第68話
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ベッドの上で熟睡する、幼い息子二人。
愛らしい寝顔をじっと見つめ、しかし父親――ホーエンハイムは悩んでいた。
「撫でてあげればいいのに」
手を宙にさ迷わせたまま何かを思い悩む様子を、開け放たれた部屋の扉から窺っていたトリシャが声をかける。
「自分の息子でしょ?なに遠慮してるの?」
「俺みたいなのが触って化物が伝染 ったら困る」
「あなた!」
その自嘲の言葉に、何かを察したトリシャは語気強くホーエンハイムを呼ぶ。
二人の頭を撫でることもなく、宙にさ迷った手で頭を掻いて部屋を出ていってしまった。
「もーー。そんな事で伝染るんなら、私なんかとっくに伝染ってるわよ」
かたくなに心を開こうとしないホーエンハイムを半眼で見据え、トリシャはぼそりとつぶやく。
「…バカね」
この時から数えれば、約数千年前。
今から数えれば、約十数年前。
自分は、大勢の人間の魂と引き換えに不老不死を手に入れた。
だが、この世界で『不老不死の身体』になってからしばらくの間は……そう悪くもなかった。
友人らしき者達もできたし、人並みに恋人らしきものもいた。
愛する幸せな一時を甘く噛みしめていたこともある。
「この身体になってからたくさんの死を見て来た」
しかし、全く歳を取らない不老体質であることが判明すると……誰もが気味悪がって、彼の元から離れていった。
永遠の愛を囁き、将来を誓い合ったはずの人も……化け物と罵倒して、彼の前から去っていった。
それでも彼の傍にいてくれた数少ない者達は、生きとし生ける者の定めに逆らえず、時の流れるままに老い、衰え、そして……彼の前から消えて逝った。
「友人は皆、先に老い、死んでいくし、馴染んだ風景も変わって行く。人は相変わらず、間違いを繰り返し、歴史から何も学ぼうとしない。だが、それらも大きな世界の中の流れのひとつと思えば、悲しみは少しで済んだ」
彼らの墓標に立つ自分は、あの忌々しい儀式の通り、全く歳を取っていなかった。
「世の中にはまだ見ぬ美しいもの、不思議なものが山程あり、それらの驚きに出会うたび、この身体を受け入れて生きて行くのもいいもんだと思っていた」
四季折々の風景、感情の機微など些細な変化を感じ取れる何気ない感性。
長年に渡って放浪の世界に身を置き、一人で永遠を生きる道を歩んできた。
「…………そう思っていたんだ」
孤独な自分が延々と過ごした、終わりの見えてこない日々。
そして――そんな、ある時。
トリシャと出会った。
「トリシャ。君に会って、そして子供ができるまではね」
彼女と過ごす日々は、自分の死にかけていた心を急速によみがえらせていった。
こんなに幸福な時間は、不老不死の身体になって以来、初めてのことだった。
人は一人では生きていけない……当たり前で、誰だって知っていること。
そんな単純なことを、自分は千年近くかけて、ようやく学んだのである。
「俺は歳をとらないのに、俺の血を分けた息子達は見る見る歳をとり、成長していく」
だが、この頃からだ。
自分が、とある『考え』を自覚するようになったのは――。
「急に、恐ろしくなったよ」
ホーエンハイムの胸が、虚無と絶望の入り交じった気分で満たされる。
「『ああ』」
ぎり、と、拳を固く握りしめた。
そして、忘れかけていた思いを詰まりそうになる喉から懸命に押し出す。
「『俺は本当に化物なんだな』って……」
「お待ちしてました。こっちでおねがいします」
いつものようにホーエンハイムが書斎にこもっていると、玄関からトリシャの声が聞こえてきた。
「あなた!あなた、ちょっと来て!」
「なんだ?」
ニコニコと笑うトリシャに手招きされ、書斎を出てリビングへと足を踏み入れる。
「どうも、ご主人さん」
そこには、三脚と黒い写真機を組み立てる写真屋がいた。
写真屋の男性はホーエンハイムに気づいて、帽子を脱いで軽く会釈する。
「写真屋?」
「はい、ネクタイ!ぴしっとして!」
トリシャの手が胸元に伸ばされ、ネクタイを締める。
「まだ皆で写真撮ってなかったでしょ。ね、撮りましょ」
「そんな急に…お~~~~い」
あまり乗り気ではない自分を置いて話を進めるトリシャ。
「おいってば…」
不意に、服の裾を引っ張られた。
視線を下げると、いつの間にか幼いエドと赤ん坊のアルが傍にいた。
そして、じっと見上げる兄弟。
ホーエンハイムは顔を歪め、複雑な心境で佇む。
「はい、エド、だっこして」
駆け寄ってきたトリシャが有無を言わさずエドを抱き上げ、ホーエンハイムに渡す。
「えっ、あっ」
「準備できました、お願いします」
「おい、トリシャ~~~」
妻の強引さに辟易し、抵抗も反論もできないまま立ちすくむしかない。
「まいったな……」
ホーエンハイムは幼い子供を前に、ただ戸惑うばかり。
すると、父親の顔をじっと見つめたエドは、にこぉ、と屈託なく笑った。
一瞬の、息を呑む沈黙の後、
「はい、こっち向いて、静止お願いします」
カメラの横でケーブル・レリーズを握った写真屋が笑顔で撮影の準備を始める。
トリシャは胸の前、産着 に身を包んだアルを横抱きにして、その背中を優しく揺らした。
「私だってね、いつか化物みたいなしわくちゃのおばあちゃんになるわよ。でもね、どんな姿になっても、いつでも皆で一緒に笑って写真を撮りたいの」
脇に手を差し入れてエドを抱き上げる夫の横に並び、彼女は言う。
「だからずっと家族でいて。自分から距離を置いて遠い存在になったりしないで。『化物』だなんて、そんな言葉で自分を傷つけないで」
ホーエンハイムは、穏やかなトリシャの笑みに忘我する。
そうか、家族か。
カチリと疑問の空欄にはまる答え。
数千年という年月によって開いた心の隙間を満たしてくれる、かけがえのないもの。
「はい、撮りますよー」
「あなた、笑って」
シャッターが切られた。
ぎこちない手つきでエドを抱えるホーエンハイムの隣、赤ん坊のアルを横抱きするトリシャが寄り添い、四人を照らして白いストロボが瞬く。
彼は知らず知らずの内に、涙を溢れさせていた。
――こんな身体になったのは、自分の過ちが元だ。
――だから受け入れて来たし、ずっとこのまま…この身体のまま、生きて行くつもりだった。
書斎で研究にふける父親の後ろ姿を、エドは扉を少し開け、その隙間からそっと眺めていた。
――だが、今は違う。
――俺はトリシャや子供達と一緒に…。
――一緒に老いて死にたい。
不老不死の永遠の孤独を自分の咎 として受け入れ、生きてきた。
だがトリシャ達家族を得たことで、共に年老いていきたいと強く願う。
そうして元の身体に戻るため、賢者の石の研究を重ねる。
「あの野郎……」
数々の蔵書を見比べ、黙々と地図を書き、動かしていたペンの先が止まった。
奴らの狙いである"国土錬成陣"に気づいたのだ。
「やはり、これしか無い」
付箋の貼った本を勢いよく閉じ、すぐさま荷物をまとめる。
ホーエンハイムは外に出て、ある作業に取りかかっていた。
梯子を使って高い枝まで登ると紐を括りつけ、満足げな笑みを浮かべる。
「これで…よし!」
彼が作業していたのは、それまで古くなったブランコの整備だった。
「うん。これならしばらく壊れないだろ」
幼い息子達が楽しげに遊ぶ姿を想像して、自然と顔が綻ぶ。
「お」
新しいブランコを見るために顔を傾けた拍子に、身体もぐらりと揺れた。
受け身もできないまま、腕を組んだ格好の状態で落下する。
そこへ、ちょうど通りかかったトリシャが首を傾げる。
「あら、なにやってるの」
「ブランコ整備」
「慣れない事して」
「研究に没頭してて、あいつらに何もしてやれなかったから。これくらいは…な」
口も重たげに答えたホーエンハイムの声には、一つの感情が滲んでいた。
トリシャもまた、彼が感じ取るものを、穏やかな顔の内に揺らす。
二人が懐いた気持ちは、子供達に向ける愛情ゆえの悲しさだった。
生まれたばかりの子供達はすくすくと成長し、いつしか父親の年齢を追い越し、早く死ぬ。
不死の身体であるが故に、自分は老いもせず子供達の墓標の前に立つのだ。
「トリシャ」
「はい」
「俺、行くよ。待っててくれ」
ホーエンハイムは、胸に抱いた感情の残滓を強い決意によって押し流し、短く言う。
「はい」
家族に迷惑をかけている人だけれど。
不意に、切なく辛そうな――寂しそうな目をしている瞬間があるということを、彼女は知っている。
表情は変わらず乏しいままでも、間近からずっと見ている彼女にはちゃんとわかる。
惚れた弱みだ。
決して小さくなかっただけであろう衝撃を、決して表には出さず、頷くことで夫の出発を受け止めた。
翌朝、ホーエンハイムはいつものスーツにコートを羽織り、出立の準備をする。
その前には見送りとして、トリシャの姿があった。
「子供達には俺の身体の事は言うな」
「はい」
「子供達、起こさなくていいの?」
「うん。顔見たら俺、泣いちゃうかも」
「バカね。泣いたっていいわよ」
そんな軽いやりとりの後、背後で物音がした。
振り向くと、そこには寝ぼけまなこのエドとアルがいた。
「あ…」
「あら、どうしたの、こんな朝早くに」
不意を討たれたように声を漏らすホーエンハイム。
常の無表情に、僅かな揺らぎが生じた。
黙り込むホーエンハイムの代わりに、トリシャが訊ねる。
「アルがおしっこって」
「そっか。アルの面倒、みてくれたのね」
腰を軽く折ってエドの頭を撫でると、
「うん」
小さく頷く。
「ありがとう、エド」
その時、眠たげに目元を擦るエドと、ホーエンハイムの目が合う。
兄弟のホーエンハイムを見つめる目は、どこまでも純粋でまっすぐで――。
父親だと……微塵も疑っていない、その目。
ホーエンハイムは、その無垢な視線に耐えきれなくなって、何かから逃げるように玄関の扉を開けた。
「じゃあな」
その強い陽の光が差し込まれ、
「まぶちい」
「まぶし」
幼い兄弟は目を細める。
以来、ホーエンハイムがリゼンブールに戻ってくることは二度となかった。
愛らしい寝顔をじっと見つめ、しかし父親――ホーエンハイムは悩んでいた。
「撫でてあげればいいのに」
手を宙にさ迷わせたまま何かを思い悩む様子を、開け放たれた部屋の扉から窺っていたトリシャが声をかける。
「自分の息子でしょ?なに遠慮してるの?」
「俺みたいなのが触って化物が
「あなた!」
その自嘲の言葉に、何かを察したトリシャは語気強くホーエンハイムを呼ぶ。
二人の頭を撫でることもなく、宙にさ迷った手で頭を掻いて部屋を出ていってしまった。
「もーー。そんな事で伝染るんなら、私なんかとっくに伝染ってるわよ」
かたくなに心を開こうとしないホーエンハイムを半眼で見据え、トリシャはぼそりとつぶやく。
「…バカね」
この時から数えれば、約数千年前。
今から数えれば、約十数年前。
自分は、大勢の人間の魂と引き換えに不老不死を手に入れた。
だが、この世界で『不老不死の身体』になってからしばらくの間は……そう悪くもなかった。
友人らしき者達もできたし、人並みに恋人らしきものもいた。
愛する幸せな一時を甘く噛みしめていたこともある。
「この身体になってからたくさんの死を見て来た」
しかし、全く歳を取らない不老体質であることが判明すると……誰もが気味悪がって、彼の元から離れていった。
永遠の愛を囁き、将来を誓い合ったはずの人も……化け物と罵倒して、彼の前から去っていった。
それでも彼の傍にいてくれた数少ない者達は、生きとし生ける者の定めに逆らえず、時の流れるままに老い、衰え、そして……彼の前から消えて逝った。
「友人は皆、先に老い、死んでいくし、馴染んだ風景も変わって行く。人は相変わらず、間違いを繰り返し、歴史から何も学ぼうとしない。だが、それらも大きな世界の中の流れのひとつと思えば、悲しみは少しで済んだ」
彼らの墓標に立つ自分は、あの忌々しい儀式の通り、全く歳を取っていなかった。
「世の中にはまだ見ぬ美しいもの、不思議なものが山程あり、それらの驚きに出会うたび、この身体を受け入れて生きて行くのもいいもんだと思っていた」
四季折々の風景、感情の機微など些細な変化を感じ取れる何気ない感性。
長年に渡って放浪の世界に身を置き、一人で永遠を生きる道を歩んできた。
「…………そう思っていたんだ」
孤独な自分が延々と過ごした、終わりの見えてこない日々。
そして――そんな、ある時。
トリシャと出会った。
「トリシャ。君に会って、そして子供ができるまではね」
彼女と過ごす日々は、自分の死にかけていた心を急速によみがえらせていった。
こんなに幸福な時間は、不老不死の身体になって以来、初めてのことだった。
人は一人では生きていけない……当たり前で、誰だって知っていること。
そんな単純なことを、自分は千年近くかけて、ようやく学んだのである。
「俺は歳をとらないのに、俺の血を分けた息子達は見る見る歳をとり、成長していく」
だが、この頃からだ。
自分が、とある『考え』を自覚するようになったのは――。
「急に、恐ろしくなったよ」
ホーエンハイムの胸が、虚無と絶望の入り交じった気分で満たされる。
「『ああ』」
ぎり、と、拳を固く握りしめた。
そして、忘れかけていた思いを詰まりそうになる喉から懸命に押し出す。
「『俺は本当に化物なんだな』って……」
「お待ちしてました。こっちでおねがいします」
いつものようにホーエンハイムが書斎にこもっていると、玄関からトリシャの声が聞こえてきた。
「あなた!あなた、ちょっと来て!」
「なんだ?」
ニコニコと笑うトリシャに手招きされ、書斎を出てリビングへと足を踏み入れる。
「どうも、ご主人さん」
そこには、三脚と黒い写真機を組み立てる写真屋がいた。
写真屋の男性はホーエンハイムに気づいて、帽子を脱いで軽く会釈する。
「写真屋?」
「はい、ネクタイ!ぴしっとして!」
トリシャの手が胸元に伸ばされ、ネクタイを締める。
「まだ皆で写真撮ってなかったでしょ。ね、撮りましょ」
「そんな急に…お~~~~い」
あまり乗り気ではない自分を置いて話を進めるトリシャ。
「おいってば…」
不意に、服の裾を引っ張られた。
視線を下げると、いつの間にか幼いエドと赤ん坊のアルが傍にいた。
そして、じっと見上げる兄弟。
ホーエンハイムは顔を歪め、複雑な心境で佇む。
「はい、エド、だっこして」
駆け寄ってきたトリシャが有無を言わさずエドを抱き上げ、ホーエンハイムに渡す。
「えっ、あっ」
「準備できました、お願いします」
「おい、トリシャ~~~」
妻の強引さに辟易し、抵抗も反論もできないまま立ちすくむしかない。
「まいったな……」
ホーエンハイムは幼い子供を前に、ただ戸惑うばかり。
すると、父親の顔をじっと見つめたエドは、にこぉ、と屈託なく笑った。
一瞬の、息を呑む沈黙の後、
「はい、こっち向いて、静止お願いします」
カメラの横でケーブル・レリーズを握った写真屋が笑顔で撮影の準備を始める。
トリシャは胸の前、
「私だってね、いつか化物みたいなしわくちゃのおばあちゃんになるわよ。でもね、どんな姿になっても、いつでも皆で一緒に笑って写真を撮りたいの」
脇に手を差し入れてエドを抱き上げる夫の横に並び、彼女は言う。
「だからずっと家族でいて。自分から距離を置いて遠い存在になったりしないで。『化物』だなんて、そんな言葉で自分を傷つけないで」
ホーエンハイムは、穏やかなトリシャの笑みに忘我する。
そうか、家族か。
カチリと疑問の空欄にはまる答え。
数千年という年月によって開いた心の隙間を満たしてくれる、かけがえのないもの。
「はい、撮りますよー」
「あなた、笑って」
シャッターが切られた。
ぎこちない手つきでエドを抱えるホーエンハイムの隣、赤ん坊のアルを横抱きするトリシャが寄り添い、四人を照らして白いストロボが瞬く。
彼は知らず知らずの内に、涙を溢れさせていた。
――こんな身体になったのは、自分の過ちが元だ。
――だから受け入れて来たし、ずっとこのまま…この身体のまま、生きて行くつもりだった。
書斎で研究にふける父親の後ろ姿を、エドは扉を少し開け、その隙間からそっと眺めていた。
――だが、今は違う。
――俺はトリシャや子供達と一緒に…。
――一緒に老いて死にたい。
不老不死の永遠の孤独を自分の
だがトリシャ達家族を得たことで、共に年老いていきたいと強く願う。
そうして元の身体に戻るため、賢者の石の研究を重ねる。
「あの野郎……」
数々の蔵書を見比べ、黙々と地図を書き、動かしていたペンの先が止まった。
奴らの狙いである"国土錬成陣"に気づいたのだ。
「やはり、これしか無い」
付箋の貼った本を勢いよく閉じ、すぐさま荷物をまとめる。
ホーエンハイムは外に出て、ある作業に取りかかっていた。
梯子を使って高い枝まで登ると紐を括りつけ、満足げな笑みを浮かべる。
「これで…よし!」
彼が作業していたのは、それまで古くなったブランコの整備だった。
「うん。これならしばらく壊れないだろ」
幼い息子達が楽しげに遊ぶ姿を想像して、自然と顔が綻ぶ。
「お」
新しいブランコを見るために顔を傾けた拍子に、身体もぐらりと揺れた。
受け身もできないまま、腕を組んだ格好の状態で落下する。
そこへ、ちょうど通りかかったトリシャが首を傾げる。
「あら、なにやってるの」
「ブランコ整備」
「慣れない事して」
「研究に没頭してて、あいつらに何もしてやれなかったから。これくらいは…な」
口も重たげに答えたホーエンハイムの声には、一つの感情が滲んでいた。
トリシャもまた、彼が感じ取るものを、穏やかな顔の内に揺らす。
二人が懐いた気持ちは、子供達に向ける愛情ゆえの悲しさだった。
生まれたばかりの子供達はすくすくと成長し、いつしか父親の年齢を追い越し、早く死ぬ。
不死の身体であるが故に、自分は老いもせず子供達の墓標の前に立つのだ。
「トリシャ」
「はい」
「俺、行くよ。待っててくれ」
ホーエンハイムは、胸に抱いた感情の残滓を強い決意によって押し流し、短く言う。
「はい」
家族に迷惑をかけている人だけれど。
不意に、切なく辛そうな――寂しそうな目をしている瞬間があるということを、彼女は知っている。
表情は変わらず乏しいままでも、間近からずっと見ている彼女にはちゃんとわかる。
惚れた弱みだ。
決して小さくなかっただけであろう衝撃を、決して表には出さず、頷くことで夫の出発を受け止めた。
翌朝、ホーエンハイムはいつものスーツにコートを羽織り、出立の準備をする。
その前には見送りとして、トリシャの姿があった。
「子供達には俺の身体の事は言うな」
「はい」
「子供達、起こさなくていいの?」
「うん。顔見たら俺、泣いちゃうかも」
「バカね。泣いたっていいわよ」
そんな軽いやりとりの後、背後で物音がした。
振り向くと、そこには寝ぼけまなこのエドとアルがいた。
「あ…」
「あら、どうしたの、こんな朝早くに」
不意を討たれたように声を漏らすホーエンハイム。
常の無表情に、僅かな揺らぎが生じた。
黙り込むホーエンハイムの代わりに、トリシャが訊ねる。
「アルがおしっこって」
「そっか。アルの面倒、みてくれたのね」
腰を軽く折ってエドの頭を撫でると、
「うん」
小さく頷く。
「ありがとう、エド」
その時、眠たげに目元を擦るエドと、ホーエンハイムの目が合う。
兄弟のホーエンハイムを見つめる目は、どこまでも純粋でまっすぐで――。
父親だと……微塵も疑っていない、その目。
ホーエンハイムは、その無垢な視線に耐えきれなくなって、何かから逃げるように玄関の扉を開けた。
「じゃあな」
その強い陽の光が差し込まれ、
「まぶちい」
「まぶし」
幼い兄弟は目を細める。
以来、ホーエンハイムがリゼンブールに戻ってくることは二度となかった。