最適化令嬢



第41話
『Let It Trip』

ソルフィア暦1285年10月18日、午前11時37分。カレントリア王国国会議事堂、裏廊下。

ソルダ・サイリスタは、廊下の壁に寄りかかっていた。議場での感動的な大演説の直後。しかし、今の彼に余裕はなかった。右足が、激痛を訴えている。

「痛い」彼は呟いた。「痛い、痛い、痛い」第3補助導線くんを握りしめる。足首が焼けるように痛む。サポーターの下で、靭帯が悲鳴を上げている。「一歩踏み出すたびに、激痛が」

議場では、総立ちの拍手が鳴り止まなかった。レイナード・イムペダンス・オーミックの追及を、見事に退けた。アークオム先王の言葉を引用し、「電流に固執することこそが、磁場に囚われることだ!」と叫んだ時、議員たちは感動で涙を流していた。

しかし、その裏で。ソルダは地獄を見ていた。

「宰相閣下、お疲れ様でした」補佐官が声をかけた。「素晴らしい演説でした。足をお痛めになりながら」

ソルダは頷くしかできなかった。「ああ」声がかすれている。「なんとか、持ちこたえた」

補佐官が去る。ソルダは一人、廊下に残された。ポーカーフェイスが崩れる。「ぐっ」彼は壁に額を押し付けた。「もう、限界だ」

その時、廊下の向こうから足音が聞こえた。二人の人物。ソルダは顔を上げた。

ヴォルティス・エレクトラム・カレントリア三世と、リアクトル・ファリテーナ。王と、息子。

「ソルダ!」ヴォルティスは笑顔で手を振った。「見事だったぞ!感動したよ!」彼は近づいてくる。「父上の言葉まで引用するとは」

ソルダは姿勢を正そうとした。しかし足が動かない。「陛下」彼は答えた。「ありがとうございます」

ヴォルティスはソルダの足元を見た。第3補助導線くん。サポーターで固定された右足。「で」彼は尋ねた。「足痛かった?」

ソルダは観念した。「死ぬかと思いました」彼は認めた。「一歩踏み出すたびに、靭帯が」声が震える。「しかし、宰相たるもの、痛みを表に出すわけには」

ヴォルティスは笑った。「でも聞いたよ?」彼は言った。「推し活で博士のホログラムの最適角度探して、全力ダッシュしたんだって?」

ソルダの動きが止まった。完全に図星。

ヴォルティスは楽しそうに続けた。「鉄塔の外周を走って」彼は手を広げた。「自分で敷いた配線ケーブルに躓いたって」

ソルダは何も言えなかった。顔が赤くなる。「それは」彼は弁解しようとした。「事前視察の一環で」

「あ、やっちゃった?」ヴォルティスは笑った。明るく、しかし容赦なく。「てかそれさ」彼は指を鳴らした。「"Let It Flow"じゃなくて、"Let It Trip"じゃん?」

ソルダは絶句した。「陛下」彼は呟いた。「それは」

リアクトルが、淡々と口を開いた。「だから言ったんですよ」彼は手元の診断端末を見ながら言った。「配線は壁に沿って敷けって」

ソルダは息子を見た。リアクトルは無表情のまま続けた。「自分で敷いたケーブルで自爆するなんて」彼は端末を操作した。「技術者として、基礎からやり直しです」

ヴォルティスは笑いが止まらない様子だった。「Let It Trip!」彼は繰り返した。「躓くままに!推し活にトリップして、理性のブレーカーもトリップして、配線にトリップした!」

ソルダは壁に寄りかかったまま、項垂れた。「陛下、お許しください」彼は言った。「私は」

「いやいや」ヴォルティスは手を振った。「謝らなくていいよ」彼は笑顔のまま言った。「むしろ最高じゃん。『足を痛めても国のために立つガッツの宰相』って、議員たち泣いてたよ?」

ソルダは顔を上げた。「え?」

「そうそう」ヴォルティスは頷いた。「『足を引きずりながら、それでも国を憂う姿』って」彼はソルダの肩を叩いた。「支持率、絶対上がるよ。推し活で自爆したなんて、絶対言えないね!」

リアクトルが冷静に追加した。「はい、サポーターの反動アシスト、少し強めますよ」彼はソルダの足元にしゃがんだ。「演説中の歩容データ、非常に参考になりました」

ソルダは息子を見下ろした。「君は」彼は呟いた。「私の怪我を、データ収集に」

「当然です」リアクトルは答えた。サポーターの締め付けを調整しながら。「この反動アシスト機能、後で軍用の軽補助外骨格に応用できそうです」彼は診断端末を確認した。「宰相の捻挫が、軍事技術の進歩に貢献しています」

ヴォルティスは爆笑した。「すごいね〜!親子揃って!」彼は手を叩いた。「推し活で転んで、息子に実験台にされて、でも国会では感動を呼ぶ!」

ソルダは深く息をついた。「私は」彼は呟いた。「何をしているんだ」

リアクトルがサポーターの調整を終えた。「これで大丈夫です」彼は立ち上がった。「あと10日で完治します。それまでは、推し活禁止」

ヴォルティスはソルダの背中を叩いた。「まあまあ」彼は言った。「Let It Trip!躓いてもいいじゃん」彼は笑った。「流れるままに、躓くままに」

ソルダは苦笑した。「陛下の哲学は」彼は言った。「時に、残酷です」

「そう?」ヴォルティスは首をかしげた。「でも、お陰で演説成功したでしょ?」彼は廊下を歩き始めた。「推し活も、国益になってるじゃん」

リアクトルがソルダに杖を渡した。「第3補助導線くん、絶対に手放さないでください」彼は言った。「データ収集、まだ続けますから」

ソルダは杖を受け取った。「ありがとう」彼は言った。「君たちがいて、良かった」

ヴォルティスが振り返った。「ん?何か言った?」

「いえ」ソルダは首を振った。「何でもありません」

三人は、廊下を歩き始めた。王は軽やかに。息子は淡々と。そして宰相は、杖をつきながら。

議場からは、まだ拍手が聞こえていた。感動的な演説への称賛。しかし、その裏側では。推し活で自爆した宰相が、息子に実験台にされながら、王に煽られていた。

ソルダは小さく笑った。「Let It Trip」彼は呟いた。「躓くままに、か」

窓の外で、王都コンダクタールの送電線が静かに音を立てている。電流は流れ続ける。時に躓きながら。しかし、止まることなく。

カレントリア王国の宰相は、今日も、推し活と政治の狭間で生きていた。足を引きずりながら。それでも、前に進みながら。


43/60ページ
スキ