最適化令嬢



第2話
『結納品はつなぎ姿の映像データ』

ソルフィア暦1281年冬。ソルフィア王国首都エルレクサ、フェロナイト宮。ヴェルメ・リガーゼは執務室で、宮廷科学者としての通常業務をこなしていた。この日の午後、彼の手元に「陛下の極秘会談記録」と記された機密文書が届いた。

「また、ですか」
ヴェルメは眼鏡を押し上げ、封を切った。
シェライト王が非公式ルートで他国と接触する際、その記録を整理するのは彼の役目だった。文書を読み進めた瞬間、彼の眉が微かに上がった。
「陛下、推し活で外交を……」ヴェルメは小さく息をついた。「これは記録に残すべきか、焼却すべきか迷う内容ですね」

記録の日付は、ソルフィア暦1280年11月に遡っていた。



【極秘会談記録・カレントリア王国電力管理技術審議官ソルダ・サイリスタとの密約】

発端はカレントリア王国、中央整備工場。ソルダ・サイリスタは、電力管理技術審議官として、工場の監視システムの最終確認を行っていた。ヒノノギ・レーゼシュライツのカレントリア研修は既に終了し、彼はソルフィアへ帰国している。しかし、ソルダの目的は別にあった。

「審議官、映像データの確認が完了しました」技術者が報告した。

「ご苦労」ソルダは淡々と答えた。「すべてのデータを、私の執務室に転送してくれ」

技術者が去った後、ソルダは一人、モニターを見つめた。そこには、6月の整備工場実地研修の映像が映し出されていた。つなぎ姿のヒノノギが、工場の猫と戯れている場面。超高画質。完璧な照明。そして、誰も知らない未公開映像。

「これは」ソルダは眼鏡の奥の目を細めた。「使えるな」

彼は映像を停止し、椅子に深く腰掛けた。そして、甥トランスのことを思い出した。トランスは優秀な「変換・調整」の職人だが、まだ若い。彼が成人する前に、最高の制御回路を組み込んでおかねばならない。

「サイリスタ家の未来には、完璧な最適化装置が必要だ」ソルダは呟いた。「しかし、どこにそんな人材がいる?」

彼は地図を広げた。カレントリア、ソルフィア、ゼルフィア特区。そして、ゼルフィア特区内の小さな公国、ソレラント。

「ソレラント公国、エラスタンス家。制御・最適化を司る一族」ソルダは地図を指でなぞった。「しかし、ゼルフィアはシェライト王の支配下だ。特区の貴族を他国に嫁がせるには、彼の特例承認が必要になる」

ソルダは再びモニターを見つめた。つなぎ姿のヒノノギ。猫。監視カメラの高画質映像。

「これを、使うか」ソルダは静かに笑った。「推しの力は、国境を超える」



ソルフィア暦1281年冬。ソルフィア王宮フェロナイト宮、極秘会談室。

シェライト・エレム・ソルフィアは、非公式ルートで届いた密書を読んでいた。差出人は、カレントリア王国電力管理技術審議官ソルダ・サイリスタ。内容は、「両国の技術交流に関する極秘提案」。

「技術交流?」シェライトは鼻で笑った。「カレントリアとの国境は、私が封鎖した。今更何を」

しかし、密書の最後の一文が、彼の動きを止めた。

「なお、本提案の誠意の証として、1280年カレントリア研修中に撮影されたヒノノギ・レーゼシュライツ氏の未公開映像データを、陛下に献上いたします。内容は『つなぎ姿で猫と戯れる姿』。超高画質、7時間分の完全版でございます」

シェライトの紫紺の瞳が、一瞬深紅に染まった。
「なんだと?」彼は密書を握りしめた。「つなぎ姿?猫?7時間?」

彼は立ち上がった。そして、執務机の引き出しから、ヒノノギの極秘グッズコレクションを取り出した。メモ書き、ポスター、論文集。しかし、「つなぎ姿」のグッズは、一つもない。

「カレントリア研修中の映像」シェライトは呟いた。「あの7ヶ月間、私はヒノノギの姿を全て見ることができなかった」
彼は歯ぎしりした。
「まさか、カレントリアがそんな映像を隠し持っていたとは」

彼は密書を再び読んだ。そして、ソルダの要求に目を通した。

「ゼルフィア特区ソレラント公国、エラスタンス家の令嬢リミッタを、私の甥トランス・サイリスタの妻として迎えるための、特例承認書へのご署名をお願いいたします」

シェライトは窓の外を見つめた。ゼルフィア特区。自分が支配する属国の貴族。たかが一人の令嬢。

「ソレラントの令嬢一人で、この記録が得られるならば」シェライトは呟いた。

彼は深呼吸をした。これは罠だ、と王としての理性は理解していた。だが次の瞬間、彼は「つなぎ姿」「猫」「七時間」という三語だけを読み返していた。

シェライトは机に向かった。そして、特例承認書を取り出した。彼はペンを手に取り、一瞬だけ躊躇した。

「私は、王だ」シェライトは呟いた。「感情に流されるべきではない」

しかし、彼の手は既に動いていた。署名。捺印。完了。

「よかろう」シェライトは承認書を封筒に入れた。「ゼルフィアの令嬢一人で済むなら、安いものだ」

彼は密書を破り捨てた。そして、執務室の奥の金庫を開けた。そこには、「ヒノノギ専用保管庫」と書かれた棚があった。

「つなぎ姿の映像データ」シェライトは呟いた。「これで、私のコレクションはさらに完璧になる」



数日後、カレントリア王国、ソルダの執務室。

ソルダは、シェライトから届いた特例承認書を手に取った。署名、捺印、すべて完璧。彼は満足げに頷いた。

「さすがだな」ソルダは呟いた。「推しの力は、国境も壁も超える」

彼は甥トランスのことを思い出した。来年、彼は成人する。その前に、最高の制御回路を組み込んでおかねばならない。

「リミッタ・エラスタンス・ソレラント」ソルダは名前を口にした。「君が、サイリスタ家の未来を最適化してくれる」

彼は特例承認書を金庫にしまった。そして、弟ダラフに連絡を取った。

「ダラフ、トランスに伝えてくれ」ソルダは静かに言った。「彼に、最高の嫁を用意した。ゼルフィアの令嬢、制御・最適化を司る才女だ」

電話の向こうで、ダラフが困惑した声を上げた。「兄上、いつの間にそんな話を?」

「心配するな」ソルダは淡々と答えた。「すべて計算済みだ。トランスには、完璧な回路が必要だった。そして、私はそれを手に入れた」

「しかし、ゼルフィアは敵対国の特区です。シェライト王が許すはずが」

「許した」ソルダは静かに笑った。「特例承認書は既に手元にある」

ダラフは絶句した。ソルダは電話を切った。そして、窓の外のカレントリアの夜空を見つめた。

「推しは売らない」ソルダは呟いた。「しかし、推しのデータは売る」彼は眼鏡を押し上げた。「これが、裏切らないタレーランの流儀だ」



【記録終了】

ヴェルメは文書を閉じ、深く息をついた。

「陛下、推し活で外交を」ヴェルメは呟いた。「これは、歴史に残すべきか、それとも焼却すべきか」

彼は記録を金庫にしまった。そして、窓の外を見つめた。

「ゼルフィア特区、ソレラント公国」ヴェルメは呟いた。「エラスタンス家の令嬢は、まだ自分がどんな取引の駒になったか、知らないのでしょうね」

彼は眼鏡を外し、レンズを拭いた。

「つなぎ姿の映像データと、最強の制御回路」ヴェルメは静かに笑った。「ソルダという男、恐るべし」

窓の外、ソルフィアの冬の夜は静かだった。しかし、その静けさの裏で、国家を超えた推し活ロンダリングが完了していた。そして、数ヶ月後、リミッタ・エラスタンス・ソレラントは、この異常な取引の真相を知ることもなく、カレントリアへ嫁ぐことになる。

ヴェルメは手帳を再び開いた。そして、最後の一文を書き加えた。

「観測結果:権力者の推し活は、国境を超え、少女の運命を変える。倫理も外交も、推しの前では無力である」

彼は手帳を閉じた。そして、静かに呟いた。

「『水晶宮』の世界は、今日も平常運転ですね」

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