第19話
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未だ激しい雨の中、人里離れた工房では誰もがせわしなく動き回る。
不安げな表情を堪えきれず、叫びたい気持ちを必死に抑えている。
何せ、妊婦の出産を手伝うという初めての経験だ。
「エドとアルは、お湯を沸かして」
「どっ…どれ位?」
「たくさん」
助産作業でリーダーシップを発揮して、てきぱきと兄弟に指示を出すのは、前回赤ん坊を取り上げると宣言したウィンリィであった。
「キョウコとパニーニャは、タオルをあるだけ集めて。リドルさん、消毒用アルコールありますか。それと、サテラさんの枕元に飲み水を」
他の三人にも指揮を取って助産に取りかかるウィンリィを、パニーニャは不安そうに見つめる。
「ど…どうなっちゃうのかな。ねぇ、大丈夫かなぁ」
「ウィンリィになんとかしてもらうしかねぇだろ」
「ウィンリィの家、医者の家系だから…あたし達が錬金術書をそうしてあったように、家にあった医学関連書を絵本代わりに読んで育ったから」
「それってちゃんと、学んだ訳じゃないんじゃ…」
「ああ。たぶん、うろ覚え程度の知識だろうな」
「ちょっ…」
二人が告げる言葉にパニーニャが全身を硬直させる。
「だけど!!今は、あいつの記憶と度胸にまかせるしか無いんだよ…!!」
彼女はサテラが待つ部屋の扉の前に立ち止まると、必死に記憶を手繰り寄せて医学書の知識を唱える。
「お湯沸かして…消毒して…………あと、何だっけ…思い出せ、思い出せ………」
顔は真っ青、ドアノブを握りしめる手が小刻みに震えるその姿からは、いつものような活発した調子が微塵も感じられない。
背中を冷たいものが流れる感触と、恐ろしい想像に青ざめながら頭の中に出産の手順を思い浮かべていると、後ろから声をかけられた。
「「ウィンリィ」」
自分と同じく表情に緊張を浮かべた兄弟が激励を送る。
「「がんばれ!」」
初めての出産の手伝いに怯え、恐怖と不安でたまらなかった心に決心がついた。
夫婦が心配そうに見つめる中、ウィンリィは力強く頷く。
「――うん!」
唇をきつく結んで覚悟を決めた幼馴染みを頼もしく思いながらキョウコもエプロンをつけ、パニーニャを呼ぶ。
「パニーニャ、中で手伝ってくれる?」
「うっ…うん!」
少女達が部屋に入ると扉は閉まり、残された兄弟はその時を待つだけとなった。
床に座り、息をひそめて赤ん坊の誕生を待っていると――。
「痛い、痛い、痛い!!!」
次の瞬間、喉が潰れんばかりに絶叫するサテラの大声。
そのあまりの大きさ強さに、兄弟は驚きのあまり飛び上がる。
「死んじゃう~~~!!う~~~~…痛い~~~!!」
サテラのむせび泣く声。
全身の神経を焼き切れるような激痛。
壁越しでもわかるほどの絶叫に兄弟は抱き合い、そのまましゃがみ込む。
「情け無い事に、今……心底『怖い』と思ってる…」
「ボクもだよ。こういう時は、アレだね。『神サマに祈る』」
「~~情け無ぇ…」
それからしばらくの間、微動だにせず、沈黙を保ち続ける。
部屋の中ではキョウコ達が滲む汗を拭いながら、母親の体内から出てくる赤ん坊を取り上げる。
リドルは激痛に顔を歪め、布を引っ張って力むサテラを心配そうに見つめる。
エドは耳を塞ぎ、アルは両手を組んでひたすら祈る。
激しい風で身体を揺さぶられ、雨で視界は悪い夜の道を、ドミニクは馬で走らせる。
普段は三人しか住んでいない工房も、しん、と耳を突くような静寂に包まれている。
サテラの出産と共に灯りがついてないことも相まって、もうすっかり暗闇だ。
静まり返った室内に、秒針の刻む音だけが妙に寒々しく反響していた。
「兄さん!」
不意に、アルが呼びかける。
視線の先には、出産の手伝いをしていたパニーニャが出てきた。
出てきた直後、立っていられなくなり、床に座り込んでしまう。
「おっ…おい!!」
焦燥混じりの声をあげ、エドは思わず駆け寄る。
「血…血が…もうダメ…」
床に座り込んだパニーニャは、朦朧とする意識の中、全く成り立たない言葉をつぶやく。
弾かれたように顔を上げると、徹夜で疲弊しきったキョウコが壁にもたれかかり、すっかり体力と気力を奪われたウィンリィが床に座り込んでいた。
「どうしたんだよ、おいっ!!」
慌てて訊ねると、ウィンリィが震える手つきでまっすぐ指差すと、耳に届く泣き声。
生まれたばかりの小さな赤ん坊がリドルの手に抱かれている。
父と母となった夫婦は兄弟に向けて穏やかな笑顔を浮かべた。
「…う…ま、れ」
開いた口が塞がらない。
無意識のうちに口から突いて出た。
「「たーーーーー!!」」
兄弟は両腕を上げて歓喜の声をあげる。
無事に赤ん坊が生まれた安心感にキョウコとウィンリィは脱力し、息を吐いた。
「なんだよ、パニーニャ!ビビらせんな、こんにゃろー!」
エドは身を乗り出し、床に突っ伏すパニーニャに向けて言う。
「血……あたし、血はダメなのよぉぉぉ…」
リドルは涙を浮かべながら、生まれたばかりの赤ん坊をサテラに見せる。
「がんばったな、サテラ」
「キョウコちゃんも、ウィンリィちゃんも、ありがとう」
「あとは産湯をお願いします」
「ああ、そうだった!」
キョウコとウィンリィがエプロンを脱ぐ後ろで、兄弟は喜びのダンスを始める。
「パパがおふろに入れてあげるよ~~」
鼻歌混じりに産湯の準備をしようと去っていくとエドは未だ興奮の収まらない様子で、すごい、と連呼する。
「すげー、本当に生まれたよ!すげー、すげー!!」
「すげー、すげーって、そんな子供みたいな感想を………」
「だって、おめー、生命の誕生だぞ!?錬金術師が何百年もかけて、未だ成し得てない『人間が人間を創る』っていう事をだな!女の人は、たった280日でやっちゃうんだぜ!?」
その頃、アルも産湯のための桶を持って、
「おてつだい」
湯の入ったヤカンを持つリドルに付き添う。
「生命の神秘を科学と一緒にするなんて、ロマンが無い!」
「う!!しょーがねぇだろ、職業柄よぉ」
と、そこで興奮気味だったエドはぴしゃりと言われて言葉を詰まらせ、口をつぐむ。
「…………うん、でもやっぱりすげーよ。人間って、すげー」
先程の発言を思い直して、言い換える。
が、やはりそれしか言えなかった。
飾り気がなく、まっすぐな彼の言葉に、ウィンリィは口許を緩ませていた。
その時になって、思い過ごしではなかったと気づいた。
異変にまず気づいたのはエドだった。
次にウィンリィで、その後にサテラだった。
キョウコの様子がおかしい。
壁に身体を預け、息苦しそうで、表情も苦しげだ。
「キョウコッ!」
エドが呼びかけた途端、そのままバランスを崩した。
危ういところで、その身体を受け止める。
「キョウコ!オイ、しっかりしろ!」
「キョウコ!?どうしたの!?」
ウィンリィが血相を変えて駆け寄ってくる。
エドの腕の中で、キョウコは弱々しい声でつぶやく。
「……ごめん。ちょっと、無理…し過ぎた――」
彼女の熱っぽくなった瞳が向けられる。
息は荒く、腕に触れる身体は熱い。
「動いちゃダメだ!」
「サテラさん、空いてる部屋はありませんか!?」
朦朧とする意識の中、完全にエドの胸へ顔を埋めた。
呼びかけても返事はない。
気を失っていた。
キョウコはエドに身体を抱きかかえられ、空いてる部屋のベッドで寝かせられた。
その場で待機するウィンリィの他に、事態を聞きつけたアルも駆けつける。
「兄さん!」
「どう?」
「熱が少し高いのが気になるが、典型的な風邪の症状に思える。でも、キョウコがただの風邪を引くなんて考えられない」
「原因はわからないの?エドとアルでも」
不安と心配さが入り混じったウィンリィの問いかけに、エドは視線を移す。
アルは鎧の瞳を翳 らせ、顔を伏せた。
「アル、おまえ、何か知ってるんだろ?」
「……………うん」
短い沈黙の中、アルが説明を始めた。
「兄さん達が工房に帰る際ただ一人、キョウコだけが橋の前に佇んでた。キョウコが何をしたいか、気づいてたけど………ボクは、どうして止めなかったんだろう」
アルはやるせない激情のあまり、部屋の壁を拳で殴りつけていた。
「本当にボクは何をしてたんだ!」
そんな悲痛にむせぶアルの姿に、ウィンリィは厳しい声音で注意する。
「アル、病人の側で大声を出すのはよくないわ」
が、その彼女も力なく首を振った。
「自分を責める必要はないわ。何もできなかったあたし達も同じだし、隠していたキョウコにも文句を言ってやりたいところよ」
「――ごめん」
アルは椅子に座ってうなだれる。
頭が混乱して、上手く思考がまとまらない。
感情も同じだ。
エドはベッドに横たわるキョウコへ、諦観に満ちた眼差しを向けて言い放つ。
「キョウコも、まさか自分がこんなに体調を崩すなんて思いもしてなかったんだろうな。だから、何でもないと隠していたかもしれない」
「……つまり、どういう事?」
「原因は錬金術による無理のしすぎだ。錬金術にも限度がある、キョウコはおっさんを一刻も早く医者に向かわせるために、無理をしたんだろうな」
沈痛な表情でアルを見下ろしていたウィンリィが訊ねた。
「でも、じゃあ、どうすれば……?」
「錬金術による疲労は、どうしようもないな。それにしても、くそ、タイミングが悪すぎる」
苛立った様子のエドだったが、落ち着かせるように息をつく。
「心配しなくてもいい。安静にしていれば、じきに回復してくる。オレ、キョウコの様子見てくる」
そう言い残して、エドは足早に部屋から出ていった。
ウィンリィは彼の後ろ姿を見送りながら、ふと思う。
「それにしても、キョウコったら壊れた橋をどうやって直したかしら……」
「…………そうだね」
しかし、問いかけに対する答えはそれだけだった。
「――アル?」
「ごめん。ボク、リドルさんの手伝いをしてる途中だった」
首を傾げ、意外そうに見つめてくるウィンリィの視線から逃げるように、アルは部屋を後にした。
何故かあの時、彼女が怖くなったのである。
ただ、彼女の後ろ姿が、怖いと思った。
こうして立っている今も、身が縮んでしまいそうなほどに。
焼け焦げた橋と自分の間に屹立する、小さな、しかし力に満ちた背中を。
ただ、彼は気づいていなかった。
シャツの袖先から覗く可憐な指に、錬成陣が描かれた手袋をはめていないことに。
高熱でキョウコが寝込んでいる部屋から出てきたエドはしばらくの間、そこに立ち尽くしていた。
非常にみっともなくも、周りを確認してみたりする。
元々、人が少ない以上、誰も見ているわけはないが、なんとなくである。
勿論、人影はなかった。
彼女の可憐なものと触れ合うことを思い出して、ゴクリ、と喉を鳴らす。
頬どころか顔全体が火のついたように熱くなり、情けないことに眩暈までしてきた。
「……………はあ……」
嫉妬心に駆られての行為に後悔が襲ってきて、深い溜め息をつく。
(あ~~~もう、この見栄っ張り)
寝不足気味の状態で髪を掻きむしりながら歩き、彼女達のいる部屋の扉を開ける。
「キョウコの様子はどう?」
「さっきよりはマシだ。アルは?」
「リドルさんのところに手伝いに行ったわ」
「そっか」
極度の緊張感で取り組んだ出来事が過ぎ、穏やかな時間を迎えてひとまず胸を撫で下ろすエドは腕を組んでウィンリィに話しかけた。
「おまえもすげーよ、たいしたもんだ」
「あはは!もっと誉めなさい!」
「子供は無事に生まれたし!あとオレに、できる事あるか?」
赤ん坊の出産を無事を喜び、少しは回復したのか晴れやかな顔でウィンリィと会話する横で、
「うーーーん、血ーーー、血がーーー」
血が苦手なパニーニャは未だ床に突っ伏してうなされている。
「そうね、とりあえず…」
言われて、ウィンリィは袖を引っ張った。
「………起こして」
「は?」
「安心して、腰が抜けちった…」
幼馴染みからの意外すぎる頼みごとに、エドは思わず噴き出した。
「自分よりちっさい男におんぶなんて、屈辱だわ…」
「落とすぞ、てめー」
体力も気力も使い果たして足腰の立たなくなったウィンリィを背負い、エドは近くにあった椅子を見つけた。
「ほんっとに、かわいげ無ぇな!」
「………………」
ぶつぶつとぼやく愚痴を聞きながら、ウィンリィは彼の横顔を見つめる。
戸惑いの色を浮かべ、それでいて申し訳ないような……そんな複雑な表情をしていた。
「………あのね」
「あ?」
そして、告げた。
不安げな表情を堪えきれず、叫びたい気持ちを必死に抑えている。
何せ、妊婦の出産を手伝うという初めての経験だ。
「エドとアルは、お湯を沸かして」
「どっ…どれ位?」
「たくさん」
助産作業でリーダーシップを発揮して、てきぱきと兄弟に指示を出すのは、前回赤ん坊を取り上げると宣言したウィンリィであった。
「キョウコとパニーニャは、タオルをあるだけ集めて。リドルさん、消毒用アルコールありますか。それと、サテラさんの枕元に飲み水を」
他の三人にも指揮を取って助産に取りかかるウィンリィを、パニーニャは不安そうに見つめる。
「ど…どうなっちゃうのかな。ねぇ、大丈夫かなぁ」
「ウィンリィになんとかしてもらうしかねぇだろ」
「ウィンリィの家、医者の家系だから…あたし達が錬金術書をそうしてあったように、家にあった医学関連書を絵本代わりに読んで育ったから」
「それってちゃんと、学んだ訳じゃないんじゃ…」
「ああ。たぶん、うろ覚え程度の知識だろうな」
「ちょっ…」
二人が告げる言葉にパニーニャが全身を硬直させる。
「だけど!!今は、あいつの記憶と度胸にまかせるしか無いんだよ…!!」
彼女はサテラが待つ部屋の扉の前に立ち止まると、必死に記憶を手繰り寄せて医学書の知識を唱える。
「お湯沸かして…消毒して…………あと、何だっけ…思い出せ、思い出せ………」
顔は真っ青、ドアノブを握りしめる手が小刻みに震えるその姿からは、いつものような活発した調子が微塵も感じられない。
背中を冷たいものが流れる感触と、恐ろしい想像に青ざめながら頭の中に出産の手順を思い浮かべていると、後ろから声をかけられた。
「「ウィンリィ」」
自分と同じく表情に緊張を浮かべた兄弟が激励を送る。
「「がんばれ!」」
初めての出産の手伝いに怯え、恐怖と不安でたまらなかった心に決心がついた。
夫婦が心配そうに見つめる中、ウィンリィは力強く頷く。
「――うん!」
唇をきつく結んで覚悟を決めた幼馴染みを頼もしく思いながらキョウコもエプロンをつけ、パニーニャを呼ぶ。
「パニーニャ、中で手伝ってくれる?」
「うっ…うん!」
少女達が部屋に入ると扉は閉まり、残された兄弟はその時を待つだけとなった。
床に座り、息をひそめて赤ん坊の誕生を待っていると――。
「痛い、痛い、痛い!!!」
次の瞬間、喉が潰れんばかりに絶叫するサテラの大声。
そのあまりの大きさ強さに、兄弟は驚きのあまり飛び上がる。
「死んじゃう~~~!!う~~~~…痛い~~~!!」
サテラのむせび泣く声。
全身の神経を焼き切れるような激痛。
壁越しでもわかるほどの絶叫に兄弟は抱き合い、そのまましゃがみ込む。
「情け無い事に、今……心底『怖い』と思ってる…」
「ボクもだよ。こういう時は、アレだね。『神サマに祈る』」
「~~情け無ぇ…」
それからしばらくの間、微動だにせず、沈黙を保ち続ける。
部屋の中ではキョウコ達が滲む汗を拭いながら、母親の体内から出てくる赤ん坊を取り上げる。
リドルは激痛に顔を歪め、布を引っ張って力むサテラを心配そうに見つめる。
エドは耳を塞ぎ、アルは両手を組んでひたすら祈る。
激しい風で身体を揺さぶられ、雨で視界は悪い夜の道を、ドミニクは馬で走らせる。
普段は三人しか住んでいない工房も、しん、と耳を突くような静寂に包まれている。
サテラの出産と共に灯りがついてないことも相まって、もうすっかり暗闇だ。
静まり返った室内に、秒針の刻む音だけが妙に寒々しく反響していた。
「兄さん!」
不意に、アルが呼びかける。
視線の先には、出産の手伝いをしていたパニーニャが出てきた。
出てきた直後、立っていられなくなり、床に座り込んでしまう。
「おっ…おい!!」
焦燥混じりの声をあげ、エドは思わず駆け寄る。
「血…血が…もうダメ…」
床に座り込んだパニーニャは、朦朧とする意識の中、全く成り立たない言葉をつぶやく。
弾かれたように顔を上げると、徹夜で疲弊しきったキョウコが壁にもたれかかり、すっかり体力と気力を奪われたウィンリィが床に座り込んでいた。
「どうしたんだよ、おいっ!!」
慌てて訊ねると、ウィンリィが震える手つきでまっすぐ指差すと、耳に届く泣き声。
生まれたばかりの小さな赤ん坊がリドルの手に抱かれている。
父と母となった夫婦は兄弟に向けて穏やかな笑顔を浮かべた。
「…う…ま、れ」
開いた口が塞がらない。
無意識のうちに口から突いて出た。
「「たーーーーー!!」」
兄弟は両腕を上げて歓喜の声をあげる。
無事に赤ん坊が生まれた安心感にキョウコとウィンリィは脱力し、息を吐いた。
「なんだよ、パニーニャ!ビビらせんな、こんにゃろー!」
エドは身を乗り出し、床に突っ伏すパニーニャに向けて言う。
「血……あたし、血はダメなのよぉぉぉ…」
リドルは涙を浮かべながら、生まれたばかりの赤ん坊をサテラに見せる。
「がんばったな、サテラ」
「キョウコちゃんも、ウィンリィちゃんも、ありがとう」
「あとは産湯をお願いします」
「ああ、そうだった!」
キョウコとウィンリィがエプロンを脱ぐ後ろで、兄弟は喜びのダンスを始める。
「パパがおふろに入れてあげるよ~~」
鼻歌混じりに産湯の準備をしようと去っていくとエドは未だ興奮の収まらない様子で、すごい、と連呼する。
「すげー、本当に生まれたよ!すげー、すげー!!」
「すげー、すげーって、そんな子供みたいな感想を………」
「だって、おめー、生命の誕生だぞ!?錬金術師が何百年もかけて、未だ成し得てない『人間が人間を創る』っていう事をだな!女の人は、たった280日でやっちゃうんだぜ!?」
その頃、アルも産湯のための桶を持って、
「おてつだい」
湯の入ったヤカンを持つリドルに付き添う。
「生命の神秘を科学と一緒にするなんて、ロマンが無い!」
「う!!しょーがねぇだろ、職業柄よぉ」
と、そこで興奮気味だったエドはぴしゃりと言われて言葉を詰まらせ、口をつぐむ。
「…………うん、でもやっぱりすげーよ。人間って、すげー」
先程の発言を思い直して、言い換える。
が、やはりそれしか言えなかった。
飾り気がなく、まっすぐな彼の言葉に、ウィンリィは口許を緩ませていた。
その時になって、思い過ごしではなかったと気づいた。
異変にまず気づいたのはエドだった。
次にウィンリィで、その後にサテラだった。
キョウコの様子がおかしい。
壁に身体を預け、息苦しそうで、表情も苦しげだ。
「キョウコッ!」
エドが呼びかけた途端、そのままバランスを崩した。
危ういところで、その身体を受け止める。
「キョウコ!オイ、しっかりしろ!」
「キョウコ!?どうしたの!?」
ウィンリィが血相を変えて駆け寄ってくる。
エドの腕の中で、キョウコは弱々しい声でつぶやく。
「……ごめん。ちょっと、無理…し過ぎた――」
彼女の熱っぽくなった瞳が向けられる。
息は荒く、腕に触れる身体は熱い。
「動いちゃダメだ!」
「サテラさん、空いてる部屋はありませんか!?」
朦朧とする意識の中、完全にエドの胸へ顔を埋めた。
呼びかけても返事はない。
気を失っていた。
キョウコはエドに身体を抱きかかえられ、空いてる部屋のベッドで寝かせられた。
その場で待機するウィンリィの他に、事態を聞きつけたアルも駆けつける。
「兄さん!」
「どう?」
「熱が少し高いのが気になるが、典型的な風邪の症状に思える。でも、キョウコがただの風邪を引くなんて考えられない」
「原因はわからないの?エドとアルでも」
不安と心配さが入り混じったウィンリィの問いかけに、エドは視線を移す。
アルは鎧の瞳を
「アル、おまえ、何か知ってるんだろ?」
「……………うん」
短い沈黙の中、アルが説明を始めた。
「兄さん達が工房に帰る際ただ一人、キョウコだけが橋の前に佇んでた。キョウコが何をしたいか、気づいてたけど………ボクは、どうして止めなかったんだろう」
アルはやるせない激情のあまり、部屋の壁を拳で殴りつけていた。
「本当にボクは何をしてたんだ!」
そんな悲痛にむせぶアルの姿に、ウィンリィは厳しい声音で注意する。
「アル、病人の側で大声を出すのはよくないわ」
が、その彼女も力なく首を振った。
「自分を責める必要はないわ。何もできなかったあたし達も同じだし、隠していたキョウコにも文句を言ってやりたいところよ」
「――ごめん」
アルは椅子に座ってうなだれる。
頭が混乱して、上手く思考がまとまらない。
感情も同じだ。
エドはベッドに横たわるキョウコへ、諦観に満ちた眼差しを向けて言い放つ。
「キョウコも、まさか自分がこんなに体調を崩すなんて思いもしてなかったんだろうな。だから、何でもないと隠していたかもしれない」
「……つまり、どういう事?」
「原因は錬金術による無理のしすぎだ。錬金術にも限度がある、キョウコはおっさんを一刻も早く医者に向かわせるために、無理をしたんだろうな」
沈痛な表情でアルを見下ろしていたウィンリィが訊ねた。
「でも、じゃあ、どうすれば……?」
「錬金術による疲労は、どうしようもないな。それにしても、くそ、タイミングが悪すぎる」
苛立った様子のエドだったが、落ち着かせるように息をつく。
「心配しなくてもいい。安静にしていれば、じきに回復してくる。オレ、キョウコの様子見てくる」
そう言い残して、エドは足早に部屋から出ていった。
ウィンリィは彼の後ろ姿を見送りながら、ふと思う。
「それにしても、キョウコったら壊れた橋をどうやって直したかしら……」
「…………そうだね」
しかし、問いかけに対する答えはそれだけだった。
「――アル?」
「ごめん。ボク、リドルさんの手伝いをしてる途中だった」
首を傾げ、意外そうに見つめてくるウィンリィの視線から逃げるように、アルは部屋を後にした。
何故かあの時、彼女が怖くなったのである。
ただ、彼女の後ろ姿が、怖いと思った。
こうして立っている今も、身が縮んでしまいそうなほどに。
焼け焦げた橋と自分の間に屹立する、小さな、しかし力に満ちた背中を。
ただ、彼は気づいていなかった。
シャツの袖先から覗く可憐な指に、錬成陣が描かれた手袋をはめていないことに。
高熱でキョウコが寝込んでいる部屋から出てきたエドはしばらくの間、そこに立ち尽くしていた。
非常にみっともなくも、周りを確認してみたりする。
元々、人が少ない以上、誰も見ているわけはないが、なんとなくである。
勿論、人影はなかった。
彼女の可憐なものと触れ合うことを思い出して、ゴクリ、と喉を鳴らす。
頬どころか顔全体が火のついたように熱くなり、情けないことに眩暈までしてきた。
「……………はあ……」
嫉妬心に駆られての行為に後悔が襲ってきて、深い溜め息をつく。
(あ~~~もう、この見栄っ張り)
寝不足気味の状態で髪を掻きむしりながら歩き、彼女達のいる部屋の扉を開ける。
「キョウコの様子はどう?」
「さっきよりはマシだ。アルは?」
「リドルさんのところに手伝いに行ったわ」
「そっか」
極度の緊張感で取り組んだ出来事が過ぎ、穏やかな時間を迎えてひとまず胸を撫で下ろすエドは腕を組んでウィンリィに話しかけた。
「おまえもすげーよ、たいしたもんだ」
「あはは!もっと誉めなさい!」
「子供は無事に生まれたし!あとオレに、できる事あるか?」
赤ん坊の出産を無事を喜び、少しは回復したのか晴れやかな顔でウィンリィと会話する横で、
「うーーーん、血ーーー、血がーーー」
血が苦手なパニーニャは未だ床に突っ伏してうなされている。
「そうね、とりあえず…」
言われて、ウィンリィは袖を引っ張った。
「………起こして」
「は?」
「安心して、腰が抜けちった…」
幼馴染みからの意外すぎる頼みごとに、エドは思わず噴き出した。
「自分よりちっさい男におんぶなんて、屈辱だわ…」
「落とすぞ、てめー」
体力も気力も使い果たして足腰の立たなくなったウィンリィを背負い、エドは近くにあった椅子を見つけた。
「ほんっとに、かわいげ無ぇな!」
「………………」
ぶつぶつとぼやく愚痴を聞きながら、ウィンリィは彼の横顔を見つめる。
戸惑いの色を浮かべ、それでいて申し訳ないような……そんな複雑な表情をしていた。
「………あのね」
「あ?」
そして、告げた。