が高ぶっている時であっても……?」
真理を見た者達は決まって錬成陣なしで錬成するのだが、それは意識して発動するということであって、無意識に構築され発動されることは絶対にない。
もし意図せずに錬金術を発動することがあれば――。
「……"お父様"と、同じ?」
グラトニーのつぶやきに、プライドは頷いた。
「えぇ。父上と同じく、両手を合わせる事なく錬金術を発動する事が出来ているのです」