鍵介夢SS
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彼らと戦って、彼と話をして、それから彼らが私を横切り階段を目指したとき。どうして気づかなかったのだろう。
彼らを束ねる無口なあの人の雰囲気が、私達の良く知る無口な彼の雰囲気と酷似していたことに。
少し、嫌な予感がしたんだ。
別に鍵介を、帰宅部の力を軽視してるわけじゃない。ただ──女の勘、というか。擦れ違ったときの、あの部長の雰囲気が。どうも気になって離れなかった。
……そう言えば、他の皆はどうしているのだろう。WIREを開き、楽士のグループで安否を聞いてみる。
ミレイとウィキッド、梔子の姿は部屋を二、三ほど見て回れば見つけることが出来た。気を失っているみたいだった。
スイートPと少年ドール、StorkにイケPはWIREで返信が届いた。無事だと。各々何処の部屋に居るかを書いて。……返信は無いが、既読が一つ多かった。恐らくシャドウナイフではないか。彼の再洗脳は解けたのだろうか。
ソーンからの返信は当然だが無かった。ただこれは分かりきっていたことだ。……それで。
それでソーンを抜いたとしても、一人足りない。既読も返信も無い。ソーンの虎の子。
先の予感が舞い戻る。帰宅部の部長。何故だか、「彼」と同じ雰囲気を感じた。
一応、グループで他の皆にも聞いてみた。
「Lucidは?」
……けれど、誰も知らないと。見てないと。
最後に見たのは、あのランドマークタワーのときだと。
彼は今、何処で何をしているのだろう。
表情の見えない彼、けれど意外とひょうきんものでノリが良くて。スイートPやイケP、私は勿論、少年ドールともすぐに仲良くなっていた。
あのミレイとも仲良くしていたようだし。μもいい人なんだよ、と何度もにこにこして言っていた。
……そのLucidがいない?
ソーンと一緒に居るんじゃねえか、とイケPからWIREが飛んできた。……それだけ、だろうか。
ソーンと居たとして、そこに居る彼は……私たちの知る、あの仲良しのLucidだろうか。
私は先ほど帰宅部が向かった道を駆け抜けた。長い階段、息を切らせながらもただひたすら上を目指した。
もしかしたら、もしかしたら私は、私たちは。
──Lucidという存在の認識を、大きく間違えて居たのではないか?
やがて階段を上りきり、広いライブ会場が開きっぱなしの扉の向こうに見えた。遠くのセンターには帰宅部とソーン。……Lucidはいなかった。
──いや、違う。
ふと、あの部長が前へと歩み出た。ソーンと対峙するつもりかとも思ったが、違った。彼はそのまま静かに歩みを進め、やがてソーンの隣へと着いた。
……そうして振り向いた彼の、表情は遠く読めなかったが、瞬間黒い、楽士が武器を出す時のあの光とよく似た、しかしそれよりも邪悪なものを纏った光に包まれて──
──包まれて、そこに居たのは。
私達オスティナートの楽士がよく知る、透明人間の謎の楽士、Lucidの姿があった。
ひゅっ、と自分の喉が鳴った。脳が目の前の事態を認識しない。
帰宅部の悲鳴が聞こえる、赤い眼鏡の女の子の声、大人しそうな髪をお団子にした女の子の声、それ以外にも、たくさん、たくさん。
ソーンの高笑いも聞こえる。彼女はあんな、邪悪な声を出すような人だったろうか。
Lucidは……彼は、今どんな表情をしているのだろうか。帰宅部の部長なのだろう?彼らの慟哭を、彼はどんな気持ちで聞いているのだろう?……私たちとも、一体どんな気持ちで、どんな表情で接していたのだろう。スイートPのお茶会も、少年ドールのあの特訓も、Storkとの修行も、イケPとの特訓も、私と出掛けたことだって。彼は、何を思ってこちらについたのだろう?裏切るならそれこそカギPのように、すっぱりと帰宅部を切ればよかったではないか。なのにどうして、どうしてこんなことになるまで。
気付けば、帰宅部の面々はあの黄金の光に包まれていた。怨嗟の交じる、復讐の黄金。
彼らは次々にLucidへと刃を向ける。しかし、Lucidはひらりひらりとそれを交わし、それから何の迷いもなくあの銃をかつての仲間に向けて……引き金を、引いた。
帰宅部の、あのロングヘアーの大人っぽい女の人。Lucidの放った赤い閃光に貫かれ、簡単に墜ちた。赤い眼鏡の子も、あの背の高い、いつも危なげな雰囲気を纏っていた男も。……彼は、いとも簡単に三人を屠ってしまった。
どうしてだ。どうして彼はあんなに簡単に彼らを?情の面でも勿論……そうだ、だってあの黄金の光を纏った彼ら、いつもLucidを含めた楽士複数人で迎え撃ち何とか勝てていたではないか。苦労をしていたではないか。なのに、彼は今一人なのに、そんな簡単に。……あれだけの力があるなら、最初から私たちの手助けなんていらないかっただろうに。
その間にも彼はどんどんとかつての仲間を屠っていく。ショートカットの女の子、男嫌いだった女の子、お団子ヘアーの女の子。みんな、みんな信頼していた部長に……Lucidに撃たれ、苦しげにに地に伏していく。
この力は心の具現化、死なないはず。なのに、伏した彼らは皆酷く苦しげで、見ていられないような姿で……。
──待って、待って。待ってLucid。そこには、帰宅部には、彼が居るのに。私と一緒に現実に立ち向かってくれるとつい先程、そこで約束してくれた彼が……!
私の願いも虚しく、Lucidの目の前にはマントを羽織ったあの整った顔立ちの男の人とそれから……それから私の良く知る、私がこのメビウスで一番仲が良くて、信頼できて、大好きな……鍵介の姿があった。
鍵介は今まで聞いたこともないような、狂ったような、とも聞こえる声音で叫んでいた。
きっと部長と仲が良かったんだろう。きっと、色々と話した仲だったんだろう。
彼は身の丈ほどもある大きな大剣を思い切り振り回し、Lucidという悪魔を討たんとしていた。
……駄目だ、駄目だ、やめて!きっと彼は……彼らはあいつに敵わない。きっとやられてしまう。そうしたら……そうしたら……!
やはりLucidはなんの感慨も無さそうに彼に、鍵介に引き金を引いた。
鍵介の宙を舞っていた身体がバランスを崩し、地面へと落ちる。けれど彼はまだ諦めようとせず、力を振り絞って立とうとした。だがLucidはそんな鍵介に向かって鋭く蹴りを入れ、また数発引き金を引いた。
思わずそこに向かって手を伸ばした。しかし届くはずもない自分の手は虚しく空を掴むだけ。
鍵介は今度こそぐらり、と力を失い、その場へと倒れ込んだ。倒れる瞬間──一瞬、彼と目が合った気がした。
遠くて見えないはずなのに、それなのに、そのとき「すみません」、と謝る声が聞こえた。
「──あ……ぁ、うそ、違う、何、何これ、違う、違う、違う、違う、違うッ……違う違う違う違う違う違う違う!!!!!!!!!」
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!!!
どうして?どうして、なんで?どうして?
違う、私はこんな結末が見たかったからメビウスに居たんじゃない。ただずっと、楽しい夢を見ていたくて、ただそれだけで。
でもそれじゃあ駄目だって教えられたから。分かったから。だから帰るって、現実で会おうって約束した!!なのに、なのになんで?どうして彼はあそこで倒れているの?
どうして起き上がらないの?まだあいつは立ってる。少しも疲れてない。早く倒してよ、現実に帰るんでしょ?あんたの話聞いてあたしは現実に帰ろうって思ったのに、それなのに、それなのに!!!!!
「け、けんっ……けんすけ、嘘だ、嘘、だって、さっきまで……っ!嫌、違う、嫌、こんなの──っ!!」
ぐらり、と視界が回る。いつの間にか後ずさりを始めていた足は背後の階段を忘れていたようで。
段差を踏み外した身体は勢いあまり、簡単に宙へと放り出された。振り返れば、ついさっきまで私が鍵介と話していた階段下が自分の目下に。
鍵介の姿が見えなくなる。Lucidもソーンも、全て見えなくなる。傍観者ですら居られなくなった私の視界にはどんどん小さくなるあの開けっ放しの大きな扉。それから──それから──
「ッ……!!」
スマホから流れるμの声に意識を引っ張り上げられた。
良く知る自分の部屋の天井。カーテンから零れる朝日。よくある、普通の朝の光景。全てを夢だと切り捨ててしまう力を持つ、穏やかな朝の光景。
震える手でアラームを止め、日付を見る。
スマホはの待ち受けには三月十五日、午前七時と書いてある。丁度カギPが楽士入りして一ヶ月目の、朝。
WIREを開く。楽士のグループを開いた。昨日、イケPと自分がふざけて始めた飛び入り参加可のしりとりWIREが長々と続いていた。途中からスイートPにStork、梔子……カギPも参加している。最後はソーンの「迷惑、邪魔」という、奇遇にもその前のイケPの「カリカリ梅」に繋がる一言で終わっていた。
個人のWIREを見てみれば、三日前のスイートPからのお茶会へのお誘いだったり、一週間前の梔子との遊びの予定だったり……カギPとはほぼ毎日のくだらないやり取りが残っている。──いずれも、三月十五日以前のものだ。
それらを眺めていたら、昨日までの出来事をすぐに思い出してきた。昨日は夜中まで珍しく楽士WIREで盛り上がって、それでソーンに怒られて眠ったのは2時頃で……。
そうだ、だから、あの出来事は全部夢だ。
帰宅部なんていう存在は無いし、Lucidなんていう楽士もいない。全部、一夜の夢が見せた幻だ。──本当に?
……本当に、あれは幻?いつかの記憶じゃなくて?
***
今日は楽士全員、何の仕事も入っていない珍しい日だ。
それゆえ控え室には誰もいなく、がらんとしている。だからこそあえて控え室に来た。
控え室が一番落ち着くのだ。静かで、なんの邪魔も入らない。こういう所で優雅にコーヒーを飲み、分厚い本を持っていればそれだけで映える。
カギPとして楽士の仲間入りを果たしてから今日でちょうど1ヶ月。人気はうなぎのぼりで自分の曲もヒットチャートを駆け巡っている。自分の才能が認められた証だ。これだ、これが僕の受ける正当な評価なのだ。
先週のチャートではとうとう1位の枠にカギPの名が載った。それを聞けばまずあのミレイとかいう高飛車な女性は不機嫌そうに舌打ちをした。それすらも今の僕には気分を良くする鐘の音にしか聞こえなかったけれど。
それからイケPは派手に悔しがり、梔子は興味無さげに「そう」とチャートを見てそれだけ呟いた。ソーンからは「これからも頑張ってちょうだい、期待しているわ」とのお言葉まで。
まさに順風満帆、薔薇色の人生。やはり、あの現実が間違っていたのだ。これが、これこそが僕の正しいあり方だ。
昨日の各々の反応を思い出してくく、と喉奥で笑い、誰もいない控え室をぐるりと見回した。いつもと変わらぬ、ごちゃごちゃした部屋。その中でもメイク道具が散乱しているテーブルに目が止まった。
あれはサクヤの物だ。楽士の中でも比較的まともな人。
彼女は僕が楽士に入りたての頃気を遣ったのな色々と構いかけてきた唯一の人だ。顔良しスタイル良しセンス良し。メビウス中のJKのリーダー的な存在。
顔も可愛いし自分好みだし、構われることにたいして特に不快だったりとかは無かった。ただ、学校で会うと面が割れていないこちらとしては少々厄介だったが。
最初はその程度にしか思っていなかったが、暫く接していれば意外にも趣味だったり性格だったりが合致していて、随分話しやすい人なんだと分かった。外見が派手だからパリピみたいな人種なのかな、と勝手に思っていたが実際根っこは真面目で、パリピ特有の面倒臭さだって持ってなかった。
元々親睦を深める機会なんて少ないグループだ。それに自分も楽士外で友達を作ろうだなんてしていない。そうすれば必然的に彼女とばかり接するようになるし、気付けばこちらから彼女に誘いをかけていたり。
自分の才能を周りに認めさせる為の舞台装置程度にしか思っていなかったオスティナートの楽士。けれど彼女と出会えたのは良い収穫だったな、と僕はぼんやり考えながら苦いコーヒーを傾けた。
「わっ……!?」
カップを机に戻すと同時に、控え室の扉がバタン!と大きな音を立てて開いた。思わずコーヒーを零しそうになったがそこは何とか耐えて見せた。
なんだいきなり、折角いい時間を過ごしていたのに邪魔しないでくれよ。軽く睨みつけるように扉に目をやった。
「……え、」
──しかし、そこに居たのは今さっきまで自分が頭に思い浮かべていたサクヤだった。
彼女なら話は別だ。そうだ、どうせなら彼女も一緒にここでゆっくりすればいいのに。いや、むしろ僕とそうするためにここに来たのかな。
「なんだ、貴女ですか。びっくりしましたよー、どうしたんですかそんなに慌てっ──おぅあ!?」
そう呑気なことを考えて声をかけたら、話が終わる前に突然、いきなりサクヤに抱きつかれた。それはもう勢いよく、ガバッと。思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
それも当たり前だ、だってこんな経験したこともない。後ろは背もたれ、前は女の子。何だこれ、どういうことだ。この人僕に気があるのか?いや僕は全然構わない、むしろウェルカムだ。だけどその、順序が逆なんじゃないかこういうのは──
「っちょ……ちょっと、サクヤ、え、あの……ど、どうしたんですか?人の目が無いからって、あの、唐突すぎるといいますか、」
「────った…!」
「え……?」
頭の中がパンクしかかっている僕に返ってきたのはか細い声。いつもの自信満々な明るい彼女が出したとは思えない、苦しげな。
「……よかった、鍵介……!あ、あたしっ……鍵介を、鍵介がっ……!」
「……サクヤ?」
初めてじゃなかろうか、彼女に本名で呼ばれたのは。いや、それよりも彼女はどうしたんだろうか。彼女は震えて、声を詰まらせて、まるで泣いているようだ。……実際泣いている。
「け、鍵介がっ……目の前で倒れて、動かなくなって……あたし、何も出来なくて……ごめんなさい、あたし、嫌な予感してたのに、止められたかもしれないのに、あたしっ……!!」
「……」
もしかしたら、彼女は何か酷く悪い夢を見たんじゃないだろうか。彼女の言い方だと、大方目の前で僕が死んだようだが。
サクヤの尋常では無い憔悴具合、幼子のように僕に縋り付く彼女の腕、それらのせいか何だか彼女がとても頼りない存在に見えた。
──そんなに泣かなくても、所詮夢なのに。だって僕はここにいる。貴女の目の前に居るじゃないか。
「……大丈夫ですよ、咲耶先輩。ちゃんと僕はここに居ますから」
今は彼女の名前をしっかり呼ばないといけないと感じ、初めて名前を呼んでみた。何故か口をついて出たのは「先輩」がついたものだった。今は僕が三年なのに。
そうして手持ち無沙汰になっていた左腕を彼女の背に回し、ぽんぽんとあやすように背中を叩いてやった。それから右手に持ったままだった本をそのままソファに置いて、その手で丁度僕の首元辺りにある彼女の頭を撫でてみた。
彼女の髪はいつもと違いぼさぼさで、余程急いで僕のとこに来たみたいだ。
「たまにありますよね、怖い夢。でも大丈夫ですよ、夢ですから。僕だって生きてるじゃないですか。だってほら、冷たくないでしょ?ね?」
できる限り優しく問いかけてみれば、こくりと小さく彼女が頷いた。けれどまた彼女はぼろぼろと泣き始めてしまい、小さく嗚咽を漏らすのが聞こえた。
「あー……もう、貴女がそんなんだと調子狂うんですけど。落ち着くまで付き合ってあげますから、明日にはいつもの元気な先輩に戻ってくださいよ」
「っ……ご、ごめ……」
「いいですよ、謝らなくて」
僕がそう言えば、また彼女は強く僕にしがみついて泣き出した。何か夢を思い出してしまったのだろうか。……本当に調子が狂う。こんな弱った彼女を見るのは初めてだ。きっと悪夢はメビウスのバグか何かだろう。後でμにしっかり言っておかないと。
──夢というのはすぐに忘れるものだ。彼女が何を見たのか、きっとそれを僕は二度と知ることはないだろう。彼女だって、明日にはもう大部分を忘れている。
だけど、だけどもし僕が彼女の見た世界を見ることが出来たなら……まずは彼女をこんなに泣かせた「僕」を、思いっきりぶん殴ってやろう。
彼らを束ねる無口なあの人の雰囲気が、私達の良く知る無口な彼の雰囲気と酷似していたことに。
少し、嫌な予感がしたんだ。
別に鍵介を、帰宅部の力を軽視してるわけじゃない。ただ──女の勘、というか。擦れ違ったときの、あの部長の雰囲気が。どうも気になって離れなかった。
……そう言えば、他の皆はどうしているのだろう。WIREを開き、楽士のグループで安否を聞いてみる。
ミレイとウィキッド、梔子の姿は部屋を二、三ほど見て回れば見つけることが出来た。気を失っているみたいだった。
スイートPと少年ドール、StorkにイケPはWIREで返信が届いた。無事だと。各々何処の部屋に居るかを書いて。……返信は無いが、既読が一つ多かった。恐らくシャドウナイフではないか。彼の再洗脳は解けたのだろうか。
ソーンからの返信は当然だが無かった。ただこれは分かりきっていたことだ。……それで。
それでソーンを抜いたとしても、一人足りない。既読も返信も無い。ソーンの虎の子。
先の予感が舞い戻る。帰宅部の部長。何故だか、「彼」と同じ雰囲気を感じた。
一応、グループで他の皆にも聞いてみた。
「Lucidは?」
……けれど、誰も知らないと。見てないと。
最後に見たのは、あのランドマークタワーのときだと。
彼は今、何処で何をしているのだろう。
表情の見えない彼、けれど意外とひょうきんものでノリが良くて。スイートPやイケP、私は勿論、少年ドールともすぐに仲良くなっていた。
あのミレイとも仲良くしていたようだし。μもいい人なんだよ、と何度もにこにこして言っていた。
……そのLucidがいない?
ソーンと一緒に居るんじゃねえか、とイケPからWIREが飛んできた。……それだけ、だろうか。
ソーンと居たとして、そこに居る彼は……私たちの知る、あの仲良しのLucidだろうか。
私は先ほど帰宅部が向かった道を駆け抜けた。長い階段、息を切らせながらもただひたすら上を目指した。
もしかしたら、もしかしたら私は、私たちは。
──Lucidという存在の認識を、大きく間違えて居たのではないか?
やがて階段を上りきり、広いライブ会場が開きっぱなしの扉の向こうに見えた。遠くのセンターには帰宅部とソーン。……Lucidはいなかった。
──いや、違う。
ふと、あの部長が前へと歩み出た。ソーンと対峙するつもりかとも思ったが、違った。彼はそのまま静かに歩みを進め、やがてソーンの隣へと着いた。
……そうして振り向いた彼の、表情は遠く読めなかったが、瞬間黒い、楽士が武器を出す時のあの光とよく似た、しかしそれよりも邪悪なものを纏った光に包まれて──
──包まれて、そこに居たのは。
私達オスティナートの楽士がよく知る、透明人間の謎の楽士、Lucidの姿があった。
ひゅっ、と自分の喉が鳴った。脳が目の前の事態を認識しない。
帰宅部の悲鳴が聞こえる、赤い眼鏡の女の子の声、大人しそうな髪をお団子にした女の子の声、それ以外にも、たくさん、たくさん。
ソーンの高笑いも聞こえる。彼女はあんな、邪悪な声を出すような人だったろうか。
Lucidは……彼は、今どんな表情をしているのだろうか。帰宅部の部長なのだろう?彼らの慟哭を、彼はどんな気持ちで聞いているのだろう?……私たちとも、一体どんな気持ちで、どんな表情で接していたのだろう。スイートPのお茶会も、少年ドールのあの特訓も、Storkとの修行も、イケPとの特訓も、私と出掛けたことだって。彼は、何を思ってこちらについたのだろう?裏切るならそれこそカギPのように、すっぱりと帰宅部を切ればよかったではないか。なのにどうして、どうしてこんなことになるまで。
気付けば、帰宅部の面々はあの黄金の光に包まれていた。怨嗟の交じる、復讐の黄金。
彼らは次々にLucidへと刃を向ける。しかし、Lucidはひらりひらりとそれを交わし、それから何の迷いもなくあの銃をかつての仲間に向けて……引き金を、引いた。
帰宅部の、あのロングヘアーの大人っぽい女の人。Lucidの放った赤い閃光に貫かれ、簡単に墜ちた。赤い眼鏡の子も、あの背の高い、いつも危なげな雰囲気を纏っていた男も。……彼は、いとも簡単に三人を屠ってしまった。
どうしてだ。どうして彼はあんなに簡単に彼らを?情の面でも勿論……そうだ、だってあの黄金の光を纏った彼ら、いつもLucidを含めた楽士複数人で迎え撃ち何とか勝てていたではないか。苦労をしていたではないか。なのに、彼は今一人なのに、そんな簡単に。……あれだけの力があるなら、最初から私たちの手助けなんていらないかっただろうに。
その間にも彼はどんどんとかつての仲間を屠っていく。ショートカットの女の子、男嫌いだった女の子、お団子ヘアーの女の子。みんな、みんな信頼していた部長に……Lucidに撃たれ、苦しげにに地に伏していく。
この力は心の具現化、死なないはず。なのに、伏した彼らは皆酷く苦しげで、見ていられないような姿で……。
──待って、待って。待ってLucid。そこには、帰宅部には、彼が居るのに。私と一緒に現実に立ち向かってくれるとつい先程、そこで約束してくれた彼が……!
私の願いも虚しく、Lucidの目の前にはマントを羽織ったあの整った顔立ちの男の人とそれから……それから私の良く知る、私がこのメビウスで一番仲が良くて、信頼できて、大好きな……鍵介の姿があった。
鍵介は今まで聞いたこともないような、狂ったような、とも聞こえる声音で叫んでいた。
きっと部長と仲が良かったんだろう。きっと、色々と話した仲だったんだろう。
彼は身の丈ほどもある大きな大剣を思い切り振り回し、Lucidという悪魔を討たんとしていた。
……駄目だ、駄目だ、やめて!きっと彼は……彼らはあいつに敵わない。きっとやられてしまう。そうしたら……そうしたら……!
やはりLucidはなんの感慨も無さそうに彼に、鍵介に引き金を引いた。
鍵介の宙を舞っていた身体がバランスを崩し、地面へと落ちる。けれど彼はまだ諦めようとせず、力を振り絞って立とうとした。だがLucidはそんな鍵介に向かって鋭く蹴りを入れ、また数発引き金を引いた。
思わずそこに向かって手を伸ばした。しかし届くはずもない自分の手は虚しく空を掴むだけ。
鍵介は今度こそぐらり、と力を失い、その場へと倒れ込んだ。倒れる瞬間──一瞬、彼と目が合った気がした。
遠くて見えないはずなのに、それなのに、そのとき「すみません」、と謝る声が聞こえた。
「──あ……ぁ、うそ、違う、何、何これ、違う、違う、違う、違う、違うッ……違う違う違う違う違う違う違う!!!!!!!!!」
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!!!
どうして?どうして、なんで?どうして?
違う、私はこんな結末が見たかったからメビウスに居たんじゃない。ただずっと、楽しい夢を見ていたくて、ただそれだけで。
でもそれじゃあ駄目だって教えられたから。分かったから。だから帰るって、現実で会おうって約束した!!なのに、なのになんで?どうして彼はあそこで倒れているの?
どうして起き上がらないの?まだあいつは立ってる。少しも疲れてない。早く倒してよ、現実に帰るんでしょ?あんたの話聞いてあたしは現実に帰ろうって思ったのに、それなのに、それなのに!!!!!
「け、けんっ……けんすけ、嘘だ、嘘、だって、さっきまで……っ!嫌、違う、嫌、こんなの──っ!!」
ぐらり、と視界が回る。いつの間にか後ずさりを始めていた足は背後の階段を忘れていたようで。
段差を踏み外した身体は勢いあまり、簡単に宙へと放り出された。振り返れば、ついさっきまで私が鍵介と話していた階段下が自分の目下に。
鍵介の姿が見えなくなる。Lucidもソーンも、全て見えなくなる。傍観者ですら居られなくなった私の視界にはどんどん小さくなるあの開けっ放しの大きな扉。それから──それから──
「ッ……!!」
スマホから流れるμの声に意識を引っ張り上げられた。
良く知る自分の部屋の天井。カーテンから零れる朝日。よくある、普通の朝の光景。全てを夢だと切り捨ててしまう力を持つ、穏やかな朝の光景。
震える手でアラームを止め、日付を見る。
スマホはの待ち受けには三月十五日、午前七時と書いてある。丁度カギPが楽士入りして一ヶ月目の、朝。
WIREを開く。楽士のグループを開いた。昨日、イケPと自分がふざけて始めた飛び入り参加可のしりとりWIREが長々と続いていた。途中からスイートPにStork、梔子……カギPも参加している。最後はソーンの「迷惑、邪魔」という、奇遇にもその前のイケPの「カリカリ梅」に繋がる一言で終わっていた。
個人のWIREを見てみれば、三日前のスイートPからのお茶会へのお誘いだったり、一週間前の梔子との遊びの予定だったり……カギPとはほぼ毎日のくだらないやり取りが残っている。──いずれも、三月十五日以前のものだ。
それらを眺めていたら、昨日までの出来事をすぐに思い出してきた。昨日は夜中まで珍しく楽士WIREで盛り上がって、それでソーンに怒られて眠ったのは2時頃で……。
そうだ、だから、あの出来事は全部夢だ。
帰宅部なんていう存在は無いし、Lucidなんていう楽士もいない。全部、一夜の夢が見せた幻だ。──本当に?
……本当に、あれは幻?いつかの記憶じゃなくて?
***
今日は楽士全員、何の仕事も入っていない珍しい日だ。
それゆえ控え室には誰もいなく、がらんとしている。だからこそあえて控え室に来た。
控え室が一番落ち着くのだ。静かで、なんの邪魔も入らない。こういう所で優雅にコーヒーを飲み、分厚い本を持っていればそれだけで映える。
カギPとして楽士の仲間入りを果たしてから今日でちょうど1ヶ月。人気はうなぎのぼりで自分の曲もヒットチャートを駆け巡っている。自分の才能が認められた証だ。これだ、これが僕の受ける正当な評価なのだ。
先週のチャートではとうとう1位の枠にカギPの名が載った。それを聞けばまずあのミレイとかいう高飛車な女性は不機嫌そうに舌打ちをした。それすらも今の僕には気分を良くする鐘の音にしか聞こえなかったけれど。
それからイケPは派手に悔しがり、梔子は興味無さげに「そう」とチャートを見てそれだけ呟いた。ソーンからは「これからも頑張ってちょうだい、期待しているわ」とのお言葉まで。
まさに順風満帆、薔薇色の人生。やはり、あの現実が間違っていたのだ。これが、これこそが僕の正しいあり方だ。
昨日の各々の反応を思い出してくく、と喉奥で笑い、誰もいない控え室をぐるりと見回した。いつもと変わらぬ、ごちゃごちゃした部屋。その中でもメイク道具が散乱しているテーブルに目が止まった。
あれはサクヤの物だ。楽士の中でも比較的まともな人。
彼女は僕が楽士に入りたての頃気を遣ったのな色々と構いかけてきた唯一の人だ。顔良しスタイル良しセンス良し。メビウス中のJKのリーダー的な存在。
顔も可愛いし自分好みだし、構われることにたいして特に不快だったりとかは無かった。ただ、学校で会うと面が割れていないこちらとしては少々厄介だったが。
最初はその程度にしか思っていなかったが、暫く接していれば意外にも趣味だったり性格だったりが合致していて、随分話しやすい人なんだと分かった。外見が派手だからパリピみたいな人種なのかな、と勝手に思っていたが実際根っこは真面目で、パリピ特有の面倒臭さだって持ってなかった。
元々親睦を深める機会なんて少ないグループだ。それに自分も楽士外で友達を作ろうだなんてしていない。そうすれば必然的に彼女とばかり接するようになるし、気付けばこちらから彼女に誘いをかけていたり。
自分の才能を周りに認めさせる為の舞台装置程度にしか思っていなかったオスティナートの楽士。けれど彼女と出会えたのは良い収穫だったな、と僕はぼんやり考えながら苦いコーヒーを傾けた。
「わっ……!?」
カップを机に戻すと同時に、控え室の扉がバタン!と大きな音を立てて開いた。思わずコーヒーを零しそうになったがそこは何とか耐えて見せた。
なんだいきなり、折角いい時間を過ごしていたのに邪魔しないでくれよ。軽く睨みつけるように扉に目をやった。
「……え、」
──しかし、そこに居たのは今さっきまで自分が頭に思い浮かべていたサクヤだった。
彼女なら話は別だ。そうだ、どうせなら彼女も一緒にここでゆっくりすればいいのに。いや、むしろ僕とそうするためにここに来たのかな。
「なんだ、貴女ですか。びっくりしましたよー、どうしたんですかそんなに慌てっ──おぅあ!?」
そう呑気なことを考えて声をかけたら、話が終わる前に突然、いきなりサクヤに抱きつかれた。それはもう勢いよく、ガバッと。思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
それも当たり前だ、だってこんな経験したこともない。後ろは背もたれ、前は女の子。何だこれ、どういうことだ。この人僕に気があるのか?いや僕は全然構わない、むしろウェルカムだ。だけどその、順序が逆なんじゃないかこういうのは──
「っちょ……ちょっと、サクヤ、え、あの……ど、どうしたんですか?人の目が無いからって、あの、唐突すぎるといいますか、」
「────った…!」
「え……?」
頭の中がパンクしかかっている僕に返ってきたのはか細い声。いつもの自信満々な明るい彼女が出したとは思えない、苦しげな。
「……よかった、鍵介……!あ、あたしっ……鍵介を、鍵介がっ……!」
「……サクヤ?」
初めてじゃなかろうか、彼女に本名で呼ばれたのは。いや、それよりも彼女はどうしたんだろうか。彼女は震えて、声を詰まらせて、まるで泣いているようだ。……実際泣いている。
「け、鍵介がっ……目の前で倒れて、動かなくなって……あたし、何も出来なくて……ごめんなさい、あたし、嫌な予感してたのに、止められたかもしれないのに、あたしっ……!!」
「……」
もしかしたら、彼女は何か酷く悪い夢を見たんじゃないだろうか。彼女の言い方だと、大方目の前で僕が死んだようだが。
サクヤの尋常では無い憔悴具合、幼子のように僕に縋り付く彼女の腕、それらのせいか何だか彼女がとても頼りない存在に見えた。
──そんなに泣かなくても、所詮夢なのに。だって僕はここにいる。貴女の目の前に居るじゃないか。
「……大丈夫ですよ、咲耶先輩。ちゃんと僕はここに居ますから」
今は彼女の名前をしっかり呼ばないといけないと感じ、初めて名前を呼んでみた。何故か口をついて出たのは「先輩」がついたものだった。今は僕が三年なのに。
そうして手持ち無沙汰になっていた左腕を彼女の背に回し、ぽんぽんとあやすように背中を叩いてやった。それから右手に持ったままだった本をそのままソファに置いて、その手で丁度僕の首元辺りにある彼女の頭を撫でてみた。
彼女の髪はいつもと違いぼさぼさで、余程急いで僕のとこに来たみたいだ。
「たまにありますよね、怖い夢。でも大丈夫ですよ、夢ですから。僕だって生きてるじゃないですか。だってほら、冷たくないでしょ?ね?」
できる限り優しく問いかけてみれば、こくりと小さく彼女が頷いた。けれどまた彼女はぼろぼろと泣き始めてしまい、小さく嗚咽を漏らすのが聞こえた。
「あー……もう、貴女がそんなんだと調子狂うんですけど。落ち着くまで付き合ってあげますから、明日にはいつもの元気な先輩に戻ってくださいよ」
「っ……ご、ごめ……」
「いいですよ、謝らなくて」
僕がそう言えば、また彼女は強く僕にしがみついて泣き出した。何か夢を思い出してしまったのだろうか。……本当に調子が狂う。こんな弱った彼女を見るのは初めてだ。きっと悪夢はメビウスのバグか何かだろう。後でμにしっかり言っておかないと。
──夢というのはすぐに忘れるものだ。彼女が何を見たのか、きっとそれを僕は二度と知ることはないだろう。彼女だって、明日にはもう大部分を忘れている。
だけど、だけどもし僕が彼女の見た世界を見ることが出来たなら……まずは彼女をこんなに泣かせた「僕」を、思いっきりぶん殴ってやろう。