最適化令嬢



第37話
『タレーrun事故』

ソルフィア暦1285年10月8日、午前10時23分。イオン宮の執務室で、ソルダ・サイリスタは書類を睨んでいた。

DNA鑑定結果の正式な報告書。ヴォルティス王からの通達。そして、リアクトル・ファリテーナの入院報告。電磁過負荷による内部損傷。治療に3週間を要する。現在、軍病院で経過観察中。

「会わねば」ソルダは呟いた。「息子に、会わねば」

しかし、彼は動けなかった。何を言えばいいのか。どんな顔で会えばいいのか。19年間、存在を知らなかった。気づこうともしなかった。そして、自分が推進した兵器が、息子を傷つけた。

ソルダは頭を抱えた。罪悪感が、胸を締め付ける。宰相として、技術者として、そして父親として。あまりにも多くのものを、見落としてきた。

その時、端末に通知が入った。鉄塔電飾計画関連。10月15日、最終調整開始。ソルフィア王国のヒノノギ博士による遠隔技術指導。中央研究所にホログラム投影設備設置予定。

ソルダの目が輝いた。「ホログラム投影」彼は立ち上がった。
「ヒノノギ博士の等身大映像が、鉄塔の電飾と共に見られる」推し活センサーが反応する。
博士の姿が、光り輝く鉄塔と重なる瞬間。

「いや、待て」ソルダは自分を制した。「今は息子のことを」
彼は座り直した。しかし、脳内では別の回路が起動し始めている。
「でもその前に」彼の手が、勝手に端末を操作していた。
「事前準備が必要だ。最適観測位置を確認しておかねば」

ソルダの理性が叫ぶ。「待て、今はそれどころでは」
しかし推し活回路が応答する。「いや、これは宰相の責務だ。鉄塔電飾計画の成功は国家の威信に関わる。事前の現地調査は当然の義務だ」

ソルフィア暦1285年10月8日、午後3時17分。カレントリア王国首都コンダクタール、289メートル鉄塔周辺。

ソルダは、鉄塔の外周を歩いていた。手には測定器。中央研究所から投影されるホログラムと、鉄塔の電飾が重なって見える最適位置を探している。
「ここから見ると、仰角35度。いや、博士の身長182センチを考慮すると」彼は真剣な表情で計算していた。
「ホログラム投影台の高さが1.2メートル。となると、博士の視線の高さは地上約2.8メートル。鉄塔の電飾最下部が15メートル。距離が」

彼の脳内で、複雑な幾何学計算が走る。ホログラムの投影位置、鉄塔の高さ、電飾の配置、観測者の視線角度。すべてを最適化する。
「37度、いや、38.5度か」ソルダは呟いた。「博士のホログラムが鉄塔の光と最も美しく重なる角度は」

その時、彼は気づいた。鉄塔の北側外周に、補助電力ラインが敷設されている。自分が数年前、鉄塔の照明用に設置した非常用ケーブルだ。
「そうだ、あの位置から見れば、博士と鉄塔が完璧に重なる」ソルダは走り出した。
推し活センサー全開。理性の声など、もう聞こえない。

「38.5度の観測位置は、恐らくあの補助電力ライン付近」彼は全力でダッシュした。
44歳の宰相が、測定器を手に、鉄塔の外周を疾走する。「確認せねば。博士のホログラムが光る瞬間を、完璧に捉えるために」

ソルダの視線は、前方の観測ポイントに釘付けだった。足元など、見ていない。そして、彼は忘れていた。自分が敷設した非常用配線ケーブルが、地面を這っていることを。

ガシャッ!

鈍い音。ソルダの足が、配線ケーブルに引っかかった。体が宙を舞う。測定器が手から離れる。
「ぐっ!?」彼は派手に転倒した。
地面に叩きつけられる。右足首に、激痛が走った。

「ぐあっ……!」ソルダは地面に倒れたまま、右足を押さえた。
痛い。激しく痛い。足首が腫れ始めている。動かせない。

数分後、鉄塔管理事務所から人が出てきた。
「宰相閣下?」職員が驚いて駆け寄る。「何をされているんですか」

「いや、その」ソルダは顔を赤らめた。
「事前視察中に、つまずいて」彼は自分で敷設した配線ケーブルを見た。
完全に、自爆だった。

ソルフィア暦1285年10月8日、午後5時42分。カレントリア王国軍病院、整形外科。

「靭帯軽損傷ですね」
担当医は診断書を書きながら言った。「2週間の杖生活を命じます」彼は冷たい目でソルダを見た。
「推しに会いに全力ダッシュするな」

ソルダは黙って俯いた。
診察室の壁に、注意書きが貼ってある。「44歳以上の急な運動は危険です」完全に、自分のことだった。

担当医は診断書にサインした。
「タレーランは逃げ切れましたが」彼は皮肉を込めて言った。「足首は回避不能です」

ソルダは顔を上げた。
「動かすのは"足"じゃなくて、"電流"なのです!」彼は反論した。
しかし説得力がない。実際に足を動かして、自爆したのだから。

担当医はため息をついた。
「電流を動かすのに、全力ダッシュは不要でしょう」彼は松葉杖を差し出した。「これを使ってください。2週間、安静に」

ソルダは松葉杖を受け取った。立ち上がろうとして、右足に体重をかける。激痛。
「ぐっ」彼は顔をしかめた。
完全に、動けない。

「15日の最終調整は?」ソルダは尋ねた。「ホログラム投影の立ち会いですが」

「杖をついて参加してください」担当医は冷たく言った。「ただし、走らないように。座って観測してください」

ソルダは項垂れた。座って観測。それでは、最適角度が確保できない。38.5度の完璧な観測位置を確認したかったのに。

診察室を出る時、ソルダは松葉杖をつきながら歩いた。情けない。44歳の宰相が、推し活で自爆して、靭帯を損傷。しかも、自分で敷設した配線ケーブルに躓いて。

そして、彼は気づいた。息子のことを、完全に忘れていた。罪悪感に苛まれていたはずなのに。「会わねば」と決意していたはずなのに。ホログラム投影の通知を見た途端、すべてが吹き飛んだ。

ソルダは廊下で立ち止まった。松葉杖を握りしめる。
「私は、何をしているんだ」彼は呟いた。「息子が入院しているのに、推し活で自爆して」

廊下の向こうに、別の病棟が見える。軍病院の入院棟。リアクトルが、そこにいる。電磁過負荷で傷ついた息子が。

ソルダは松葉杖をついて、歩き出した。推し活で捻挫した足を引きずりながら。せめて、息子に会いに行かねば。父親として、これ以上逃げるわけにはいかない。

しかし、その足取りは重かった。松葉杖の音だけが、廊下に響いていた。カツン、カツン、という音。一歩ごとに、罪悪感が積み重なる。

夕暮れの病院で、一人の父親が、ようやく息子の元へ向かおうとしていた。19年遅れて。そして、推し活で自爆した情けない姿で。


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