最適化令嬢



第59話
『妥協点という名の希望』

ソルダは、五つ目の原稿を手に取った。

「『学園祭(メイド喫茶と配線バトル)』」彼は原稿を読み始めた。

リミッタのベルトコンベア式メイド喫茶。

東棟全体の電力危機。

リアクトルが分電盤を組み直し、リミッタがコンベア速度を微調整する。

二人の息がぴったり合い、完璧に協働する。

ソルダは読み進めた。

「よろしいですわ。あなたの『電流(I)』で、どこまで回し切れるか見せていただきましょう」

「おう、任せとけ。この学校のインフラは俺が守る」

設計(V)と実装(I)。理論と現場。完璧に噛み合った、二つの回路。

ソルダは原稿を置いた。

「これなら、採用できる」

リミッタは顔を上げた。「本当ですか?」

「ああ」ソルダは頷いた。「学園祭のメイド喫茶と配線バトル。これなら出版できる」

「理由を伺ってもよろしいですか?」

ソルダは原稿を指差した。「二人が息を合わせて問題を解決する。それは恋愛ではなく、相棒としての信頼だ」

リミッタは少し考えた。

「相棒...」

「ああ」ソルダは説明した。「VとI。設計と実装。これは、技術者同士の協働だ」

「つまり」

「恋愛要素として読まれにくい」ソルダは言った。「読者は、これを『優秀な相棒との連携』として受け取る」

リミッタは、少し複雑な表情をした。

「...そうですわね」彼女は小さく答えた。「相棒、ですわね」

ソルダは、彼女の表情を見た。

少しだけ、寂しそうな顔。

しかし、リミッタはすぐに完璧な笑顔を取り戻した。

「では、この学園祭パートを本編に採用ということで」

「ああ」ソルダは頷いた。「ただし、条件がある」

「条件?」

「学園祭の後に」ソルダは静かに言った。「私とリアクトルの親子関係が発覚する場面を入れる」

リミッタは目を見開いた。

「それは...」

「DNA検査。隠し子発覚」ソルダは淡々と言った。「1285年9月23日の出来事を、そのまま書く」

「しかし、それは伯父様の」

「醜態だ」ソルダはきっぱりと言った。「推し活に夢中で、19年間息子の存在に気づかなかった。その恥ずべき事実を、全国に晒す」

リミッタは、少し戸惑った顔をした。

「でも、それは...」

「自分の醜態も晒す」ソルダは静かに言った。「それが、君の青春を奪った代償だ」

リミッタは、何も言えなかった。

ソルダは続けた。

「君は、16歳で政略結婚させられた。共学の青春を奪われた」彼は原稿を見た。「その代償として、私も自分の恥を晒す」

「伯父様...」

「これで、等価交換だ」ソルダは微笑んだ。「君の青春と、私の尊厳」

リミッタは、少し涙ぐんだ。

「ありがとうございます」

ソルダは、次の原稿を手に取った。

「最後、六つ目」彼は表紙を見た。「『体育館裏での告白(没予定)』」

彼は原稿を開いた。

「わたくしには、あなたが必要ですわ。わたくしの設計(V)を、実装(I)してくれる人が」

「わたくしの愛棒(I)になってくださいませ」

愛棒。電流(I)。そして、相棒(あいぼう)。三重の意味を込めた、彼女なりの告白。

ソルダは、原稿を読み進めた。

「だから、これは」リミッタは続けた。「現実ではありませんわ」

「フィクションですわ。『もし、わたくしが普通の女子高生だったら』という仮定の物語」

「現実のわたくしは、トランス様の婚約者。それは変わりません」

ソルダは原稿を置いた。

「これは...」

「没にしてください」リミッタは即座に言った。

「しかし」ソルダは彼女を見た。「これこそが、君の本音では?」

リミッタは、静かに頷いた。

「ええ」彼女は小さく答えた。「だからこそ、出版できませんわ」

「なぜだ?」

「わたくしには、既にトランス様という婚約者がいます」リミッタは答えた。「それなのに、別の男性への告白を書く。それは、倫理的に許されません」

ソルダは、少し考えた。

「しかし、これはフィクションだ」

「フィクションでも、ダメですわ」リミッタはきっぱりと言った。「わたくしの本音が、ここには書かれています」

「本音...」

「ええ」リミッタは原稿を見た。「もし、わたくしが普通の女子高生だったら。リアクトルに、こう告白していたでしょう」

ソルダは、黙って聞いていた。

「しかし、現実は違います」リミッタは続けた。「わたくしは16歳で結婚し、トランス様の婚約者になりました」

「だから」

「だから、この告白は、永遠に実現しません」リミッタは静かに言った。「フィクションの中にすら、存在してはいけないのです」

ソルダは、深く息を吐いた。

「リミッタ」彼は静かに聞いた。「君は、リアクトルのことを...」

「わかりませんわ」リミッタは首を振った。「ただ、彼との協働は、充実していました」

「充実...」

「ええ」リミッタは小さく笑った。「計算通りにいかない、泥臭い現場感覚。それが、わたくしの完璧な世界に、新しい風を吹き込んでくれました」

ソルダは、彼女の表情を見た。

少しだけ、柔らかい顔。

「しかし、それは」リミッタは続けた。「相棒としての信頼です。恋愛ではありません」

「本当に?」

リミッタは、少し考えた。

「...わかりませんわ」彼女は正直に答えた。「でも、それを確かめる必要はありません」

「なぜだ?」

「わたくしには、トランス様がいますから」リミッタは微笑んだ。「彼こそが、わたくしの婚約者です」

ソルダは、原稿を手に取った。

「では、この告白シーンは」

「完全に没にしてください」リミッタはきっぱりと言った。「保管すら、不要です」

「しかし」

「いいえ」リミッタは首を振った。「これは、存在してはいけない記録です」

ソルダは、少し考えた。

「わかった」彼は頷いた。「この原稿は、完全に封印する」

「ありがとうございます」

ソルダは、原稿を引き出しの一番奥にしまった。

「ただし」彼は付け加えた。「いつか、君が本当にこの感情と向き合う日が来たら」

「その日は来ませんわ」リミッタは微笑んだ。「わたくしは、トランス様と共に、最適化された人生を歩みます」

ソルダは、何も言わなかった。

ただ、引き出しを閉じた。

「それでは」リミッタは立ち上がった。「本日の会議は、これで終了ですわね」

「ああ」ソルダは頷いた。「学園祭パートを採用。他は全て没。そして、DNA検査シーンを追加」

「承知いたしました」リミッタは深く頭を下げた。「ご指導、ありがとうございました」

「リミッタ」ソルダは彼女を呼び止めた。

「はい」

「君は」ソルダは静かに言った。「本当に、幸せか?」

リミッタは、少し考えた。

「幸せの定義は、人それぞれですわ」彼女は答えた。「わたくしは、最適化された人生を送っています。それで十分です」

「最適化された人生...」

「ええ」リミッタは微笑んだ。「効率的で、合理的で、無駄のない人生」

ソルダは、何か言いかけた。

しかし、言葉を飲み込んだ。

「そうか」彼は小さく答えた。「なら、いいんだ」

リミッタは、執務室を出て行った。

ソルダは一人、机の前に座った。

引き出しの中には、リミッタの青春が眠っている。

『放課後のテスト勉強会』

『運命の席替え』

『体育祭の借り物競走』

『放課後の自転車二人乗り』

『体育館裏での告白』

すべて、没原稿。

しかし、すべて、彼女の本音。

「最適化された人生、か」ソルダは呟いた。

彼は、窓の外を見た。

夜のカレントリアの街。

どこかで、リアクトルが分電盤をチェックしているかもしれない。

どこかで、トランスが胃薬を飲んでいるかもしれない。

そして、リミッタは、宰相府の自室で、明日の実務計画を立てているだろう。

「いつか」ソルダは呟いた。「君が笑える日が来る」

その日まで、この原稿を守り続けよう。

それが、推し活に溺れた伯父の、せめてもの贖罪だった。

深夜の執務室で、ソルダは静かに引き出しを撫でた。

姪の青春が、そこに眠っている。

いつか、笑える日まで。


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