第26話
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人体錬成の影響から虚弱体質となったイズミは行きつけの診療所に訪れていた。
医者に身体を診てもらい、いつものように薬が処方される。
「いつもの薬、出しておくから」
「ありがとうございます、先生」
診察が終わり、服を着ながらイズミは訊ねた。
「…先生、記憶喪失を治す方法を、ご存知ありませんか?」
「さあね…私はそっちの専門じゃなからねぇ…」
「ほんの一部の記憶なんですけどね。無くしちゃった奴がいまして」
「一般的に言われてるのは催眠術で記憶をさかのぼるとか…強いショックを与えるとか」
欠落した記憶を取り戻す必要がある場合には、催眠や鎮静薬を利用した面接がある。
医師が示したのは、外的ショックを与えることで改善を促す治療法だ。
「強いショック…」
(とりあえず、帰ったら一発なぐってみよう……)
頭部に衝撃を与えて記憶を取り戻すか、などと物騒な方法を思いつく。
「どうも、失礼します」
「ああ」
早速、ショック療法を試みようと頭の隅で考えながら席を立つと、医者から意外な言葉をかけられる。
「イズミさん、最近、顔色がいいんじゃないかい?」
「そうですか?」
「休養を十分にとれてるみたいだね」
「その逆ですよ。家族が増えて、毎日てんてこ舞い!」
困ったふうに見える、どこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
イズミが出かけている間、三人はそれぞれトレーニングをしていた。
エドはダンベル、アルはキョウコと組み手をしている。
滑らかかつ留まることのない体捌 き。
足の運びと腕の振りは、軽やかかつしなかやで、何より強い。
一つに結わえられた黒髪がなびいて、思わず見惚れてしまいそうになる。
しかしアルは今、それらの痺れるような感嘆とは別のものを感じている。
「ねぇ、キョウコ」
「ん?」
「ちょっと気になる事があるんだけど…」
放たれる掌打を受け止め、抉るような手刀を防ぎ、制圧しようとする掴み技を受け流す。
組み手の途中で紡がれたアルの言葉に、エドは両手でダンベルを担いだまま視線だけを向ける。
兄弟は、鋭く攻撃を繰り出す少女の姿に、違和感を抱いていた。
彼女の厳しさが、いつもとは違う。
常の余裕さが、まるでない。
からかうこともなく、すぐ黙ってしまう。
身動きも最低限で、頬が硬く引き締まっている。
長い付き合いから、それら細かい挙措の全てがわかる。
わかってしまう。
「錬成陣無しで錬成するのを隠して、今まで黙ってたんだよね?」
「……うん」
「なんで隠す必要があったの?」
キョウコはピタリと攻撃の手を止め、一度大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「もし言ったら、二人は自分のせいだって思い込むでしょ?」
今さら、平凡な人生など送り得ない。
人して暮らしていくことなどできようはずもない。
「これは誰のせいでもないから。真理を見たから発動したせいであって、誰が悪いとか関係ないの」
その声の奥にある辛さを、兄弟の胸の奥が締めつけられるように痛む。
それを確認して、キョウコはまた別の、もっと奥深くが、もっと痛んだ。
突然、エドがダンベルを担いだまま、大口を開けて固まった。
「ちょっと、そこの凄まじい顔した人。とんでもない事になってるよ」
「どうしたの、兄さん。ぎっくり腰?」
物凄い形相をして固まる彼を、上下動きやすい服装からシャツとスカートに着替えたキョウコとアルが不審そうに声をかける。
そこには、帰ってきたイズミの姿があり、手には釘バットを持っている。
早速『ショック療法』という名目でアルを殴ったらしい。
どうも記憶喪失の治療=頭をぶん殴るというイメージが浸透しているのが原因と思われる。
「……今年の査定、忘れた」
動揺も露に記憶の片隅を掘り起こしたエドに、二人はようやく気づいた。
「「あ!!!」」
急に狼狽する三人の様子に、イズミは首を傾げる。
「査定?」
「国家錬金術師の年に一度の査定!」
「これをちゃんとやっとかないと、資格を取り上げられちゃうんです」
年に1回、レポートと実技による査定が義務づけられていて、ここでいい評価を得られないと資格剥奪もあり得るのだ。
「あーーー。最近バタバタしてたからなぁ。まじーーー、まじーーー」
かつてないほどうろたえ、目を泳がせるエドの姿に、イズミの瞳に光が灯る。
「よっしゃ!これを機会に、軍の狗なんてやめちゃえ、やめちゃえ!どれ。私が軍に電話しといてやろう」
軍に電話をかけようとダイヤルを回す彼女に、
「「やめてーーー!!」」
二人は大声をあげて阻止する。
「ちっ」
舌打ちを鳴らすイズミ。
「はい、楽々軒」
受話器からは、軍とは全く関係のない声が聞こえる。
「とりあえず、軍部に顔出さなきゃ!うん!」
焦りまくるエドはキョウコの方に勢いよく顔を向け、叫び声に近い音量で訊ねる。
「……そういや、キョウコ!おまえ、査定は!?」
「あたしはだいぶ前に終わってるけど」
「……マジかよ」
頼みの綱が切れ、エドが諦めて天を仰ぎかけた時、マイペースな声がかけられた。
「だったら、あたしも一緒に付いていった方がいいかも。レポート、手伝ってあげようか?」
エドは嬉しさのあまり滂沱と涙を流す。
「兄さん!中央より、南方司令部の方が近いよ!下りの列車で二駅!」
「おう!サンキュー、アル!」
トランクの中に乱暴に荷物を押し入れ、手早く黒い革の上着を羽織る。
「レポート、どうすんのさ?」
キョウコも首元にリボンタイを結んで、トランクの中に荷物を入れていく。
「行きの汽車の中で、でっち上げる!」
「い、いいのかなぁ?」
「いいんじゃない?適当に書いてもバレないし。あたしも時々、そうしてたから」
小さくつぶやいたキョウコの爆弾発言に、
「へっ?」
とアルは声を漏らす。
「なんだ、キョウコもその査定なのか?」
「はい。期限日が近づいているので、念のために同行します」
嘘である。
が、キョウコにはそれを正直に申告する気はなかった。
こういう時は、ハッタリを貫き通す方がいい。
嘘を本当に見せるのは、度胸と説得力である。
だから、笑顔で話すキョウコを、師匠兼スパルタ鬼教官のイズミはなんの疑いもなく頷いた。
あのイズミにためらいもなく嘘をつくキョウコに、兄弟は仰天する。
「気をつけて行っといで」
「はい!」
「二・三日で帰って来れると思います」
「んじゃ」
「それでは」
準備が整った二人は、一声かけて出発する。
「「行って来ます!」」
外から、物凄い大声と足音が聞こえ、
「ぬぅおおおおおおおぉ」
「待ってーー」
慌ただしく走り去る二人(主にエド)に、イズミは呆れの溜め息をつく。
「あいつらは、いつもあんなにせわしないのか」
「キョウコはともかく、兄さんはそうなんです!あんな兄だから、やっぱりもう一人ついてった方がいいですよねっ!じゃっ!ボクも行って来ます、師匠!!」
「逃げんな。おまえは残って、私と組み手」
「ぎゃーーーーー」
キョウコに便乗して逃げようとするアルの飾り紐を引っ張って、イズミは黒い笑顔を浮かべながら左手を鳴らした。
先程の一連の振る舞いに、エドは仰天すると同時に、ひそかに唸った。
やはり、キョウコは凄まじい。
「……エド。わかってるでしょうけど、今ので貸しにプラス一よ。覚えておいて」
隣で走るキョウコがぼそりとつぶやく。
「…………」
勿論、反論などできなかった。
イシュヴァールの集落――貧民街 のテントに身を隠しているスカー。
手作りのダンベルで身体を動かす彼のもとに、少年が眉をつり上げて入ってきた。
「あーー!!またかよ!!まだ傷口もふさがってないのに、無茶すんなよ!!」
「イシュヴァールの武僧は、常に鍛錬を…」
「いいから、顔ふけ!」
直後、顔面に濡れタオルが飛んできた。
「客だよ」
少年に案内されて一人の僧侶が中に入ると、スカーは目を見開き、驚きの声をあげた。
「師父…!!」
スカーは師父と対面し、端然とした姿勢で頭を下げる。
「ご無事で何より!」
「おまえも、よく生き延びた」
「今までどこに?」
「南の山間部に、寺院の者、数名とな。東の大砂漠に逃げた僧もおるが、はて、生き延びておるかどうか…」
故郷を追われ、イシュヴァールから南へ逃げた民は、南の山間部で集落を作っていたらしい。
そこに彼も同行し、息をひそめて暮らしていた。
「南部も近頃、軍人どもの動きがあわただしくなってきてな。とばっちりを受けぬうちに東に逃げて来たら、おまえの話を聞いた。国家錬金術師を殺して回ってるようだな」
現在は国内での差別はほぼないが、南部の国境沿いでは軍の駐在も多く、住みづらいという。
「たしかに、我らの村を焼き滅ぼしたのは国家錬金術師だ。恨みたい気持ちはわかる。だが、おまえのしている事は、八つ当たりに近い復讐ではないか」
容赦なく事実を突きつけられ、反論の余地は全くない。
今度は根本的な部分で否定された。
テントの幕を上げ、大勢の人々が不安げな面持ちで集まる。
「復讐は新たな復讐の芽を育てる。そんな不毛な循環は、早々に断ち斬らねばならんのだ」
張り詰める場の雰囲気に、この場に座る少年の立場は、その身の置き所と同様、非常に焦っていた。
「ジャマするぜぇ~~~~」
突如、野卑で屈強な男達が侵入してきた。
「本当にいたぜ!バッテン傷のイシュヴァール人だ!大ケガして、動けねぇ賞金首がいるってなぁ!親切な人が教えてくれよォ!」
「これで俺達ゃ、大金持ちィ!!」
「なんだって!?」
「この貧民街 に、仲間を売るような奴はいない!!」
「誰が………」
皆の視線が、壊れた煉瓦 に隠れるヨキに向けられた。
それを見透かして、二人はヨキに礼を述べる。
「ヨキさんよ、情報、ありがとな」
「約束通り、賞金は山分けだぜ」
恩を仇で返されたと思った皆は一斉に、ヨキに非難の声を浴びせる。
「ヨキさん、あんた!!」
「おちぶれて行くあての無いあんたを、ここの皆はっ!家族のように受け入れてくれたじゃないか!!」
「う…うるさい!敗北者どもめ!!私はおまえ達とは違う!!賞金の分け前を元に、またのし上がってやるのだァァァァァ!!」
イシュヴァール人の抗議の声に怯むが、欲深いヨキは一転、自分の夢を諦めていないのか、粘つく哄笑をあげる
「イヒァーーーーーーーーッ!!」
自分の出世のためなら、世話になった人間をも平気で陥れる、仁義の欠片も持ち合わせていない男だ。
「おふた方!!やっちゃってください!!」
すると、スカーは自分からテントを出た。
「己 れがここにいては、迷惑になるようだ」
「おっちゃん!!」
「ききわけが良い奴だ。そうとも、おめーが行くのは刑務所の…」
スカーの肩に手を置いた瞬間、サングラスに隠れた目が驚きに開かれる。
自分の手が、腕からなくなっていた。
「ぎぃ…ああああああぃぃあああ」
その傷口から噴き出し、重力に引かれ散る血の下、男が神経を引き裂く激痛に絶叫をあげた。
裂かれた右手は千切れ飛び、地面に落ちる。
男の絶叫が、凍りついていた時間を動かした。
「なっ…てめっ…何しやがった!!」
もう一人が腕を振り上げて殴ろうとするが、それよりも速く、スカーの右手が顔面を掴む。
「神に祈る間をやろう」
「何が神だ!!んなもん…」
刹那、男の全身からおびただしい血が溢れ出した。
それは、血の雨のごとく。
その凄惨な場面に居合わせてしまった少年は愕然とし、人々は顔を手で覆ったり目を背けたりする。
スカーは次に、右手を破壊した男を睨みつけた。
「ひッ!!」
鮮烈な赤い瞳に睨みつけられ、男は短い悲鳴をあげる。
スカーが彼に向かって歩いてくると、先程の凶悪さはどこへやら、逃げるように後ずさる。
「あ…待て!!ちょっと…来るな、オイ!!俺が悪かったっ!!助けてくれ!!俺はそっちのチョビヒゲにそそのかされて……………」
「んなぁ!!?」
そのヨキは、イシュヴァールの人達にボコボコにされていた。
燃えるような眼差しで見据えられ、情けない悲鳴をあげる。
「いひィィィィィィィィィィ」
スカ―が、かつて男の所有物だったサングラスを取ると、後ろから師父が声をかけた。
「行くのか。兄が悲しむぞ」
「もう後戻りはできぬのです」
強烈な戦意と意志を燃やし、彼はサングラスをかけた。
汽車に乗ると、座席はほどよく埋まっており、レポートは意外なほど順調に進んだ。
キョウコという、ものを教える達人がいたからである。
「……ん、っ」
滞りなくレポートを書くエドが、なんとなく咳払いをした。
医者に身体を診てもらい、いつものように薬が処方される。
「いつもの薬、出しておくから」
「ありがとうございます、先生」
診察が終わり、服を着ながらイズミは訊ねた。
「…先生、記憶喪失を治す方法を、ご存知ありませんか?」
「さあね…私はそっちの専門じゃなからねぇ…」
「ほんの一部の記憶なんですけどね。無くしちゃった奴がいまして」
「一般的に言われてるのは催眠術で記憶をさかのぼるとか…強いショックを与えるとか」
欠落した記憶を取り戻す必要がある場合には、催眠や鎮静薬を利用した面接がある。
医師が示したのは、外的ショックを与えることで改善を促す治療法だ。
「強いショック…」
(とりあえず、帰ったら一発なぐってみよう……)
頭部に衝撃を与えて記憶を取り戻すか、などと物騒な方法を思いつく。
「どうも、失礼します」
「ああ」
早速、ショック療法を試みようと頭の隅で考えながら席を立つと、医者から意外な言葉をかけられる。
「イズミさん、最近、顔色がいいんじゃないかい?」
「そうですか?」
「休養を十分にとれてるみたいだね」
「その逆ですよ。家族が増えて、毎日てんてこ舞い!」
困ったふうに見える、どこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
イズミが出かけている間、三人はそれぞれトレーニングをしていた。
エドはダンベル、アルはキョウコと組み手をしている。
滑らかかつ留まることのない
足の運びと腕の振りは、軽やかかつしなかやで、何より強い。
一つに結わえられた黒髪がなびいて、思わず見惚れてしまいそうになる。
しかしアルは今、それらの痺れるような感嘆とは別のものを感じている。
「ねぇ、キョウコ」
「ん?」
「ちょっと気になる事があるんだけど…」
放たれる掌打を受け止め、抉るような手刀を防ぎ、制圧しようとする掴み技を受け流す。
組み手の途中で紡がれたアルの言葉に、エドは両手でダンベルを担いだまま視線だけを向ける。
兄弟は、鋭く攻撃を繰り出す少女の姿に、違和感を抱いていた。
彼女の厳しさが、いつもとは違う。
常の余裕さが、まるでない。
からかうこともなく、すぐ黙ってしまう。
身動きも最低限で、頬が硬く引き締まっている。
長い付き合いから、それら細かい挙措の全てがわかる。
わかってしまう。
「錬成陣無しで錬成するのを隠して、今まで黙ってたんだよね?」
「……うん」
「なんで隠す必要があったの?」
キョウコはピタリと攻撃の手を止め、一度大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「もし言ったら、二人は自分のせいだって思い込むでしょ?」
今さら、平凡な人生など送り得ない。
人して暮らしていくことなどできようはずもない。
「これは誰のせいでもないから。真理を見たから発動したせいであって、誰が悪いとか関係ないの」
その声の奥にある辛さを、兄弟の胸の奥が締めつけられるように痛む。
それを確認して、キョウコはまた別の、もっと奥深くが、もっと痛んだ。
突然、エドがダンベルを担いだまま、大口を開けて固まった。
「ちょっと、そこの凄まじい顔した人。とんでもない事になってるよ」
「どうしたの、兄さん。ぎっくり腰?」
物凄い形相をして固まる彼を、上下動きやすい服装からシャツとスカートに着替えたキョウコとアルが不審そうに声をかける。
そこには、帰ってきたイズミの姿があり、手には釘バットを持っている。
早速『ショック療法』という名目でアルを殴ったらしい。
どうも記憶喪失の治療=頭をぶん殴るというイメージが浸透しているのが原因と思われる。
「……今年の査定、忘れた」
動揺も露に記憶の片隅を掘り起こしたエドに、二人はようやく気づいた。
「「あ!!!」」
急に狼狽する三人の様子に、イズミは首を傾げる。
「査定?」
「国家錬金術師の年に一度の査定!」
「これをちゃんとやっとかないと、資格を取り上げられちゃうんです」
年に1回、レポートと実技による査定が義務づけられていて、ここでいい評価を得られないと資格剥奪もあり得るのだ。
「あーーー。最近バタバタしてたからなぁ。まじーーー、まじーーー」
かつてないほどうろたえ、目を泳がせるエドの姿に、イズミの瞳に光が灯る。
「よっしゃ!これを機会に、軍の狗なんてやめちゃえ、やめちゃえ!どれ。私が軍に電話しといてやろう」
軍に電話をかけようとダイヤルを回す彼女に、
「「やめてーーー!!」」
二人は大声をあげて阻止する。
「ちっ」
舌打ちを鳴らすイズミ。
「はい、楽々軒」
受話器からは、軍とは全く関係のない声が聞こえる。
「とりあえず、軍部に顔出さなきゃ!うん!」
焦りまくるエドはキョウコの方に勢いよく顔を向け、叫び声に近い音量で訊ねる。
「……そういや、キョウコ!おまえ、査定は!?」
「あたしはだいぶ前に終わってるけど」
「……マジかよ」
頼みの綱が切れ、エドが諦めて天を仰ぎかけた時、マイペースな声がかけられた。
「だったら、あたしも一緒に付いていった方がいいかも。レポート、手伝ってあげようか?」
エドは嬉しさのあまり滂沱と涙を流す。
「兄さん!中央より、南方司令部の方が近いよ!下りの列車で二駅!」
「おう!サンキュー、アル!」
トランクの中に乱暴に荷物を押し入れ、手早く黒い革の上着を羽織る。
「レポート、どうすんのさ?」
キョウコも首元にリボンタイを結んで、トランクの中に荷物を入れていく。
「行きの汽車の中で、でっち上げる!」
「い、いいのかなぁ?」
「いいんじゃない?適当に書いてもバレないし。あたしも時々、そうしてたから」
小さくつぶやいたキョウコの爆弾発言に、
「へっ?」
とアルは声を漏らす。
「なんだ、キョウコもその査定なのか?」
「はい。期限日が近づいているので、念のために同行します」
嘘である。
が、キョウコにはそれを正直に申告する気はなかった。
こういう時は、ハッタリを貫き通す方がいい。
嘘を本当に見せるのは、度胸と説得力である。
だから、笑顔で話すキョウコを、師匠兼スパルタ鬼教官のイズミはなんの疑いもなく頷いた。
あのイズミにためらいもなく嘘をつくキョウコに、兄弟は仰天する。
「気をつけて行っといで」
「はい!」
「二・三日で帰って来れると思います」
「んじゃ」
「それでは」
準備が整った二人は、一声かけて出発する。
「「行って来ます!」」
外から、物凄い大声と足音が聞こえ、
「ぬぅおおおおおおおぉ」
「待ってーー」
慌ただしく走り去る二人(主にエド)に、イズミは呆れの溜め息をつく。
「あいつらは、いつもあんなにせわしないのか」
「キョウコはともかく、兄さんはそうなんです!あんな兄だから、やっぱりもう一人ついてった方がいいですよねっ!じゃっ!ボクも行って来ます、師匠!!」
「逃げんな。おまえは残って、私と組み手」
「ぎゃーーーーー」
キョウコに便乗して逃げようとするアルの飾り紐を引っ張って、イズミは黒い笑顔を浮かべながら左手を鳴らした。
先程の一連の振る舞いに、エドは仰天すると同時に、ひそかに唸った。
やはり、キョウコは凄まじい。
「……エド。わかってるでしょうけど、今ので貸しにプラス一よ。覚えておいて」
隣で走るキョウコがぼそりとつぶやく。
「…………」
勿論、反論などできなかった。
イシュヴァールの集落――
手作りのダンベルで身体を動かす彼のもとに、少年が眉をつり上げて入ってきた。
「あーー!!またかよ!!まだ傷口もふさがってないのに、無茶すんなよ!!」
「イシュヴァールの武僧は、常に鍛錬を…」
「いいから、顔ふけ!」
直後、顔面に濡れタオルが飛んできた。
「客だよ」
少年に案内されて一人の僧侶が中に入ると、スカーは目を見開き、驚きの声をあげた。
「師父…!!」
スカーは師父と対面し、端然とした姿勢で頭を下げる。
「ご無事で何より!」
「おまえも、よく生き延びた」
「今までどこに?」
「南の山間部に、寺院の者、数名とな。東の大砂漠に逃げた僧もおるが、はて、生き延びておるかどうか…」
故郷を追われ、イシュヴァールから南へ逃げた民は、南の山間部で集落を作っていたらしい。
そこに彼も同行し、息をひそめて暮らしていた。
「南部も近頃、軍人どもの動きがあわただしくなってきてな。とばっちりを受けぬうちに東に逃げて来たら、おまえの話を聞いた。国家錬金術師を殺して回ってるようだな」
現在は国内での差別はほぼないが、南部の国境沿いでは軍の駐在も多く、住みづらいという。
「たしかに、我らの村を焼き滅ぼしたのは国家錬金術師だ。恨みたい気持ちはわかる。だが、おまえのしている事は、八つ当たりに近い復讐ではないか」
容赦なく事実を突きつけられ、反論の余地は全くない。
今度は根本的な部分で否定された。
テントの幕を上げ、大勢の人々が不安げな面持ちで集まる。
「復讐は新たな復讐の芽を育てる。そんな不毛な循環は、早々に断ち斬らねばならんのだ」
張り詰める場の雰囲気に、この場に座る少年の立場は、その身の置き所と同様、非常に焦っていた。
「ジャマするぜぇ~~~~」
突如、野卑で屈強な男達が侵入してきた。
「本当にいたぜ!バッテン傷のイシュヴァール人だ!大ケガして、動けねぇ賞金首がいるってなぁ!親切な人が教えてくれよォ!」
「これで俺達ゃ、大金持ちィ!!」
「なんだって!?」
「この
「誰が………」
皆の視線が、壊れた
それを見透かして、二人はヨキに礼を述べる。
「ヨキさんよ、情報、ありがとな」
「約束通り、賞金は山分けだぜ」
恩を仇で返されたと思った皆は一斉に、ヨキに非難の声を浴びせる。
「ヨキさん、あんた!!」
「おちぶれて行くあての無いあんたを、ここの皆はっ!家族のように受け入れてくれたじゃないか!!」
「う…うるさい!敗北者どもめ!!私はおまえ達とは違う!!賞金の分け前を元に、またのし上がってやるのだァァァァァ!!」
イシュヴァール人の抗議の声に怯むが、欲深いヨキは一転、自分の夢を諦めていないのか、粘つく哄笑をあげる
「イヒァーーーーーーーーッ!!」
自分の出世のためなら、世話になった人間をも平気で陥れる、仁義の欠片も持ち合わせていない男だ。
「おふた方!!やっちゃってください!!」
すると、スカーは自分からテントを出た。
「
「おっちゃん!!」
「ききわけが良い奴だ。そうとも、おめーが行くのは刑務所の…」
スカーの肩に手を置いた瞬間、サングラスに隠れた目が驚きに開かれる。
自分の手が、腕からなくなっていた。
「ぎぃ…ああああああぃぃあああ」
その傷口から噴き出し、重力に引かれ散る血の下、男が神経を引き裂く激痛に絶叫をあげた。
裂かれた右手は千切れ飛び、地面に落ちる。
男の絶叫が、凍りついていた時間を動かした。
「なっ…てめっ…何しやがった!!」
もう一人が腕を振り上げて殴ろうとするが、それよりも速く、スカーの右手が顔面を掴む。
「神に祈る間をやろう」
「何が神だ!!んなもん…」
刹那、男の全身からおびただしい血が溢れ出した。
それは、血の雨のごとく。
その凄惨な場面に居合わせてしまった少年は愕然とし、人々は顔を手で覆ったり目を背けたりする。
スカーは次に、右手を破壊した男を睨みつけた。
「ひッ!!」
鮮烈な赤い瞳に睨みつけられ、男は短い悲鳴をあげる。
スカーが彼に向かって歩いてくると、先程の凶悪さはどこへやら、逃げるように後ずさる。
「あ…待て!!ちょっと…来るな、オイ!!俺が悪かったっ!!助けてくれ!!俺はそっちのチョビヒゲにそそのかされて……………」
「んなぁ!!?」
そのヨキは、イシュヴァールの人達にボコボコにされていた。
燃えるような眼差しで見据えられ、情けない悲鳴をあげる。
「いひィィィィィィィィィィ」
スカ―が、かつて男の所有物だったサングラスを取ると、後ろから師父が声をかけた。
「行くのか。兄が悲しむぞ」
「もう後戻りはできぬのです」
強烈な戦意と意志を燃やし、彼はサングラスをかけた。
汽車に乗ると、座席はほどよく埋まっており、レポートは意外なほど順調に進んだ。
キョウコという、ものを教える達人がいたからである。
「……ん、っ」
滞りなくレポートを書くエドが、なんとなく咳払いをした。