最適化令嬢
第60話
『等価交換の夜』
深夜1時。会議は最終段階に入っていた。
ソルダは電卓を取り出し、数字を打ち込んだ。
「特装版の価格、1,200ソルム。初版部数、5万部」彼は呟いた。「売上見込み、6,000万ソルム」
リミッタは静かに聞いていた。
「印税率10%」ソルダは計算を続けた。「印税総額、600万ソルム」
彼は電卓を置いた。
「この600万ソルムだが」ソルダは言った。「全額、私の推し活資金にする」
リミッタは、少し目を見開いた。
「...構いませんわ」彼女は静かに答えた。
「いや」ソルダは首を振った。「半分は君のものだ。君が書いた原稿なんだから」
「いいえ」リミッタはきっぱりと言った。「全額、伯父様の推し活資金にしてください」
「しかし」
「これは、贖罪ですわ」リミッタは静かに言った。
ソルダは、彼女の顔を見た。
完璧な笑顔。しかし、その目は真剣だった。
「贖罪...?」
「ええ」リミッタは頷いた。「伯父様がヒノノギ博士の映像と引き換えに、わたくしをカレントリアへ送った」
ソルダは、息を飲んだ。
「ならば」リミッタは続けた。「わたくしの青春の記録を売った金で、伯父様の推し活を支える。それが等価交換ですわ」
「等価交換...」ソルダは呟いた。
「はい」リミッタは微笑んだ。「伯父様は、推しの映像と引き換えに、わたくしの青春を奪った」
「リミッタ」
「わたくしは、青春の記録と引き換えに、伯父様の推し活を支える」リミッタは静かに言った。「これで、等しいですわ」
ソルダは、何も言えなかった。
「600万ソルム」リミッタは続けた。「これで、ヒノノギ博士のグッズを存分に購入してくださいませ」
「君は...」ソルダは声を震わせた。「本当に、それでいいのか?」
「ええ」リミッタは頷いた。「わたくしには、十分な収入がありますもの。印税など不要です」
「そうじゃない」ソルダは首を振った。「君の青春の記録を、推し活資金に変えることに、君は本当に納得しているのか?」
リミッタは、少し考えた。
「納得、ですか」彼女は呟いた。
「ああ」
「納得かどうかは、わかりませんわ」リミッタは正直に答えた。「しかし、これが最適解です」
「最適解...」
「ええ」リミッタは微笑んだ。「伯父様は推し活資金を得る。わたくしは贖罪を果たす。両者にとって、効率的な結果です」
ソルダは、眼鏡を外した。
「リミッタ」彼は目頭を押さえた。「君は...本当に優しい子だ」
「優しくなどありませんわ」リミッタは首を振った。「最適化ですもの」
「違う」ソルダは顔を上げた。「これは、優しさだ」
リミッタは、少し戸惑った顔をした。
「伯父様?」
「君は、私を許そうとしている」ソルダは静かに言った。「推し活ロンダリング政略結婚という、許されない行為を」
「許す、というより」リミッタは言葉を選んだ。「受け入れています」
「受け入れる...」
「ええ」リミッタは頷いた。「過去は変えられません。ならば、現在を最適化するしかありませんわ」
ソルダは、涙を拭った。
「君は、16歳の時も、そう言ったな」
「はい」リミッタは小さく笑った。「『わかりました』と言って、優雅に微笑んで、カレントリアへ嫁ぎました」
「何も文句を言わずに」
「文句を言っても、状況は変わりませんもの」リミッタは答えた。「ならば、最適な選択をするだけです」
ソルダは、深く息を吐いた。
「君は、本当に強い子だ」
「強くなどありませんわ」リミッタは首を振った。「ただ、効率的に生きているだけです」
「それが強さだ」ソルダは言った。「感情を押し殺して、合理的に判断する。それは、並大抵のことじゃない」
リミッタは、何も言わなかった。
ソルダは立ち上がった。
「リミッタ」彼は静かに言った。「印税の件、了解した」
「ありがとうございます」
「全額、推し活資金にする」ソルダは続けた。「しかし、これは借りだ」
「借り?」
「ああ」ソルダは頷いた。「いつか、必ず返す」
「返す必要はありませんわ」リミッタは首を振った。「これは等価交換です」
「いや、借りだ」ソルダはきっぱりと言った。「君が本当に幸せになった時、何か別の形で返す」
リミッタは、少し微笑んだ。
「わかりましたわ。では、その時を楽しみにしていますわね」
ソルダは、机の上の原稿を見た。
『学園祭(メイド喫茶と配線バトル)』
唯一、採用される原稿。
「これが、出版される」ソルダは言った。「君の青春の、唯一の記録だ」
「ええ」リミッタは頷いた。「VとIの協働。相棒としての信頼」
「それで、満足か?」
リミッタは、少し考えた。
「満足かどうかは、わかりませんわ」彼女は答えた。「しかし、これが現実です」
「現実...」
「ええ」リミッタは微笑んだ。「わたくしは、トランス様の婚約者。それは変わりません」
ソルダは、何も言わなかった。
ただ、引き出しを見つめた。
そこには、出版されない原稿が眠っている。
『放課後のテスト勉強会』
『運命の席替え』
『体育祭の借り物競走』
『放課後の自転車二人乗り』
『体育館裏での告白』
リミッタの本音。
奪われた青春。
実現しなかった、ありふれた日常。
「いつか」ソルダは呟いた。「これらの原稿を、笑いながら読める日が来る」
「その日が来ることを、わたくしも願っていますわ」リミッタは微笑んだ。
二人は、しばらく黙っていた。
深夜の執務室。
静かな時間。
「それでは」リミッタは立ち上がった。「失礼いたします」
「ああ」ソルダは頷いた。「今日は遅くまで、ありがとう」
「いいえ」リミッタは深く頭を下げた。「こちらこそ、ありがとうございました」
彼女は、執務室を出て行った。
ソルダは一人、残された。
彼は引き出しを開け、原稿を取り出した。
『体育館裏での告白』
「わたくしの愛棒(I)になってくださいませ」
リミッタの、一番の本音。
しかし、永遠に出版されない記録。
「君は」ソルダは呟いた。「本当に優しい子だ」
推し活ロンダリング政略結婚。
その代償として、リミッタは青春を奪われた。
しかし、彼女は恨まなかった。
それどころか、青春の記録を売った金で、伯父の推し活を支えると言った。
「等価交換、か」ソルダは苦笑した。「全然、等しくないだろう」
彼は原稿を引き出しにしまった。
「いつか」彼は呟いた。「君が本当に幸せになった時」
「この借りを、必ず返す」
深夜の宰相府。
編集会議は、こうして終わった。
出版される原稿は一つ。
没になった原稿は五つ。
しかし、すべてが、リミッタの大切な記録だった。
そして、ソルダの、贖罪の始まりだった。
翌朝。
ソルダは、ヒノノギのグッズを注文した。
缶バッジ、アクリルスタンド、ポスター。
しかし、その注文書を見つめながら、彼は呟いた。
「これは、借りだ」
「いつか、必ず返す」
推し活資金を手にした伯父の、静かな誓いだった。
