第21話
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――何かから逃げるように玄関の扉を開けて旅立つ父親。
(――「じゃあな」――)
――それ以来、彼がリゼンブールに戻ってくることは二度となかった。
「何があった。全て話せ」
イズミの、頭ごなしに怒鳴りつけるのではない静かな確認は、それゆえに三人に大きな覚悟を求めた。
――テーブルの上に置かれた一通の手紙。
――封書を開け、中身を広げる。
(――「お父さんとお母さんが………イシュヴァールで…………!!」――)
――届いた手紙の内容にウィンリィは泣きじゃくり、ピナコは辛さを覚えて目を伏せる。
「…………」
表情の読めない鎧の顔をうつむかせ、黙り込むアル。
――流行り病にかかった母親は衰弱する身体に無理矢理、声を絞り出して懸命に話す。
(――「父さんの残してくれたお金ね、手を付けてないの。私にもしもの事があったら、それで、生活しなさい。三人で仲良くね」――)
キョウコは、複雑な内心を隠して顔を背ける。
――薄暗い部屋に描かれた錬成陣。
――見る人が見なければ、ただの複雑怪奇な錬成陣だろう。
(――「違う……!こんなのは、違う……!!」――)
――禁忌とされていた人体錬成に遭遇した代償として、彼女の髪と瞳の色は見たことのない黒に変わってしまった。
前髪で顔が隠されたエドは唇を噛みしめる。
――人体錬成という神の領域に踏み込んでしまった彼は錬成に失敗し、代償として左足を失った。
(――「あああああああああ」――)
――そして、身体の全てを失った弟を取り戻すために、右手を代償に錬成できたのは魂のみ。
(――「おめでとう。これで晴れて、軍の狗だ」――)
――ロイは拝命証を渡し、国家錬金術師として合格したことを告げた。
凍りついていた表情はやがて、少しずつ取り戻していく。
切なく、険しい顔つきを。
「何から話せば、いいのか……」
全ての始まりだった母との別れ、イズミとの出会い、そして禁断の人体錬成のことを。
蝉の鳴き声が、暑気の空気にじわりと染みつつあった。
「エド!アル!どこ?」
母親――トリシャが書斎の扉を開け、目を丸くした。
「あらま」
そこには、床に落書きをするエドと寝っ転がって本を読むアルがいた。
幼い背の遥か高みをいく無数の本棚が並び、その圧倒的な蔵書の量と古 の知識が醸し出す存在感で来訪者を圧倒する。
「また、父さんの書斎を散らかして。本当に本が好きなのね」
視界に入る数多の本が散らかり、文句を言いつつ、トリシャは書斎に足を踏み入れる。
その時、トリシャは床に落書きをするエドを見つけて注意する。
「あら!だめよ、そんな所に落書きしちゃ。父さんが帰って来たら怒るわよ」
「らくがきじゃないよ、見てて」
エドはそう言うと、床に描かれた紋様――錬成陣を発動する。
次の瞬間、まばゆい光と電気が弾ける。
突然の光と音に思わず片目を閉じた直後、床からヒヨコの形をした銅像が現れた。
「……………これ、錬金術よね?父さんに習ったの?」
呆気に取られるトリシャに、エドは頬を膨らまし、アルはさらりと答える。
「いない人に、どうやって習うのさ!」
「本よんだら、書いてあったよ」
「書いてあったって……あなた達、こんな難しいのがわかるの!?」
足をブラブラと揺らして、窓から差す陽光を明かりに本を読んでいる幼い兄弟。
幼稚っぽい仕草や文面を追うあどけない顔は、いかにも普通の子供のように見えるが、しかしその手にある物は、絵本や漫画の類 ではない。
公衆衛生の錬金術書だった。
「「なんとなく」」
仰天する母緒の顔を見上げて、声を揃える。
「………………」
難解な錬金術書をなんとなくで理解する二人の頭脳さに、トリシャは驚きを通り越してめまいを覚える。
「…………世の錬金術師が聞いたら、卒倒するわね……」
「やっちゃいけない事だった?」
「そんな事無いわ!たいしたものよ!」
しゅんと肩を落とすエドを安心させるように、トリシャは微笑みを返す。
そして、元気づけるように抱きしめた。
「さすが、父さんの子ね。母さん、みんなに自慢しちゃおう」
母親が喜び、誉めてくれる。
二人は顔を見合わせて笑顔を交わした。
そんな時、エルリック家に新たな家族が入ってきた。
きょとんとした顔で兄弟が目を移した母緒の傍らに、一人の少女が立っている。
顔を確かめ合う間も僅か、少女はさっとトリシャの背後に身を隠した。
「キョウコ。ご挨拶を」
「…キョウコ・アルジェントです。初めまして……」
トリシャの背中から半分顔を出しつつ、少女は恥ずかしそうに小さな声で自己紹介する。
「この子、お父さんとお母さんがいなくて、うちで暮らす事になったのよ。仲良くしてね」
トリシャの方は落ち着いたもので、少女――キョウコの肩に手を置き、ニコニコと続ける。
最初は何を話したらいいのか、お互いに戸惑ったものの、トリシャの計らいで物理的にも、精神的にも、距離が縮まった。
いくらキョウコが普通の子供とは違うといっても、警戒心が強く他人を嫌がる子だといっても、まだ幼子である。
時間が経つに連れ、慣れていくに連れ、徐々に明るい反応を見せるようになっていた。
抱きしめたくなるような愛しさに満ち溢れた、可愛らしい笑顔を。
ぱたぱたと室内を元気よく走り回る足音。
「エド、アル!ずっと気になってたんだけど、何読んでるの?」
エルリック家に引き取られたキョウコが書斎の扉を勢いよく開け放った。
澄んだ空ではなく、深い海を思わせる碧眼をキラキラと輝かせ、飛びつくように書斎に入ってくる。
いつものようにエドは床に錬成陣を描き、アルは寝っ転がって本を読んでいた。
幼子の読む本ではないが、二人はそれを特に苦にするでもなく、平然と文を吟味し、知識を咀嚼している。
時折、本に描かれた図を見て床に描き込んでいく様も、堂に入 っていた。
「「錬金術だよ」」
二人は声を揃えて返事する。
「錬金術?お父さんに習ったの?」
「いない人に、どうやって習うのさ!」
「本読んだら、書いてあったよ」
「へぇー」
キョウコは近くにあった本をパラパラとめくりつつ、何気なく目を通す。
「え……?」
何度かまばたきして、息を呑む。
ページをめくるごとにその顔が驚愕の色に染まっていく。
「え……!?」
「キョウコ、どうかしたの?」
「二人とも、こんな難しいのがわかるの!?」
キョウコはたまらず声を張り上げ、分厚い本を読み進める二人に詰め寄る。
「それ、母さんにも言われた」
「同じ事言うんだね」
二人は不思議そうに首を傾げる。
何を聞いているのかというより、何故そんなことを聞くのかという困惑した表情だ。
さらりと言われてしまい、キョウコはそれ以上、何も言い返せなくなる。
「………………コレ、子供のあたし達が読むような本じゃないよ。そんなのを読んでなんとなくでわかるなんて、信じられない」
やっぱり普通の人には難しすぎて圧倒されるんだなと、二人は今さら思い知らされた。
――「母さんが誉めてくれる」。
――たった、それだけの事が嬉しくて、オレ達は錬金術にのめり込んだ。
キョウコも錬金術を学ぼうと、兄弟と一緒に書斎に入り浸った。
崩れた本の山に埋もれたところを、トリシャに見つかってしまい、怒られる。
シチューに添えられた牛乳を美味しそうに飲んでいるキョウコとアルだが、エドは大量の汗を滲ませて押し黙っている。
(おかあさん)
アルが粗相した布団を干しながら、トリシャは苦笑いを浮かべ、本人は非常に情けない気分を抱えて顔を真っ赤にする。
エドはニヤニヤと笑いを堪えきれない様子で、キョウコは苦笑いを浮かべる。
(おかあさん)
錬成陣の描かれた紙を発動させると、瞬く間に鶴の折り紙ができあがった。
(おかあさん)
父親が不在ながら、トリシャの愛情により健やかに育つ三人は満面の笑顔でいた。
だから、失念していた。
日常なんてものは、いつだって唐突に予想もつかないことで、あっさりと崩れてしまうことに。
何かが倒れ込むような鈍い音。
野菜を採りに外に出ていた三人が何事かと思って家へ戻り、愕然とする。
『おかあさん!!』
力なく四肢を投げ出し、トリシャが倒れていた。
がらがらと音を立てて日常が崩れ落ちていく幻聴を聞きながら、歩み寄ったエドがトリシャを抱き起こす。
完全に意識を失っていた。
「え?おかあさん、どうしちゃったの!?しっかりして!」
「ダ、ダメだよ、アル!動かしちゃダメ!」
キョウコとアルのやり取りの声も遠く、エドの耳には届かない。
急に倒れたトリシャは流行り病にかかり、救いたい一心で付き添った看病も虚しく、帰らぬ人となってしまった。
真新しい墓碑の前で、葬儀はしめやかに執り行われた。
参列者達の最前列に立つ三人は込み上げてくるものを懸命に堪える。
「流行り病だそうだよ」
「悲しい事だ…子供三人を残して…」
「いや、もう一人は孤児らしいよ。ご主人が拾って来たらしい」
参列者達の交わす囁き声が、黒い喪服姿に身を包んだキョウコの耳に届く。
抑えられぬ悲しみに、顔は硬く強張っていた。
「ご主人、いたでしょう?」
「さぁ…どこにいるのやら、連絡もつかない」
「かわいそうに」
大人達の交わされる言葉に、黒い喪服姿に身を包んだ二人の小さな胸が痛んだ。
家族を残して旅立った父親の所在が未だ不明なことは、子供ながらわかっているつもりだ。
だがそれでもなお、母の死をただ嘆き悲しむことしかできない現状は、彼らの心を締めつける。
しかし、とうとう堪え切れずに墓前でボロボロと大粒の涙をこぼして泣きじゃくった。
やがて葬儀は終わり、参列者は帰っていった。
葬儀が終わってからも、エドはその場を一歩も動かず墓碑の前に座り込む。
「兄ちゃん、おなかすいた。さむいし、キョウコが心配してるよ、きっと。かえろうよぉ」
いつまでもそこに座り込むエドに、アルが泣きそうな顔になってすがるように唇を噛む。
「「…………」」
ぼんやりと遠い目で虚空を睨むエドの横顔を見つめるアル。
重苦しい時間がしばらくの間、無作為に流れていく。
その時だった。
「錬金術の本に、人造人間 っていうのがあるんだ。人間は、魂と精神と肉体の三つで、できてるんだって」
父親の書斎で読んだ本の内容が思い出される。
死者の蘇生・復活に関する研究だ。
「うん。ボクもよんだ事ある」
「……おかあさんを、元にもどせないかなぁ」
「でも、人間を作るのはやっちゃいけない事だって書いてあったよ」
「うん。だから、二人だけのひみつ」
トリシャの墓碑の前で、彼女を錬金術でよみがえらせる方法を探すことを約束する。
――生命を創り出す事に、なんの疑いも無かった。
――ただもう一度、母さんの笑顔が見たかった――――。
母親という存在……それが、二人の世界の全てだった。
兄弟が約束した、その数日後。
空に雲は少なく、青空。
机の上には鉛筆と消しゴム、ノートが広げられている。
そして、正面には黒板を使って算数を教える女性教師。
それを書き取りして覚える子供達。
「細胞が66%、細胞外液が24%。で…細胞外固形物が10%だろ?」
「ECW26%、ICW34%、脂質19%、蛋白質が、えーと…」
教科書をカモフラージュにして、二人はノートに複雑極まりない術式や人体を構成する成分表を書き込んでいく。
「やっぱ人体の構成成分からやった方が早いと思うんだ」
「えー?体蛋白の構造がわかれば、そっちの方が…」
さも当たり前のように桁違いな錬成理論を話す横で、キョウコは錬金術の基礎から勉強している。
「う~~~~~」
大人ならまだしも、まだ子供の――一部、例外もいるが――キョウコには、二人のレベルまで追いつけない。
頭のキレる人間は同じことが他人にできないことが不思議のように感じるらしいが、それは見事に逆だ。
「…エドワード君、アルフォンス君、キョウコちゃん。今は、算数の授業中なんだけどなー」
そう、今は算数の授業中――三人は授業などそっちのけで錬金術を専攻しているのだ。
「「だってつまんないだもん」」
「今はこっちの方が大事です」
なんかとんでもない言葉を吐いた途端、さすがに黙っていられなくなった女性教師の攻撃(チョーク投げ)が襲いかかる。
「白墨乱舞!!」
教師の飛び道具に対し、三人はガード(ノートで防御)の構え。
「「エルリックガード!!」」
「アルジェントガード!!」
すると、一人の男子が手を挙げた。
「せんせー。ウィンリィちゃん、寝てまーす」
ウィンリィは教科書に隠れて、涎を垂らして熟睡していた。
校舎から、放課後を知らせる鐘が鳴り始める。
先を大股で歩くエドの後ろを、キョウコ達がゆっくり歩く。
最近、学校の授業などそっちのけで別の勉強を始めた三人に、ウィンリィが思い切って訊ねた。
「最近、何を一生懸命勉強してんの?」
「「秘密!」」
「ウィンリィには関係ねーよ」
キョウコとアルが顔を綻ばせるのに対し、エドは素っ気なく言う。
「ずるい!いつも二人で、秘密にして!最近はキョウコも一緒なんだから!」
ぷー、と頬を膨らますウィンリィと別れて、二人は手を振る。
「ごめんね」
「へへー。じゃあね」
「今日の晩ごはんは、シチューだってさ」
「おう!また、後でな」
「「やたーー」」
夕食をご馳走になるためにロックベル家に寄る三人は一旦、帰途を共にする。
(――「じゃあな」――)
――それ以来、彼がリゼンブールに戻ってくることは二度となかった。
「何があった。全て話せ」
イズミの、頭ごなしに怒鳴りつけるのではない静かな確認は、それゆえに三人に大きな覚悟を求めた。
――テーブルの上に置かれた一通の手紙。
――封書を開け、中身を広げる。
(――「お父さんとお母さんが………イシュヴァールで…………!!」――)
――届いた手紙の内容にウィンリィは泣きじゃくり、ピナコは辛さを覚えて目を伏せる。
「…………」
表情の読めない鎧の顔をうつむかせ、黙り込むアル。
――流行り病にかかった母親は衰弱する身体に無理矢理、声を絞り出して懸命に話す。
(――「父さんの残してくれたお金ね、手を付けてないの。私にもしもの事があったら、それで、生活しなさい。三人で仲良くね」――)
キョウコは、複雑な内心を隠して顔を背ける。
――薄暗い部屋に描かれた錬成陣。
――見る人が見なければ、ただの複雑怪奇な錬成陣だろう。
(――「違う……!こんなのは、違う……!!」――)
――禁忌とされていた人体錬成に遭遇した代償として、彼女の髪と瞳の色は見たことのない黒に変わってしまった。
前髪で顔が隠されたエドは唇を噛みしめる。
――人体錬成という神の領域に踏み込んでしまった彼は錬成に失敗し、代償として左足を失った。
(――「あああああああああ」――)
――そして、身体の全てを失った弟を取り戻すために、右手を代償に錬成できたのは魂のみ。
(――「おめでとう。これで晴れて、軍の狗だ」――)
――ロイは拝命証を渡し、国家錬金術師として合格したことを告げた。
凍りついていた表情はやがて、少しずつ取り戻していく。
切なく、険しい顔つきを。
「何から話せば、いいのか……」
全ての始まりだった母との別れ、イズミとの出会い、そして禁断の人体錬成のことを。
蝉の鳴き声が、暑気の空気にじわりと染みつつあった。
「エド!アル!どこ?」
母親――トリシャが書斎の扉を開け、目を丸くした。
「あらま」
そこには、床に落書きをするエドと寝っ転がって本を読むアルがいた。
幼い背の遥か高みをいく無数の本棚が並び、その圧倒的な蔵書の量と
「また、父さんの書斎を散らかして。本当に本が好きなのね」
視界に入る数多の本が散らかり、文句を言いつつ、トリシャは書斎に足を踏み入れる。
その時、トリシャは床に落書きをするエドを見つけて注意する。
「あら!だめよ、そんな所に落書きしちゃ。父さんが帰って来たら怒るわよ」
「らくがきじゃないよ、見てて」
エドはそう言うと、床に描かれた紋様――錬成陣を発動する。
次の瞬間、まばゆい光と電気が弾ける。
突然の光と音に思わず片目を閉じた直後、床からヒヨコの形をした銅像が現れた。
「……………これ、錬金術よね?父さんに習ったの?」
呆気に取られるトリシャに、エドは頬を膨らまし、アルはさらりと答える。
「いない人に、どうやって習うのさ!」
「本よんだら、書いてあったよ」
「書いてあったって……あなた達、こんな難しいのがわかるの!?」
足をブラブラと揺らして、窓から差す陽光を明かりに本を読んでいる幼い兄弟。
幼稚っぽい仕草や文面を追うあどけない顔は、いかにも普通の子供のように見えるが、しかしその手にある物は、絵本や漫画の
公衆衛生の錬金術書だった。
「「なんとなく」」
仰天する母緒の顔を見上げて、声を揃える。
「………………」
難解な錬金術書をなんとなくで理解する二人の頭脳さに、トリシャは驚きを通り越してめまいを覚える。
「…………世の錬金術師が聞いたら、卒倒するわね……」
「やっちゃいけない事だった?」
「そんな事無いわ!たいしたものよ!」
しゅんと肩を落とすエドを安心させるように、トリシャは微笑みを返す。
そして、元気づけるように抱きしめた。
「さすが、父さんの子ね。母さん、みんなに自慢しちゃおう」
母親が喜び、誉めてくれる。
二人は顔を見合わせて笑顔を交わした。
そんな時、エルリック家に新たな家族が入ってきた。
きょとんとした顔で兄弟が目を移した母緒の傍らに、一人の少女が立っている。
顔を確かめ合う間も僅か、少女はさっとトリシャの背後に身を隠した。
「キョウコ。ご挨拶を」
「…キョウコ・アルジェントです。初めまして……」
トリシャの背中から半分顔を出しつつ、少女は恥ずかしそうに小さな声で自己紹介する。
「この子、お父さんとお母さんがいなくて、うちで暮らす事になったのよ。仲良くしてね」
トリシャの方は落ち着いたもので、少女――キョウコの肩に手を置き、ニコニコと続ける。
最初は何を話したらいいのか、お互いに戸惑ったものの、トリシャの計らいで物理的にも、精神的にも、距離が縮まった。
いくらキョウコが普通の子供とは違うといっても、警戒心が強く他人を嫌がる子だといっても、まだ幼子である。
時間が経つに連れ、慣れていくに連れ、徐々に明るい反応を見せるようになっていた。
抱きしめたくなるような愛しさに満ち溢れた、可愛らしい笑顔を。
ぱたぱたと室内を元気よく走り回る足音。
「エド、アル!ずっと気になってたんだけど、何読んでるの?」
エルリック家に引き取られたキョウコが書斎の扉を勢いよく開け放った。
澄んだ空ではなく、深い海を思わせる碧眼をキラキラと輝かせ、飛びつくように書斎に入ってくる。
いつものようにエドは床に錬成陣を描き、アルは寝っ転がって本を読んでいた。
幼子の読む本ではないが、二人はそれを特に苦にするでもなく、平然と文を吟味し、知識を咀嚼している。
時折、本に描かれた図を見て床に描き込んでいく様も、堂に
「「錬金術だよ」」
二人は声を揃えて返事する。
「錬金術?お父さんに習ったの?」
「いない人に、どうやって習うのさ!」
「本読んだら、書いてあったよ」
「へぇー」
キョウコは近くにあった本をパラパラとめくりつつ、何気なく目を通す。
「え……?」
何度かまばたきして、息を呑む。
ページをめくるごとにその顔が驚愕の色に染まっていく。
「え……!?」
「キョウコ、どうかしたの?」
「二人とも、こんな難しいのがわかるの!?」
キョウコはたまらず声を張り上げ、分厚い本を読み進める二人に詰め寄る。
「それ、母さんにも言われた」
「同じ事言うんだね」
二人は不思議そうに首を傾げる。
何を聞いているのかというより、何故そんなことを聞くのかという困惑した表情だ。
さらりと言われてしまい、キョウコはそれ以上、何も言い返せなくなる。
「………………コレ、子供のあたし達が読むような本じゃないよ。そんなのを読んでなんとなくでわかるなんて、信じられない」
やっぱり普通の人には難しすぎて圧倒されるんだなと、二人は今さら思い知らされた。
――「母さんが誉めてくれる」。
――たった、それだけの事が嬉しくて、オレ達は錬金術にのめり込んだ。
キョウコも錬金術を学ぼうと、兄弟と一緒に書斎に入り浸った。
崩れた本の山に埋もれたところを、トリシャに見つかってしまい、怒られる。
シチューに添えられた牛乳を美味しそうに飲んでいるキョウコとアルだが、エドは大量の汗を滲ませて押し黙っている。
(おかあさん)
アルが粗相した布団を干しながら、トリシャは苦笑いを浮かべ、本人は非常に情けない気分を抱えて顔を真っ赤にする。
エドはニヤニヤと笑いを堪えきれない様子で、キョウコは苦笑いを浮かべる。
(おかあさん)
錬成陣の描かれた紙を発動させると、瞬く間に鶴の折り紙ができあがった。
(おかあさん)
父親が不在ながら、トリシャの愛情により健やかに育つ三人は満面の笑顔でいた。
だから、失念していた。
日常なんてものは、いつだって唐突に予想もつかないことで、あっさりと崩れてしまうことに。
何かが倒れ込むような鈍い音。
野菜を採りに外に出ていた三人が何事かと思って家へ戻り、愕然とする。
『おかあさん!!』
力なく四肢を投げ出し、トリシャが倒れていた。
がらがらと音を立てて日常が崩れ落ちていく幻聴を聞きながら、歩み寄ったエドがトリシャを抱き起こす。
完全に意識を失っていた。
「え?おかあさん、どうしちゃったの!?しっかりして!」
「ダ、ダメだよ、アル!動かしちゃダメ!」
キョウコとアルのやり取りの声も遠く、エドの耳には届かない。
急に倒れたトリシャは流行り病にかかり、救いたい一心で付き添った看病も虚しく、帰らぬ人となってしまった。
真新しい墓碑の前で、葬儀はしめやかに執り行われた。
参列者達の最前列に立つ三人は込み上げてくるものを懸命に堪える。
「流行り病だそうだよ」
「悲しい事だ…子供三人を残して…」
「いや、もう一人は孤児らしいよ。ご主人が拾って来たらしい」
参列者達の交わす囁き声が、黒い喪服姿に身を包んだキョウコの耳に届く。
抑えられぬ悲しみに、顔は硬く強張っていた。
「ご主人、いたでしょう?」
「さぁ…どこにいるのやら、連絡もつかない」
「かわいそうに」
大人達の交わされる言葉に、黒い喪服姿に身を包んだ二人の小さな胸が痛んだ。
家族を残して旅立った父親の所在が未だ不明なことは、子供ながらわかっているつもりだ。
だがそれでもなお、母の死をただ嘆き悲しむことしかできない現状は、彼らの心を締めつける。
しかし、とうとう堪え切れずに墓前でボロボロと大粒の涙をこぼして泣きじゃくった。
やがて葬儀は終わり、参列者は帰っていった。
葬儀が終わってからも、エドはその場を一歩も動かず墓碑の前に座り込む。
「兄ちゃん、おなかすいた。さむいし、キョウコが心配してるよ、きっと。かえろうよぉ」
いつまでもそこに座り込むエドに、アルが泣きそうな顔になってすがるように唇を噛む。
「「…………」」
ぼんやりと遠い目で虚空を睨むエドの横顔を見つめるアル。
重苦しい時間がしばらくの間、無作為に流れていく。
その時だった。
「錬金術の本に、
父親の書斎で読んだ本の内容が思い出される。
死者の蘇生・復活に関する研究だ。
「うん。ボクもよんだ事ある」
「……おかあさんを、元にもどせないかなぁ」
「でも、人間を作るのはやっちゃいけない事だって書いてあったよ」
「うん。だから、二人だけのひみつ」
トリシャの墓碑の前で、彼女を錬金術でよみがえらせる方法を探すことを約束する。
――生命を創り出す事に、なんの疑いも無かった。
――ただもう一度、母さんの笑顔が見たかった――――。
母親という存在……それが、二人の世界の全てだった。
兄弟が約束した、その数日後。
空に雲は少なく、青空。
机の上には鉛筆と消しゴム、ノートが広げられている。
そして、正面には黒板を使って算数を教える女性教師。
それを書き取りして覚える子供達。
「細胞が66%、細胞外液が24%。で…細胞外固形物が10%だろ?」
「ECW26%、ICW34%、脂質19%、蛋白質が、えーと…」
教科書をカモフラージュにして、二人はノートに複雑極まりない術式や人体を構成する成分表を書き込んでいく。
「やっぱ人体の構成成分からやった方が早いと思うんだ」
「えー?体蛋白の構造がわかれば、そっちの方が…」
さも当たり前のように桁違いな錬成理論を話す横で、キョウコは錬金術の基礎から勉強している。
「う~~~~~」
大人ならまだしも、まだ子供の――一部、例外もいるが――キョウコには、二人のレベルまで追いつけない。
頭のキレる人間は同じことが他人にできないことが不思議のように感じるらしいが、それは見事に逆だ。
「…エドワード君、アルフォンス君、キョウコちゃん。今は、算数の授業中なんだけどなー」
そう、今は算数の授業中――三人は授業などそっちのけで錬金術を専攻しているのだ。
「「だってつまんないだもん」」
「今はこっちの方が大事です」
なんかとんでもない言葉を吐いた途端、さすがに黙っていられなくなった女性教師の攻撃(チョーク投げ)が襲いかかる。
「白墨乱舞!!」
教師の飛び道具に対し、三人はガード(ノートで防御)の構え。
「「エルリックガード!!」」
「アルジェントガード!!」
すると、一人の男子が手を挙げた。
「せんせー。ウィンリィちゃん、寝てまーす」
ウィンリィは教科書に隠れて、涎を垂らして熟睡していた。
校舎から、放課後を知らせる鐘が鳴り始める。
先を大股で歩くエドの後ろを、キョウコ達がゆっくり歩く。
最近、学校の授業などそっちのけで別の勉強を始めた三人に、ウィンリィが思い切って訊ねた。
「最近、何を一生懸命勉強してんの?」
「「秘密!」」
「ウィンリィには関係ねーよ」
キョウコとアルが顔を綻ばせるのに対し、エドは素っ気なく言う。
「ずるい!いつも二人で、秘密にして!最近はキョウコも一緒なんだから!」
ぷー、と頬を膨らますウィンリィと別れて、二人は手を振る。
「ごめんね」
「へへー。じゃあね」
「今日の晩ごはんは、シチューだってさ」
「おう!また、後でな」
「「やたーー」」
夕食をご馳走になるためにロックベル家に寄る三人は一旦、帰途を共にする。