第15話
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鬱屈とした感情が、一挙に外へと決壊された激昂に、すぐ傍にいたエドは顔を歪めて絶句し、病室に入ったキョウコとウィンリィは立ち止まり、愕然とする。
「……好きで…こんな身体になったんじゃない……」
胸の奥の鈍い痛みを堪えるように、途切れ途切れに言葉を紡ぐアルに、エドは気の利いた言葉を何一つ返せない。
それでも、胸の奥底から湧いて浮かび上がる感情で、明確な決意と共に告げる。
「あ……悪かったよ……そうだよな。こうなったのも、オレのせいだもんな…だから、一日でも早く、アルを元に戻してやりたいよ」
「本当に元の身体に戻れるって保証は?」
「絶対に戻してやるから、オレを信じろよ!」
しかしアルは、明確な決意の言葉に反発する。
「『信じろ』って!!この空っぽ身体で、何を信じろって言うんだ……!!」
『信じる』という行為『考える』ということ、何もかも今は曖昧で、一番信じられないのは自分という存在。
「錬金術において人間は、肉体と精神と霊魂の三つから成ると言うけど!それを実験で証明した人はいたかい!?」
悲痛な叫びは病室の外にまで届き、二人の付き添いに来たヒューズは固唾を呑んで様子を窺い、護衛役のロスとブロッシュは困惑の色を示す。
「『記憶』だって突き詰めれれば、ただの『情報』でしかない…人工的に構築する事も可能なはずだ」
「おまえ、何言って…」
「…兄さん前に、ボクに怖くて言えない事があるって言ったよね。それはもしかして、ボクの魂も記憶も、本当は全部でっちあげた偽物だったって事じゃないのかい?」
人は、一度は考えるんじゃないだろうか。
今、自分のしている生活、それが全て夢なんじゃないか、自分は本当に存在しているのか、次の日の朝、起きたら全く違う自分がいて違う生活をしているんじゃないか。
良い方に考えられたら夢のある話だが、悪い方に考えると『自分』という存在自体が危うくなる諸刃の剣。
その鋭利な刃物を今、エドに向ける。
衝撃、というには、あまりに大きな。
弟の言っていることへの意味が、じわじわと理解されてくる。
脈絡のない言葉が、意味を持って繋がり始める。
「ねぇ兄さん、アルフォンス・エルリックという人間が、本当に存在したって証明はどうやって!?」
茫然とするしかいない兄へ、アルはどこまでも怒鳴りつけ、この世界全てを呪うように歪んだ声色で責め立てる。
「そうだよ…キョウコも、ウィンリィも、ばっちゃんも、皆でボクをだましてるって事もあり得るじゃないか!!どうなんだよ、兄さん!!」
バリーによって引き出された、奥底に潜む疑念を、容赦なく抉る。
その瞬間、エドが思い切り、両の拳で机を叩きつけた。
突如、割って入った大きな音に、それまで苛烈に責め立てていたアルは、ハッと我に返る。
「――ずっと、それを溜め込んでたのか?言いたい事は、それで全部か」
先程の感情的で威圧感を撒き散らすアルとは対照的な、静かで淡々とした声音で言い放つ。
アルはしばらくの間、口を堅く閉ざし……やがて、力なく頷いた。
「――そうか」
すると、エドは悲しそうに笑って立ち上がり、二人の傍を通り過ぎる。
「エドっ…!」
ウィンリィが慌てて呼び止めるが、彼は無言で病室を出た。
「……ウィンリィ、コレ借りるよ」
「えっ…」
目の前に飛び込んできた、影の黒に溶けるような、艶やかな長い髪がなびき、揺れる。
金髪の少女が何か言いかけているのを完全に無視し、駆け出す。
「…カ…」
後ろから微かな声が聞こえ、アルはゆっくりと振り返り――固まった。
そこには、キョウコが手にしたスパナを大きく振りかぶっていたからだ。
「バカーーーーっっ!!」
あらん限りの大声と共に、ごわん、という凄まじい音が響き、ウィンリィとヒューズ達は身をすくませる
鎧の体なので痛覚は感じられないが、それでもいきなり殴られたことに関しては怒りを隠せず、叫ぶ。
「いっ…いきなりなんだよ!!」
そんなアルに、キョウコは青筋を立てて荒い息を吐いていたが、その両目から大粒の涙をぼろぼろぼろっとこぼした。
「キョウッ…キョウコ……」
今までの剣幕が嘘のように、アルは身をすくませた。
「アルのバカちん!!」
「い゙」
再び、その頭にスパナが振り下ろされる。
怒らせた肩で大きく息を継ぐ、しかし、その顔は、悲しみに崩れていた。
「エドの気持ちも知らないで!!エドが怖くて言えなかった事ってのはね……アルが自分を恨んでるんじゃないかって事よ!!」
――左腕と右足を丸ごと持っていかれたエドは機械鎧にするべく、手術することを決めた。
――ベッドに力なく横たわるエドを、ウィンリィとピナコが心配そうに見守る。
――その時、エドが声を発した。
――うなされているのだ。
「…アルがあんな身体になったのは、オレのせいだ…あいつ、食べる事も眠る事も、痛みを感じる事もできないんだ…」
――無意識に右腕が持ち上がり、堪えるように顔を隠す。
――閉じられた瞳の端から、一筋の涙がこぼれた。
――凄まじい葛藤が小さな身体を駆け巡っているのが、傍から見ていてもよくわかった。
「キョウコだって、あんな髪と目になったのは、オレのせいだ…キレイな金髪と蒼い目をしてたのに、オレのせいで……………あいつら、きっとオレを恨んでる………!」
「そんな事ない!」
「アルとキョウコは、おまえを恨むような子達じゃないよ。訊いてみれば、わかるだろ」
――二人は聞こえてはいないだろう少年に呼びかける。
――今、彼は局部麻酔によって眠りにつけないほど苦しく、かといって自分を保ってはいられないほど意識が朦朧としているはずだ。
――十二歳の少年には味わわせるには、想像を絶する地獄である。
「怖いんだ…怖くて訊けないんだ…」
――込み上げる感情を抑え切れない、ひび割れた声が薄暗い手術室に低く響き渡る。
(だから、一日でも早く、オレが元に戻してやらなきゃ…)
――扉の隙間から僅かに漏れる小さな声を、部屋の外で聞いていたキョウコは我知らず、漆黒の相貌から耐えかねたように涙を流していた。
「機械鎧手術の痛みと熱にうなされながら、エド、毎晩泣いてたんだよ」
勢いに気圧されて座り込むアルへ、涙に濡れた目をぎゅっとつぶり、激情のままに叫ぶキョウコは何度も何度も、スパナで殴る。
「それを…それなのに、あんたはっ…自分の命を捨てる覚悟で、偽物の弟を作るバカが、どこの世界にいるってのよ!!」
肩を震わせながら、キョウコは服の袖で目許を乱暴に拭う。
そして、ここで全く思いもよらない行動に出た。
身を乗り出すと、大きな鎧の体を抱きしめる。
当然アルは、これまでの深刻な会話も脳裏から吹き飛び、ただ仰天して縮こまる。
しかし何故か、本当ならいつもなら持続するはずの混乱が、今だけは溶けていく。
代わりに、胸に詰まったものが心地よく解消されていくようだった。
すぐ近くで、キョウコの囁きが聞こえた。
「あんた達、たった二人の兄弟じゃないの」
呆気に取られるアルを前に、そこまで一気に激情のままにまくし立てていたキョウコが、不意にエドが立ち去った方向を指差して、命令口調で言った。
「追っかけなさい!」
「あ………うん」
のろのろと立ち上がると、キョウコの叱声が飛ぶ。
「駆け足!!」
「はいっ!!」
余裕のない走りで、兄の後を追う。
駆け足で走り去るアルを見送ったキョウコに、ウィンリィがおそるおそる声をかけた。
「……キョウコ」
「ウィンリィ、ごめん。スパナ返すね」
「そんな事はどうでもいいの。それより、キョウコもアルを追いなよ」
「え………?」
ためらいもなく紡がれた言葉と共に、ウィンリィの手がキョウコの肩をぐいぐいと押す。
「ちょっ、ウッ…ウィンリ……」
「ほら。早く、早く」
「…うん」
キョウコは首を傾げつつも、兄弟の後を追う。
病室の影から固唾を呑んで見守っていたヒューズが姿を現して、両の拳を握り固めるウィンリィに声をかける。
「……ウィンリィちゃん」
「キョウコが叱ってくれなかったら、多分、あたしも同じ事してたと思います」
ヒューズが微かに目を見張る。
今まで、キョウコの方に注目していたせいで気づかなかった。
彼女の顔は、涙に濡れていた。
人知れず、静かに泣いていたのだ。
「でも、アルを追っかけるのは、あたしじゃなくてキョウコの役目なんですよ」
病院の屋上に干された洗濯物が白くはためく。
エドは一人、手摺に腕をのせて、閑散とした風景を遠目に眺めていた。
キョウコの言いつけで、急いで走ったアルは静かに佇む兄の姿を見つける。
懸命に脳内で台詞を組み立て、
「………兄………」
ようやく口にした時、不意にエドが話しかけた。
「そういえば、しばらく組手やってないから、体がなまってきたな」
「へ?まだ傷が治ってないのに、何言ってんだよ……わぁ!?」
刹那、少年の体躯が躍動した。
まっすぐ繰り出した蹴りがアルの顎へ叩き込まれる。
アルは驚きに目を見開くと、咄嗟に首を真横に傾けてかわした。
エドは踏み込みから一気に地面を蹴ると、両の拳で連続突きを仕掛ける。
アルも拳を繰り出して受け止め、受け流し、叩き落とし、弾く。
一見、互角に、苛烈に攻撃を続けてはいるが――エドの様子が明らかにおかしい。
攻撃をさばくアルも気づいているのか、焦りの色が出始める。
「ちょっ…待った!待った、兄さん!!」
傷が治ってないのにもかかわらず、激しく身体を動かしていたため、その表情が苦痛に歪む。
「傷口がひらいちゃうよ!!」
構わず、エドは干してあるシーツへと手を伸ばし、目の前に広げる。
「…っ!?」
シーツにより視界が見えなくなったアルの脚の上に手をついたエドは駆け上がると、舞い上がる蹴りがその顔面を強襲する。
「あう」
勢いあまって、後ろへと倒れ込んだ。
「勝った!」
無様に転がるアルへ、エドは肩で大きく息を切らしながらも勝利を宣言した。
若干おぼつかない足取りで近づき、背中合わせに座り込む。
「へっへ…初めてアルに勝ったぞ」
アルはシーツを剥ぎながら抗議する。
「…ずるいよ。兄さん」
「うるせーや、勝ちは勝ちだ!」
そして、自分も仰向けに転がる。
そこに、少し遅れてキョウコが屋上にやって来たが、姿を見せずに扉の前で佇む。
「…………小さい頃から、いっぱいケンカしたよな。オレたち」
「うん」
「今思えば、くっだらねぇ事でケンカしたよな」
「二段ベッドの上か下か…とかね」
「あの時、オレ負けたな」
「おやつの事で、いつもケンカしてたっけ」
淡々と続く、兄弟の思い出話。
キョウコは神妙な表情で、静かに耳を傾ける。
「あ~~~。勝った覚えが無 ぇや。おもちゃの取り合いとか」
「ボクが勝った。レイン川で遊んでた時も」
「オレ、川につき落とされたっけな」
「師匠 の所で、修業中もケンカしたよね」
「キョウコに『いい加減やめなよ』って怒られて『やかましい』って師匠に半殺しにされたからドローだろ、あれは。オレがアルの本に落書きした時もな」
「ボクの圧勝だったね。『キョウコとウィンリィをお嫁さんにするのはどっちだ』ってケンカもした」
「え!?そんなの覚えてねーぞ!!」
急展開な話に、思わず驚きで声を荒げるエドと目を見開くキョウコ。
そして、アルは変わらない調子で肩をすくめてみせた。
「ウィンリィの方は、やっぱりボクが勝った。でも二人ともふられた」
「…あっそう…」
エドの話は、物凄く簡単に、端的に、あえてふざけたような口調で語られている。
だが、その軽い言葉の端に、一体どれほどの苦悩があったのか……なんでもさを装うその表情の端々に、それが見て取れてしまった。
「――全部、うその記憶だって言うのかよ」
「………ごめん」
記憶や、気持ち、それだけは確かな事実だ。
循環的だが、意思――信じることが力を持つというならば、彼の言葉を信じれば、それは自分にとっての真実になるに違いない。
「イーストシティで、お前言ったよな。『どんな事しても、元の身体に戻りたい』って。あの気持ちも、作り物だったって言うのか?」
寂しげに紡がれたエドの言葉に、アルは思わず押し黙る。
「…………作り物じゃない」
いつしか体の震えは止まり、憑き物が落ちたように、その顔から険が取れていた。
「そうだ。絶対にオレとアルとキョウコと三人で、元に戻るって決めたんだ。これしきの事で揺らぐような、ぬるい心でいられっかよ、オレは!」
強く拳を握りしめると、アルも同じように拳を固める。
そして、兄弟は拳を勢いよく空へと突き上げた。
「ケンカも心ももっと、強くなるぞ!」
身体と心をぶつけ合うことで、兄弟の絆はより深まった。
そこで嫌そうにつぶやく。
「…牛乳も…なるべく飲むぞ」
「はは」
アルがおかしそうに噴き出すと、キョウコも小さく笑う。
「キョウコ、いるんだろう」
不意に、名前を呼ばれたキョウコはびくりと身じろぎすると、扉を開けて屋上へと足を踏み入れた。
「――キョウコ!?」
足音が伝わり、アルは怯えたように顔を上げる。
お互いにすっきりしたんだな、と思いつつ兄弟の傍へ歩み寄ると、膝を曲げて座った。
「いつから気づいてた?」
「アルと組み手して、オレが勝ったところ」
アルには一度も勝ったことのないエドのこの発言に、キョウコは顔を振り向き、大きく目を見開いた。
「アルに勝ったの!?」
「違うよ!兄さんがズルして勝ったんだよ!」
「……好きで…こんな身体になったんじゃない……」
胸の奥の鈍い痛みを堪えるように、途切れ途切れに言葉を紡ぐアルに、エドは気の利いた言葉を何一つ返せない。
それでも、胸の奥底から湧いて浮かび上がる感情で、明確な決意と共に告げる。
「あ……悪かったよ……そうだよな。こうなったのも、オレのせいだもんな…だから、一日でも早く、アルを元に戻してやりたいよ」
「本当に元の身体に戻れるって保証は?」
「絶対に戻してやるから、オレを信じろよ!」
しかしアルは、明確な決意の言葉に反発する。
「『信じろ』って!!この空っぽ身体で、何を信じろって言うんだ……!!」
『信じる』という行為『考える』ということ、何もかも今は曖昧で、一番信じられないのは自分という存在。
「錬金術において人間は、肉体と精神と霊魂の三つから成ると言うけど!それを実験で証明した人はいたかい!?」
悲痛な叫びは病室の外にまで届き、二人の付き添いに来たヒューズは固唾を呑んで様子を窺い、護衛役のロスとブロッシュは困惑の色を示す。
「『記憶』だって突き詰めれれば、ただの『情報』でしかない…人工的に構築する事も可能なはずだ」
「おまえ、何言って…」
「…兄さん前に、ボクに怖くて言えない事があるって言ったよね。それはもしかして、ボクの魂も記憶も、本当は全部でっちあげた偽物だったって事じゃないのかい?」
人は、一度は考えるんじゃないだろうか。
今、自分のしている生活、それが全て夢なんじゃないか、自分は本当に存在しているのか、次の日の朝、起きたら全く違う自分がいて違う生活をしているんじゃないか。
良い方に考えられたら夢のある話だが、悪い方に考えると『自分』という存在自体が危うくなる諸刃の剣。
その鋭利な刃物を今、エドに向ける。
衝撃、というには、あまりに大きな。
弟の言っていることへの意味が、じわじわと理解されてくる。
脈絡のない言葉が、意味を持って繋がり始める。
「ねぇ兄さん、アルフォンス・エルリックという人間が、本当に存在したって証明はどうやって!?」
茫然とするしかいない兄へ、アルはどこまでも怒鳴りつけ、この世界全てを呪うように歪んだ声色で責め立てる。
「そうだよ…キョウコも、ウィンリィも、ばっちゃんも、皆でボクをだましてるって事もあり得るじゃないか!!どうなんだよ、兄さん!!」
バリーによって引き出された、奥底に潜む疑念を、容赦なく抉る。
その瞬間、エドが思い切り、両の拳で机を叩きつけた。
突如、割って入った大きな音に、それまで苛烈に責め立てていたアルは、ハッと我に返る。
「――ずっと、それを溜め込んでたのか?言いたい事は、それで全部か」
先程の感情的で威圧感を撒き散らすアルとは対照的な、静かで淡々とした声音で言い放つ。
アルはしばらくの間、口を堅く閉ざし……やがて、力なく頷いた。
「――そうか」
すると、エドは悲しそうに笑って立ち上がり、二人の傍を通り過ぎる。
「エドっ…!」
ウィンリィが慌てて呼び止めるが、彼は無言で病室を出た。
「……ウィンリィ、コレ借りるよ」
「えっ…」
目の前に飛び込んできた、影の黒に溶けるような、艶やかな長い髪がなびき、揺れる。
金髪の少女が何か言いかけているのを完全に無視し、駆け出す。
「…カ…」
後ろから微かな声が聞こえ、アルはゆっくりと振り返り――固まった。
そこには、キョウコが手にしたスパナを大きく振りかぶっていたからだ。
「バカーーーーっっ!!」
あらん限りの大声と共に、ごわん、という凄まじい音が響き、ウィンリィとヒューズ達は身をすくませる
鎧の体なので痛覚は感じられないが、それでもいきなり殴られたことに関しては怒りを隠せず、叫ぶ。
「いっ…いきなりなんだよ!!」
そんなアルに、キョウコは青筋を立てて荒い息を吐いていたが、その両目から大粒の涙をぼろぼろぼろっとこぼした。
「キョウッ…キョウコ……」
今までの剣幕が嘘のように、アルは身をすくませた。
「アルのバカちん!!」
「い゙」
再び、その頭にスパナが振り下ろされる。
怒らせた肩で大きく息を継ぐ、しかし、その顔は、悲しみに崩れていた。
「エドの気持ちも知らないで!!エドが怖くて言えなかった事ってのはね……アルが自分を恨んでるんじゃないかって事よ!!」
――左腕と右足を丸ごと持っていかれたエドは機械鎧にするべく、手術することを決めた。
――ベッドに力なく横たわるエドを、ウィンリィとピナコが心配そうに見守る。
――その時、エドが声を発した。
――うなされているのだ。
「…アルがあんな身体になったのは、オレのせいだ…あいつ、食べる事も眠る事も、痛みを感じる事もできないんだ…」
――無意識に右腕が持ち上がり、堪えるように顔を隠す。
――閉じられた瞳の端から、一筋の涙がこぼれた。
――凄まじい葛藤が小さな身体を駆け巡っているのが、傍から見ていてもよくわかった。
「キョウコだって、あんな髪と目になったのは、オレのせいだ…キレイな金髪と蒼い目をしてたのに、オレのせいで……………あいつら、きっとオレを恨んでる………!」
「そんな事ない!」
「アルとキョウコは、おまえを恨むような子達じゃないよ。訊いてみれば、わかるだろ」
――二人は聞こえてはいないだろう少年に呼びかける。
――今、彼は局部麻酔によって眠りにつけないほど苦しく、かといって自分を保ってはいられないほど意識が朦朧としているはずだ。
――十二歳の少年には味わわせるには、想像を絶する地獄である。
「怖いんだ…怖くて訊けないんだ…」
――込み上げる感情を抑え切れない、ひび割れた声が薄暗い手術室に低く響き渡る。
(だから、一日でも早く、オレが元に戻してやらなきゃ…)
――扉の隙間から僅かに漏れる小さな声を、部屋の外で聞いていたキョウコは我知らず、漆黒の相貌から耐えかねたように涙を流していた。
「機械鎧手術の痛みと熱にうなされながら、エド、毎晩泣いてたんだよ」
勢いに気圧されて座り込むアルへ、涙に濡れた目をぎゅっとつぶり、激情のままに叫ぶキョウコは何度も何度も、スパナで殴る。
「それを…それなのに、あんたはっ…自分の命を捨てる覚悟で、偽物の弟を作るバカが、どこの世界にいるってのよ!!」
肩を震わせながら、キョウコは服の袖で目許を乱暴に拭う。
そして、ここで全く思いもよらない行動に出た。
身を乗り出すと、大きな鎧の体を抱きしめる。
当然アルは、これまでの深刻な会話も脳裏から吹き飛び、ただ仰天して縮こまる。
しかし何故か、本当ならいつもなら持続するはずの混乱が、今だけは溶けていく。
代わりに、胸に詰まったものが心地よく解消されていくようだった。
すぐ近くで、キョウコの囁きが聞こえた。
「あんた達、たった二人の兄弟じゃないの」
呆気に取られるアルを前に、そこまで一気に激情のままにまくし立てていたキョウコが、不意にエドが立ち去った方向を指差して、命令口調で言った。
「追っかけなさい!」
「あ………うん」
のろのろと立ち上がると、キョウコの叱声が飛ぶ。
「駆け足!!」
「はいっ!!」
余裕のない走りで、兄の後を追う。
駆け足で走り去るアルを見送ったキョウコに、ウィンリィがおそるおそる声をかけた。
「……キョウコ」
「ウィンリィ、ごめん。スパナ返すね」
「そんな事はどうでもいいの。それより、キョウコもアルを追いなよ」
「え………?」
ためらいもなく紡がれた言葉と共に、ウィンリィの手がキョウコの肩をぐいぐいと押す。
「ちょっ、ウッ…ウィンリ……」
「ほら。早く、早く」
「…うん」
キョウコは首を傾げつつも、兄弟の後を追う。
病室の影から固唾を呑んで見守っていたヒューズが姿を現して、両の拳を握り固めるウィンリィに声をかける。
「……ウィンリィちゃん」
「キョウコが叱ってくれなかったら、多分、あたしも同じ事してたと思います」
ヒューズが微かに目を見張る。
今まで、キョウコの方に注目していたせいで気づかなかった。
彼女の顔は、涙に濡れていた。
人知れず、静かに泣いていたのだ。
「でも、アルを追っかけるのは、あたしじゃなくてキョウコの役目なんですよ」
病院の屋上に干された洗濯物が白くはためく。
エドは一人、手摺に腕をのせて、閑散とした風景を遠目に眺めていた。
キョウコの言いつけで、急いで走ったアルは静かに佇む兄の姿を見つける。
懸命に脳内で台詞を組み立て、
「………兄………」
ようやく口にした時、不意にエドが話しかけた。
「そういえば、しばらく組手やってないから、体がなまってきたな」
「へ?まだ傷が治ってないのに、何言ってんだよ……わぁ!?」
刹那、少年の体躯が躍動した。
まっすぐ繰り出した蹴りがアルの顎へ叩き込まれる。
アルは驚きに目を見開くと、咄嗟に首を真横に傾けてかわした。
エドは踏み込みから一気に地面を蹴ると、両の拳で連続突きを仕掛ける。
アルも拳を繰り出して受け止め、受け流し、叩き落とし、弾く。
一見、互角に、苛烈に攻撃を続けてはいるが――エドの様子が明らかにおかしい。
攻撃をさばくアルも気づいているのか、焦りの色が出始める。
「ちょっ…待った!待った、兄さん!!」
傷が治ってないのにもかかわらず、激しく身体を動かしていたため、その表情が苦痛に歪む。
「傷口がひらいちゃうよ!!」
構わず、エドは干してあるシーツへと手を伸ばし、目の前に広げる。
「…っ!?」
シーツにより視界が見えなくなったアルの脚の上に手をついたエドは駆け上がると、舞い上がる蹴りがその顔面を強襲する。
「あう」
勢いあまって、後ろへと倒れ込んだ。
「勝った!」
無様に転がるアルへ、エドは肩で大きく息を切らしながらも勝利を宣言した。
若干おぼつかない足取りで近づき、背中合わせに座り込む。
「へっへ…初めてアルに勝ったぞ」
アルはシーツを剥ぎながら抗議する。
「…ずるいよ。兄さん」
「うるせーや、勝ちは勝ちだ!」
そして、自分も仰向けに転がる。
そこに、少し遅れてキョウコが屋上にやって来たが、姿を見せずに扉の前で佇む。
「…………小さい頃から、いっぱいケンカしたよな。オレたち」
「うん」
「今思えば、くっだらねぇ事でケンカしたよな」
「二段ベッドの上か下か…とかね」
「あの時、オレ負けたな」
「おやつの事で、いつもケンカしてたっけ」
淡々と続く、兄弟の思い出話。
キョウコは神妙な表情で、静かに耳を傾ける。
「あ~~~。勝った覚えが
「ボクが勝った。レイン川で遊んでた時も」
「オレ、川につき落とされたっけな」
「
「キョウコに『いい加減やめなよ』って怒られて『やかましい』って師匠に半殺しにされたからドローだろ、あれは。オレがアルの本に落書きした時もな」
「ボクの圧勝だったね。『キョウコとウィンリィをお嫁さんにするのはどっちだ』ってケンカもした」
「え!?そんなの覚えてねーぞ!!」
急展開な話に、思わず驚きで声を荒げるエドと目を見開くキョウコ。
そして、アルは変わらない調子で肩をすくめてみせた。
「ウィンリィの方は、やっぱりボクが勝った。でも二人ともふられた」
「…あっそう…」
エドの話は、物凄く簡単に、端的に、あえてふざけたような口調で語られている。
だが、その軽い言葉の端に、一体どれほどの苦悩があったのか……なんでもさを装うその表情の端々に、それが見て取れてしまった。
「――全部、うその記憶だって言うのかよ」
「………ごめん」
記憶や、気持ち、それだけは確かな事実だ。
循環的だが、意思――信じることが力を持つというならば、彼の言葉を信じれば、それは自分にとっての真実になるに違いない。
「イーストシティで、お前言ったよな。『どんな事しても、元の身体に戻りたい』って。あの気持ちも、作り物だったって言うのか?」
寂しげに紡がれたエドの言葉に、アルは思わず押し黙る。
「…………作り物じゃない」
いつしか体の震えは止まり、憑き物が落ちたように、その顔から険が取れていた。
「そうだ。絶対にオレとアルとキョウコと三人で、元に戻るって決めたんだ。これしきの事で揺らぐような、ぬるい心でいられっかよ、オレは!」
強く拳を握りしめると、アルも同じように拳を固める。
そして、兄弟は拳を勢いよく空へと突き上げた。
「ケンカも心ももっと、強くなるぞ!」
身体と心をぶつけ合うことで、兄弟の絆はより深まった。
そこで嫌そうにつぶやく。
「…牛乳も…なるべく飲むぞ」
「はは」
アルがおかしそうに噴き出すと、キョウコも小さく笑う。
「キョウコ、いるんだろう」
不意に、名前を呼ばれたキョウコはびくりと身じろぎすると、扉を開けて屋上へと足を踏み入れた。
「――キョウコ!?」
足音が伝わり、アルは怯えたように顔を上げる。
お互いにすっきりしたんだな、と思いつつ兄弟の傍へ歩み寄ると、膝を曲げて座った。
「いつから気づいてた?」
「アルと組み手して、オレが勝ったところ」
アルには一度も勝ったことのないエドのこの発言に、キョウコは顔を振り向き、大きく目を見開いた。
「アルに勝ったの!?」
「違うよ!兄さんがズルして勝ったんだよ!」