最適化令嬢
第56話
『編集会議の開幕』
ソルフィア暦1286年9月、カレントリア宰相府。
ソルダの執務室には、夕暮れの光が差し込んでいた。机の上には、『最適化令嬢』第2巻の企画書と、リミッタが提出した原稿の束が積まれている。
「それでは、伯父様」リミッタは優雅に資料を差し出した。「こちらが、特装版の付録として提案する『共学でやりたかった青春イベントリスト』ですわ」
ソルダは眼鏡を押し上げ、手帳を受け取った。
そこには、几帳面な文字で、タイトルと簡単な梗概が記されている。
1.放課後のテスト勉強会(図書室)
理論と現場のオームの法則バトル。トランス会長の胃痛付き。
2.運命の席替え(最適化されたくじ引き)
87.3%の確率でリアクトルの隣に座れるように最適化。後頭部観測記録。
3.体育祭の借り物競走
「一番高圧に耐えられる絶縁体」で手を引かれて全力疾走。
4.放課後の自転車二人乗り(魔改造モーター付き)
DC48V、出力500W。制御不能な加速度。
5.学園祭(メイド喫茶と配線バトル)
ベルトコンベア式メイド喫茶と電力危機。VとIの完璧な協働。
6.体育館裏での告白(没予定)
「わたくしの愛棒(I)になってくださいませ」トリプルミーニング告白。
ソルダは、リストを見つめたまま固まった。
「...」
「伯父様?」リミッタは不安そうに聞いた。
「これが」ソルダはゆっくりと顔を上げた。「君の原稿リストか...」
「はい」リミッタは頷いた。「16歳で政略結婚した際に奪われた、共学の青春を再構築したものですわ」
ソルダは再びリストに目を落とした。
87.3%の確率で隣に座れるように最適化。
制御不能な加速度。
わたくしの愛棒(I)になってくださいませ。
「リミッタ」ソルダは静かに聞いた。「このリスト、全部書いたのか?」
「ええ」リミッタは答えた。「計6編。合計約3万字ですわ」
「6編...」ソルダは頭を抱えた。
彼は、編集長として、プロデューサーとして、そして伯父として。
三つの立場の間で、激しく揺れ動いていた。
編集長としての判断:
ソルダは机の引き出しから、読者層データを取り出した。
『最適化令嬢』読者層分析(第1巻実績):
・10代~20代女性:63%(胸キュンラブコメ目当て)
・官僚・実務者:22%(実務マニュアルとして読む)
・カレントリア国民(推し活層):10%
・その他:5%
「10代~20代女性が6割超」ソルダは呟いた。「この層には、胸キュン要素が必須だ」
彼はリストを見た。
体育祭の借り物競走:手を引かれて全力疾走。
「これは使える」ソルダは頷いた。「少女漫画の王道展開だ」
放課後の自転車二人乗り:制御不能な加速度。
「これも良い。背中にしがみつくシーン、女性読者が好む」
しかし。
運命の席替え:87.3%の確率で最適化。後頭部観測記録。
「これは...」ソルダは眉をひそめた。「完全にストーカーに見える」
体育館裏での告白:わたくしの愛棒(I)になってくださいませ。
「これは...」ソルダは手で顔を覆った。「危険すぎる」
伯父としての罪悪感:
ソルダは、リミッタの原稿を読み返した。
行間から見えてくる、彼女の本音。
「同世代の男子と机を並べて、一つの問題について言い合う」という、ごく普通の共学の日常。
「授業中、前の席の後頭部を見る」という行為は、ごく普通の女子高生が当たり前に享受している特権。
「泥臭くて速くて少し危険な乗り物」に、同級生の男子と乗る。これこそが、彼女が求めていた「最高のノイズ(青春)」。
ソルダは、深く息を吐いた。
「私が...」彼は呟いた。「君から、これを奪った」
1282年。推し活ロンダリング政略結婚。
ヒノノギの「つなぎ姿で猫と戯れる超高画質映像7時間分」と引き換えに、16歳のリミッタをカレントリアへ送った。
その結果が、この原稿の山だ。
プロデューサーとしての計算:
ソルダは電卓を取り出した。
「特装版の価格:1,200ソルム」
「初版部数:5万部」
「売上見込み:6,000万ソルム」
「印税率:10%」
「印税総額:600万ソルム」
彼は、手を止めた。
「全額、推し活資金になる...」
ヒノノギのグッズ。缶バッジ、アクリルスタンド、ポスター。そして、密輸ルートで入手する限定品。
600万ソルムあれば、1年分の推し活資金が確保できる。
しかし。
「トランスの胃壁保護も、考慮しなければならない」ソルダは呟いた。
リストの中には、婚約者であるトランスが読んだら確実に胃を痛める内容が含まれている。
体育祭の借り物競走:婚約者と従弟が手を繋いで走る。
放課後の自転車二人乗り:婚約者が従弟の背中にしがみつく。
体育館裏での告白:「わたくしの愛棒(I)になってくださいませ」
「トランスが読んだら」ソルダは頭を抱えた。「確実に、病院送りだな」
彼は、深く息を吐いた。
「リミッタ」ソルダは顔を上げた。「一つ聞いていいかな」
「はい」
「このリスト」ソルダはページをめくった。「全部、出版したいのか?」
リミッタは少し考えた。
「いいえ」彼女は静かに答えた。「6番の『体育館裏での告白』は、没予定ですわ」
「理由は?」
「出版できない内容だからです」リミッタは答えた。「わたくしには、既にトランス様という婚約者がいます。それなのに、別の男性への告白を書くなど、倫理的に許されませんわ」
ソルダは、少し安堵した。
「では、他の5編は?」
「伯父様のご判断にお任せしますわ」リミッタは言った。「売上と、トランス様の胃壁を天秤にかけて、最適解を出してくださいませ」
ソルダは、リミッタを見つめた。
20歳の彼女は、優雅に座り、完璧な笑顔を浮かべている。
しかし、その目の奥には、わずかな寂しさが宿っていた。
「リミッタ」ソルダは静かに言った。「君は、本当は何が書きたかったんだ?」
リミッタは、少し驚いた顔をした。
「本当は...?」
「ああ」ソルダは原稿を見た。「この6編。全部、君の『奪われた青春』だ」
リミッタは、視線を落とした。
「そう、ですわね」彼女は小さく答えた。「16歳で結婚してから、わたくしには共学の日常がありませんでした」
「だから、フィクションで取り戻そうとした」
「ええ」リミッタは頷いた。「実現しなかった青春を、物語の中で」
ソルダは、深く息を吐いた。
「それは」彼は静かに言った。「私の罪だ」
リミッタは顔を上げた。
「推し活ロンダリング政略結婚」ソルダは自嘲するように笑った。「ヒノノギ博士の映像と引き換えに、君の青春を売った」
「伯父様」
「君は、怒っていいんだぞ」ソルダは言った。「私を恨んでいいんだ」
リミッタは、少し考えた。
「恨んでは、いませんわ」彼女は静かに答えた。「結果として、わたくしはトランス様という優れた婚約者を得ました。宰相府の実務も、充実しています」
「しかし」
「しかし」リミッタは続けた。「時々、思うのです。もし、わたくしが普通の女子高生だったら、と」
ソルダは、黙って聞いていた。
「同級生と勉強して、席替えで隣に座れるか期待して、体育祭で手を繋いで走って」リミッタは小さく笑った。「そういう、ありふれた日常が、どんなものだったのか、と」
彼女は手帳を見た。
「だから、書きましたわ。フィクションの中で」
ソルダは、胸が痛んだ。
「リミッタ」彼は静かに言った。「今から、これらの原稿をどう扱うか、一緒に考えよう」
「はい」
「ただし」ソルダは眼鏡を外した。「私は、編集長としてだけでなく、伯父としても、君の味方だ」
リミッタは、少し目を見開いた。
「伯父様...」
「売上も大事だが」ソルダは言った。「君の気持ちも、トランスの胃壁も、すべて考慮する」
彼は原稿を手に取った。
「それでは、一つ一つ、査定していこう」
リミッタは、小さく微笑んだ。
「ありがとうございます、伯父様」
宰相府の執務室で、編集会議が始まった。
売上、読者層、胃壁保護、そして姪の青春。
すべてを天秤にかけた、長い夜になりそうだった。
