最適化令嬢
第54話
『電圧と電流の交渉』
メイド喫茶の教室で、リミッタとリアクトルは睨み合っていた。
「わたくしのクラスは規定内の電力使用ですわ」リミッタは譲らなかった。「ベルトコンベア800W。これは完全に許容範囲内です」
「許容範囲でも、他のクラスと同時稼働したら過負荷なんだよ!」リアクトルは工具箱から電圧計を取り出した。「見ろ、東棟全体で14.7kW使ってる。供給限界は12kWだぞ!」
リミッタはタブレットを操作した。「それなら、隣のクラスの青色LED発光わたあめの無駄な電力をバイパスすれば、問題なく稼働しますわ」
「他人のクラスの電力を奪うな!」リアクトルは叫んだ。「しかも、あの青色LED、親父が泣きながら見張ってて落とせねえんだよ!」
「落としましたわよ、もう」リミッタは冷静に指摘した。「あなたがさっき分電盤で落としたのでしょう?」
「...ああ、そうだけど」リアクトルは少し顔をしかめた。「親父、マジで泣いてたぞ。『私の470nm...』って」
「推し活ですわね」リミッタは即座に診断した。「ヒノノギ博士の瞳の色を再現したかったのでしょう」
「知ってんのか」
「当然ですわ。ソルダ伯父様の推し活は、カレントリア全土で有名ですもの」
リアクトルは頭を掻いた。「まあ、それはいいとして。お前のベルトコンベア、速度落とせ」
「お断りですわ」リミッタはきっぱりと答えた。「回転率が下がれば、売上も下がります」
「売上より、学校の安全が先だろ!」
「安全なら、他から電力を引っ張ってくればいいですわ」リミッタは提案した。「例えば、一階の演劇部の照明。あそこは今、舞台準備で照明を使っていませんわ」
「演劇部の照明から引っ張る?」リアクトルは呆れた顔をした。「お前、配線の距離わかってんのか?一階から二階まで、どんだけケーブル引くと思ってんだ」
「計算では、50メートルのケーブルがあれば十分ですわ」
「その50メートルのケーブルが、物理的にねえんだよ!」リアクトルは叫んだ。「しかも、そんな長距離配線したら、抵抗で電圧降下して使い物にならねえ!」
「では、ケーブルの太さを増やせば」
「太いケーブルもねえ!」
「なら、並列接続で」
「時間がねえ!」
二人の声が、教室に響く。
客たちは、ベルトコンベアの上で、困惑しながら二人を見ていた。
「あの...メイドさんと作業着の人、何を喧嘩してるの?」
「電気の話...?」
その時、トランスが慌てて教室に戻ってきた。
「二人とも、ちょっと待って!」彼は二人の間に入った。「何で、メイド喫茶の中でインピーダンス整合を始めてるの...?」
「インピーダンス整合ではありませんわ」リミッタは訂正した。「電力配分の最適化です」
「同じだろ!」トランスは胃を押さえた。「お願いだから、客の前で専門用語バトルしないで」
リアクトルは舌打ちした。「会長、こいつが頑固で話にならねえんだよ」
「頑固なのはあなたですわ」リミッタは反論した。「わたくしの提案を、すべて却下するのですから」
「お前の提案、全部非現実的なんだよ!」
「あなたの現場感覚が、理論を理解していないだけですわ!」
「理論だけじゃ現場は回らねえって言ってんだろ!」
トランスは深く息を吐いた。「二人とも...」
照明が、再び点滅した。
ベルトコンベアの動きが、さらに遅くなる。
リアクトルは電圧計を見た。「やべえ、電圧が87%まで下がってる。このままじゃ、マジで全棟停電だ」
リミッタも、タブレットの警告を見た。ベルトコンベアのモーターが、過負荷警告を出している。
「このままでは...」彼女は呟いた。
リアクトルは、リミッタを見た。
「なあ、令嬢」彼は声のトーンを変えた。「取引しよう」
「取引?」
「ああ」リアクトルは工具箱を開けた。「俺が分電盤を組み直して、お前のクラスにギリギリのアンペアを回してやる」
リミッタは目を細めた。「条件は?」
「コンベアの速度を落とせ。今の70%から、50%に」
「50%?」リミッタは即座に計算した。「それでは回転率が42%低下します」
「その代わり、安定した電力供給が保証される」リアクトルは言った。「俺が、専用の回路を組んでやる。他のクラスの影響を受けない、独立した回路だ」
リミッタは少し考えた。
「独立回路...」彼女は呟いた。「つまり、他のクラスが電力を使いすぎても、わたくしのクラスには影響しない?」
「ああ。ただし、その代わりに速度制限だ」
リミッタはタブレットで再計算した。
速度50%でも、独立回路なら安定する。回転率は下がるが、停電リスクはゼロ。長期的には、安定性が利益を生む。
「...わかりましたわ」リミッタは頷いた。「条件を受け入れます」
リアクトルは少し笑った。「素直じゃねえか」
「素直ではありませんわ。合理的な判断ですわ」リミッタは少し目を見開いて、彼を見た。「よろしいですわ。あなたの『電流(I)』で、どこまで回し切れるか見せていただきましょう」
リアクトルは、その言葉の意味を理解した。
電流(I)。実装。現場の力。
リミッタが、彼の役割を認めた瞬間。
「おう、任せとけ」リアクトルはニヤリと笑った。「この学校のインフラは、俺が守る」
彼は工具箱を持って、分電盤室へ走った。
30分後。
リアクトルは分電盤室で、配線を組み直していた。
汗だくになりながら、ケーブルを繋ぎ、回路を再設計する。
「東棟の主幹から、直接令嬢のクラスに専用回路を引く」彼は呟きながら作業した。「他のクラスとは完全に独立させる。これなら、過負荷の影響を受けねえ」
彼の手は、泥で汚れている。しかし、その動きは正確で、迷いがない。
「令嬢の設計(V)を、実装(I)する」リアクトルは小さく笑った。「悪くねえな」
配線が完了した。
リアクトルは、スイッチを入れた。
メイド喫茶の教室。
照明が、安定した明るさを取り戻した。
ベルトコンベアが、ゆっくりと、しかし確実に動き始める。
リミッタは電圧計を確認した。「電圧、定格の98%。完全に安定していますわ」
客たちが、安堵の声を上げた。
「やっと、普通に動いた」
「さっきまで止まりそうだったのに」
リミッタはタブレットに記録をつけた。「速度50%。回転率は予測より低下しましたが、安定性は完璧。これなら、長期的には...」
その時、リアクトルが教室に戻ってきた。
「おう、令嬢。専用回路、完成だ」
リミッタは彼を見た。「ご苦労様でした」
「どうだ?安定してるだろ」
「ええ」リミッタは小さく微笑んだ。「完璧ですわ」
リアクトルは、その笑顔を見て、少し驚いた。
さっきまでの冷たい笑顔ではなく、少しだけ温かい笑顔。
「令嬢、今のいい顔だな」
「え?」リミッタは慌てて表情を戻した。「何を仰いますの」
「いや、さっきまで機械みたいな顔してたけど、今のは人間っぽかった」
リミッタは少し頬を染めた。「...失礼な評価ですわね」
トランスは、二人の様子を見ながら、また胃を押さえた。
「(この二人...息、ピッタリだな)」
彼は小さく呟いた。
「(オームの法則バトルをしながら、完璧に協力してる。これ、まずいんじゃないかな...)」
しかし、口には出さなかった。
ただ、胃薬を噛み砕くだけだった。
夕方、学園祭の終了時刻。
リミッタのメイド喫茶は、最終的に客数387名、売上193,500ソルムを記録した。
「回転率は予測より低下しましたが」リミッタは集計表を見た。「安定性が功を奏し、最終的には目標売上の102%を達成しました」
リアクトルは教室の隅で、工具箱を片付けていた。
「よかったな、令嬢」
「ええ」リミッタは彼に近づいた。「あなたのおかげですわ」
「別に。当たり前のことしただけだ」
「いいえ」リミッタは真剣な顔で言った。「わたくしの設計(V)を、あなたが実装(I)してくれた。だから、成功したのです」
リアクトルは少し笑った。「そういう言い方するんだな」
「物理的に正確な表現ですわ」
二人は、少し笑った。
教室の窓から、夕日が差し込んでいる。
リミッタは、その光の中で、リアクトルの背中を見つめた。
泥だらけの作業着。傷だらけの手。
でも、その手が、今日、わたくしを助けてくれた。
「ありがとうございました」リミッタは小さく言った。
「おう」リアクトルは工具箱を持ち上げた。「じゃあな、令嬢。また明日」
彼は教室を出て行った。
リミッタは一人、夕日の中に立っていた。
「電流(I)」彼女は呟いた。「わたくしの設計を、実装する存在」
心臓が、少しだけ速く鳴った。
計算できない、この感覚。
リミッタは手帳を開き、記録をつけた。
『学園祭。電力危機。リアクトルの協力により解決。設計(V)と実装(I)の協働。効率的』
そして、最後に小さく書き加えた。
『彼の笑顔。記録不可能』
リミッタは手帳を閉じた。
窓の外で、リアクトルが分電盤をチェックしている姿が見えた。
「また、明日ですわね」リミッタは小さく笑った。
