第76話
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「『哲学者の石』『天上の石』『大エリクシル』『赤きティンクトゥラ』『第五実体』」
かつて太古の錬金術師達が作ろうとした、魔術と科学の到達点。
無機物、生物、あらゆる物体の根底を設計し直して別物を生み出そうという発想の下 、幾度も研究が重ねられてきた。
けれど、結局誰も到達できなかった夢物語の産物。
形状そのものが石とは限らないように、賢者の石にも様々な呼び名がある。
「賢者の石にいくつもの呼び名があるように、その形状は石であるとは限らない」
「液体だったり、物体だったり…以前、ドクター・マルコーが持っていたのは半液状だった」
以前、マルコーがエド達に見せてくれた賢者の石。
小瓶に入っていた真紅の液体は机の上に垂らすが飛び散らずに、楕円形となって留まった。
そして、キンブリーが提示した仕事の条件と引き替えに差し出された賢者の石。
「そして、キンブリーが持ってる石は、このくらいの大きさ。石自体が膨大なエネルギーと構築式を内蔵してるから錬成陣無しで錬成可能です」
キョウコが親指と人差し指で賢者の石の大きさを示すと、兵士が鋭い眼差しでマイルズを見る。
「それを奪う事ができれば…」
「少しは安心できるな」
全員の思いを代弁するかのごとく、もう一人の兵士はつぶやく。
「絶大な力だというから、もっと大きな物かと思っていた。意外と小さいな」
思わずこぼされた警備兵の感想もさもありなん。
幻の術法増幅器として錬金術師達が追い求めたからには、さぞかし大きいのだろうと想起させる。
「あたしとエドは石サイズより大きいのを見た事が無いので。確か――」
記憶を手繰り寄せたキョウコが答えを導く前に、
「エンヴィーって奴が持ってたのでこんなもんか」
エドが率先して言葉を継いだ。
賢者の石を研究してきた二人にしかわからない、黄金と漆黒の双眸を眇め、冷静に、冷徹に思考する。
「もっとも、バカでかい賢者の石となると、とんでもない数の人間を材料に使ってそうでさ。できる事ならお目にかかりたくない代物だね」
カーティス夫妻は信じられないものを見たかのように、目を見開いてホーエンハイムを凝視した。
「ホーエンハイムさん、貴方……貴方自身が………」
エルリック兄弟の父親であり、孤児であった幼い少女に手を差し伸べた恩人。
家族を残して家を出、長い放浪の旅を続ける男は、一夜のうちに国が滅んだクセルクセス人の生き残り。
ホムンクルスの策略により、全国民の魂を材料にして賢者の石と融合した不死の肉体をもつ者だったのだ。
「賢者の石……!?」
信じられない。
そんな感情がありありと溢れるイズミに、ホーエンハイムは何も語らない。
その瞳はあらゆる感情を映さない。
ただ、男の心を空虚に吹き抜けていった。
キンブリーについて解析と攻略法を見出そうと、その後も話は続けていたが、それから間もなく吹雪が止んだ。
「吹雪は完全に去ったようだな」
窓の外の光景を見ながら、マイルズは傍に控える兵士に声をかける。
「準備しろ」
「アイサー」
「狙撃で?」
「ああ。キンブリーと中央から来た二名。計三名だけ、極秘に確実に仕止める」
「イエッサ」
「了解」
狙撃銃を準備しながら相槌を打つ兵士達を見回して、さらに続ける。
「北方司令部に借りてる兵達にも極秘にだ」
「マイルズ少佐。『仕止める』って殺す事か?」
もう動き出そうというその時に、エドが待ったをかけた。
「当然だ」
いかにも『当たり前だ』という素振りで即答するマイルズに、エドの眉の端が微かにつり上がる。
「キンブリーを即始末するってのは賛同できない。さっき言ったように、術を封じてふん捕まえて情報を吐かせちゃどうだろう?」
「あれが素直に吐くと思うか?生かしておくのは危険だ」
「じゃあ、奴の部下は?」
エドの脳裏に、とある光景が思い浮かぶ。
軍による独自の実験によって合成獣にされた軍人達。
彼らは軍人として働いているにもかかわらず、表向きは死亡者扱い。
戸籍も軍籍も抹消され、いつ殺されても文句が言えない立場になっている。
それでも軍に身を置いていたのは、大切な家族のために、国の平和に寄与したい思いがあったからだ。
「あいつらも、もしかしたら合成獣化されて仕方なく従ってるだけかもしれない」
「そうだな。だ、あくまでも『かもしれない』だ」
生け捕りにしたらどうだろうか、と訊ねたエドの機先を、マイルズは制した。
鮮やかな赤い瞳が突き刺さるような眼光を放ち、反論を封じる。
「ブリックズの掟を忘れるな。『油断すればやられる』」
マイルズの、頭ごなしに怒鳴りつけるのではない静かな確認は、それゆえにエドに大きな覚悟を求めた。
「君のその甘さが、君の命を奪うかもしれないのだぞ」
一際、語気の強い言葉に気圧され、顔をうつむかせ、ぐ…と押し黙る。
「アームストロング少将が言ったように、うかつ者はこの地にいらん。キンブリーと他二名は、スキがあれば始末させてもらう」
マイルズはそう言い残すと踵を返し、決意を感じさせる足取りで部屋の外へと出ていった。
しばらくの間、重苦しい静寂が辺りを支配する。
寒々しい廊下を歩きながら、兵士は先程の発言を思い出してぽつりとつぶやいた。
「なんだかんだで子供ですね」
「そうだな。この世界で殺すを貫こうという考えが甘い」
「でも私にもありましたよ。ああいう時期が」
兵士は皮肉げに口元を歪めた。
「私もだ」
マイルズも同意するように返す。
薄汚い血みどろの世界の現実を知った時にも似た絶望に心を塗り潰された記憶と、己が手で重ねた犠牲の重圧に痛感する。
「この年になって、いくつかの戦いをするとわかる。殺す事より、生かす事の方が難しい…とな。エルリック兄弟は、その困難な方の道を選んだ」
不意に、マイルズは張りつめさせていた緊張を解いた。
それどころか、フッと顔を綻ばせる。
自身と、弟の身体を取り戻すために、賢者の石を求めて真実に近づくほど、底知れぬ悪意と殺意を向ける相手と戦う少年がいた。
殺さねばならない。
誰かが殺 らねばならない。
悪には悪の正義がある。
人に人を裁く権利などない――そう理解ぶってやることすら生ぬるい。
殺すことこそ、一片の疑いもない。
紛れもない正義だ。
少年は悩みながらも犠牲を出したくなかった。
大事な人を護るために、人を虐げる側に回る方を望まず、殺さない覚悟を選んだ。
「ははは。もの好きな奴らですね」
「ああ。だが少し、うらやましくもあるよ……だからこそ、アルジェント殿は彼に惹かれたかもしれないな」
世の恐ろしさや狂気を知りながら、それでも希望を失わず、前進し続ける力強さを保持している少年の姿を見て……マイルズは言う。
兄弟と旅を共にして、想いが積み重なり、彼女は惹かれたのだと。
固く目をつむりながら、懊悩するしかない。
術を封じ、生け捕りにすることの無意味さもわかっている。
時間もない。
それでも、言わずにはいられない。
「……殺す事しか方法は無いのか?」
「エド、それはきっと無理だよ。キンブリーの性格や人柄を見ても情報を吐く事は、ほぼ0%。だったらこれ以上被害が拡大する前に手を打っておくべき」
キョウコも、容赦なく事実を突きつける。
安直な口先だけの『生け捕り』という答えを許さない。
これはエドに危ない目に遭ってほしくない、彼女なりの思いやりだった。
無論、彼女は自分に何かあれば無茶をしてでも助けるからこそ言ってくれているのだろうけど……とエドは思う。
「気持ちはわかる。でも『もしかして』『かもしれない』で他人の命の危険をさらす事もしたくない。ここはそんなに甘い現場じゃないんだよ。殺しはしないにしても、手足切り落とす位の覚悟は持たないとダメ。相手は賢者の石も持ってるんだから」
今度は根本的な部分で否定された。
感情論で食い下がれるほど、彼女は甘くはない。
血気や意地だけでなんとかできるほど、たやすい戦いでもない。
エドは黙るしかない。
「条件は二つ」
あくまで事務的に、キョウコは淡々と告げる。
「一つ、あたしはあくまでキンブリーの殺しを最優先させてもらう。奴の部下より優先するほど、お一人好しじゃないの。状況が彼らの排除を余儀なくした場合、容赦なく討つ。その時、文句は受け付けない」
「……キョウコ?」
「以上二点についてあたしの邪魔をしない限り、彼らはエドに任せる」
「…………」
キョウコの言葉。
それは一聴 、冷淡で薄情な物言いに聞こえる。
だが――。
「……ははっ」
不意に、エドは笑いをこぼした。
エドは知っている。
「はは、はははっ!そういえば、おまえはそういう奴だったな……」
不敵な笑みを浮かべながら、ホッと安堵したような色を混ぜた。
「要は、守りたい人のためにあえて非情な言い方してるんだな?まぁ、そりゃそうだ。おまえ、敵に対しては一片の容赦も慈悲の欠片も無いが、アルが絡んだ途端、誰よりも怒ってくれたしな……」
「…………」
「オレを試すような事言ったり、やっぱりキョウコは優しいな」
「……キンブリーの相手は、エドには荷が重いから言ってるだけ」
「へーいへい、そういう事にしておくか」
エドは遠慮のない口を叩きながらも気を引き締めて、キョウコは銃の状態を簡単に点検して、捜索再開の合図を待つ。
その頃、ウィンリィ達は順調に地下坑道を踏破しつつあった。
元・炭鉱経営者のヨキが示す最短ルートを通ることで、特に苦もなく、ブリックズ砦に近づくことができた。
ここに至るまで、それなりに歩き、疲労も溜まっている。
今は小休憩といったところだ。
「この『ラサーヤナ』というのは?」
「長寿を得る霊薬の事だ」
そんな中、マルコーとメイが中心となってスカーの兄が託した書物の解読を始めている。
重大な情報が記載されているかもしれないが、内容は専門用語で記述されており、解読は困難を極めることが予想されたが、錬金術や錬丹術の知識に長けた二人のおかげで、解読が進む。
「賢者の石の事かな?えーと『卑金属を金に変え、老人を青年に変える』……この『アウレリアン』は?」
さらに、イシュヴァールで書かれた単語についてはスカーが翻訳する。
「『金』を意味する」
「…とすると『金の原理が人体を永久に新鮮にし続ける』?不老不死と金についてばかりだな」
「この書を書いた、傷の男さんのお兄さんが、シンの錬丹術に影響を受けたからですかネ。シンでは不死の人を『真人 』と呼びまス」
すると、メイは確信と信頼をもって語り始めた。
「『真の人』イコール『完全な人』で、金も『完全な金属』ですかラ。『真人』イコール『金人』と呼ばれまス」
マルコーやスカーが感心する傍ら、ウィンリィやザンパノは顔をしかめ、議論にさっぱりついていけない。
完全に畑違いだ。
身振り手振り語り続けるメイの言葉に疑問府を浮かべるウィンリィだったが、次の言葉に反応する。
「一説にはシンに錬金術を伝えた人物が金の髪・金の瞳の不老不死の男だったから、そう呼ばれるようになったとカ……」
「へーー。金髪金瞳 なんて、エドとアルみたい」
「おい皆、来い!」
その時、出口を探していたヨキが手招きしてきた。
「出口だ。無事に山を抜けたぞ」
階段を登ってトンネルを出ると、暗黒一色に塗り潰されていた視界が、不意に純白一色に反転した。
「わあっ」
「まぶしっ」
爆発的に溢れる白銀の奔流。
闇に慣れた目がまばゆき、思わず目を細めさせる。
「よかった、良い天気だ」
「早くブリックズへ向かおう」
ジェルソとザンパノは遠くを見やった。
人工物といえば、十数キロ先にあるくらい建物。
始めとする木々がまばらに生えてはいるが、極めて見晴らしがいい。
地平線の先まで続いていきそうな純白の雪原が広がっている。
しかし、まだ時間がある。
雲一つない冬晴れだ。
「よし、おまえら、私について来…おぼぁ!!」
意気揚々と踏み出した足は、たちまちのうちに雪に足を取られ転ぶ。
「意外と雪が深いな」
周囲一帯は一面の銀世界――積もった雪の上に踏み出せば、ずぶずぶと沈んでしまう。
この状態で歩くのはキツイどころの話ではなかった。
「お嬢ちゃん。背中に乗りな」
ザンパノは後ろを振り返って、
「半分、埋まってんじゃねーか」
身体が小さいせいで、もはや埋まっている状態のメイへと声をかける。
「俺達が踏み固めて道を作るから、ゆっくり来るといい」
「ありがとう」
柔らかく積もった雪は、踏みしめるごとに深く沈み、足元の自由を奪う。
少しでも歩きやすいように雪を踏み固めて先行する彼らの気遣いに礼を述べて、皆が歩き出そうとした時、
「おーーい」
後ろの雪の中からくぐもった声が聞こえてきた。
「ん?」
明らかに助けを求める声が聞こえ、
「おーーい」
ウィンリィは声のする方へ視線を向ける。
場所はすぐ後ろ。
「おおい、ヘルプミーー」
見れば、鎧の足だけが雪からはみ出ている。
間違いない、エド達と一緒にいたはずのアルフォンスだ。
「ちょっとアル!?」
「アルフォンス様!!」
ウィンリィは急いで掘り起こす。
二メートルほど掘ると、さっきまで埋もれていた相手の姿が現れた。
「ぶはぁ!!助かったぁ!!」
深いところにいたが、アルは雪の中から顔を出すと息を吸い込んだ。
「深みにはまって、そのまま埋まっちゃったよ」
「なんでアルがここにいるの!?」
「緊急連絡があって吹雪の中、山越えして先回りしてた」
「緊急?」
メイが恋する乙女の表情でアルを見つめる。
それを横目に、アルは一同の心の整理に必要な間を充分に取って、言葉を続けた。
「ブリックズ砦に中央軍が入った。少将も呼び出しをくらったらしい」
その話を聞いて、ウィンリィ達は息を呑んだ。
今、砦に向かってしまえば人造人間の手先である中央軍によって殺人犯のスカー、逃亡中のマルコー、人質であるウィンリィ、その他の面々もすまされないだろう。
「え!?それって…」
「うん。今、砦に行くのは危険だ」
かつて太古の錬金術師達が作ろうとした、魔術と科学の到達点。
無機物、生物、あらゆる物体の根底を設計し直して別物を生み出そうという発想の
けれど、結局誰も到達できなかった夢物語の産物。
形状そのものが石とは限らないように、賢者の石にも様々な呼び名がある。
「賢者の石にいくつもの呼び名があるように、その形状は石であるとは限らない」
「液体だったり、物体だったり…以前、ドクター・マルコーが持っていたのは半液状だった」
以前、マルコーがエド達に見せてくれた賢者の石。
小瓶に入っていた真紅の液体は机の上に垂らすが飛び散らずに、楕円形となって留まった。
そして、キンブリーが提示した仕事の条件と引き替えに差し出された賢者の石。
「そして、キンブリーが持ってる石は、このくらいの大きさ。石自体が膨大なエネルギーと構築式を内蔵してるから錬成陣無しで錬成可能です」
キョウコが親指と人差し指で賢者の石の大きさを示すと、兵士が鋭い眼差しでマイルズを見る。
「それを奪う事ができれば…」
「少しは安心できるな」
全員の思いを代弁するかのごとく、もう一人の兵士はつぶやく。
「絶大な力だというから、もっと大きな物かと思っていた。意外と小さいな」
思わずこぼされた警備兵の感想もさもありなん。
幻の術法増幅器として錬金術師達が追い求めたからには、さぞかし大きいのだろうと想起させる。
「あたしとエドは石サイズより大きいのを見た事が無いので。確か――」
記憶を手繰り寄せたキョウコが答えを導く前に、
「エンヴィーって奴が持ってたのでこんなもんか」
エドが率先して言葉を継いだ。
賢者の石を研究してきた二人にしかわからない、黄金と漆黒の双眸を眇め、冷静に、冷徹に思考する。
「もっとも、バカでかい賢者の石となると、とんでもない数の人間を材料に使ってそうでさ。できる事ならお目にかかりたくない代物だね」
カーティス夫妻は信じられないものを見たかのように、目を見開いてホーエンハイムを凝視した。
「ホーエンハイムさん、貴方……貴方自身が………」
エルリック兄弟の父親であり、孤児であった幼い少女に手を差し伸べた恩人。
家族を残して家を出、長い放浪の旅を続ける男は、一夜のうちに国が滅んだクセルクセス人の生き残り。
ホムンクルスの策略により、全国民の魂を材料にして賢者の石と融合した不死の肉体をもつ者だったのだ。
「賢者の石……!?」
信じられない。
そんな感情がありありと溢れるイズミに、ホーエンハイムは何も語らない。
その瞳はあらゆる感情を映さない。
ただ、男の心を空虚に吹き抜けていった。
キンブリーについて解析と攻略法を見出そうと、その後も話は続けていたが、それから間もなく吹雪が止んだ。
「吹雪は完全に去ったようだな」
窓の外の光景を見ながら、マイルズは傍に控える兵士に声をかける。
「準備しろ」
「アイサー」
「狙撃で?」
「ああ。キンブリーと中央から来た二名。計三名だけ、極秘に確実に仕止める」
「イエッサ」
「了解」
狙撃銃を準備しながら相槌を打つ兵士達を見回して、さらに続ける。
「北方司令部に借りてる兵達にも極秘にだ」
「マイルズ少佐。『仕止める』って殺す事か?」
もう動き出そうというその時に、エドが待ったをかけた。
「当然だ」
いかにも『当たり前だ』という素振りで即答するマイルズに、エドの眉の端が微かにつり上がる。
「キンブリーを即始末するってのは賛同できない。さっき言ったように、術を封じてふん捕まえて情報を吐かせちゃどうだろう?」
「あれが素直に吐くと思うか?生かしておくのは危険だ」
「じゃあ、奴の部下は?」
エドの脳裏に、とある光景が思い浮かぶ。
軍による独自の実験によって合成獣にされた軍人達。
彼らは軍人として働いているにもかかわらず、表向きは死亡者扱い。
戸籍も軍籍も抹消され、いつ殺されても文句が言えない立場になっている。
それでも軍に身を置いていたのは、大切な家族のために、国の平和に寄与したい思いがあったからだ。
「あいつらも、もしかしたら合成獣化されて仕方なく従ってるだけかもしれない」
「そうだな。だ、あくまでも『かもしれない』だ」
生け捕りにしたらどうだろうか、と訊ねたエドの機先を、マイルズは制した。
鮮やかな赤い瞳が突き刺さるような眼光を放ち、反論を封じる。
「ブリックズの掟を忘れるな。『油断すればやられる』」
マイルズの、頭ごなしに怒鳴りつけるのではない静かな確認は、それゆえにエドに大きな覚悟を求めた。
「君のその甘さが、君の命を奪うかもしれないのだぞ」
一際、語気の強い言葉に気圧され、顔をうつむかせ、ぐ…と押し黙る。
「アームストロング少将が言ったように、うかつ者はこの地にいらん。キンブリーと他二名は、スキがあれば始末させてもらう」
マイルズはそう言い残すと踵を返し、決意を感じさせる足取りで部屋の外へと出ていった。
しばらくの間、重苦しい静寂が辺りを支配する。
寒々しい廊下を歩きながら、兵士は先程の発言を思い出してぽつりとつぶやいた。
「なんだかんだで子供ですね」
「そうだな。この世界で殺すを貫こうという考えが甘い」
「でも私にもありましたよ。ああいう時期が」
兵士は皮肉げに口元を歪めた。
「私もだ」
マイルズも同意するように返す。
薄汚い血みどろの世界の現実を知った時にも似た絶望に心を塗り潰された記憶と、己が手で重ねた犠牲の重圧に痛感する。
「この年になって、いくつかの戦いをするとわかる。殺す事より、生かす事の方が難しい…とな。エルリック兄弟は、その困難な方の道を選んだ」
不意に、マイルズは張りつめさせていた緊張を解いた。
それどころか、フッと顔を綻ばせる。
自身と、弟の身体を取り戻すために、賢者の石を求めて真実に近づくほど、底知れぬ悪意と殺意を向ける相手と戦う少年がいた。
殺さねばならない。
誰かが
悪には悪の正義がある。
人に人を裁く権利などない――そう理解ぶってやることすら生ぬるい。
殺すことこそ、一片の疑いもない。
紛れもない正義だ。
少年は悩みながらも犠牲を出したくなかった。
大事な人を護るために、人を虐げる側に回る方を望まず、殺さない覚悟を選んだ。
「ははは。もの好きな奴らですね」
「ああ。だが少し、うらやましくもあるよ……だからこそ、アルジェント殿は彼に惹かれたかもしれないな」
世の恐ろしさや狂気を知りながら、それでも希望を失わず、前進し続ける力強さを保持している少年の姿を見て……マイルズは言う。
兄弟と旅を共にして、想いが積み重なり、彼女は惹かれたのだと。
固く目をつむりながら、懊悩するしかない。
術を封じ、生け捕りにすることの無意味さもわかっている。
時間もない。
それでも、言わずにはいられない。
「……殺す事しか方法は無いのか?」
「エド、それはきっと無理だよ。キンブリーの性格や人柄を見ても情報を吐く事は、ほぼ0%。だったらこれ以上被害が拡大する前に手を打っておくべき」
キョウコも、容赦なく事実を突きつける。
安直な口先だけの『生け捕り』という答えを許さない。
これはエドに危ない目に遭ってほしくない、彼女なりの思いやりだった。
無論、彼女は自分に何かあれば無茶をしてでも助けるからこそ言ってくれているのだろうけど……とエドは思う。
「気持ちはわかる。でも『もしかして』『かもしれない』で他人の命の危険をさらす事もしたくない。ここはそんなに甘い現場じゃないんだよ。殺しはしないにしても、手足切り落とす位の覚悟は持たないとダメ。相手は賢者の石も持ってるんだから」
今度は根本的な部分で否定された。
感情論で食い下がれるほど、彼女は甘くはない。
血気や意地だけでなんとかできるほど、たやすい戦いでもない。
エドは黙るしかない。
「条件は二つ」
あくまで事務的に、キョウコは淡々と告げる。
「一つ、あたしはあくまでキンブリーの殺しを最優先させてもらう。奴の部下より優先するほど、お一人好しじゃないの。状況が彼らの排除を余儀なくした場合、容赦なく討つ。その時、文句は受け付けない」
「……キョウコ?」
「以上二点についてあたしの邪魔をしない限り、彼らはエドに任せる」
「…………」
キョウコの言葉。
それは
だが――。
「……ははっ」
不意に、エドは笑いをこぼした。
エドは知っている。
「はは、はははっ!そういえば、おまえはそういう奴だったな……」
不敵な笑みを浮かべながら、ホッと安堵したような色を混ぜた。
「要は、守りたい人のためにあえて非情な言い方してるんだな?まぁ、そりゃそうだ。おまえ、敵に対しては一片の容赦も慈悲の欠片も無いが、アルが絡んだ途端、誰よりも怒ってくれたしな……」
「…………」
「オレを試すような事言ったり、やっぱりキョウコは優しいな」
「……キンブリーの相手は、エドには荷が重いから言ってるだけ」
「へーいへい、そういう事にしておくか」
エドは遠慮のない口を叩きながらも気を引き締めて、キョウコは銃の状態を簡単に点検して、捜索再開の合図を待つ。
その頃、ウィンリィ達は順調に地下坑道を踏破しつつあった。
元・炭鉱経営者のヨキが示す最短ルートを通ることで、特に苦もなく、ブリックズ砦に近づくことができた。
ここに至るまで、それなりに歩き、疲労も溜まっている。
今は小休憩といったところだ。
「この『ラサーヤナ』というのは?」
「長寿を得る霊薬の事だ」
そんな中、マルコーとメイが中心となってスカーの兄が託した書物の解読を始めている。
重大な情報が記載されているかもしれないが、内容は専門用語で記述されており、解読は困難を極めることが予想されたが、錬金術や錬丹術の知識に長けた二人のおかげで、解読が進む。
「賢者の石の事かな?えーと『卑金属を金に変え、老人を青年に変える』……この『アウレリアン』は?」
さらに、イシュヴァールで書かれた単語についてはスカーが翻訳する。
「『金』を意味する」
「…とすると『金の原理が人体を永久に新鮮にし続ける』?不老不死と金についてばかりだな」
「この書を書いた、傷の男さんのお兄さんが、シンの錬丹術に影響を受けたからですかネ。シンでは不死の人を『
すると、メイは確信と信頼をもって語り始めた。
「『真の人』イコール『完全な人』で、金も『完全な金属』ですかラ。『真人』イコール『金人』と呼ばれまス」
マルコーやスカーが感心する傍ら、ウィンリィやザンパノは顔をしかめ、議論にさっぱりついていけない。
完全に畑違いだ。
身振り手振り語り続けるメイの言葉に疑問府を浮かべるウィンリィだったが、次の言葉に反応する。
「一説にはシンに錬金術を伝えた人物が金の髪・金の瞳の不老不死の男だったから、そう呼ばれるようになったとカ……」
「へーー。金髪
「おい皆、来い!」
その時、出口を探していたヨキが手招きしてきた。
「出口だ。無事に山を抜けたぞ」
階段を登ってトンネルを出ると、暗黒一色に塗り潰されていた視界が、不意に純白一色に反転した。
「わあっ」
「まぶしっ」
爆発的に溢れる白銀の奔流。
闇に慣れた目がまばゆき、思わず目を細めさせる。
「よかった、良い天気だ」
「早くブリックズへ向かおう」
ジェルソとザンパノは遠くを見やった。
人工物といえば、十数キロ先にあるくらい建物。
始めとする木々がまばらに生えてはいるが、極めて見晴らしがいい。
地平線の先まで続いていきそうな純白の雪原が広がっている。
しかし、まだ時間がある。
雲一つない冬晴れだ。
「よし、おまえら、私について来…おぼぁ!!」
意気揚々と踏み出した足は、たちまちのうちに雪に足を取られ転ぶ。
「意外と雪が深いな」
周囲一帯は一面の銀世界――積もった雪の上に踏み出せば、ずぶずぶと沈んでしまう。
この状態で歩くのはキツイどころの話ではなかった。
「お嬢ちゃん。背中に乗りな」
ザンパノは後ろを振り返って、
「半分、埋まってんじゃねーか」
身体が小さいせいで、もはや埋まっている状態のメイへと声をかける。
「俺達が踏み固めて道を作るから、ゆっくり来るといい」
「ありがとう」
柔らかく積もった雪は、踏みしめるごとに深く沈み、足元の自由を奪う。
少しでも歩きやすいように雪を踏み固めて先行する彼らの気遣いに礼を述べて、皆が歩き出そうとした時、
「おーーい」
後ろの雪の中からくぐもった声が聞こえてきた。
「ん?」
明らかに助けを求める声が聞こえ、
「おーーい」
ウィンリィは声のする方へ視線を向ける。
場所はすぐ後ろ。
「おおい、ヘルプミーー」
見れば、鎧の足だけが雪からはみ出ている。
間違いない、エド達と一緒にいたはずのアルフォンスだ。
「ちょっとアル!?」
「アルフォンス様!!」
ウィンリィは急いで掘り起こす。
二メートルほど掘ると、さっきまで埋もれていた相手の姿が現れた。
「ぶはぁ!!助かったぁ!!」
深いところにいたが、アルは雪の中から顔を出すと息を吸い込んだ。
「深みにはまって、そのまま埋まっちゃったよ」
「なんでアルがここにいるの!?」
「緊急連絡があって吹雪の中、山越えして先回りしてた」
「緊急?」
メイが恋する乙女の表情でアルを見つめる。
それを横目に、アルは一同の心の整理に必要な間を充分に取って、言葉を続けた。
「ブリックズ砦に中央軍が入った。少将も呼び出しをくらったらしい」
その話を聞いて、ウィンリィ達は息を呑んだ。
今、砦に向かってしまえば人造人間の手先である中央軍によって殺人犯のスカー、逃亡中のマルコー、人質であるウィンリィ、その他の面々もすまされないだろう。
「え!?それって…」
「うん。今、砦に行くのは危険だ」