最適化令嬢
第50話
『体育館裏の等電位』
体育祭が終わり、片付けが始まった夕暮れ。
リミッタは生徒会の書類を抱えて体育館の裏へ回った。ここなら静かに作業ができる。
しかし、そこには既に人がいた。
リアクトルが、分電盤の前にしゃがんでいる。
「何をしていますの」リミッタは声をかけた。
「おう、令嬢」リアクトルは振り返った。「体育祭で負荷かけすぎたから、配線チェックしてんだよ」
リミッタは彼の横にしゃがんだ。分電盤の扉が開いており、中の配線が露出している。
「過負荷の痕跡がありますわね」彼女は指摘した。「ここの接続部、少し焦げていますわ」
「ああ、やっぱりな」リアクトルは工具を取り出した。「令嬢の最適化メイド喫茶、電力使いすぎなんだよ」
「あなたの親御様の青色LED光るわたあめも相当なものでしたわ」
「それは否定できねえ」リアクトルは笑った。
二人は並んで分電盤を見つめた。夕日が体育館の壁に当たり、オレンジ色の光が差し込んでいる。
リミッタは口を開いた。「リアクトル」
「ん?」
「わたくし、あなたに伝えたいことがあります」
リアクトルは手を止めて、彼女を見た。「どうした、改まって」
リミッタは深く息を吸った。心臓が、速く鳴っている。
「あなたは、わたくしにとって」彼女は言葉を選んだ。「最適化された世界に入り込んできた、唯一の変数ですわ」
「変数?」
「ええ。予測不能で、制御不能で」リミッタは続けた。「理論通りに動かない、現場の電流」
リアクトルは少し笑った。「それ、褒めてんのか?」
「褒めていますわ」リミッタは真剣な顔で答えた。「わたくしの計算を乱す、唯一の存在」
夕日が、二人を照らす。
リミッタは、リアクトルの目を見た。
「電圧(V)だけでは、回路は動きません。電流(I)が流れて初めて、エネルギーが生まれる」
「ああ」
「わたくしは電圧(V)。設計し、計算し、方向性を定める」リミッタは自分の胸に手を当てた。「しかし、それだけでは何も動かない」
リアクトルは黙って聞いていた。
「あなたは電流(I)」リミッタは彼を指差した。「理論を無視して、ただ真っ直ぐに流れる。泥臭くて、粗雑で、でも...確実にエネルギーを運ぶ」
「令嬢」
「わたくしには、あなたが必要ですわ」リミッタは言い切った。「わたくしの設計(V)を、実装(I)してくれる人が」
リアクトルは目を見開いた。
「だから」リミッタは一歩、彼に近づいた。「これからも、わたくしの傍にいてくださいませ」
「それって」リアクトルは戸惑った顔をした。「どういう...」
リミッタは、分電盤を指差した。
「見てくださいな。この配線」
リアクトルは分電盤を見た。複数の回路が並列に接続され、互いに独立しながらも、全体として一つのシステムを構成している。
「並列回路ですわ」リミッタは説明した。「それぞれが独立して機能しながら、同じ目的のために働く」
「ああ」
「わたくしとあなたも、そうですわ」リミッタは彼の手を取った。「独立した二つの回路。でも、同じ電位を共有する」
リアクトルの手は、泥で汚れている。傷だらけで、油が染み込んでいる。
リミッタの手は、綺麗で、傷一つない。
しかし、今、二つの手が重なっている。
「等電位」リミッタは呟いた。「あなたとわたくしは、等しい電位を持つ存在」
「令嬢」リアクトルは彼女の手を握り返した。「それって、つまり...」
「わたくしの愛棒(I)になってくださいませ」
リミッタは、そう言い切った。
愛棒。電流(I)。そして、相棒(あいぼう)。
三重の意味を込めた、彼女なりの告白。
リアクトルは少し笑った。「お前、本当に理系だな」
「当然ですわ」リミッタは頬を染めた。「わたくしは最適化令嬢ですもの」
「でもな」リアクトルは真剣な顔になった。「俺、お前の婚約者がいること、知ってるぞ」
リミッタの表情が、一瞬、曇った。
「...ええ」
「トランス会長。お前の夫になる人だ」
「そうですわね」リミッタは視線を落とした。「わたくしは、既に誰かのものです」
「なら」
「だから、これは」リミッタは顔を上げた。「現実ではありませんわ」
「え?」
「フィクションですわ。『もし、わたくしが普通の女子高生だったら』という仮定の物語」リミッタは静かに言った。「現実のわたくしは、トランス様の婚約者。それは変わりません」
リアクトルは何も言わなかった。
「でも、この物語の中でだけ」リミッタは続けた。「わたくしは、自分の気持ちに正直になれる」
夕日が、さらに傾いた。
リミッタは、リアクトルの手を離した。
「これは、わたくしの願望ですわ。奪われた青春の、ささやかな代償」
「令嬢」
「ですから」リミッタは微笑んだ。「この告白は、なかったことにしてくださいませ」
リアクトルは、分電盤を見た。そして、リミッタを見た。
「なあ、令嬢」彼は言った。「もし、お前が普通の女子高生だったら」
「ええ」
「俺は、どう答えればいいんだ?」
リミッタは少し考えた。
「そうですわね」彼女は答えた。「『おう、任せとけ。お前の設計(V)、俺が全部実装(I)してやるよ』とでも言ってくださいませ」
リアクトルは笑った。「それ、告白の返事じゃなくて、仕事の約束だろ」
「同じことですわ」リミッタは言い切った。「わたくしにとって、人生は一つの回路ですもの」
二人は、しばらく黙っていた。
やがて、リアクトルが口を開いた。
「おう、任せとけ」
リミッタは目を見開いた。
「お前の設計(V)、俺が全部実装(I)してやるよ」リアクトルは真剣な顔で言った。「ただし、フィクションの中でな」
リミッタは、小さく笑った。
「ええ。フィクションの中で、ですわ」
夕日が、完全に沈んだ。
体育館裏の分電盤の前で、二人の影が重なっている。
しかし、それはフィクション。
現実には、決して交わらない二つの回路。
リミッタは分電盤を閉じた。「修理、完了ですわね」
「ああ」リアクトルは工具を片付けた。「これで、また安全に使える」
「では、帰りましょう」リミッタは書類を抱え直した。
「おう」
二人は、体育館の裏から出た。
校庭には、片付けをする生徒たちの声が響いている。
リミッタは一度だけ、振り返った。
体育館の壁に、分電盤がある。
その中で、二つの回路が並列に繋がっている。
独立しながらも、同じ電位を共有する。
「等電位」リミッタは呟いた。「それが、わたくしたちの関係ですわね」
リアクトルは何も言わなかった。ただ、工具箱を持って歩いている。
リミッタは彼の背中を見つめた。
「ありがとうございました」彼女は小さく言った。「フィクションの中で、わたくしの告白を受け入れてくださって」
リアクトルは振り返らずに答えた。
「気にすんな。フィクションだからな」
「ええ。フィクションですわ」
しかし、リミッタの心臓は、まだ速く鳴っていた。
この告白が、フィクションで終わることを。
彼女は、知っていた。
【執筆メモ】
この原稿は、1286年9月、編集会議の前にリミッタが執筆したものです。
彼女自身が「没予定」と記していた通り、この原稿は最初から出版する意図がありませんでした。
これは、リミッタの「一番の願望」であり、同時に「絶対に叶わない願い」でした。
トランスという婚約者がいる以上、この告白は現実には存在できない。
だからこそ、彼女は「フィクション」という形で、自分の気持ちを昇華させようとしました。
「愛棒(I)」というトリプルミーニング。
電流(I)、相棒(あいぼう)、そして愛する棒(あいぼう)。
これが、リミッタなりの、精一杯の告白でした。
しかし、この原稿は編集会議でソルダの目に触れ、彼を深く動揺させることになります。
