第73話
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一切の光が届かない、視界は闇が支配的な暗黒の世界へと変貌する空間を断続的に歩く足音が響く。
無事に発見した生存者と共に、バッカニア達は元来た道を一歩一歩、少しずつ、トンネル内を進んでいた。
「いて」
突然、見えない壁にぶつかり、探索班の一人が声をあげた。
「あ。あった、あった、これハシゴだろ」
「やっと着いたぞ。明かりをつけろ」
言われた通りにライターの火をつけると、
「わっ!!!」
ぼうっと照らされたバッカニアの恐ろしい顔面に、隣にいた軍人は思わず悲鳴をあげた。
激しく動悸する心臓を押さえ、びっしりと冷や汗を流す軍人を横目に、バッカニアは腕時計を確かめる。
「まずったな…24時間を過ぎてしまった。絶対、出口封鎖されてるぞ」
「しょうが無いですよ。ランタン消して手探りで戻るしかなかったですから」
先遣隊の遺体が包まれた袋を持ち、探索班は目を細める。
彼の言葉に続くように、軍人が恐怖に震える生存者を指差した。
「なんせ『明かりをつけたら影の化物が来る』の一点張りだったからな」
トンネル内を満たす広大な闇の中、手探りで歩みを進めてきた。
本当なら明かりをつけたいところだが、絶対に明かりをつけるな、と止められてしまい、探索班の頭に疑問が浮かぶ。
先遣隊にしか説明できない恐怖が生存者の二人の心を縛る。
「なに、いざとなったら俺の右手で穴掘って出してやるさ」
ハシゴに手を伸ばし、バッカニアが軽口を飛ばす。
「…開けちゃくれないだろうなぁ」
「あの女王様の事だ。24時間経ったら本当に出口封鎖してるぜ」
オリヴィエならやりかねないと想像して、
「ひーー」
たちまち悲鳴があがる。
バッカニアが蓋を叩いて帰還を知らせた。
他の面々は固唾を呑んで見守る。
僅かに鉄の擦れる音がして、突然差し込んだ照明の光と声に、探索班は目を見開いて上を見た。
鉄の蓋がゆっくりと開き、彼らを出迎えた。
「おかえりなさい」
蓋から覗くは、眼鏡をかけた白髪の軍人の顔。
「助かったぁ!!」
それぞれハシゴを登り、探索班は外へ這い上がった。
張りつめていた緊張が一斉に解かれ、
「ぶはぁ!!」
担いでいた袋を床に置き、大きく息を吐き出す。
「二人を早く医務室へ!」
生存者を医務室へと運ぶ傍ら、バッカニアは思い切って訊ねた。
「24時間経ったら穴を塞げと言っていたはずだが」
「はぁ、しかし…この時計じゃ24時間経っていないので」
白髪の軍人は曖昧に答えながら手元の腕時計を見せる。
だが、腕時計をよくよく見てみると、針が動いていない。
壊れていた。
「…………壊れてるぞ、それ」
「あれーーー?おっかしいなぁ」
バッカニアが怪訝そうに問いかけると、軍人も不思議そうに首を傾げる。
「ちなみにこの時計ね。アームストロング少将が貸してくれたんだけどね」
そんなふうに、肩をすくめながら告げる軍人を前に、バッカニアとヘンシェルは顔を見合わせた。
オリヴィエは一人、要塞の屋上に座り込み、閑散とした風景を遠目に眺めていた。
遠方に連なる山々が、茂る林が、森が辺り一面、白く輝く銀世界。
真っ白に染め上げられた景色は、やはり変わらない。
「少将!」
突然、背中に鋭い声が浴びせられ、オリヴィエは振り向く。
「バッカニアか」
そこには、トンネル内から帰還したバッカニアが敬礼しながら立っていた。
「帰りが遅いからくたばったと思ったぞ」
「ははは。くたばり損ないました」
「先遣隊は無事だったか?」
「なんとか二人だけ」
微かな希望を込めた質問に対する回答は、ひどく残酷なものであった。
それでもオリヴィエは表情には出さず、けれども声色を低くしてつぶやく。
「……そうか」
ふとバッカニアは、彼女が何故こんなところにいるのかを聞いてみた。
「このような所で何を?」
「うん。山を見ていた」
意図のわからないオリヴィエの答えに、バッカニアは無言で続きを待つ。
「ブリックズ の冬は良いな。白と黒しか無い。非常にハッキリしていて好きだ」
年中を雪と氷に覆われた極寒の地。
雪化粧が満遍なく施され、遠方に連なる山々に振り積む雪はあくまで清い。
一言で言えば絶景。
この世の光景とは思えない。
「――そうですか?」
それを聞いたバッカニアは宙を指差す。
「ごらんください」
仰ぐ天空に厚き雲、その微かな切れ目から奇跡のように差し込む鮮烈な一条の陽光。
それを降りしきる雪の結晶が跳ね散らし、冷たく燃えるように輝かせる。
「見上げれば青もありますぞ。人の心も白と黒だけではありませんな」
蒼穹はあまりに濃く、白雲は眼下に遥か、一つ峰に振り積む雪はあくまで清い。
すると、バッカニアは満面の笑みを浮かべた。
「このたびはお情けをかけていただき、ありがとうございます」
「さぁ。なんの事か知らんな」
わざと壊れた腕時計を与え、例え24時間過ぎても帰還できるよう手配した彼女は、顔を向けずにとぼけてみせる。
自分でも気づかず、うっすらと笑みを浮かべていた。
その時、まっすぐブリックズ要塞に向かってくる集団を発見する。
「何か来ましたな」
「………」
途端にオリヴィエの表情が引き締まったことに気づき、バッカニアは身構える。
数台の車から降りてきたのは、中央軍から出向いてきた軍人達。
彼らは青い軍服に黒のコート、白いマフラーを巻いている。
「中央軍だ。こちらの少将殿に用がある」
眼鏡をかけた神経質そうな顔立ちの軍人は、一枚の紙を戸惑うブリックズ兵に渡した。
「話をまとめよう」
今一度、状況を整理するべく、エドが口を開いた。
この場に集うのは、兄の研究書解読のため北に向かったスカーとメイ、マルコーと巻き込まれたヨキ。
元の身体に戻るための手がかりを得るために、メイの後を追うエルリック兄弟。
人事異動で兄弟より一足早く北に到着したキョウコ。
そして訪れたウィンリィと、傷の男捕縛に協力するマイルズ達である。
「まず、マルコーさんがここにいる事を知られてはいけない。研究書解読のため、傷の男もここで捕まる訳にはいかない」
するとキョウコが頷きかけてくる。
「ウィンリィが中央の人質から解放されなければならない。こっちにあたし達が加担している事を知られてはいけない…」
そして、マイルズがさらに説明を補足した。
「そして私は、錬丹術の娘を砦に連れて来いと言われている」
「私ですカ!?」
初耳な言葉と共にマイルズから名指しされ、メイが思わず驚きの声をあげる。
警戒心も露に、アルの後ろへと素早く隠れた。
「なにしようってんですカ!!」
「…安心しろ」
マイルズが精一杯の態度でなんとか気を鎮めようとしたが、
「オジサンはこわい人じゃないヨ」
ほとんど効果はなかった。
「手厚く迎えろと言われている」
「…キョウコ様ァ」
すがるような眼差しと共に、涙を浮かべて声をかけるメイを前にして、キョウコは持て余すことなくなだめる。
「大丈夫。シンの錬丹術に興味があるみたいで、メイに対してひどい事はしないわ」
「という事はご一行まとめて密かにブリックズ砦に匿うのがいいな」
「そうですね」
キョウコとマイルズは顔を見合わせて各種様々な主張を報告しつつ、総括した。
「まてまてまて!!」
途端、何かを察したエドが顔色を変えた。
右腕を氷漬けにされたスカーを指差し、マイルズの信じられない発言に反論する。
「こいつ、連れてくのか!?」
「研究書解読に必要なのだろう?」
一体、何が気に食わないのか。
何度も命を狙われ殺される目に遭ったせいか、心を入れ替えてもすぐには信じられないエドは力強く主張する。
「そんなのオレが許さねぇ!!こんな奴、さっさと引き渡して」
「傷の男さんは悪い人じゃありまン!!」
スカーを擁護するメイが睨みつけ、シャオメイをけしかける。
シャオメイの鋭い牙がエドの頭を襲い、血が噴き出した。
頭を噛みつかれてあまりの痛さに逃げ出すエドを、シャオメイは牙を剥き出しにして追いかける。
「ずいぶんとあの子に信用されてるみたいね?」
メイの態度に意外感を表すように目を細め、キョウコはスカーに話しかける。
彼は決まり悪げに顔を逸らした。
その表情がどんな感情を反映してのものなのか、それはわからなかったが。
そして、逃げ回るエドに説得を試みる。
「エド。気持ちはわからなくもないけどそうも言ってられないじゃない。それに、傷の男はもう大丈夫だと思う」
「ブリックズどころではない、全土を巻き込んで何か起こそうとしている。放ってはおけん」
マイルズが細やかな働きを利かせてキョウコに続く。
自分の意見を賛同してくれたと確信したキョウコはこくりと頷き、スカーへ申し渡した。
「傷の男。あたし達に協力してくれるわよね?そうすれば今は見逃してあげる。全部ことが終わったら、その時はみんなの判断に任せるけど」
「我々に協力するなら裁きは後に延ばそう。どうだ?」
「……どうも何も選択の余地無しと言ってるようなものだろう。協力を約束しよう」
「偽り無いか?」
明確な決意と共に、スカーは鮮烈な紅い双眸で二人を見据える。
「イシュヴァールの血にかけて、だ。赤い目の同胞よ」
スカーの強き誓いが、閑散とした建物内に、ひっそりと響き渡った。
マイルズはウィンリィをちらりと流し見た。
「――という訳だ。すまない、お嬢さん。この者の裁きはしばらく待ってくれ」
「――はい」
ウィンリィは沈痛な表情でうつむきながらも応じる。
「キョウコの言葉なら信用できる。あたしも…信じる」
「…あたしを信じてくれてありがとう、ウィンリィ」
ウィンリィに薄く微笑みを向け、キョウコは礼を述べる。
それを見たエドはすぐに金髪の幼馴染みの覚悟を悟った。
自分の両親を殺した憎い相手なずなのに。
彼女の思いを心に刻みつけるように拳を握り固める。
その時、合成獣の意識が戻った。
「う…」
呻きながら目を覚ました異形の軍人に、
「ひっ!!」
近くにいたヨキが身じろぐ。
「む…?」
閉ざされていた五感がいっぺんによみがえって、ぶるりと全身を震わせた。
周囲を刺すような冷気に満たされている。
「くっ…」
慌てて自分達の身体を見下ろす。
柱に縛りつけられ、縄で拘束されていた。
「そういえば、こいつらの事を忘れていたな。使い道が無い。始末しろ」
マイルズはその冷静な表情を崩さず、瞳だけは僅かに冷たく、刃のように鋭くしながら彼らの処遇を決める。
「はっ」
「ちょっ…」
勿論、説明されたところで理解できるような話ではなかった。
マイルズの口から放たれた言葉の意味を、アルの頭はなんとかするので精一杯になっていた。
「待った、待った!!殺す事ないでしょう!?」
「生かしておいて得が無い」
「殺さないで済む方法は無いの?」
アルとマイルズのやり取りに、縛られた軍人――ジェルソとザンパノが不快そうに鼻を鳴らす。
「我々に情けをかけるのか」
「余計な世話だ、何も知らんシャバ僧が」
「どうせ、こんな身体ではこの先、真っ当な人生が送れる訳が無い。くたばり時だ。さぁ、殺せ」
二度と元の身体に戻れない残酷な現実に卑屈さをさらけ出し、このまま生きることを諦めたような言い草。
元の身体に戻るために旅を続け、長く苦しい道を歩んできた自分とは対照的な道を選ぶ軍人を目の当たりにして、アルは拳を握り固める。
中央軍が独自に進めてきた実験から選ばれ、望まぬ不幸の果てに合成獣となった。
元の身体に戻ることもできないのなら、いっそ死んでしまいたい……そう思考してしまうのもわかる。
人間誰しもが強く、気高くあれるわけではない。
それは仕方のないこと……それでも鎧の体の奥底から湧いて浮かび上がる激しい感情――。
「何も民間人の前で殺す事ないでしょう」
その時、どうしようもない苦難と恐怖さえも吹き飛ばしてくれる凛々しい声が、兵士が引鉄に手をかける動きをぴたりと止める。
そこに現れたのは、険しい眼差しでマイルズを見据える黒髪の少女だ。
「しかもキンブリー達がこっちに向かってるんですよね?そんな暇無いはずです。早くどう行動するかを決めるのが先決じゃないですか?」
「キョウコ!?」
意外な人物の介入に、アルは驚きを隠せない。
なんの前触れもない話の転換に、マイルズは眉をひそめる。
「それもそうだが…」
「それに、殺さないでおけばいつか使える時が来るかもしれません」
冷酷さの漂う瞳と酷薄さの匂う言葉に、ブリックズの兵士は背筋を震わせた。
対して、二人は嘲笑を浮かべる。
「一体、なんのマネだ?氷刹の錬金術師。殺さずに生かしておくだと?」
「よく言えたものだな。おまえに殺された多くの者達は命乞いし、見逃してくれと何度も訴えたのだぞ」
それは、話に聞いたことのある走馬灯のようで。
それとは全く違う、邪悪なもの。
軍からの命令により誰よりも人を苦しめて殺し、実に禍々しく、美しく、全てを凍てつかせる"氷の魔女"は低く囁いた。
「……そうね。その通りだわ」
その瞬間、闇が。
闇が。
深い闇が。
深淵の闇が。
闇が、周囲一帯に降りてきて、ぞっ、と、場の気温が一気に氷点下を振り切ったような感覚が辺りを走った、ようにエドには見えた。
彼女が無残に殺した骸 達の濃厚な殺意が、憎悪が"氷の魔女"を覆い尽くした。
――憎き、おぞましき、醜悪で残酷な"氷の魔女"!!
――呪われよ、呪われよ、呪われよ、永久に呪われよ、"氷の魔女"っ!!
無事に発見した生存者と共に、バッカニア達は元来た道を一歩一歩、少しずつ、トンネル内を進んでいた。
「いて」
突然、見えない壁にぶつかり、探索班の一人が声をあげた。
「あ。あった、あった、これハシゴだろ」
「やっと着いたぞ。明かりをつけろ」
言われた通りにライターの火をつけると、
「わっ!!!」
ぼうっと照らされたバッカニアの恐ろしい顔面に、隣にいた軍人は思わず悲鳴をあげた。
激しく動悸する心臓を押さえ、びっしりと冷や汗を流す軍人を横目に、バッカニアは腕時計を確かめる。
「まずったな…24時間を過ぎてしまった。絶対、出口封鎖されてるぞ」
「しょうが無いですよ。ランタン消して手探りで戻るしかなかったですから」
先遣隊の遺体が包まれた袋を持ち、探索班は目を細める。
彼の言葉に続くように、軍人が恐怖に震える生存者を指差した。
「なんせ『明かりをつけたら影の化物が来る』の一点張りだったからな」
トンネル内を満たす広大な闇の中、手探りで歩みを進めてきた。
本当なら明かりをつけたいところだが、絶対に明かりをつけるな、と止められてしまい、探索班の頭に疑問が浮かぶ。
先遣隊にしか説明できない恐怖が生存者の二人の心を縛る。
「なに、いざとなったら俺の右手で穴掘って出してやるさ」
ハシゴに手を伸ばし、バッカニアが軽口を飛ばす。
「…開けちゃくれないだろうなぁ」
「あの女王様の事だ。24時間経ったら本当に出口封鎖してるぜ」
オリヴィエならやりかねないと想像して、
「ひーー」
たちまち悲鳴があがる。
バッカニアが蓋を叩いて帰還を知らせた。
他の面々は固唾を呑んで見守る。
僅かに鉄の擦れる音がして、突然差し込んだ照明の光と声に、探索班は目を見開いて上を見た。
鉄の蓋がゆっくりと開き、彼らを出迎えた。
「おかえりなさい」
蓋から覗くは、眼鏡をかけた白髪の軍人の顔。
「助かったぁ!!」
それぞれハシゴを登り、探索班は外へ這い上がった。
張りつめていた緊張が一斉に解かれ、
「ぶはぁ!!」
担いでいた袋を床に置き、大きく息を吐き出す。
「二人を早く医務室へ!」
生存者を医務室へと運ぶ傍ら、バッカニアは思い切って訊ねた。
「24時間経ったら穴を塞げと言っていたはずだが」
「はぁ、しかし…この時計じゃ24時間経っていないので」
白髪の軍人は曖昧に答えながら手元の腕時計を見せる。
だが、腕時計をよくよく見てみると、針が動いていない。
壊れていた。
「…………壊れてるぞ、それ」
「あれーーー?おっかしいなぁ」
バッカニアが怪訝そうに問いかけると、軍人も不思議そうに首を傾げる。
「ちなみにこの時計ね。アームストロング少将が貸してくれたんだけどね」
そんなふうに、肩をすくめながら告げる軍人を前に、バッカニアとヘンシェルは顔を見合わせた。
オリヴィエは一人、要塞の屋上に座り込み、閑散とした風景を遠目に眺めていた。
遠方に連なる山々が、茂る林が、森が辺り一面、白く輝く銀世界。
真っ白に染め上げられた景色は、やはり変わらない。
「少将!」
突然、背中に鋭い声が浴びせられ、オリヴィエは振り向く。
「バッカニアか」
そこには、トンネル内から帰還したバッカニアが敬礼しながら立っていた。
「帰りが遅いからくたばったと思ったぞ」
「ははは。くたばり損ないました」
「先遣隊は無事だったか?」
「なんとか二人だけ」
微かな希望を込めた質問に対する回答は、ひどく残酷なものであった。
それでもオリヴィエは表情には出さず、けれども声色を低くしてつぶやく。
「……そうか」
ふとバッカニアは、彼女が何故こんなところにいるのかを聞いてみた。
「このような所で何を?」
「うん。山を見ていた」
意図のわからないオリヴィエの答えに、バッカニアは無言で続きを待つ。
「
年中を雪と氷に覆われた極寒の地。
雪化粧が満遍なく施され、遠方に連なる山々に振り積む雪はあくまで清い。
一言で言えば絶景。
この世の光景とは思えない。
「――そうですか?」
それを聞いたバッカニアは宙を指差す。
「ごらんください」
仰ぐ天空に厚き雲、その微かな切れ目から奇跡のように差し込む鮮烈な一条の陽光。
それを降りしきる雪の結晶が跳ね散らし、冷たく燃えるように輝かせる。
「見上げれば青もありますぞ。人の心も白と黒だけではありませんな」
蒼穹はあまりに濃く、白雲は眼下に遥か、一つ峰に振り積む雪はあくまで清い。
すると、バッカニアは満面の笑みを浮かべた。
「このたびはお情けをかけていただき、ありがとうございます」
「さぁ。なんの事か知らんな」
わざと壊れた腕時計を与え、例え24時間過ぎても帰還できるよう手配した彼女は、顔を向けずにとぼけてみせる。
自分でも気づかず、うっすらと笑みを浮かべていた。
その時、まっすぐブリックズ要塞に向かってくる集団を発見する。
「何か来ましたな」
「………」
途端にオリヴィエの表情が引き締まったことに気づき、バッカニアは身構える。
数台の車から降りてきたのは、中央軍から出向いてきた軍人達。
彼らは青い軍服に黒のコート、白いマフラーを巻いている。
「中央軍だ。こちらの少将殿に用がある」
眼鏡をかけた神経質そうな顔立ちの軍人は、一枚の紙を戸惑うブリックズ兵に渡した。
「話をまとめよう」
今一度、状況を整理するべく、エドが口を開いた。
この場に集うのは、兄の研究書解読のため北に向かったスカーとメイ、マルコーと巻き込まれたヨキ。
元の身体に戻るための手がかりを得るために、メイの後を追うエルリック兄弟。
人事異動で兄弟より一足早く北に到着したキョウコ。
そして訪れたウィンリィと、傷の男捕縛に協力するマイルズ達である。
「まず、マルコーさんがここにいる事を知られてはいけない。研究書解読のため、傷の男もここで捕まる訳にはいかない」
するとキョウコが頷きかけてくる。
「ウィンリィが中央の人質から解放されなければならない。こっちにあたし達が加担している事を知られてはいけない…」
そして、マイルズがさらに説明を補足した。
「そして私は、錬丹術の娘を砦に連れて来いと言われている」
「私ですカ!?」
初耳な言葉と共にマイルズから名指しされ、メイが思わず驚きの声をあげる。
警戒心も露に、アルの後ろへと素早く隠れた。
「なにしようってんですカ!!」
「…安心しろ」
マイルズが精一杯の態度でなんとか気を鎮めようとしたが、
「オジサンはこわい人じゃないヨ」
ほとんど効果はなかった。
「手厚く迎えろと言われている」
「…キョウコ様ァ」
すがるような眼差しと共に、涙を浮かべて声をかけるメイを前にして、キョウコは持て余すことなくなだめる。
「大丈夫。シンの錬丹術に興味があるみたいで、メイに対してひどい事はしないわ」
「という事はご一行まとめて密かにブリックズ砦に匿うのがいいな」
「そうですね」
キョウコとマイルズは顔を見合わせて各種様々な主張を報告しつつ、総括した。
「まてまてまて!!」
途端、何かを察したエドが顔色を変えた。
右腕を氷漬けにされたスカーを指差し、マイルズの信じられない発言に反論する。
「こいつ、連れてくのか!?」
「研究書解読に必要なのだろう?」
一体、何が気に食わないのか。
何度も命を狙われ殺される目に遭ったせいか、心を入れ替えてもすぐには信じられないエドは力強く主張する。
「そんなのオレが許さねぇ!!こんな奴、さっさと引き渡して」
「傷の男さんは悪い人じゃありまン!!」
スカーを擁護するメイが睨みつけ、シャオメイをけしかける。
シャオメイの鋭い牙がエドの頭を襲い、血が噴き出した。
頭を噛みつかれてあまりの痛さに逃げ出すエドを、シャオメイは牙を剥き出しにして追いかける。
「ずいぶんとあの子に信用されてるみたいね?」
メイの態度に意外感を表すように目を細め、キョウコはスカーに話しかける。
彼は決まり悪げに顔を逸らした。
その表情がどんな感情を反映してのものなのか、それはわからなかったが。
そして、逃げ回るエドに説得を試みる。
「エド。気持ちはわからなくもないけどそうも言ってられないじゃない。それに、傷の男はもう大丈夫だと思う」
「ブリックズどころではない、全土を巻き込んで何か起こそうとしている。放ってはおけん」
マイルズが細やかな働きを利かせてキョウコに続く。
自分の意見を賛同してくれたと確信したキョウコはこくりと頷き、スカーへ申し渡した。
「傷の男。あたし達に協力してくれるわよね?そうすれば今は見逃してあげる。全部ことが終わったら、その時はみんなの判断に任せるけど」
「我々に協力するなら裁きは後に延ばそう。どうだ?」
「……どうも何も選択の余地無しと言ってるようなものだろう。協力を約束しよう」
「偽り無いか?」
明確な決意と共に、スカーは鮮烈な紅い双眸で二人を見据える。
「イシュヴァールの血にかけて、だ。赤い目の同胞よ」
スカーの強き誓いが、閑散とした建物内に、ひっそりと響き渡った。
マイルズはウィンリィをちらりと流し見た。
「――という訳だ。すまない、お嬢さん。この者の裁きはしばらく待ってくれ」
「――はい」
ウィンリィは沈痛な表情でうつむきながらも応じる。
「キョウコの言葉なら信用できる。あたしも…信じる」
「…あたしを信じてくれてありがとう、ウィンリィ」
ウィンリィに薄く微笑みを向け、キョウコは礼を述べる。
それを見たエドはすぐに金髪の幼馴染みの覚悟を悟った。
自分の両親を殺した憎い相手なずなのに。
彼女の思いを心に刻みつけるように拳を握り固める。
その時、合成獣の意識が戻った。
「う…」
呻きながら目を覚ました異形の軍人に、
「ひっ!!」
近くにいたヨキが身じろぐ。
「む…?」
閉ざされていた五感がいっぺんによみがえって、ぶるりと全身を震わせた。
周囲を刺すような冷気に満たされている。
「くっ…」
慌てて自分達の身体を見下ろす。
柱に縛りつけられ、縄で拘束されていた。
「そういえば、こいつらの事を忘れていたな。使い道が無い。始末しろ」
マイルズはその冷静な表情を崩さず、瞳だけは僅かに冷たく、刃のように鋭くしながら彼らの処遇を決める。
「はっ」
「ちょっ…」
勿論、説明されたところで理解できるような話ではなかった。
マイルズの口から放たれた言葉の意味を、アルの頭はなんとかするので精一杯になっていた。
「待った、待った!!殺す事ないでしょう!?」
「生かしておいて得が無い」
「殺さないで済む方法は無いの?」
アルとマイルズのやり取りに、縛られた軍人――ジェルソとザンパノが不快そうに鼻を鳴らす。
「我々に情けをかけるのか」
「余計な世話だ、何も知らんシャバ僧が」
「どうせ、こんな身体ではこの先、真っ当な人生が送れる訳が無い。くたばり時だ。さぁ、殺せ」
二度と元の身体に戻れない残酷な現実に卑屈さをさらけ出し、このまま生きることを諦めたような言い草。
元の身体に戻るために旅を続け、長く苦しい道を歩んできた自分とは対照的な道を選ぶ軍人を目の当たりにして、アルは拳を握り固める。
中央軍が独自に進めてきた実験から選ばれ、望まぬ不幸の果てに合成獣となった。
元の身体に戻ることもできないのなら、いっそ死んでしまいたい……そう思考してしまうのもわかる。
人間誰しもが強く、気高くあれるわけではない。
それは仕方のないこと……それでも鎧の体の奥底から湧いて浮かび上がる激しい感情――。
「何も民間人の前で殺す事ないでしょう」
その時、どうしようもない苦難と恐怖さえも吹き飛ばしてくれる凛々しい声が、兵士が引鉄に手をかける動きをぴたりと止める。
そこに現れたのは、険しい眼差しでマイルズを見据える黒髪の少女だ。
「しかもキンブリー達がこっちに向かってるんですよね?そんな暇無いはずです。早くどう行動するかを決めるのが先決じゃないですか?」
「キョウコ!?」
意外な人物の介入に、アルは驚きを隠せない。
なんの前触れもない話の転換に、マイルズは眉をひそめる。
「それもそうだが…」
「それに、殺さないでおけばいつか使える時が来るかもしれません」
冷酷さの漂う瞳と酷薄さの匂う言葉に、ブリックズの兵士は背筋を震わせた。
対して、二人は嘲笑を浮かべる。
「一体、なんのマネだ?氷刹の錬金術師。殺さずに生かしておくだと?」
「よく言えたものだな。おまえに殺された多くの者達は命乞いし、見逃してくれと何度も訴えたのだぞ」
それは、話に聞いたことのある走馬灯のようで。
それとは全く違う、邪悪なもの。
軍からの命令により誰よりも人を苦しめて殺し、実に禍々しく、美しく、全てを凍てつかせる"氷の魔女"は低く囁いた。
「……そうね。その通りだわ」
その瞬間、闇が。
闇が。
深い闇が。
深淵の闇が。
闇が、周囲一帯に降りてきて、ぞっ、と、場の気温が一気に氷点下を振り切ったような感覚が辺りを走った、ようにエドには見えた。
彼女が無残に殺した
――憎き、おぞましき、醜悪で残酷な"氷の魔女"!!
――呪われよ、呪われよ、呪われよ、永久に呪われよ、"氷の魔女"っ!!