第77話
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建物が崩れ、轟音と共に降ってくる。
キョウコは周囲を見回す――ハインケルとダリウスに身を守るすべはなく、慌てふためいている。
エドがうろたえた表情で、どうすればいいのかわからない、といった感じに硬直して目を剥いている。
キョウコは地面を蹴り、エドへ手を伸ばした。
「エド……!」
「キョウコ――オレに構うな!」
驚いたふうにキョウコを見て、そして衝撃を受けて歪んでいったエドの表情を、容赦なく覆い隠すように。
老朽化した竪坑が、崩落する――。
キョウコは目を覚ます。
「……う…あ……」
全身を蝕む気だるさ、重さ、息をすることすらも億劫な気分。
それでも何かをしなければ、自分には為すべきことが、為さねばならぬことがある……そんな焦燥感と使命感が、キョウコの目を開かせる。
「ここ……は?ぐぅ……っ!?」
身体をそこかしこに打ちつけ、全身に痛みが広がる。
どうやら竪坑の下まで落ちたみたいだ。
強引に身体を起こせば、両足に激痛が走る。
巨大な鉄骨がキョウコの足を圧迫している。
彼女の細い足は完全に潰されて、紫色になっていた。
それでも苦しげに息を吐き、必死に生きようとする。
「……まだ……死ねない……」
喉の奥から絞り出すような声。
彼女を突き動かしているのは、強い絆で結ばれた軍部の仲間達と"氷の魔女"と知らされてなお、自分の親友だと言ってくれた優しい少女。
そして、元の身体に戻るための旅を続ける兄弟との約束を忘れていない。
「……この程度の、恐怖で……!」
それまで痛みに揺れていた顔が険しく引きつり、ばきり、と奥歯を噛みしめる音が聞こえてきた。
震える両手を合わせ、錬金術を発動する。
「この程度の脅威で死を受け入れる事なんて――許されない!!」
小さいながらも錬成の光がまたたき、空気中の水分が瞬時に凝結し、支柱になって彼女を押し潰す鉄骨を持ち上げた。
痛む身体に鞭打ち、折れた足で立ち上がろうとする。
荒く乱れた息を吐き、ゆっくりと歩き出した。
己の脇腹から、真っ赤に染まった鉄骨が突き刺さっている。
そこを中心に、みるみるうちに地面を侵食していく致命的な紅。
信じがたい、信じたくない悪夢の光景。
次の瞬間、エドは一際、盛大に血を吐いて気絶した。
(――「這いずり回って格好悪くたって生きのびなきゃ。沢山の人があなた達の元の身体に戻る事を待ってくれてるはずよ」――)
意識が闇へと消える瞬間、エドの脳裏を次々と走ったのは、リザの言葉。
(――「ボクが元の身体に戻る、その時は、兄さんの身体も一緒だよ」ーー)
次に、弟の言葉。
(――「次に泣く時は嬉し泣きだって約束したから」――)
それから、ウィンリィの言葉。
感慨にふけっている場合ではない。
意識の隅を次々と過ぎる仲間達の顔に、エドはゆっくりと覚醒していく。
とっくに死に体だった身体が、ピクッ、と微かに動き、握った拳から血が噴き出るほど地面に打ちつける。
「どいつもこいつも、こんなんで、泣かせる訳に」
そして、キョウコの言葉。
(――「いつも強がってばかりで素直になれなくてごめんなさい」――)
「いかねぇよなぁ」
死ぬわけにはいかないと忌々しげに吐き捨て、
「がほっ」
自分の身体を貫く鉄骨の後ろ半分を錬金術で分解し、どうにか立ち上がろうとする。
しかし、立ち上がる気力もなく、呆気なく崩れ落ちてしまいながらも両手を合わせた。
「……え?」
そうすることで、ハインケルとダリウスを押し潰していた瓦礫を持ち上げ、僅かな空間を作る。
二人は瓦礫の外へ這い上がると、痛みに顔をしかめた。
「痛 っ…」
「くそっ、キンブリーさん、俺達を捨て駒扱いかよ」
二人が周囲を見回すと、まともに身動きも取れないエドを発見した。
金髪の少年の異変に二人は慌てて駆け寄り、必死に声をかける。
「おい、鋼の!生きてるか!?おまえ、なんで俺達を助けた?」
「おまえの方が重傷じゃないか!!」
荒く乱れた息を吐きながら、苦しそうに顔を歪める。
「勘違……い、すんなよ……」
崩壊した建物の落下を差し引いても、エドの状態はひどい。
特に鉄骨が脇腹を貫き、傷だらけの血まみれだった。
「この……腹に刺さってるのを抜いてくれる奴が…いないと……困るんだよ…」
「俺達に、その鉄骨を抜けってか?さっきまで敵だったんだぞ」
「ああ。たのむ…」
ついさっきまで対峙していた敵に助けを求める少年の発言に、二人は顔を見合わせた。
「「………」」
その時、崩壊の跡が刻まれた場所に靴音が響いた。
姿を現したのは、痛む身体に鞭打ち、ふらつきながらも歩いてくるキョウコだ。
見れば、その足は紫色に腫れ上がり、見るも無惨なありさまだった。
「――エド……!!」
胸の中に渦巻く感情がなんなのか理解できず、その場に立ち尽くした。
真っ赤な血が滲み、今もその領地を広げていたのである。
それは、凄惨で、残酷で、猟奇的で――めまいがするくらい、死にかけの光景だった。
茫然と立ち尽くすキョウコを我に返したのは、今にも消え入りそうな声だった。
「………はは、ドジっちまった…」
そう、たどたどしく言葉を発してきたのである。
――まだ、生きている。
キョウコは己の早とちりを恥じた。
そしてそれ以上に、彼に命があることに安堵した。
「違う!!あたしが…もっと早くにキンブリーを倒していれば……」
キョウコが肩を震わせると、彼の隣に膝を降り、そう呼びかけた。
頭は混乱しっぱなしだ。
けれど、彼を助けねばならないという使命感が、かろうじて冷静さを保たせていた。
「……は、は――目の前にいたのが、おまえで……よかった……」
「え……?」
彼の言葉の意味がわからず、キョウコは表情を困惑の色に染めた。
失血のために意識が朦朧としているのだろうか、無理もないことだ。
今すぐしかるべき処置をせねばなるまい。
だが、ここには医療設備もないし、医療の知識などそんなにない。
となれば、担いで病院に連れていく他ないだろう。
だが、崩れ落ちた建物の中、一体どこへ向かえばよいのだろうか。
「げほっ……いや、オレの…不注意だ。気に…する、な」
「もう喋んないで!!とにかく治療を…!!」
でも、この鉄筋を抜かないことには治療も何もない。
今の彼に錬金術を使わせるわけにはいかない。
動かすだけでも命にかかわるかもしれない。
(…これも危険だけど…一番、可能性があるのは…)
すると、ハインケルがエドの身体に鉄骨が刺さった状態を指差す。
「でも、これ抜いたら大量出血で確実にあの世行きだぞ?」
キョウコは悔しさに瞳を揺らしたが、深く息を吐いて合成獣の軍人を見据えた。
「……手伝って。貴方達の怪我も治します。だから、エドを助けるのを手伝って。その後はどこにでも好きなところへ行ってくれて構わない」
呆然と佇む二人は、キョウコの言葉に驚きを露にする。
「見逃すってのか?」
「今はそんな事よりエドを助けたい。それだけよ」
迷いを振り払うかのように固く目を閉じ、二人の傷を治すと、エドの方へと向き直る。
「アンタほどの力なら俺達がいなくても助ける事ができるんじゃ…」
ハインケルが怪訝そうな顔で言うと、ダリウスが眉根を寄せて、苦しげなエドを見やる。
「でもおまえ、これ、内臓メタメタだし…キンブリーさんが傷の男に腹刺された時は、賢者の石があったから治ったって話だぞ」
スカーとの戦いで脊髄を損傷し、医者の診断ではいつ歩けるかわからない状態だったキンブリーは、医師と共に派遣された賢者の石を使って早速、治療に取りかかり、回復したのである。
「あたしの医療錬金術は完璧じゃない。この鉄筋を引き抜く作業とエドを固定するのを手伝ってほしいの」
鉄筋を抜いた瞬間に傷口をふさぐ。
そのためには彼の身体を固定するのも必要で、できるなら固い地面に固定するより、人間に固定してもらった方が身体を痛めつけなくて済む。
「この傷じゃ、通常の医療錬金術じゃ間に合わない。より集中して、精度の高い錬成をしないと…」
「精度の高いって?」
悶々と頭の中で思考が巡り、ますます困惑する。
キョウコは怖いくらい真剣な表情で告げた。
「人間の身体に穴が開いてる。それによって内臓だって傷ついているはず。傷口の修復だけじゃなくて内臓の回復だってしないと。それには自前の生命エネルギー…この場合はあたしの生命を使って、力の底上げをする」
「それって…」
信じられない言葉に、ハインケルはまじまじとキョウコの横顔を見てしまった。
「簡単に言えば寿命を使うわけ。もういい?早く始めないと…」
「ダメ…だ…」
そこまで説明すると、エドの声が聞こえた。
胡乱ながらも意識を取り戻していたらしい。
顔だけを動かし、今は辛そうにキョウコをぼんやり見つめている。
「おまえ、の…命……使う、なんて。自分の甘さが招いた結果なら、ケツは自分で拭かなきゃ…な」
「エド」
「オレ…の…使え」
エドは自分の生命エネルギーを使えというけど……それを受け入れるわけがない。
「これは、あたしの望みだから気にしないで。エドは治す事だけを考えて。ね?」
薄く微笑みながら頼むが、エドは身体を震わせた。
「なんかわからんが、確かに迷ってる暇は無いな。よし、抜くぞ」
意を決したハインケルが鉄骨に手を伸ばす。
――そうだ。
――自分を一個の生命エネルギー体と考えろ。
――賢者の石と同じ。
キョウコが気を引き締めると同時、ズ、と鉄骨が引き抜かれる。
「…………!!!」
いかなる苦痛がエドを苛んでいるのか、想像もつかないほど目を見開き、
「ぐお…」
なんとか絶叫を堪える。
「エド。これから――あたしの生命エネルギーを流し込む。かなりきついはずだから、耐えてちょうだい」
キョウコはエドの頬に手を添え、唇を重ねてきた。
エドの血と、キョウコの血。
二つの血が混じった凄惨なファーストキス。
けれど身体の感覚を失いつつあったエドは、それにろくな反応も示せなかった。
(……好きな人とのキスって、もっとロマンチックなのかと思ったけど…理想と現実は違うって奴ね。エドには悪い事したな。ウィンリィにも、アルにも)
本当なら弱っている彼の身体を気遣い、慈しんでやるべきところなのだが――。
止めるつもりはない。
キョウコはそのまま突き進むことにした。
唇も舌も、唾液も歯も、口内で触れることのできる部位は全て慈しむつもりで接吻する。
そうしながらキョウコは、エドとの間に道のようなものが開くのを感じた。
目には見えない術の道。
ここを通せば、生命エネルギーを向こうに伝えられる。
キョウコは己の下腹部に意識を向けた。
医学で言えば臍下丹田 と呼ぶ場所。
身体の最奥とも言うべき部位。
ここから己の生命エネルギーを上昇させる。
その過程でただのエネルギーを術式へと精錬する。
下腹部から腹へ、胸へ、喉へ、そして口へ。
背骨を沿うようにして上昇させたエネルギーを、己の唇からエドの唇へ流し込む。
この力を至純の術式に変えるのは、彼に対する想いだ。
キョウコは周囲を見回す――ハインケルとダリウスに身を守るすべはなく、慌てふためいている。
エドがうろたえた表情で、どうすればいいのかわからない、といった感じに硬直して目を剥いている。
キョウコは地面を蹴り、エドへ手を伸ばした。
「エド……!」
「キョウコ――オレに構うな!」
驚いたふうにキョウコを見て、そして衝撃を受けて歪んでいったエドの表情を、容赦なく覆い隠すように。
老朽化した竪坑が、崩落する――。
キョウコは目を覚ます。
「……う…あ……」
全身を蝕む気だるさ、重さ、息をすることすらも億劫な気分。
それでも何かをしなければ、自分には為すべきことが、為さねばならぬことがある……そんな焦燥感と使命感が、キョウコの目を開かせる。
「ここ……は?ぐぅ……っ!?」
身体をそこかしこに打ちつけ、全身に痛みが広がる。
どうやら竪坑の下まで落ちたみたいだ。
強引に身体を起こせば、両足に激痛が走る。
巨大な鉄骨がキョウコの足を圧迫している。
彼女の細い足は完全に潰されて、紫色になっていた。
それでも苦しげに息を吐き、必死に生きようとする。
「……まだ……死ねない……」
喉の奥から絞り出すような声。
彼女を突き動かしているのは、強い絆で結ばれた軍部の仲間達と"氷の魔女"と知らされてなお、自分の親友だと言ってくれた優しい少女。
そして、元の身体に戻るための旅を続ける兄弟との約束を忘れていない。
「……この程度の、恐怖で……!」
それまで痛みに揺れていた顔が険しく引きつり、ばきり、と奥歯を噛みしめる音が聞こえてきた。
震える両手を合わせ、錬金術を発動する。
「この程度の脅威で死を受け入れる事なんて――許されない!!」
小さいながらも錬成の光がまたたき、空気中の水分が瞬時に凝結し、支柱になって彼女を押し潰す鉄骨を持ち上げた。
痛む身体に鞭打ち、折れた足で立ち上がろうとする。
荒く乱れた息を吐き、ゆっくりと歩き出した。
己の脇腹から、真っ赤に染まった鉄骨が突き刺さっている。
そこを中心に、みるみるうちに地面を侵食していく致命的な紅。
信じがたい、信じたくない悪夢の光景。
次の瞬間、エドは一際、盛大に血を吐いて気絶した。
(――「這いずり回って格好悪くたって生きのびなきゃ。沢山の人があなた達の元の身体に戻る事を待ってくれてるはずよ」――)
意識が闇へと消える瞬間、エドの脳裏を次々と走ったのは、リザの言葉。
(――「ボクが元の身体に戻る、その時は、兄さんの身体も一緒だよ」ーー)
次に、弟の言葉。
(――「次に泣く時は嬉し泣きだって約束したから」――)
それから、ウィンリィの言葉。
感慨にふけっている場合ではない。
意識の隅を次々と過ぎる仲間達の顔に、エドはゆっくりと覚醒していく。
とっくに死に体だった身体が、ピクッ、と微かに動き、握った拳から血が噴き出るほど地面に打ちつける。
「どいつもこいつも、こんなんで、泣かせる訳に」
そして、キョウコの言葉。
(――「いつも強がってばかりで素直になれなくてごめんなさい」――)
「いかねぇよなぁ」
死ぬわけにはいかないと忌々しげに吐き捨て、
「がほっ」
自分の身体を貫く鉄骨の後ろ半分を錬金術で分解し、どうにか立ち上がろうとする。
しかし、立ち上がる気力もなく、呆気なく崩れ落ちてしまいながらも両手を合わせた。
「……え?」
そうすることで、ハインケルとダリウスを押し潰していた瓦礫を持ち上げ、僅かな空間を作る。
二人は瓦礫の外へ這い上がると、痛みに顔をしかめた。
「
「くそっ、キンブリーさん、俺達を捨て駒扱いかよ」
二人が周囲を見回すと、まともに身動きも取れないエドを発見した。
金髪の少年の異変に二人は慌てて駆け寄り、必死に声をかける。
「おい、鋼の!生きてるか!?おまえ、なんで俺達を助けた?」
「おまえの方が重傷じゃないか!!」
荒く乱れた息を吐きながら、苦しそうに顔を歪める。
「勘違……い、すんなよ……」
崩壊した建物の落下を差し引いても、エドの状態はひどい。
特に鉄骨が脇腹を貫き、傷だらけの血まみれだった。
「この……腹に刺さってるのを抜いてくれる奴が…いないと……困るんだよ…」
「俺達に、その鉄骨を抜けってか?さっきまで敵だったんだぞ」
「ああ。たのむ…」
ついさっきまで対峙していた敵に助けを求める少年の発言に、二人は顔を見合わせた。
「「………」」
その時、崩壊の跡が刻まれた場所に靴音が響いた。
姿を現したのは、痛む身体に鞭打ち、ふらつきながらも歩いてくるキョウコだ。
見れば、その足は紫色に腫れ上がり、見るも無惨なありさまだった。
「――エド……!!」
胸の中に渦巻く感情がなんなのか理解できず、その場に立ち尽くした。
真っ赤な血が滲み、今もその領地を広げていたのである。
それは、凄惨で、残酷で、猟奇的で――めまいがするくらい、死にかけの光景だった。
茫然と立ち尽くすキョウコを我に返したのは、今にも消え入りそうな声だった。
「………はは、ドジっちまった…」
そう、たどたどしく言葉を発してきたのである。
――まだ、生きている。
キョウコは己の早とちりを恥じた。
そしてそれ以上に、彼に命があることに安堵した。
「違う!!あたしが…もっと早くにキンブリーを倒していれば……」
キョウコが肩を震わせると、彼の隣に膝を降り、そう呼びかけた。
頭は混乱しっぱなしだ。
けれど、彼を助けねばならないという使命感が、かろうじて冷静さを保たせていた。
「……は、は――目の前にいたのが、おまえで……よかった……」
「え……?」
彼の言葉の意味がわからず、キョウコは表情を困惑の色に染めた。
失血のために意識が朦朧としているのだろうか、無理もないことだ。
今すぐしかるべき処置をせねばなるまい。
だが、ここには医療設備もないし、医療の知識などそんなにない。
となれば、担いで病院に連れていく他ないだろう。
だが、崩れ落ちた建物の中、一体どこへ向かえばよいのだろうか。
「げほっ……いや、オレの…不注意だ。気に…する、な」
「もう喋んないで!!とにかく治療を…!!」
でも、この鉄筋を抜かないことには治療も何もない。
今の彼に錬金術を使わせるわけにはいかない。
動かすだけでも命にかかわるかもしれない。
(…これも危険だけど…一番、可能性があるのは…)
すると、ハインケルがエドの身体に鉄骨が刺さった状態を指差す。
「でも、これ抜いたら大量出血で確実にあの世行きだぞ?」
キョウコは悔しさに瞳を揺らしたが、深く息を吐いて合成獣の軍人を見据えた。
「……手伝って。貴方達の怪我も治します。だから、エドを助けるのを手伝って。その後はどこにでも好きなところへ行ってくれて構わない」
呆然と佇む二人は、キョウコの言葉に驚きを露にする。
「見逃すってのか?」
「今はそんな事よりエドを助けたい。それだけよ」
迷いを振り払うかのように固く目を閉じ、二人の傷を治すと、エドの方へと向き直る。
「アンタほどの力なら俺達がいなくても助ける事ができるんじゃ…」
ハインケルが怪訝そうな顔で言うと、ダリウスが眉根を寄せて、苦しげなエドを見やる。
「でもおまえ、これ、内臓メタメタだし…キンブリーさんが傷の男に腹刺された時は、賢者の石があったから治ったって話だぞ」
スカーとの戦いで脊髄を損傷し、医者の診断ではいつ歩けるかわからない状態だったキンブリーは、医師と共に派遣された賢者の石を使って早速、治療に取りかかり、回復したのである。
「あたしの医療錬金術は完璧じゃない。この鉄筋を引き抜く作業とエドを固定するのを手伝ってほしいの」
鉄筋を抜いた瞬間に傷口をふさぐ。
そのためには彼の身体を固定するのも必要で、できるなら固い地面に固定するより、人間に固定してもらった方が身体を痛めつけなくて済む。
「この傷じゃ、通常の医療錬金術じゃ間に合わない。より集中して、精度の高い錬成をしないと…」
「精度の高いって?」
悶々と頭の中で思考が巡り、ますます困惑する。
キョウコは怖いくらい真剣な表情で告げた。
「人間の身体に穴が開いてる。それによって内臓だって傷ついているはず。傷口の修復だけじゃなくて内臓の回復だってしないと。それには自前の生命エネルギー…この場合はあたしの生命を使って、力の底上げをする」
「それって…」
信じられない言葉に、ハインケルはまじまじとキョウコの横顔を見てしまった。
「簡単に言えば寿命を使うわけ。もういい?早く始めないと…」
「ダメ…だ…」
そこまで説明すると、エドの声が聞こえた。
胡乱ながらも意識を取り戻していたらしい。
顔だけを動かし、今は辛そうにキョウコをぼんやり見つめている。
「おまえ、の…命……使う、なんて。自分の甘さが招いた結果なら、ケツは自分で拭かなきゃ…な」
「エド」
「オレ…の…使え」
エドは自分の生命エネルギーを使えというけど……それを受け入れるわけがない。
「これは、あたしの望みだから気にしないで。エドは治す事だけを考えて。ね?」
薄く微笑みながら頼むが、エドは身体を震わせた。
「なんかわからんが、確かに迷ってる暇は無いな。よし、抜くぞ」
意を決したハインケルが鉄骨に手を伸ばす。
――そうだ。
――自分を一個の生命エネルギー体と考えろ。
――賢者の石と同じ。
キョウコが気を引き締めると同時、ズ、と鉄骨が引き抜かれる。
「…………!!!」
いかなる苦痛がエドを苛んでいるのか、想像もつかないほど目を見開き、
「ぐお…」
なんとか絶叫を堪える。
「エド。これから――あたしの生命エネルギーを流し込む。かなりきついはずだから、耐えてちょうだい」
キョウコはエドの頬に手を添え、唇を重ねてきた。
エドの血と、キョウコの血。
二つの血が混じった凄惨なファーストキス。
けれど身体の感覚を失いつつあったエドは、それにろくな反応も示せなかった。
(……好きな人とのキスって、もっとロマンチックなのかと思ったけど…理想と現実は違うって奴ね。エドには悪い事したな。ウィンリィにも、アルにも)
本当なら弱っている彼の身体を気遣い、慈しんでやるべきところなのだが――。
止めるつもりはない。
キョウコはそのまま突き進むことにした。
唇も舌も、唾液も歯も、口内で触れることのできる部位は全て慈しむつもりで接吻する。
そうしながらキョウコは、エドとの間に道のようなものが開くのを感じた。
目には見えない術の道。
ここを通せば、生命エネルギーを向こうに伝えられる。
キョウコは己の下腹部に意識を向けた。
医学で言えば
身体の最奥とも言うべき部位。
ここから己の生命エネルギーを上昇させる。
その過程でただのエネルギーを術式へと精錬する。
下腹部から腹へ、胸へ、喉へ、そして口へ。
背骨を沿うようにして上昇させたエネルギーを、己の唇からエドの唇へ流し込む。
この力を至純の術式に変えるのは、彼に対する想いだ。