鍵介夢SS
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「……ええ?」
何だか違和感がした。
サクヤの元へ届いた一通のWIRE。それはソーンからの集合命令だった。それまではいい。
ただ、このWIREが届いた時サクヤはまだ撮影が終わっていなく行ける状況では無かったのだ。恐らくソーンはそれを蹴ってでも集合することを望んていたのだろうが……。
兎に角。遅れる、とソーンに返信を返したのだ。けれどその返信は未読のまま。念の為他の楽士に言伝を頼んでみたが、全員が全員未読状態だ。
ソーンはともかく、他の皆が未読スルーだなんてはっきり言って異常だ。彼らは返信せずともいつも既読くらいはつけてくれるし、サクヤが特に仲良くしているスイートPやイケPなんかは即レスで返してくれる。
それと何より、カギPだ。まさか彼から未読スルーされるなんて。
カギPとは毎日のようにWIREをしているし、サクヤがそれこそ今日みたいに言伝を頼めば二つ返事ですぐにレスを返してくれる。……なのに今日はどうして?
もしかして怒ったソーンが返信を止めているのだろうか。そこまで怒ることでもないだろう、少し怒りっぽすぎじゃないか?
若干の苛立ちを感じ、サクヤは少々乱暴にトンネル内にひっそりと佇む控え室への入口を開いた。
「ちょっと皆!流石に未読スルーは酷くない!?……って、え?」
──しかし、控え室はサクヤの予想に反しもぬけの殻だった。誰もいない部屋で、スイートPの紅茶だけが細い湯気を立て続けている。
皆控え室に居るのでは無かったのか?それとも何処かへラガード狩りにでも行ったのか?困惑しながらも扉を後ろ手で締め、部屋へと一歩踏み出した。
「遅かったですね、サクヤ」
「おああっ!?あ、カ、カギ!?居たの!?び、びっくりした……」
扉を閉じた直後、背後から声がかかりサクヤは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
慌てて振り向いてみると、いつの間にか扉の横にカギPの姿がある。彼は口端を吊り上げて薄く笑っていた。
「っちょ……ちょっと、あんたもう少し普通に話しかけてよ変な声出しちゃったじゃん!」
「別にいいじゃないですか。驚いたあなたも可愛かったですよ」
「……は?」
まさか予想と斜め上の返しをされてぽかん、と口を開けてしまった。
褒められた、のだろうか?あんまりにもさらっと言われたので実感が湧かない。いや、そもそも彼はそんな息をするように褒めるというか口説くというか……そういうことを言うタイプじゃないだろう。
「──あなたが最後ですよ。こんな時に遅刻するんですから……ソーンが不機嫌そうにしてましたよ」
サクヤが唖然としていたらカギPの方から口を開いた。しかしその語り方もいつもの呆れたような口ぶりではなく、何処か楽しそうなものでサクヤをさらに困惑させた。
「それは……だって撮影だったし仕方ないじゃん。てかあたしソーンにも皆にも遅れるってWIRE送ったし!それなのに皆して未読スルーしてさ……」
「ああ……それはすみません。けど僕としては結構好都合なんですよ、あなたが遅刻してくれたこと。……ほら、だって今二人きりになれてる」
「は……?ねえ、さっきからあんたおかしくない?なんか雰囲気違うし……変だよ」
「そんなことないですよ、僕は正常です。むしろおかしいのは……“遅れている”のはあなたの方です、サクヤ」
「……遅れてる?」
戸惑うサクヤに、カギPはにこりと微笑んでみせた。その笑顔もいつもの彼のそれとは違い、何処か含みのある、妙な笑みに見えた。
「ええ。だからソーンが正してくれるはずだったんですけど、あなたがあんまりにも遅いから。代わりに僕があなたの遅れを正すことになったって訳です。……これ以上ないほどの光栄だ」
サクヤにはカギPの言っていることが全く理解できていなかった。遅れ?何に対して?正すって?
「──ですからサクヤ、僕に任せてください。あなたをちゃんと直してあげますから」
カツ、と足音を立ててカギPはサクヤへと近づき、手首を掴んで引き寄せようとした。けれどカギPの手は予想に反し空を切る。
「……どうして逃げるんですか?」
「や、逃げるとかじゃないけど……今日のカギなんかおかしいし、言ってることも変だし……ちょっと無理っていうか」
サクヤは一歩後ろに下がることでカギPから逃れた。しかしカギPも下がられた分また近づいてサクヤの手を取ろうとする。すればサクヤはまた下がる。
そうすると今まで扉の影に居たカギPは否応なく照明の下に晒される。──そこで、気づいた。気づいてしまった。
──彼の瞳が、灰色がかった瞳が。今では深紅に染まっていたことに。
「ッカギ!?あんたそれ──」
彼の顔に似合わぬ真っ赤な瞳。サクヤはそれを何度も見た経験があった。
マインドホンによる再洗脳。あの赤い瞳はその名残だ。
サクヤ自身、何人もの人間を再洗脳して来た。その度に彼らの瞳が赤くなるのをこの目で見てきた。……今のカギPの瞳は、そんな彼らと同じ色。
でもどうして?誰が?混乱する思考に、先程のカギPの言葉とソーンからのWIREがリフレインする。
WIREを送ってきたのはソーン。「遅れ」をソーンは正そうとしていた。
……そういうことか。サクヤは信じられない、と言うふうにゆるゆると頭を振った。
「……ねえ。他の楽士の皆は?スイートPやイケP達は何処にいるの?」
「先にみんな出発しましたよ。勿論、ちゃんと遅れを正してもらってから」
「……なんで?なんでそんなことになったの?」
「なんで?おかしなことを聞きますね。理由なんて要りませんよ、狂った時計の針を直すのに理由が要りますか?」
だからあなたも、とカギPは俯くサクヤへと手を伸ばす。
その伸ばされた手を、サクヤは思い切り叩き落とした。
カギPが怯んだ隙に壁際へと走り、距離を取る。充分な距離を取ればすう、と息を整え自分の力をイメージして。手元が赤く光り輝き次の瞬間にサクヤはガトリング砲を構えていた。
「……どうして抵抗するんですか。これはあなたの為でもあるんですよ」
「っ……あんたこそ何やってんの?現実に帰って曲作ってみるって、このままじゃ駄目だって言ってたじゃん。だからあたしだって──なのに勝手に再洗脳なんかされて、バッカじゃないの?一回ボコボコにして目覚まさせてやるから!」
啖呵を切って銃口を突きつけるサクヤにカギPはため息をつき、低い声でぼそりと呟いた。それは不機嫌だと言うのがありありとわかる声で。
「──可愛くない。やっぱりラガードは駄目だなぁ……」
カギPがぱちりと指を鳴らす。すると控え室だったはずの周りは一瞬にしてプログラムが書き換わったかのようにその色を変え、気づけば楽士が持つ広いフィールドへと姿を変えていた。水色を基調にしたここはどうやらカギPのフィールドのようだ。
カギPは片手を前に翳し、自らの武器である大剣をその手に喚び出した。身の丈ほどもあるそれを構え、余裕そうに笑む。
「安心して下さい、サクヤ。ちゃんと心の奥底までしっかり再洗脳して僕好みの可愛いあなたに戻してあげますから」
「……あんたその喋り方何とかした方がいいよ。再洗脳って気持ち悪さもプラスされんの?元に戻ったら散々ネタにしてあげるッ!」
言い終わるが否やサクヤはガトリング砲のトリガーを引き、カギPに向かって思いっきり弾を撃ち込んだ。勢いよく発射される弾は次々にカギPの方へと向かっていき着弾し、辺り一面を煙で覆う。
サクヤからカギPの姿は完全に見えなくなってしまったが、それは向こうも同じ。サクヤは地を蹴り真っ直ぐカギPがいるであろう場所に走る。
──普段仲間として戦っているから分かる。ガード攻撃を得意とするカギPを相手にして戦うのはあまりにもこちらが不利だ。だから最初にガトリングを乱発することで相手の視界と行動を奪い、その隙に近接戦闘に移行して短期決戦を試みる。
「っ……らああッ!!」
大きく振りかぶり、ガトリング砲を鈍器にして煙の中のカギPへと殴りかかった。音がする程に振り回したガトリング砲で彼を一度空中に打ち上げてしまえれば。
「──何処見てるんです?僕はこっちです……よッ!!」
「っ!?ぐ……」
──けれど煙の中に目当てのカギPはいなく、空ぶった矢先背後から大剣で斬り付けられた。
間一髪直撃は避けられたがバランスを崩してしまい、振り向くと同時に膝をついてしまった。そこを見逃される筈もなく、サクヤの眼前には大剣を振り下ろすカギPの姿があった。
勢いよく振り下ろされた大剣を反射的にガトリング砲で受ける。ガキン、と金属のぶつかる大きな音がした。
「へぇー、ラガードでもまともに受けれるくらいの力はあるんですねえ。もっと弱体化してくれてて良かったのに」
「は……?何、言って……」
「あれ、気付いてなかったんですか?ラガードに堕ちたあなたが今まで通りフルで楽士の力を使えるわけが無いじゃないですか。今だって……ほらっ!」
「うあっ!!」
ぎりぎりのラインで拮抗していた鍔迫り合いも、カギPが少し力を入れ直せばサクヤは耐えきれずに押し退かれてしまった。そのまま勢いよく振りかぶられた大剣で吹き飛ばされ地に伏してしまう。
よろめきながらもなんとか立ち上がり、傍に転がったガトリング砲を構え直した。
「だーかーらー、あなたに勝ち目は無いんですってば。やらなきゃ分かんないんですか?サクヤってそんな物わかりの悪い人でしたっけ」
「……るっさい、黙ってろ!」
「あーはいはい。ラガードに何言っても無駄か」
サクヤはがむしゃらに弾を乱発する。弱体化してるからなんだ。これだけの量喰らえばいくら弱くたって──
「──!!やばっ……」
けれど、サクヤは重要なことを忘れてしまっていた。
カギPの得意なスタイルは相手の攻撃を待ってのガード反撃。それを防ぐ為に先程先制して視覚と動きを奪ったのに。
残念でした、とカギPが嗤う。気付けば空中へ打ち上げられていたサクヤの眼前には大剣を振り上げるカギPの姿。その一瞬後、サクヤの身体は思い切り地面へと叩きつけられた。
「──後輩に惨敗する気分はどうですか?サクヤ先輩」
一瞬気を失っていたのか、サクヤは気付けば仰向けに倒れていた。見えるのは果てのない天井と、自分を見下ろしてくるカギP。
わざとらしく「先輩」をつけてサクヤの名を呼ぶカギPは紅い瞳を鈍く光らせていた。
サクヤの手は無意識に己の武器であるガトリング砲を探す。右手を動かせる範囲で動かしていれば、それらしいものをちょうど掴むことができた。
「ああ、駄目ですよ。もうこれは没収です」
だがサクヤが掴んだ所でカギPが大剣をガトリング砲に突き立て、するとサクヤのガトリング砲は綺麗さっぱり消えて無くなってしまった。
「ッ……あんた、ほんと性格悪くなったよね」
「あなたこそラガードになってから意地が悪くなりましたよね。そんなぼろぼろなのに戦えるわけないじゃないですか」
ま、それはいいや。カギPはそう呟くと自らの大剣も消し、その代わりに今度はマインドホンを何処からか取り出した。
「……そういうわけで、あなたにはマインドホンを被ってもらいます。大丈夫、苦しいのは一瞬だけですから」
カギPはにっこりと笑ってわざとらしく手にしたマインドホンをぶらぶらと振って見せてきた。
──駄目だ、ここでアレを被る訳にはいかない。折角トラウマを受け止め、現実に帰っても頑張れると思った矢先に、こんな。カギPだって昨日まで自分と同じように現実を受け止め始めていたのに。「自分の力で曲を作ってみたいんです」と現実に戻ってやりたいことを自分に教えてくれたのに。
力の入らない腕を何とか立てて、起き上がろうとする。けれど先の戦いで疲弊した身体は鉛のように重く、中々言うことを聞いてくれない。
未だ諦めようとしないサクヤの姿を見てか、カギPは呆れたように嘆息した。
「ほんと、諦め悪いなあ……もう何やっても無駄なんだって」
「いった……!」
起き上がろうとしていた肩を掴まれ、カギPはサクヤに覆い被さるような形でサクヤを地面へと押し倒した。その拍子にサクヤは軽く頭を打ってしまったが、カギPはまるで意に介さない。
「っつう……ちょっと、退いてよ」
「嫌ですよ、退いたら逃げるじゃないですか」
カギPを退かそうと彼の肩を手で押してみても力が入っていないのだ。びくともしなければ手を取られてそのまま地面へと縫い付けられてしまった。
そうしてぐい、と顔を近づけられる。もし雰囲気がもっと柔らかかったらキスの一つでもしたのだろうが生憎方や洗脳済み、方や疲労困憊だ。
「──いい加減にして下さい。ここまでしてまだ抵抗するんですか」
「そりゃ、当たり前でしょ。誰が進んでそんなの被るかって……」
「あなた、自分が楽士だってこと忘れたんですか?これは『楽士のサクヤ』を維持するのに必要なことなんですよ」
「もう現実に帰るって話になったでしょ。……ねえカギ、あんただって同じこと言ってたよね?勉強しなおして、自分の力で音楽の道に進むってあたしに話してくれたじゃん……!」
「……さあ?知りませんね」
カギPのその言葉には感情なんて入っていなかった。ああ、本当に。本当に彼の中から自分の知るカギPはいなくなってしまったのだ。
サクヤはそれ以上、彼に何を言えば良いのか分からなかった。
大人しくなったサクヤにカギPはやれやれ、と今度はほっとしたようなため息を一つついた。
「最初っからそうしてればいいんですよ。……すぐに気持ちよくなりますから、ね?」
紅い瞳をしたカギPは近付けた顔を離すと軽くサクヤの髪を梳いてから地面に置いていたマインドホンを手にする。
何処で間違ったのだろう。一度でも楽士として理想を選んだことが間違いだったのだろうか。現実に帰るなんてこと、元から許されていなかったという訳か。
カギPの紅い瞳を見ていたくなくて、ぎゅっと目を瞑った。真っ暗闇の中縋れる人間もいなく、恐怖ばかりがサクヤを支配する。
自分が不安な時一番隣に居て欲しかった人間は壊れた姿でそこにいる。ありのままの、元の彼は消えてしまった。
ああ、自分も消えるのだろうか。自分も、別の人間へと作り替えられてしまうのか。
──もしかしたら、「彼ら」なら助けてくれるかもしれないな。
一瞬の静寂のあと、脳を掻き回されるような酷い音に思考も何もかも全て奪い去られた。
「……サクヤ、サクヤ。起きてください」
「──ん、あれ……カギ……?」
「もう時間です、はやく行かないと」
「ああ……うん。行かなきゃ」
「……」
「……?どうしたの」
「いえ何も?可愛いなあって思っただけです」
「あは、ほんとっ?カギもめちゃめちゃかっこいいよ!流石あたしの彼氏って感じ!」
彼女の瞳もまた、似合わぬ紅に染まっていた。
何だか違和感がした。
サクヤの元へ届いた一通のWIRE。それはソーンからの集合命令だった。それまではいい。
ただ、このWIREが届いた時サクヤはまだ撮影が終わっていなく行ける状況では無かったのだ。恐らくソーンはそれを蹴ってでも集合することを望んていたのだろうが……。
兎に角。遅れる、とソーンに返信を返したのだ。けれどその返信は未読のまま。念の為他の楽士に言伝を頼んでみたが、全員が全員未読状態だ。
ソーンはともかく、他の皆が未読スルーだなんてはっきり言って異常だ。彼らは返信せずともいつも既読くらいはつけてくれるし、サクヤが特に仲良くしているスイートPやイケPなんかは即レスで返してくれる。
それと何より、カギPだ。まさか彼から未読スルーされるなんて。
カギPとは毎日のようにWIREをしているし、サクヤがそれこそ今日みたいに言伝を頼めば二つ返事ですぐにレスを返してくれる。……なのに今日はどうして?
もしかして怒ったソーンが返信を止めているのだろうか。そこまで怒ることでもないだろう、少し怒りっぽすぎじゃないか?
若干の苛立ちを感じ、サクヤは少々乱暴にトンネル内にひっそりと佇む控え室への入口を開いた。
「ちょっと皆!流石に未読スルーは酷くない!?……って、え?」
──しかし、控え室はサクヤの予想に反しもぬけの殻だった。誰もいない部屋で、スイートPの紅茶だけが細い湯気を立て続けている。
皆控え室に居るのでは無かったのか?それとも何処かへラガード狩りにでも行ったのか?困惑しながらも扉を後ろ手で締め、部屋へと一歩踏み出した。
「遅かったですね、サクヤ」
「おああっ!?あ、カ、カギ!?居たの!?び、びっくりした……」
扉を閉じた直後、背後から声がかかりサクヤは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
慌てて振り向いてみると、いつの間にか扉の横にカギPの姿がある。彼は口端を吊り上げて薄く笑っていた。
「っちょ……ちょっと、あんたもう少し普通に話しかけてよ変な声出しちゃったじゃん!」
「別にいいじゃないですか。驚いたあなたも可愛かったですよ」
「……は?」
まさか予想と斜め上の返しをされてぽかん、と口を開けてしまった。
褒められた、のだろうか?あんまりにもさらっと言われたので実感が湧かない。いや、そもそも彼はそんな息をするように褒めるというか口説くというか……そういうことを言うタイプじゃないだろう。
「──あなたが最後ですよ。こんな時に遅刻するんですから……ソーンが不機嫌そうにしてましたよ」
サクヤが唖然としていたらカギPの方から口を開いた。しかしその語り方もいつもの呆れたような口ぶりではなく、何処か楽しそうなものでサクヤをさらに困惑させた。
「それは……だって撮影だったし仕方ないじゃん。てかあたしソーンにも皆にも遅れるってWIRE送ったし!それなのに皆して未読スルーしてさ……」
「ああ……それはすみません。けど僕としては結構好都合なんですよ、あなたが遅刻してくれたこと。……ほら、だって今二人きりになれてる」
「は……?ねえ、さっきからあんたおかしくない?なんか雰囲気違うし……変だよ」
「そんなことないですよ、僕は正常です。むしろおかしいのは……“遅れている”のはあなたの方です、サクヤ」
「……遅れてる?」
戸惑うサクヤに、カギPはにこりと微笑んでみせた。その笑顔もいつもの彼のそれとは違い、何処か含みのある、妙な笑みに見えた。
「ええ。だからソーンが正してくれるはずだったんですけど、あなたがあんまりにも遅いから。代わりに僕があなたの遅れを正すことになったって訳です。……これ以上ないほどの光栄だ」
サクヤにはカギPの言っていることが全く理解できていなかった。遅れ?何に対して?正すって?
「──ですからサクヤ、僕に任せてください。あなたをちゃんと直してあげますから」
カツ、と足音を立ててカギPはサクヤへと近づき、手首を掴んで引き寄せようとした。けれどカギPの手は予想に反し空を切る。
「……どうして逃げるんですか?」
「や、逃げるとかじゃないけど……今日のカギなんかおかしいし、言ってることも変だし……ちょっと無理っていうか」
サクヤは一歩後ろに下がることでカギPから逃れた。しかしカギPも下がられた分また近づいてサクヤの手を取ろうとする。すればサクヤはまた下がる。
そうすると今まで扉の影に居たカギPは否応なく照明の下に晒される。──そこで、気づいた。気づいてしまった。
──彼の瞳が、灰色がかった瞳が。今では深紅に染まっていたことに。
「ッカギ!?あんたそれ──」
彼の顔に似合わぬ真っ赤な瞳。サクヤはそれを何度も見た経験があった。
マインドホンによる再洗脳。あの赤い瞳はその名残だ。
サクヤ自身、何人もの人間を再洗脳して来た。その度に彼らの瞳が赤くなるのをこの目で見てきた。……今のカギPの瞳は、そんな彼らと同じ色。
でもどうして?誰が?混乱する思考に、先程のカギPの言葉とソーンからのWIREがリフレインする。
WIREを送ってきたのはソーン。「遅れ」をソーンは正そうとしていた。
……そういうことか。サクヤは信じられない、と言うふうにゆるゆると頭を振った。
「……ねえ。他の楽士の皆は?スイートPやイケP達は何処にいるの?」
「先にみんな出発しましたよ。勿論、ちゃんと遅れを正してもらってから」
「……なんで?なんでそんなことになったの?」
「なんで?おかしなことを聞きますね。理由なんて要りませんよ、狂った時計の針を直すのに理由が要りますか?」
だからあなたも、とカギPは俯くサクヤへと手を伸ばす。
その伸ばされた手を、サクヤは思い切り叩き落とした。
カギPが怯んだ隙に壁際へと走り、距離を取る。充分な距離を取ればすう、と息を整え自分の力をイメージして。手元が赤く光り輝き次の瞬間にサクヤはガトリング砲を構えていた。
「……どうして抵抗するんですか。これはあなたの為でもあるんですよ」
「っ……あんたこそ何やってんの?現実に帰って曲作ってみるって、このままじゃ駄目だって言ってたじゃん。だからあたしだって──なのに勝手に再洗脳なんかされて、バッカじゃないの?一回ボコボコにして目覚まさせてやるから!」
啖呵を切って銃口を突きつけるサクヤにカギPはため息をつき、低い声でぼそりと呟いた。それは不機嫌だと言うのがありありとわかる声で。
「──可愛くない。やっぱりラガードは駄目だなぁ……」
カギPがぱちりと指を鳴らす。すると控え室だったはずの周りは一瞬にしてプログラムが書き換わったかのようにその色を変え、気づけば楽士が持つ広いフィールドへと姿を変えていた。水色を基調にしたここはどうやらカギPのフィールドのようだ。
カギPは片手を前に翳し、自らの武器である大剣をその手に喚び出した。身の丈ほどもあるそれを構え、余裕そうに笑む。
「安心して下さい、サクヤ。ちゃんと心の奥底までしっかり再洗脳して僕好みの可愛いあなたに戻してあげますから」
「……あんたその喋り方何とかした方がいいよ。再洗脳って気持ち悪さもプラスされんの?元に戻ったら散々ネタにしてあげるッ!」
言い終わるが否やサクヤはガトリング砲のトリガーを引き、カギPに向かって思いっきり弾を撃ち込んだ。勢いよく発射される弾は次々にカギPの方へと向かっていき着弾し、辺り一面を煙で覆う。
サクヤからカギPの姿は完全に見えなくなってしまったが、それは向こうも同じ。サクヤは地を蹴り真っ直ぐカギPがいるであろう場所に走る。
──普段仲間として戦っているから分かる。ガード攻撃を得意とするカギPを相手にして戦うのはあまりにもこちらが不利だ。だから最初にガトリングを乱発することで相手の視界と行動を奪い、その隙に近接戦闘に移行して短期決戦を試みる。
「っ……らああッ!!」
大きく振りかぶり、ガトリング砲を鈍器にして煙の中のカギPへと殴りかかった。音がする程に振り回したガトリング砲で彼を一度空中に打ち上げてしまえれば。
「──何処見てるんです?僕はこっちです……よッ!!」
「っ!?ぐ……」
──けれど煙の中に目当てのカギPはいなく、空ぶった矢先背後から大剣で斬り付けられた。
間一髪直撃は避けられたがバランスを崩してしまい、振り向くと同時に膝をついてしまった。そこを見逃される筈もなく、サクヤの眼前には大剣を振り下ろすカギPの姿があった。
勢いよく振り下ろされた大剣を反射的にガトリング砲で受ける。ガキン、と金属のぶつかる大きな音がした。
「へぇー、ラガードでもまともに受けれるくらいの力はあるんですねえ。もっと弱体化してくれてて良かったのに」
「は……?何、言って……」
「あれ、気付いてなかったんですか?ラガードに堕ちたあなたが今まで通りフルで楽士の力を使えるわけが無いじゃないですか。今だって……ほらっ!」
「うあっ!!」
ぎりぎりのラインで拮抗していた鍔迫り合いも、カギPが少し力を入れ直せばサクヤは耐えきれずに押し退かれてしまった。そのまま勢いよく振りかぶられた大剣で吹き飛ばされ地に伏してしまう。
よろめきながらもなんとか立ち上がり、傍に転がったガトリング砲を構え直した。
「だーかーらー、あなたに勝ち目は無いんですってば。やらなきゃ分かんないんですか?サクヤってそんな物わかりの悪い人でしたっけ」
「……るっさい、黙ってろ!」
「あーはいはい。ラガードに何言っても無駄か」
サクヤはがむしゃらに弾を乱発する。弱体化してるからなんだ。これだけの量喰らえばいくら弱くたって──
「──!!やばっ……」
けれど、サクヤは重要なことを忘れてしまっていた。
カギPの得意なスタイルは相手の攻撃を待ってのガード反撃。それを防ぐ為に先程先制して視覚と動きを奪ったのに。
残念でした、とカギPが嗤う。気付けば空中へ打ち上げられていたサクヤの眼前には大剣を振り上げるカギPの姿。その一瞬後、サクヤの身体は思い切り地面へと叩きつけられた。
「──後輩に惨敗する気分はどうですか?サクヤ先輩」
一瞬気を失っていたのか、サクヤは気付けば仰向けに倒れていた。見えるのは果てのない天井と、自分を見下ろしてくるカギP。
わざとらしく「先輩」をつけてサクヤの名を呼ぶカギPは紅い瞳を鈍く光らせていた。
サクヤの手は無意識に己の武器であるガトリング砲を探す。右手を動かせる範囲で動かしていれば、それらしいものをちょうど掴むことができた。
「ああ、駄目ですよ。もうこれは没収です」
だがサクヤが掴んだ所でカギPが大剣をガトリング砲に突き立て、するとサクヤのガトリング砲は綺麗さっぱり消えて無くなってしまった。
「ッ……あんた、ほんと性格悪くなったよね」
「あなたこそラガードになってから意地が悪くなりましたよね。そんなぼろぼろなのに戦えるわけないじゃないですか」
ま、それはいいや。カギPはそう呟くと自らの大剣も消し、その代わりに今度はマインドホンを何処からか取り出した。
「……そういうわけで、あなたにはマインドホンを被ってもらいます。大丈夫、苦しいのは一瞬だけですから」
カギPはにっこりと笑ってわざとらしく手にしたマインドホンをぶらぶらと振って見せてきた。
──駄目だ、ここでアレを被る訳にはいかない。折角トラウマを受け止め、現実に帰っても頑張れると思った矢先に、こんな。カギPだって昨日まで自分と同じように現実を受け止め始めていたのに。「自分の力で曲を作ってみたいんです」と現実に戻ってやりたいことを自分に教えてくれたのに。
力の入らない腕を何とか立てて、起き上がろうとする。けれど先の戦いで疲弊した身体は鉛のように重く、中々言うことを聞いてくれない。
未だ諦めようとしないサクヤの姿を見てか、カギPは呆れたように嘆息した。
「ほんと、諦め悪いなあ……もう何やっても無駄なんだって」
「いった……!」
起き上がろうとしていた肩を掴まれ、カギPはサクヤに覆い被さるような形でサクヤを地面へと押し倒した。その拍子にサクヤは軽く頭を打ってしまったが、カギPはまるで意に介さない。
「っつう……ちょっと、退いてよ」
「嫌ですよ、退いたら逃げるじゃないですか」
カギPを退かそうと彼の肩を手で押してみても力が入っていないのだ。びくともしなければ手を取られてそのまま地面へと縫い付けられてしまった。
そうしてぐい、と顔を近づけられる。もし雰囲気がもっと柔らかかったらキスの一つでもしたのだろうが生憎方や洗脳済み、方や疲労困憊だ。
「──いい加減にして下さい。ここまでしてまだ抵抗するんですか」
「そりゃ、当たり前でしょ。誰が進んでそんなの被るかって……」
「あなた、自分が楽士だってこと忘れたんですか?これは『楽士のサクヤ』を維持するのに必要なことなんですよ」
「もう現実に帰るって話になったでしょ。……ねえカギ、あんただって同じこと言ってたよね?勉強しなおして、自分の力で音楽の道に進むってあたしに話してくれたじゃん……!」
「……さあ?知りませんね」
カギPのその言葉には感情なんて入っていなかった。ああ、本当に。本当に彼の中から自分の知るカギPはいなくなってしまったのだ。
サクヤはそれ以上、彼に何を言えば良いのか分からなかった。
大人しくなったサクヤにカギPはやれやれ、と今度はほっとしたようなため息を一つついた。
「最初っからそうしてればいいんですよ。……すぐに気持ちよくなりますから、ね?」
紅い瞳をしたカギPは近付けた顔を離すと軽くサクヤの髪を梳いてから地面に置いていたマインドホンを手にする。
何処で間違ったのだろう。一度でも楽士として理想を選んだことが間違いだったのだろうか。現実に帰るなんてこと、元から許されていなかったという訳か。
カギPの紅い瞳を見ていたくなくて、ぎゅっと目を瞑った。真っ暗闇の中縋れる人間もいなく、恐怖ばかりがサクヤを支配する。
自分が不安な時一番隣に居て欲しかった人間は壊れた姿でそこにいる。ありのままの、元の彼は消えてしまった。
ああ、自分も消えるのだろうか。自分も、別の人間へと作り替えられてしまうのか。
──もしかしたら、「彼ら」なら助けてくれるかもしれないな。
一瞬の静寂のあと、脳を掻き回されるような酷い音に思考も何もかも全て奪い去られた。
「……サクヤ、サクヤ。起きてください」
「──ん、あれ……カギ……?」
「もう時間です、はやく行かないと」
「ああ……うん。行かなきゃ」
「……」
「……?どうしたの」
「いえ何も?可愛いなあって思っただけです」
「あは、ほんとっ?カギもめちゃめちゃかっこいいよ!流石あたしの彼氏って感じ!」
彼女の瞳もまた、似合わぬ紅に染まっていた。
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