第12話
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長い時間をかけて解読した、マルコーが書き記した賢者の石に関する暗号資料。
その結果が、石の材料は生きた人間であり、しかも一個を精製するのに複数の人間が必要だということ。
秘密裏に人体実験を行っていた第五研究所は今や、立ち入り禁止の廃墟。
研究所の最高責任者はスカーに殺された。
兄弟の部屋を出て、キョウコは下を向きながら早足で廊下を歩く。
(あの二人は、あんな事でくじける兄弟じゃない)
アームストロングにきつく言われても、元の身体に戻る手がかりが目の前にある以上、誰も兄弟を止めることはできない。
しかし彼女の足を急かせているのは、兄弟のやり取りのせいであることは明らかだった。
自分自身、それをよくわかっている。
深く息を吐き、長い黒髪を揺らしながら天井を仰ぐ。
「あの二人は……そろそろ研究所に着いた頃かな」
割り当てられた部屋に戻ると、後ろの結い髪に手をやる。
癖のつかない漆黒の髪が、躊躇なく解けた。
身体の力を抜き、ベッドに沈み込む。
(一緒に行きたい……なのに、あたしはこんなところで何をしてるの?二人の元へ行きづらいのは何故?自信の無さの表れ?)
苛立つ表情の影に、暗く重い気持ちを隠して、思い返す。
「……」
それは、力ずくでマルコーから賢者の石の研究資料を聞き出そうとした。
なんのためらいもなく、感情も感慨もなく、手段を選ばず、まるで別人のように銃口を突きつける自分の姿。
彼がそれを望むと、君は本気で思っているのかい、とマルコーは言っていた。
では、自分は?
目的のためならば、他は簡単に切り捨て、犠牲にできる。
けれど彼は……エドは、そうではないだろう。
自分の場合、理不尽な命令でも絶対的なのだが、それでは慰めにもならない。
もし、彼が自分まで避けてしまったら。
(あたしは、このまま旅を続ければいいのかな)
独りきりになると、笑顔も自信も、何もかも残らず潰 えた。
元を辿っていけば、キョウコは幼い頃に路頭でうずくまっているところを兄弟の父親に手を引かれ、リゼンブールにやって来たのだ。
慣れない土地に悩む人間関係、不安に揺れ戸惑ったりもしたが、時間が経つに連れ、慣れていくに連れ、徐々に明るい反応を見せるようになっていた。
何より、初めて家族の暖かさを感じた。
当たり前に生きていける日々を積み重ね、なんでもない普通の人々が連なり合って、それらが作られてゆけることの、素晴らしい実感を。
勿論『素晴らしい実感』には、辛さ苦しさも含まれている、
それが時に、どうしようもない孤独に見舞われる。
それが、浮かんでは消える。
「…………止めよう。考えるの」
一つの、癒えない傷、薄れない痛みが、キョウコの胸に滲んでいた。
過去のことと捨てるには辛く、今に留め続けるには苦しい、確かに残っている思いが。
ほんの数日で何が変わるわけもない煩悶を、今は首を振って払い、ベッドから起き上がる。
(おなかすいたな…)
そういえば食事も取ってない、とぼんやり思うキョウコの耳に、ロスの絶叫が届いた。
「……やっぱり」
呆れとも納得のつかない溜め息をつき、キョウコは苦笑いを浮かべて、迷うことなく向かった。
兄弟の様子を確認するために、ロスとブロッシュがドアを開けて部屋に入る。
すると、衝撃の光景が視界に飛び込んでくる。
「やられた!!」
誰もいない部屋。
開け放たれた窓からは、1本のロープが垂れていた。
「やけに静かだと思ったら……」
「あ~~~。職務怠慢でアームストロングにしぼり上げられるぅ~~~~」
「…あのガキども~!!護衛 の身にもなれって言うのよ!!」
ロスはロープ片手に、青筋をビシビシと立てる。
その時、部屋の出入り口にある扉が開かれた。
咄嗟に振り返ると、そこには黒髪をポニーテールに結ったキョウコの姿があった。
「…あの、どうしたんですか?二人とも」
「キョウコさん!見てくださいよ、コレ!あの兄弟が脱走したんです!」
窓から視線を外して部屋を見渡したが、施錠されたドアの他に出入りできそうな場所はない。
ロープが垂れる窓に向き直ると、夜風が髪を掻き乱した。
「おおよその事情は分かりました。では、行きましょう!」
不意にキョウコは言った。
「え…どこへ!?」
「キョウコさん、まさか…!?」
疑問符を浮かべるブロッシュと動揺を面 に出すロスに振り向き、キョウコは力強く告げる。
「決まってるじゃないですか!元第五研究所です!あたしも準備ができたらすぐ行きますので、ロス少尉とブロッシュ軍曹は先に元第五研究所に行ってください!!」
黒髪の少女がてきぱきと指示を出す。
主導権を握り、リーダーシップを取る少女の指示を、二人は受け入れた。
慌てて二人が部屋を出ていくのを確認すると、キョウコは窓の枠に手をかけた。
あいにくと育ちがよくないから、部屋は必ずドアから出入りするようには教えられなかった。
「普通に行くより、断然こっちの方が速いのよね」
そうつぶやきながら窓枠によじ登り、飛び降りる。
風圧でスカートがはためくが、誰も見ていないので気にせずに着地。
街頭に出ると、錬成陣の描かれた手袋がポケットにあることを確認し、脳内に地図で見た元第五研究所までの道筋を描き、両手を合わせる
途端、地面の一部が凍結し、それは無限にも続くかのように伸びる。
常人なら転びそうな場所を、キョウコは絶妙なバランスで氷の滑りを利用して、低く、速く、鋭く駆け抜ける。
アルを残して、疑惑の研究所に侵入したエド。
床一面に不気味な錬成陣が描かれた部屋で待ち受けていたのは、鎧に魂を定着させられた殺人鬼・スライサー。
現在は廃墟となっている研究所で、少年が錬成した刃とスライサーの握る剣が正面から激突していた。
「うぉらァあッ!!」
鋼の右手と剣が激しくぶつかり合い、金属音を立てながら刃を掠 らせ、いなす。
幾度となくぶつかり合う戦闘の途中で、不意に右肩から、ピシッ、と小さな音が響いた。
(なんだ…?肩に違和感が…)
右肩に違和感を覚えたエドは、そこでウィンリィからの忠告を思い出す。
(――「今回の機械鎧は、錆びにくくしたかわりに強度が下がったから、あんまり無茶は……」――)
日々のメンテナンスを怠っている幼馴染みを思ってか、機械鎧の素材である鋼のクロームを高くし、その代わりに強度が下がったとのこと。
大事な説明の途中にもかかわらず、すぐさま外の方に行ってしまったので、
「はっ!!そーいえば!!」
重大な事実に気づき、顔を青ざめた。
その間にも、剣の切っ先が頭上を通り抜ける。
「っとぉ!!」
咄嗟にエドは身を屈めて、首と胴が別れるのを避ける。
(こりゃ早く、ケリつけないとやばいな!)
スライサーは柄を持ち構えると、追い討ちの斬撃が放たれた。
その標的は当然、少年の小さな身体。
仰け反るように避けるが、前髪が一房断ち切られる。
回避と同時に身を捻って右手を床につき、バック転。
それを追うように突き出される剣尖によって右肩が一線、切り裂かれた。
「つ…」
距離を取ろうと退くエドの頭上を、スライサーの剣が飛び交う。
振り抜かれた斬撃をしゃがみ込んで回避し、そのまま反転。
その瞬間、息つく暇もなくスライサーが飛びかかる。
眼前で剣を振り上げ、剣の切っ先をエドの脳天に落としてきた。
それを迎え撃とうと――するわけもなく、今度はどう逃げるかというとことだけを、脳内演算処理をフル回転させて計算し始める。
正直に言えば、エドはスライサーとまともに戦っていない。
ただ、逃げ回っているだけだ。
「ぶはぁっ」
正面からまともに立ち向かえば、右腕の機械鎧が壊れてしまうだろう。
ようやく、張りつめていた息を吐き出す。
「…まるで、サルだな」
「んだと、コラ!!」
怒りに顔を歪めるエドを前に、スライサーは笑い声をあげた。
「はっはっは。久しぶりに手応えのある、元気な獲物でうれしいぞ。だが、その傷と疲労では、勝負は見えている」
軽口を叩きながら、地面に突き刺さった剣を抜く。
「表にいるおまえの仲間は、今ごろ私の連れが始末しているはずだ。助けに来る事はできんだろう」
「………よう。その連れって、強いのか?」
「強いぞ。私よりかは弱いがな」
外にいる、もう一人の見張りのことを自分より弱いと評価する。
「あっはっは!!だったら、心配いらねーや」
それを聞いたエドは思わず笑っていた。
体勢を立て直すため、
「よっこら」
と立ち上がる。
おどけてみせながらも、冷静に戦況を把握する。
「オレ昔っから、あいつとケンカして、勝った事無いんだ」
冷静に彼我の戦力差を考慮して――こめかみを流れる血を手で拭い、不敵に口の端をつり上げた。
アルの拳が、66の頬を強く叩き潰す。
「でええええ!!」
みっともない悲鳴をあげて地面に吹き飛ばされる。
すぐさま体勢を立て直し、66は素早く起き上がった。
「にゃろォ~~~~!!」
苛立ちを募らせて逆上し、半身に構えるアルへと迫る。
「ちっとは、おとなしく、斬られ、やがれってんだ…」
大包丁で斬りかかるが、やはりアルに掌で受け流され、軌道を避けられる。
「このデカブツ!!痛くしねェからよ!!」
「んな事言われても………」
うんざりしながらも、抵抗の素振りを見せて迎え撃つ。
もっとも、迎え撃つといっても66に反撃するのではなく、攻撃の全てをいなし、かわし続けていた。
一歩、二歩と66の間合いを空けていると、足元の岩につまづき、鎧の体がよろめいた。
「あ!?」
「ラッキ!!」
声を弾ませた66はもう一本の包丁をアルの右肘へと突き刺し、固定させる。
「肩ロース、いただき!!」
嬉々として大包丁を振り下ろすが、しかし固定した包丁が突如として折れ、66は仰天した。
「うェ!?」
刹那、驚愕の表情で固まる66の頭部が突如として弾かれ、胴体から外れた。
「えっ!?」
これにはアルも驚きの声をあげ、後ろを振り返る。
右手をまっすぐ伸ばしたキョウコが立っていた。
「キョウコ!」
「危なかったわね、アル」
頭部がない66を見据えながら、アルの隣へと歩み寄る。
彼女に黙って行ってしまったことに、申し訳なさを覚える。
「キョウコ、ごめんね。兄さんとボクだけで行っちゃって…」
「平気よ、わかってた事だし。一応、念は押しといたけど、やっぱり無理するんだもん」
「でも、さっきのアレはなんだったの?《スノー・ブラック》は?」
彼女の腰に巻かれている、ベルトのホルスターに収められた愛銃《スノー・ブラック》がない。
「えーと…急いで来たもんだから、ベルトごと忘れてきちゃったの」
キョウコは頬を掻いて苦笑いを浮かべる。
その右の掌から微かな音が聞こえ、銃弾を象 った氷が二発、指の間に挟まっていた。
「そして、コレは空気中の水分を氷に変えて、氷弾に錬成。それを銃のように撃ったのよ。でも、普通の弾と同じだから、一度撃った後は使い捨てになるんだけどね」
掌を開くと、弾頭のない氷弾がばらばらと落ちる。
「そういう使い方もあるんだね……」
「小娘かよ……油断して、頭が落ちちまったじゃねェか」
頭が落ちたのにもかかわらず、66は鈍く起き上がった。
その中身は、無機質な空洞だった。
キョウコとアルは、自分達の他に――つまり、魂を鎧に定着させた者が実在していることに驚きを隠せずにいた。
「その身体……」
「空っぽ!?」
「げっへっへっ。ちょいと訳ありでなァ…」
66は外れた頭部を指の上で器用に回し、元の位置に戻す。
「――そうだ。昔話をしてやろう。おめェらも聞いた事あるだろ、バリーっつう肉屋の話だ」
唐突に、昔話を語り始めた。
「昔、ここ、セントラルシティに、バリーという肉屋のおやじがいました。バリーは肉を斬り分けるのが、それはもう大好きでした」
66の突然の昔語りに、キョウコは戸惑う。
「でもある日、牛や豚だけで我慢できなくなったバリーは…夜な夜な街に出ては、人間を解体するようになったのです」
悦に入った66が話している間に、アルは声を潜めてキョウコに話しかける。
「キョウコ、この人が話してる間に、早く兄さんのところに」
「え?でも、アルは…」
「ボクなら大丈夫。さっ、早く」
「う……うん」
キョウコは実に複雑な表情で応じ、66に悟られないよう静かに走り出した。
一人きりとなったアルは律儀に66の昔語りに耳を傾ける。
「やがてバリーは捕まりましたが、それまでに餌食になった人間は23人!!中央市民を恐怖のどん底にたたき込んだ、その男の行き先は当然絞首台でした。めでたし、めでたし!」
元は精肉店の店主だったが、肉切りが高じて人間を切り刻むようになった連続殺人鬼。
やがて逮捕された彼は死刑となった。
だが、話はこれだけでは終わらなかった。
「…てのが、世の中に出回ってる昔話。ところが、この昔話には、実は続きがあってよォ。バリーは絞首台で死んだ事になってるが、それは表向きの話だ。奴はとあるガードマンになる事を条件に、死刑をまぬがれた…ただし、肉体を取り上げられ、魂のみ鉄の身体に定着させられてなァ」
巷を騒がせた凶悪な殺人鬼の彼は刑務所に収監されたが、実験材料にされて魂を鎧に定着されたらしい。
そして現在、研究所に招かれざる侵入者を妨げるため、番人として日夜見張っている。
その結果が、石の材料は生きた人間であり、しかも一個を精製するのに複数の人間が必要だということ。
秘密裏に人体実験を行っていた第五研究所は今や、立ち入り禁止の廃墟。
研究所の最高責任者はスカーに殺された。
兄弟の部屋を出て、キョウコは下を向きながら早足で廊下を歩く。
(あの二人は、あんな事でくじける兄弟じゃない)
アームストロングにきつく言われても、元の身体に戻る手がかりが目の前にある以上、誰も兄弟を止めることはできない。
しかし彼女の足を急かせているのは、兄弟のやり取りのせいであることは明らかだった。
自分自身、それをよくわかっている。
深く息を吐き、長い黒髪を揺らしながら天井を仰ぐ。
「あの二人は……そろそろ研究所に着いた頃かな」
割り当てられた部屋に戻ると、後ろの結い髪に手をやる。
癖のつかない漆黒の髪が、躊躇なく解けた。
身体の力を抜き、ベッドに沈み込む。
(一緒に行きたい……なのに、あたしはこんなところで何をしてるの?二人の元へ行きづらいのは何故?自信の無さの表れ?)
苛立つ表情の影に、暗く重い気持ちを隠して、思い返す。
「……」
それは、力ずくでマルコーから賢者の石の研究資料を聞き出そうとした。
なんのためらいもなく、感情も感慨もなく、手段を選ばず、まるで別人のように銃口を突きつける自分の姿。
彼がそれを望むと、君は本気で思っているのかい、とマルコーは言っていた。
では、自分は?
目的のためならば、他は簡単に切り捨て、犠牲にできる。
けれど彼は……エドは、そうではないだろう。
自分の場合、理不尽な命令でも絶対的なのだが、それでは慰めにもならない。
もし、彼が自分まで避けてしまったら。
(あたしは、このまま旅を続ければいいのかな)
独りきりになると、笑顔も自信も、何もかも残らず
元を辿っていけば、キョウコは幼い頃に路頭でうずくまっているところを兄弟の父親に手を引かれ、リゼンブールにやって来たのだ。
慣れない土地に悩む人間関係、不安に揺れ戸惑ったりもしたが、時間が経つに連れ、慣れていくに連れ、徐々に明るい反応を見せるようになっていた。
何より、初めて家族の暖かさを感じた。
当たり前に生きていける日々を積み重ね、なんでもない普通の人々が連なり合って、それらが作られてゆけることの、素晴らしい実感を。
勿論『素晴らしい実感』には、辛さ苦しさも含まれている、
それが時に、どうしようもない孤独に見舞われる。
それが、浮かんでは消える。
「…………止めよう。考えるの」
一つの、癒えない傷、薄れない痛みが、キョウコの胸に滲んでいた。
過去のことと捨てるには辛く、今に留め続けるには苦しい、確かに残っている思いが。
ほんの数日で何が変わるわけもない煩悶を、今は首を振って払い、ベッドから起き上がる。
(おなかすいたな…)
そういえば食事も取ってない、とぼんやり思うキョウコの耳に、ロスの絶叫が届いた。
「……やっぱり」
呆れとも納得のつかない溜め息をつき、キョウコは苦笑いを浮かべて、迷うことなく向かった。
兄弟の様子を確認するために、ロスとブロッシュがドアを開けて部屋に入る。
すると、衝撃の光景が視界に飛び込んでくる。
「やられた!!」
誰もいない部屋。
開け放たれた窓からは、1本のロープが垂れていた。
「やけに静かだと思ったら……」
「あ~~~。職務怠慢でアームストロングにしぼり上げられるぅ~~~~」
「…あのガキども~!!
ロスはロープ片手に、青筋をビシビシと立てる。
その時、部屋の出入り口にある扉が開かれた。
咄嗟に振り返ると、そこには黒髪をポニーテールに結ったキョウコの姿があった。
「…あの、どうしたんですか?二人とも」
「キョウコさん!見てくださいよ、コレ!あの兄弟が脱走したんです!」
窓から視線を外して部屋を見渡したが、施錠されたドアの他に出入りできそうな場所はない。
ロープが垂れる窓に向き直ると、夜風が髪を掻き乱した。
「おおよその事情は分かりました。では、行きましょう!」
不意にキョウコは言った。
「え…どこへ!?」
「キョウコさん、まさか…!?」
疑問符を浮かべるブロッシュと動揺を
「決まってるじゃないですか!元第五研究所です!あたしも準備ができたらすぐ行きますので、ロス少尉とブロッシュ軍曹は先に元第五研究所に行ってください!!」
黒髪の少女がてきぱきと指示を出す。
主導権を握り、リーダーシップを取る少女の指示を、二人は受け入れた。
慌てて二人が部屋を出ていくのを確認すると、キョウコは窓の枠に手をかけた。
あいにくと育ちがよくないから、部屋は必ずドアから出入りするようには教えられなかった。
「普通に行くより、断然こっちの方が速いのよね」
そうつぶやきながら窓枠によじ登り、飛び降りる。
風圧でスカートがはためくが、誰も見ていないので気にせずに着地。
街頭に出ると、錬成陣の描かれた手袋がポケットにあることを確認し、脳内に地図で見た元第五研究所までの道筋を描き、両手を合わせる
途端、地面の一部が凍結し、それは無限にも続くかのように伸びる。
常人なら転びそうな場所を、キョウコは絶妙なバランスで氷の滑りを利用して、低く、速く、鋭く駆け抜ける。
アルを残して、疑惑の研究所に侵入したエド。
床一面に不気味な錬成陣が描かれた部屋で待ち受けていたのは、鎧に魂を定着させられた殺人鬼・スライサー。
現在は廃墟となっている研究所で、少年が錬成した刃とスライサーの握る剣が正面から激突していた。
「うぉらァあッ!!」
鋼の右手と剣が激しくぶつかり合い、金属音を立てながら刃を
幾度となくぶつかり合う戦闘の途中で、不意に右肩から、ピシッ、と小さな音が響いた。
(なんだ…?肩に違和感が…)
右肩に違和感を覚えたエドは、そこでウィンリィからの忠告を思い出す。
(――「今回の機械鎧は、錆びにくくしたかわりに強度が下がったから、あんまり無茶は……」――)
日々のメンテナンスを怠っている幼馴染みを思ってか、機械鎧の素材である鋼のクロームを高くし、その代わりに強度が下がったとのこと。
大事な説明の途中にもかかわらず、すぐさま外の方に行ってしまったので、
「はっ!!そーいえば!!」
重大な事実に気づき、顔を青ざめた。
その間にも、剣の切っ先が頭上を通り抜ける。
「っとぉ!!」
咄嗟にエドは身を屈めて、首と胴が別れるのを避ける。
(こりゃ早く、ケリつけないとやばいな!)
スライサーは柄を持ち構えると、追い討ちの斬撃が放たれた。
その標的は当然、少年の小さな身体。
仰け反るように避けるが、前髪が一房断ち切られる。
回避と同時に身を捻って右手を床につき、バック転。
それを追うように突き出される剣尖によって右肩が一線、切り裂かれた。
「つ…」
距離を取ろうと退くエドの頭上を、スライサーの剣が飛び交う。
振り抜かれた斬撃をしゃがみ込んで回避し、そのまま反転。
その瞬間、息つく暇もなくスライサーが飛びかかる。
眼前で剣を振り上げ、剣の切っ先をエドの脳天に落としてきた。
それを迎え撃とうと――するわけもなく、今度はどう逃げるかというとことだけを、脳内演算処理をフル回転させて計算し始める。
正直に言えば、エドはスライサーとまともに戦っていない。
ただ、逃げ回っているだけだ。
「ぶはぁっ」
正面からまともに立ち向かえば、右腕の機械鎧が壊れてしまうだろう。
ようやく、張りつめていた息を吐き出す。
「…まるで、サルだな」
「んだと、コラ!!」
怒りに顔を歪めるエドを前に、スライサーは笑い声をあげた。
「はっはっは。久しぶりに手応えのある、元気な獲物でうれしいぞ。だが、その傷と疲労では、勝負は見えている」
軽口を叩きながら、地面に突き刺さった剣を抜く。
「表にいるおまえの仲間は、今ごろ私の連れが始末しているはずだ。助けに来る事はできんだろう」
「………よう。その連れって、強いのか?」
「強いぞ。私よりかは弱いがな」
外にいる、もう一人の見張りのことを自分より弱いと評価する。
「あっはっは!!だったら、心配いらねーや」
それを聞いたエドは思わず笑っていた。
体勢を立て直すため、
「よっこら」
と立ち上がる。
おどけてみせながらも、冷静に戦況を把握する。
「オレ昔っから、あいつとケンカして、勝った事無いんだ」
冷静に彼我の戦力差を考慮して――こめかみを流れる血を手で拭い、不敵に口の端をつり上げた。
アルの拳が、66の頬を強く叩き潰す。
「でええええ!!」
みっともない悲鳴をあげて地面に吹き飛ばされる。
すぐさま体勢を立て直し、66は素早く起き上がった。
「にゃろォ~~~~!!」
苛立ちを募らせて逆上し、半身に構えるアルへと迫る。
「ちっとは、おとなしく、斬られ、やがれってんだ…」
大包丁で斬りかかるが、やはりアルに掌で受け流され、軌道を避けられる。
「このデカブツ!!痛くしねェからよ!!」
「んな事言われても………」
うんざりしながらも、抵抗の素振りを見せて迎え撃つ。
もっとも、迎え撃つといっても66に反撃するのではなく、攻撃の全てをいなし、かわし続けていた。
一歩、二歩と66の間合いを空けていると、足元の岩につまづき、鎧の体がよろめいた。
「あ!?」
「ラッキ!!」
声を弾ませた66はもう一本の包丁をアルの右肘へと突き刺し、固定させる。
「肩ロース、いただき!!」
嬉々として大包丁を振り下ろすが、しかし固定した包丁が突如として折れ、66は仰天した。
「うェ!?」
刹那、驚愕の表情で固まる66の頭部が突如として弾かれ、胴体から外れた。
「えっ!?」
これにはアルも驚きの声をあげ、後ろを振り返る。
右手をまっすぐ伸ばしたキョウコが立っていた。
「キョウコ!」
「危なかったわね、アル」
頭部がない66を見据えながら、アルの隣へと歩み寄る。
彼女に黙って行ってしまったことに、申し訳なさを覚える。
「キョウコ、ごめんね。兄さんとボクだけで行っちゃって…」
「平気よ、わかってた事だし。一応、念は押しといたけど、やっぱり無理するんだもん」
「でも、さっきのアレはなんだったの?《スノー・ブラック》は?」
彼女の腰に巻かれている、ベルトのホルスターに収められた愛銃《スノー・ブラック》がない。
「えーと…急いで来たもんだから、ベルトごと忘れてきちゃったの」
キョウコは頬を掻いて苦笑いを浮かべる。
その右の掌から微かな音が聞こえ、銃弾を
「そして、コレは空気中の水分を氷に変えて、氷弾に錬成。それを銃のように撃ったのよ。でも、普通の弾と同じだから、一度撃った後は使い捨てになるんだけどね」
掌を開くと、弾頭のない氷弾がばらばらと落ちる。
「そういう使い方もあるんだね……」
「小娘かよ……油断して、頭が落ちちまったじゃねェか」
頭が落ちたのにもかかわらず、66は鈍く起き上がった。
その中身は、無機質な空洞だった。
キョウコとアルは、自分達の他に――つまり、魂を鎧に定着させた者が実在していることに驚きを隠せずにいた。
「その身体……」
「空っぽ!?」
「げっへっへっ。ちょいと訳ありでなァ…」
66は外れた頭部を指の上で器用に回し、元の位置に戻す。
「――そうだ。昔話をしてやろう。おめェらも聞いた事あるだろ、バリーっつう肉屋の話だ」
唐突に、昔話を語り始めた。
「昔、ここ、セントラルシティに、バリーという肉屋のおやじがいました。バリーは肉を斬り分けるのが、それはもう大好きでした」
66の突然の昔語りに、キョウコは戸惑う。
「でもある日、牛や豚だけで我慢できなくなったバリーは…夜な夜な街に出ては、人間を解体するようになったのです」
悦に入った66が話している間に、アルは声を潜めてキョウコに話しかける。
「キョウコ、この人が話してる間に、早く兄さんのところに」
「え?でも、アルは…」
「ボクなら大丈夫。さっ、早く」
「う……うん」
キョウコは実に複雑な表情で応じ、66に悟られないよう静かに走り出した。
一人きりとなったアルは律儀に66の昔語りに耳を傾ける。
「やがてバリーは捕まりましたが、それまでに餌食になった人間は23人!!中央市民を恐怖のどん底にたたき込んだ、その男の行き先は当然絞首台でした。めでたし、めでたし!」
元は精肉店の店主だったが、肉切りが高じて人間を切り刻むようになった連続殺人鬼。
やがて逮捕された彼は死刑となった。
だが、話はこれだけでは終わらなかった。
「…てのが、世の中に出回ってる昔話。ところが、この昔話には、実は続きがあってよォ。バリーは絞首台で死んだ事になってるが、それは表向きの話だ。奴はとあるガードマンになる事を条件に、死刑をまぬがれた…ただし、肉体を取り上げられ、魂のみ鉄の身体に定着させられてなァ」
巷を騒がせた凶悪な殺人鬼の彼は刑務所に収監されたが、実験材料にされて魂を鎧に定着されたらしい。
そして現在、研究所に招かれざる侵入者を妨げるため、番人として日夜見張っている。