第16話
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南部へと向かう汽車の中で、ウィンリィは思い切って訊ねた。
「なんでまた急に、師匠の所へ行こうなんて思ったの?」
エドは窓枠に腕をのせた頬に手をついて、キョウコは指を二の形にして答える。
「理由はふたつあるんだけどね」
「ここ最近、どうにも負けっぱなしでよ。キョウコに助けられてばっかしでさぁ。とにかく、強くなりたいと思ったのがひとつ」
なんとも言えない気分で溜め息をつきたくなるエドに、アルも同じ気持ちなのか自信を失くす。
「キョウコの方が強いって思う時があるんだよね」
連続殺人鬼・スカーと戦って、生きることを諦めかけた時も、元第五研究所でウロボロスの入れ墨を持つ謎の組織と対峙した時も。
兄弟がピンチの時に必ず駆けつけてくれる彼女の存在。
惨めと羞恥のせいだけではなかった。
自分達の不甲斐なさが悔しくて、あらゆる格好良さを目指す『少年という生き物』としては、かなりこたえるわけだが、それでも兄弟は、昨日までのような虚脱状態には陥らなかった。
これを気にしなくなった……いや、実はかなり気にしてはいるのだが……ともかく、その事実を認め、受け入れるだけの神妙な気持ちが、二人の胸の奥には生まれていた。
(――「大丈夫。二人は、あたしが護ってあげるから」――)
そう、彼女は言ってくれた。
キョウコは、表面上は焦りも苛立ちも見せない。
それどころか、兄弟が無様な姿を重ねる度に、優しく励ましてくれる。
「はぁ?ケンカに強くなりたくて行くの?あんたら、ケンカ馬鹿?」
「ばっきゃろー!そんな単純なもんじゃねぇや!!」
ある種、決意にも似たつぶやきを斬り捨てられて、当然のように眉をつり上げて言い返す。
「なんて言うか、こう……ケンカだけじゃなくて、中身もって言うか……なあ!」
「そう、そう!」
「オレは、もっともっと、強くなりたい!」
「うん!とにかく、師匠の所に行けば、何か強くなる気がする!」
語気を強めて顔を見合わせる兄弟に、ウィンリィはしばらく無言をもって応じた。
そして、肩をすくめながら軽い口調で言い放つ。
「そうね。エドにはもっともっと強くなってもらわないと、安心してキョウコを任せられないわ」
一見、なんでもない風を装う彼女の脳裏に、ヒューズの言葉が蘇る。
(――「キョウコはそんなに強く無い」――)
幼馴染みで、毅然として、強くて、頭が良くて、可愛くて……見る度に劣等感を刺激される、あまりにかっこいい女の子。
小さくても貫禄のある、見た目以上どころか、その幼い見た目にも、大きな存在感を表す彼女を『強く無い』と述べたヒューズの考えは、彼女にとって少し理解できないものだった。
次々と考えが脳裏を流れていき、途中で理由の二つ目に気づいて問いかけた。
「………ふたつめは?」
窓に目線を固定したままエドが力強く断言した。
「人体錬成について、師匠に聞く事!」
「あたし達、師匠の元で修行したって言っても、賢者の石や人体錬成については教えてもらってないんだよね」
そんなエドの断言に補足するように、キョウコが続ける。
「そう。賢者の石が色々とぶっそうな事になってるからさ。ここは思いきって、ストレートに元の身体に戻る方法を訊いてみようかと思ってんだ」
低く、抑制を効かせて言い放つエドの口調は、ただひたすら、厳しさのみがあった。
「もう、なりふりかまってらんねーや。師匠にぶっ殺される覚悟で訊いて…」
決意の面持ちで意気込みを語る。
しかし、それが尻すぼみになっていいく。
「訊いて…」
やけにビクついた表情で、言葉を呑み込んだ。
だが、怖がっているのは彼だけではない。
キョウコとアルも顔を青ざめてビクビクと縮こまっている。
師匠に会う前からすっかり意気消沈となった三人は早くも死を覚悟していた。
「短い人生だったなぁ。アル、キョウコ~~」
「この歳で、まだ死にたくないよ~~」
「せめて彼女だけでも作っておきたかったよ、兄さん…!!」
ウィンリィだけが首を傾げ、怪訝そうに三人を呼び寄せる。
「おーーい」
すると、アルが勢いよくキョウコの方へと顔を上げ、キラキラ輝く憧れの視線を向ける。
キョウコの腕を取り、自分の方へと引き寄せた。
「ボク、彼女はいらないや!!キョウコがいるから!それで充分!!」
「え……えぇぇっ!?」
「…うわ、アルったら大胆…」
抱きつかれたキョウコは真っ赤になって驚き、ウィンリィが唖然として見やる。
エドは拳を震わせて怒鳴る。
「アル……ッ!なに、キョウコに抱きついてんだ!?」
最初は呆気に取られた様子だったウィンリィだったが、妙な対抗心を燃やしてキョウコの腕に絡んできた。
「アルったらずるい!親友のあたしを差し置いて、キョウコにくっつくなんて!」
「ウィンリィまで!?」
「おまえら、何やってんだ!!」
左右両側から、挟み込むように抱きつく二人。
ウィンリィがキョウコの黒髪に顔をうずめて、アルが全身をすり寄せてくる。
この体勢は、こういう空気でさえなければ物凄くラッキーな気がしないでもないのだけれど――。
違う意味でドキドキはしても、今は無邪気に喜べる心の余裕を、キョウコは持ち合わせてはいないのだった。
当のエドは、目の前で繰り広げられる、うらやまっゲフンゲフン……光景に、ひくっ、と顔を痙攣させた。
「………ア、アル――」
「なあに、ヘタレな兄さん?」
アルは言いながら、しかし離れるどころか腕を絡めてきた。
それも軽くではなく、もっとこう――鎧の体を押し当てるように。
キョウコは美貌を強張らせ、
「うあ」
大人しそうに見えて好きな子には猛アピールする弟にヘタレ扱いされたエドは、動揺に歪んだ顔で叫ぶ。
「ヘッ――ヘヘヘタヘタヘタレって言うな!!」
「ヘタレ……確かにヘタレよね……エドは……ぷぷっ」
金髪の少年の積極性や物怖じのなさを思い出してか、ウィンリィもおかしそうに笑う。
「笑うなぁっ!!」
「じゃあ、エドもやってみなさいよ。キョウコに触れてみなさいよ」
エドは悔しそうな顔をして、くうっ、と奥歯を噛んだ。
「え、え、えとえとっ!もう、おふざけはそのくらいにしようね、二人とも!それと、エドも本気に……」
キョウコは慌てて二人の腕を振りほどいて、エドへと向き直る。
「……鵜呑みにしないで……」
「――キョウコ」
その時、遠慮がちな声がエドの口から漏れた。
「な、なに?」
キョウコがうろたえたように声をかけると、口を閉ざしたエドの顔が段々赤くなっていく。
しばらく躊躇するような表情で、恥ずかしそうにキョウコを見つめたエドの金の瞳に、ええい、ままよ、みたいな決意の光が灯った。
キョウコが、え?と思う間もなく、彼女の肩に手を回したエドは、細い身体を抱き寄せた。
アルとウィンリィの歓声が、背後から聞こえてくる。
「エ、エド……ッ」
耳まで赤くなって、恥ずかしそうに見上げると、エドは多少照れくさそうにしつつも勝ち誇った表情を浮かべ、茶化す二人を見下ろす。
「どうだ。オレだって少しは……」
「な、何いきなり…バカァッ!!」
「ぐはあっ」
でも、一瞬にして正気に戻ったキョウコにぶん殴られた。
「こっ、こういう事はこんな場所で……じゃなくて、心の準備が……でもなくて……たくまし……でもなくて……」
キョウコが真っ赤な顔して言い募る。
そこまで嫌な顔してないことを考えれば、問題ないのかもしれません。
正気に戻りましたし。
「アル、キョウコが殴るまでに要した時間は?」
「大体の計測だと五・三秒。思ったよりも頑張った方じゃないかな」
背後(アルとウィンリィ)が俄然盛り上がる中、キョウコが慌てて話題を逸らす。
「ウィンリィ、グレイシアさんから渡された物、あったでしょ!?」
「あ、そうだった!元気の出る物!」
親友の露骨な話題転換に苦笑しつつも、ウィンリィは持っていた紙袋をあさってバスケットを取り出す。
そうして、蓋を開けた中身は美味しそうなアップルパイが入っていた。
「じゃーーん、アップルパイだよーー♪」
「おっ。美味そう。どうしたんだ、これ」
「『途中で食べなさい』って、ヒューズさんの奥さんが作ってくれたの」
そうして四人は、グレイシアお手製のアップルパイを食べる運びとなった。
どう考えても一人分じゃきかない量のアップルパイを見て、エドは頬を引きつらせる。
「それにしても、多いな」
「あはは。4人分、作ってくれたみたいだよ」
「ボクの分も食べなよね。兄さん」
鎧の体のせいで飲食できないアルが、
「フフフフフフ」
と不敵な笑みを漏らす。
「ゔ!!病院での仕返しか、てめ、このヤロー」
病院での話を思い出して、動揺して上擦った声が出る。
アル以外の三人はアップルパイをそれぞれ一つ手に取り、口へと運ぶ。
サクサクとした食感と、リンゴの甘さが口いっぱいに広がり、思わず笑顔の舌鼓を打つ。
「うん、美味い!」
「グレイシアさん。すっごい料理上手なんだから」
「作り方教えてもらったから、アルが元の身体に戻ったらキョウコと一緒に作って焼いてあげるね」
「やたーーー!!」
アルは嬉しさに声を弾ませた。
エドはパイを食べながら、しみじみとつぶやく。
「…こういうのも『おふくろの味』って言うのかねえ」
「兄さん。年寄りくさい」
年齢の割に年寄りじみている兄の感想に、横合いからアルがつっこむ。
マース家の人々の広がりとつながりを感じ、笑い声が絶えない場所で過ごしたウィンリィは満面に喜色を湛え、心から言う。
「ヒューズさんも、奥さんも、エリシアちゃんも、すごくいい人だった」
「ヒューズ中佐って、やたらキョウコを溺愛してて、しかも親バカで世話焼きで、うっとーしいんだよなー」
「いっつも病室に、兄さんをからかいに来てたよね」
鬱陶しいと言いながらもその表情は満更でもなく、およそ軍人らしくないヒューズの人柄を語る。
「でも…………『毎日仕事で忙しい』って言いながら、しょっちゅうエドの見舞いに来てたけど」
「――今度、中央に行ったら、何か礼しなきゃな…」
窓から見える景色を眺めながら、エドとキョウコは微かに微笑んでつぶやいた。
晴天の青空のもと、棺は深い闇の中へと。
真新しい墓碑の前で、葬儀はしめやかに執り行われる。
喪主を務めるグレイシアと一緒に、エリシアは葬儀の様子を見つめる。
可憐な面差し。
だがその顔は今、抑えられられぬ悲しみに硬く強張っていた。
葬儀には多くの軍人達が参列しており、中でも一際目立つアームストロングや、突き立てた剣に両手を添えて立つブラッドレイ、帽子の陰で表情を隠すロイが立つ。
「……ママ。どうして、パパ埋めちゃうの?ねぇ。おじさんたち、どうして、パパ埋めちゃうの?」
幼い少女の声に、棺へと土を盛っていく者の手も止まる。
思いつめたようにグレイシアが名前を呼ぶが、エリシアの気持ちも言葉も止まらない。
「エリシア…」
「いやだよ…いやだよぅ…そんなことしたら、パパおしごとできなくなっちゃうよ…」
「エリ…」
3歳の子供に『死』を受け入れるとは、到底無理な話である。
グレイシアはハンカチで口許を覆い、目に涙を滲ませ、眉を下げて問いを投げるエリシアを力いっぱい抱きしめる。
本当は彼女も泣き出したいのだ。
だけど、娘に心配をかけるわけにはいかないと、必死に強がっているだけなのだ。
「パパ、お仕事いっぱいあるって言ってたもん」
その言葉に、アームストロングは思わず目許を押さえるが、堪える感情を抑えきれず、ついには涙を流す。
「いやだよ」
ブラッドレイの手も、心なしか震えている。
「埋めないでよ………」
ロイは未だ顔をうつむかせて、帽子の陰で表情を隠す。
「パパ……!!」
その呼び声は、取り巻く状況の中、どこまでも悲痛に響いた。
やがて葬儀は終わり、参列者は次々と帰っていった。
帽子を脱いでオールバックにした髪型のロイが一人、親友の墓標に佇む。
「殉職で、二階級特進…ヒューズ准将か……私の下について助力すると言っていた奴が、私より上に行ってどうするんだ、馬鹿者が」
どろり。
ロイは自分の心が、音を立てて濁るのを感じた。
それはどす黒く、おぞましいものであるが……久しく忘れかけていた、懐かしい感覚だ。
その感覚は、まるで過去に初めて出会った兄弟を呼び覚ます呼び水のようで――。
「キョウコが……悲しむぞ」
ヒューズの死を知って悲壮に歪むキョウコの顔が、ロイの脳裏を過ぎる。
しばらくの間、ロイは茫然と物思いに耽る。
「大佐」
背後から、聞き慣れた声がかけられた。
振り向くと、正装用の軍服を着たリザがコートを持って歩み寄る。
「風が出て冷えて来ましたよ。まだ、お戻りにならないのですか?」
「ああ…まったく、錬金術師というのはいやな生き物だな。中尉」
「なんでまた急に、師匠の所へ行こうなんて思ったの?」
エドは窓枠に腕をのせた頬に手をついて、キョウコは指を二の形にして答える。
「理由はふたつあるんだけどね」
「ここ最近、どうにも負けっぱなしでよ。キョウコに助けられてばっかしでさぁ。とにかく、強くなりたいと思ったのがひとつ」
なんとも言えない気分で溜め息をつきたくなるエドに、アルも同じ気持ちなのか自信を失くす。
「キョウコの方が強いって思う時があるんだよね」
連続殺人鬼・スカーと戦って、生きることを諦めかけた時も、元第五研究所でウロボロスの入れ墨を持つ謎の組織と対峙した時も。
兄弟がピンチの時に必ず駆けつけてくれる彼女の存在。
惨めと羞恥のせいだけではなかった。
自分達の不甲斐なさが悔しくて、あらゆる格好良さを目指す『少年という生き物』としては、かなりこたえるわけだが、それでも兄弟は、昨日までのような虚脱状態には陥らなかった。
これを気にしなくなった……いや、実はかなり気にしてはいるのだが……ともかく、その事実を認め、受け入れるだけの神妙な気持ちが、二人の胸の奥には生まれていた。
(――「大丈夫。二人は、あたしが護ってあげるから」――)
そう、彼女は言ってくれた。
キョウコは、表面上は焦りも苛立ちも見せない。
それどころか、兄弟が無様な姿を重ねる度に、優しく励ましてくれる。
「はぁ?ケンカに強くなりたくて行くの?あんたら、ケンカ馬鹿?」
「ばっきゃろー!そんな単純なもんじゃねぇや!!」
ある種、決意にも似たつぶやきを斬り捨てられて、当然のように眉をつり上げて言い返す。
「なんて言うか、こう……ケンカだけじゃなくて、中身もって言うか……なあ!」
「そう、そう!」
「オレは、もっともっと、強くなりたい!」
「うん!とにかく、師匠の所に行けば、何か強くなる気がする!」
語気を強めて顔を見合わせる兄弟に、ウィンリィはしばらく無言をもって応じた。
そして、肩をすくめながら軽い口調で言い放つ。
「そうね。エドにはもっともっと強くなってもらわないと、安心してキョウコを任せられないわ」
一見、なんでもない風を装う彼女の脳裏に、ヒューズの言葉が蘇る。
(――「キョウコはそんなに強く無い」――)
幼馴染みで、毅然として、強くて、頭が良くて、可愛くて……見る度に劣等感を刺激される、あまりにかっこいい女の子。
小さくても貫禄のある、見た目以上どころか、その幼い見た目にも、大きな存在感を表す彼女を『強く無い』と述べたヒューズの考えは、彼女にとって少し理解できないものだった。
次々と考えが脳裏を流れていき、途中で理由の二つ目に気づいて問いかけた。
「………ふたつめは?」
窓に目線を固定したままエドが力強く断言した。
「人体錬成について、師匠に聞く事!」
「あたし達、師匠の元で修行したって言っても、賢者の石や人体錬成については教えてもらってないんだよね」
そんなエドの断言に補足するように、キョウコが続ける。
「そう。賢者の石が色々とぶっそうな事になってるからさ。ここは思いきって、ストレートに元の身体に戻る方法を訊いてみようかと思ってんだ」
低く、抑制を効かせて言い放つエドの口調は、ただひたすら、厳しさのみがあった。
「もう、なりふりかまってらんねーや。師匠にぶっ殺される覚悟で訊いて…」
決意の面持ちで意気込みを語る。
しかし、それが尻すぼみになっていいく。
「訊いて…」
やけにビクついた表情で、言葉を呑み込んだ。
だが、怖がっているのは彼だけではない。
キョウコとアルも顔を青ざめてビクビクと縮こまっている。
師匠に会う前からすっかり意気消沈となった三人は早くも死を覚悟していた。
「短い人生だったなぁ。アル、キョウコ~~」
「この歳で、まだ死にたくないよ~~」
「せめて彼女だけでも作っておきたかったよ、兄さん…!!」
ウィンリィだけが首を傾げ、怪訝そうに三人を呼び寄せる。
「おーーい」
すると、アルが勢いよくキョウコの方へと顔を上げ、キラキラ輝く憧れの視線を向ける。
キョウコの腕を取り、自分の方へと引き寄せた。
「ボク、彼女はいらないや!!キョウコがいるから!それで充分!!」
「え……えぇぇっ!?」
「…うわ、アルったら大胆…」
抱きつかれたキョウコは真っ赤になって驚き、ウィンリィが唖然として見やる。
エドは拳を震わせて怒鳴る。
「アル……ッ!なに、キョウコに抱きついてんだ!?」
最初は呆気に取られた様子だったウィンリィだったが、妙な対抗心を燃やしてキョウコの腕に絡んできた。
「アルったらずるい!親友のあたしを差し置いて、キョウコにくっつくなんて!」
「ウィンリィまで!?」
「おまえら、何やってんだ!!」
左右両側から、挟み込むように抱きつく二人。
ウィンリィがキョウコの黒髪に顔をうずめて、アルが全身をすり寄せてくる。
この体勢は、こういう空気でさえなければ物凄くラッキーな気がしないでもないのだけれど――。
違う意味でドキドキはしても、今は無邪気に喜べる心の余裕を、キョウコは持ち合わせてはいないのだった。
当のエドは、目の前で繰り広げられる、うらやまっゲフンゲフン……光景に、ひくっ、と顔を痙攣させた。
「………ア、アル――」
「なあに、ヘタレな兄さん?」
アルは言いながら、しかし離れるどころか腕を絡めてきた。
それも軽くではなく、もっとこう――鎧の体を押し当てるように。
キョウコは美貌を強張らせ、
「うあ」
大人しそうに見えて好きな子には猛アピールする弟にヘタレ扱いされたエドは、動揺に歪んだ顔で叫ぶ。
「ヘッ――ヘヘヘタヘタヘタレって言うな!!」
「ヘタレ……確かにヘタレよね……エドは……ぷぷっ」
金髪の少年の積極性や物怖じのなさを思い出してか、ウィンリィもおかしそうに笑う。
「笑うなぁっ!!」
「じゃあ、エドもやってみなさいよ。キョウコに触れてみなさいよ」
エドは悔しそうな顔をして、くうっ、と奥歯を噛んだ。
「え、え、えとえとっ!もう、おふざけはそのくらいにしようね、二人とも!それと、エドも本気に……」
キョウコは慌てて二人の腕を振りほどいて、エドへと向き直る。
「……鵜呑みにしないで……」
「――キョウコ」
その時、遠慮がちな声がエドの口から漏れた。
「な、なに?」
キョウコがうろたえたように声をかけると、口を閉ざしたエドの顔が段々赤くなっていく。
しばらく躊躇するような表情で、恥ずかしそうにキョウコを見つめたエドの金の瞳に、ええい、ままよ、みたいな決意の光が灯った。
キョウコが、え?と思う間もなく、彼女の肩に手を回したエドは、細い身体を抱き寄せた。
アルとウィンリィの歓声が、背後から聞こえてくる。
「エ、エド……ッ」
耳まで赤くなって、恥ずかしそうに見上げると、エドは多少照れくさそうにしつつも勝ち誇った表情を浮かべ、茶化す二人を見下ろす。
「どうだ。オレだって少しは……」
「な、何いきなり…バカァッ!!」
「ぐはあっ」
でも、一瞬にして正気に戻ったキョウコにぶん殴られた。
「こっ、こういう事はこんな場所で……じゃなくて、心の準備が……でもなくて……たくまし……でもなくて……」
キョウコが真っ赤な顔して言い募る。
そこまで嫌な顔してないことを考えれば、問題ないのかもしれません。
正気に戻りましたし。
「アル、キョウコが殴るまでに要した時間は?」
「大体の計測だと五・三秒。思ったよりも頑張った方じゃないかな」
背後(アルとウィンリィ)が俄然盛り上がる中、キョウコが慌てて話題を逸らす。
「ウィンリィ、グレイシアさんから渡された物、あったでしょ!?」
「あ、そうだった!元気の出る物!」
親友の露骨な話題転換に苦笑しつつも、ウィンリィは持っていた紙袋をあさってバスケットを取り出す。
そうして、蓋を開けた中身は美味しそうなアップルパイが入っていた。
「じゃーーん、アップルパイだよーー♪」
「おっ。美味そう。どうしたんだ、これ」
「『途中で食べなさい』って、ヒューズさんの奥さんが作ってくれたの」
そうして四人は、グレイシアお手製のアップルパイを食べる運びとなった。
どう考えても一人分じゃきかない量のアップルパイを見て、エドは頬を引きつらせる。
「それにしても、多いな」
「あはは。4人分、作ってくれたみたいだよ」
「ボクの分も食べなよね。兄さん」
鎧の体のせいで飲食できないアルが、
「フフフフフフ」
と不敵な笑みを漏らす。
「ゔ!!病院での仕返しか、てめ、このヤロー」
病院での話を思い出して、動揺して上擦った声が出る。
アル以外の三人はアップルパイをそれぞれ一つ手に取り、口へと運ぶ。
サクサクとした食感と、リンゴの甘さが口いっぱいに広がり、思わず笑顔の舌鼓を打つ。
「うん、美味い!」
「グレイシアさん。すっごい料理上手なんだから」
「作り方教えてもらったから、アルが元の身体に戻ったらキョウコと一緒に作って焼いてあげるね」
「やたーーー!!」
アルは嬉しさに声を弾ませた。
エドはパイを食べながら、しみじみとつぶやく。
「…こういうのも『おふくろの味』って言うのかねえ」
「兄さん。年寄りくさい」
年齢の割に年寄りじみている兄の感想に、横合いからアルがつっこむ。
マース家の人々の広がりとつながりを感じ、笑い声が絶えない場所で過ごしたウィンリィは満面に喜色を湛え、心から言う。
「ヒューズさんも、奥さんも、エリシアちゃんも、すごくいい人だった」
「ヒューズ中佐って、やたらキョウコを溺愛してて、しかも親バカで世話焼きで、うっとーしいんだよなー」
「いっつも病室に、兄さんをからかいに来てたよね」
鬱陶しいと言いながらもその表情は満更でもなく、およそ軍人らしくないヒューズの人柄を語る。
「でも…………『毎日仕事で忙しい』って言いながら、しょっちゅうエドの見舞いに来てたけど」
「――今度、中央に行ったら、何か礼しなきゃな…」
窓から見える景色を眺めながら、エドとキョウコは微かに微笑んでつぶやいた。
晴天の青空のもと、棺は深い闇の中へと。
真新しい墓碑の前で、葬儀はしめやかに執り行われる。
喪主を務めるグレイシアと一緒に、エリシアは葬儀の様子を見つめる。
可憐な面差し。
だがその顔は今、抑えられられぬ悲しみに硬く強張っていた。
葬儀には多くの軍人達が参列しており、中でも一際目立つアームストロングや、突き立てた剣に両手を添えて立つブラッドレイ、帽子の陰で表情を隠すロイが立つ。
「……ママ。どうして、パパ埋めちゃうの?ねぇ。おじさんたち、どうして、パパ埋めちゃうの?」
幼い少女の声に、棺へと土を盛っていく者の手も止まる。
思いつめたようにグレイシアが名前を呼ぶが、エリシアの気持ちも言葉も止まらない。
「エリシア…」
「いやだよ…いやだよぅ…そんなことしたら、パパおしごとできなくなっちゃうよ…」
「エリ…」
3歳の子供に『死』を受け入れるとは、到底無理な話である。
グレイシアはハンカチで口許を覆い、目に涙を滲ませ、眉を下げて問いを投げるエリシアを力いっぱい抱きしめる。
本当は彼女も泣き出したいのだ。
だけど、娘に心配をかけるわけにはいかないと、必死に強がっているだけなのだ。
「パパ、お仕事いっぱいあるって言ってたもん」
その言葉に、アームストロングは思わず目許を押さえるが、堪える感情を抑えきれず、ついには涙を流す。
「いやだよ」
ブラッドレイの手も、心なしか震えている。
「埋めないでよ………」
ロイは未だ顔をうつむかせて、帽子の陰で表情を隠す。
「パパ……!!」
その呼び声は、取り巻く状況の中、どこまでも悲痛に響いた。
やがて葬儀は終わり、参列者は次々と帰っていった。
帽子を脱いでオールバックにした髪型のロイが一人、親友の墓標に佇む。
「殉職で、二階級特進…ヒューズ准将か……私の下について助力すると言っていた奴が、私より上に行ってどうするんだ、馬鹿者が」
どろり。
ロイは自分の心が、音を立てて濁るのを感じた。
それはどす黒く、おぞましいものであるが……久しく忘れかけていた、懐かしい感覚だ。
その感覚は、まるで過去に初めて出会った兄弟を呼び覚ます呼び水のようで――。
「キョウコが……悲しむぞ」
ヒューズの死を知って悲壮に歪むキョウコの顔が、ロイの脳裏を過ぎる。
しばらくの間、ロイは茫然と物思いに耽る。
「大佐」
背後から、聞き慣れた声がかけられた。
振り向くと、正装用の軍服を着たリザがコートを持って歩み寄る。
「風が出て冷えて来ましたよ。まだ、お戻りにならないのですか?」
「ああ…まったく、錬金術師というのはいやな生き物だな。中尉」