最適化令嬢
第55話
『息の合った回路』
午後3時。学園祭は最高潮を迎えていた。
メイド喫茶の教室では、リミッタがタブレットを見つめている。電圧、電流、コンベアの速度。すべてのデータがリアルタイムで表示されている。
「電圧98.2%。電流12.3A。完璧ですわ」彼女は呟いた。
その時、電圧が98.5%に上昇した。
リミッタは即座に理解した。「リアクトルが、また調整してくれましたわね」
彼女はコンベアの速度を54%から55%へ引き上げた。
ベルトコンベアが、わずかに加速する。客たちは気づかないほどの微細な変化。しかし、回転率は確実に向上していく。
分電盤室。
リアクトルは汗を拭いながら、配線を見つめていた。
「令嬢、また速度上げたな」彼は電流計の変化を見て、小さく笑った。「なら、こっちも応える」
彼は主幹回路の設定を微調整した。抵抗を0.2Ω削減。電流供給を0.5A増加。
「これで、もう少し余裕ができる」
リアクトルの手は、迷いがない。泥だらけの指が、正確に配線を操作する。
メイド喫茶の教室。
リミッタは電圧の上昇を確認した。
「98.7%。彼、本当に優秀ですわ」彼女は小さく微笑んだ。
その表情を、トランスは見逃さなかった。
彼は教室の隅で、二人のやり取りを観察していた。
リミッタがコンベアの速度を調整する。数分後、電圧が変化する。リミッタが再び速度を上げる。また電圧が安定する。
「(会話もしてないのに...)」トランスは胃を押さえた。「(完璧に連携してる)」
リアクトルは分電盤室にいる。リミッタは教室にいる。
しかし、二人は互いの意図を理解し、完璧に協力している。
まるで、一つの回路のように。
「(なんで、あんなに息ピッタリなの?)」トランスは心の中で叫んだ。「(僕とリミッタだって、こんなに...)」
彼は言葉を飲み込んだ。
リミッタの表情が、いつもと違う。
冷たい笑顔ではなく、少しだけ温かい表情。
「(楽しそう、だ)」トランスは気づいた。「(リミッタ、あんな顔するんだ)」
彼女は、リアクトルとの協働を、楽しんでいる。
トランスは胃薬を取り出した。
「(青春のベクトルが、おかしいよ...)」彼は小さく呟いた。「(これ、本当に大丈夫なのかな...)」
午後4時。
客の波が、少し落ち着いた。
リミッタは最新のデータを確認した。
「客数321名。売上160,500ソルム。目標比98%」彼女は満足げに頷いた。「順調ですわ」
その時、リアクトルが教室に入ってきた。
「おう、令嬢。調子どうだ?」
「完璧ですわ」リミッタは振り返った。「あなたの電力供給、非常に安定しています」
「そりゃよかった」リアクトルは電圧計を見た。「お前も、速度の調整、うまいな」
「当然ですわ。わたくしの計算は正確ですもの」
「計算だけじゃねえだろ」リアクトルは笑った。「俺の供給に合わせて、リアルタイムで調整してる。それ、センスだよ」
リミッタは少し驚いた顔をした。「センス...ですか」
「ああ。お前、理論だけじゃなくて、現場感覚もあるんだな」
リミッタは少し頬を染めた。「...褒め言葉として受け取りますわ」
「褒めてるよ」リアクトルは工具箱を持ち上げた。「じゃあ、最後の調整してくる。このまま閉店まで安定させるから」
「お願いしますわ」
リアクトルは出て行った。
リミッタは、彼の背中を見送った。
トランスは、その様子を見ながら、深く息を吐いた。
「(完全に、信頼し合ってる...)」彼は心の中で呟いた。「(VとI。設計と実装。完璧なインピーダンス整合だ)」
彼は、リミッタに近づいた。
「リミッタ」
「はい、会長」
「君、楽しそうだね」
リミッタは少し考えた。「楽しい...というより、効率的ですわ」
「効率的だから、楽しいんじゃない?」
リミッタは少し目を見開いた。
「そう、かもしれませんわね」彼女は小さく笑った。「リアクトルとの協働は、非常に充実しています」
トランスは、その笑顔を見て、また胃を押さえた。
「(充実、か...)」彼は心の中で呟いた。「(僕じゃなくて、リアクトルと仕事をしている時に)」
午後5時。学園祭、終了時刻。
アナウンスが校内に響く。
『本日の学園祭は終了いたしました。ご来場ありがとうございました』
リミッタは最終集計を確認した。
「客数387名。売上193,500ソルム。目標比102%」彼女は満足げに頷いた。「成功ですわね」
クラスメイトたちが歓声を上げた。
「やったー!」
「リミッタのおかげだよ!」
「ベルトコンベア、最初は変だと思ったけど、結果的に大成功だったね!」
リミッタは優雅に微笑んだ。「皆様のご協力のおかげですわ」
リアクトルが、教室に戻ってきた。
「おう、終わったか」
「ええ」リミッタは彼に向き直った。「おかげさまで、大成功でした」
「そりゃよかった」リアクトルは工具箱を置いた。「電力、最後まで安定してたろ?」
「完璧でしたわ」リミッタは頷いた。「あなたの技術力に感謝いたします」
「礼なんていいよ。お前の設計(V)が良かったからな」
「あなたの実装(I)も、ですわ」
二人は、少し笑った。
夕暮れの光が、教室を赤く染めている。
リミッタは窓の外を見た。「効率的でしたわね」
「ああ」リアクトルは頷いた。「お前の設計(V)も、悪くなかった」
「あなたの実装(I)も、悪くありませんでしたわ」
トランスは、二人の会話を聞きながら、深く息を吐いた。
「(この二人...)」彼は心の中で呟いた。「(本当に大丈夫なのかな...)」
彼は、リミッタの横顔を見た。
いつもより、少しだけ柔らかい表情。
そして、リアクトルを見る目が、少しだけ温かい。
「(これ、完全に...)」トランスは胃薬を噛み砕いた。「(フラグだよね...)」
しかし、口には出せない。
ただ、二人を見守るしかなかった。
片付けが終わり、教室には数人しか残っていなかった。
リミッタは鞄を持ち、教室を出ようとした。
「リミッタ」トランスが声をかけた。
「はい、会長」
「明日も、頑張ろうね」
「ええ」リミッタは微笑んだ。「明日も、リアクトルに協力をお願いしますわ」
トランスは、その言葉に少しだけ胸が痛んだ。
「...うん。そうだね」
リミッタは教室を出た。
トランスは一人、夕暮れの教室に残された。
「(リアクトルに協力をお願いする、か)」彼は呟いた。「(僕じゃなくて)」
彼は窓の外を見た。
校庭で、リアクトルが分電盤の最終チェックをしている。そして、リミッタが彼に近づいていく。
二人は何か話している。リアクトルが笑い、リミッタも微笑んでいる。
「(あんなに自然に、笑い合ってる)」トランスは胃を押さえた。「(僕とリミッタは、いつもビジネスライクなのに)」
夕日が、二人の影を長く伸ばしている。
設計(V)と実装(I)。
理論と現場。
完璧に噛み合った、二つの回路。
トランスは、教室を出た。
「(この二人、本当に大丈夫なのかな...)」彼は心の中で呟いた。「(僕の婚約者と、僕の従弟が、こんなに息ぴったりで...)」
しかし、答えは出ない。
ただ、胃薬を飲むしかなかった。
夕暮れの校庭。
リミッタとリアクトルは、並んで歩いていた。
「明日も、よろしくお願いしますわ」リミッタは言った。
「おう、任せとけ」リアクトルは笑った。「お前の設計(V)、俺が完璧に実装(I)してやるよ」
「期待していますわ」
二人は、校門まで歩いた。
「じゃあな、令嬢。また明日」
「ええ。また明日ですわ」
リアクトルは、自転車に乗って去って行った。
リミッタは、その背中を見送った。
「設計(V)と実装(I)」彼女は呟いた。「悪くない関係ですわね」
心臓が、少しだけ速く鳴った。
計算できない、この感覚。
リミッタは手帳を開き、記録をつけた。
『学園祭1日目。大成功。リアクトルとの協働、極めて効率的。明日も継続』
そして、最後に小さく書き加えた。
『彼との協働。充実。理由、分析中』
リミッタは手帳を閉じた。
夕日が、彼女の金色の髪を照らしている。
「また、明日ですわね」彼女は小さく笑った。
カレントリア王立技術高校の学園祭。
最適化された青春の一日は、こうして終わった。
しかし、物語は、まだ始まったばかりだった。
