最適化令嬢
第36話
『第六段階の絶望』
ソルフィア暦1285年9月23日、午前2時17分。イオン宮、宰相府執務室。
ソルダ・サイリスタは、机の上に広げられた書類を見つめていた。DNA鑑定結果。過去の人事記録。配線改修作業報告。そして、今手にしているのは、事故報告書だった。
【緊急事故報告】
発生日時:ソルフィア暦1285年9月22日、午後2時38分
発生場所:カレントリア王国雷撃連隊整備ドーム
事故内容:サンダーランス雷撃コイル整備中の電磁過負荷暴走
鎮静化:R.トニトルス中尉が放電鎮静ブリッジを用いて暴走を鎮圧
手段:素手での雷撃コイル接触による強制接続
負傷:電磁過負荷による内部損傷(外傷なし、意識あり)
体内電気信号の乱れ、不整脈、筋肉痙攣を確認
被害:整備班員10名、全員無事
評価:R.トニトルス中尉の英雄的行為により、整備班全員の命が救われた
ソルダの手が震えた。報告書の文字がぼやける。彼はメガネを外し、目を押さえた。
「サンダーランス」彼は呟いた。声がかすれている。「私が配備を推進した兵器」
三年前、ソルダはサンダーランス開発計画を強く支持した。カレントリアの電磁兵器技術を世界最高水準に引き上げる。それが国益になると信じた。予算を確保し、技術者を集め、開発を加速させた。そして1284年、サンダーランスは正式に配備された。カレントリア軍の主力兵器として。
「その暴走を」ソルダは続けた。「彼が、リアクトルが止めた」
報告書には、詳細な状況が記されている。雷撃コイルの突然の暴走。制御システムのダウン。電磁過負荷の連鎖。そして、19歳の若き技術兵が、素手で暴走する雷撃コイルに接触し、自分の体を犠牲にして仲間を救った。
ソルダは机に両手をついた。「私は」彼の声が震えた。「19年間、彼を放置しただけでなく」息が苦しい。胸が締め付けられる。「あわや自分の手で、彼を殺しかけたというのか」
彼の脳裏に、春の夜の記憶が蘇った。暗い廊下。休憩室の照明が消えた夜。そこで出会った若い技術兵。「雷撃第5分隊技術補佐官、リアクトル・トニトルスです」明るい声。見事な配線の手つき。「母から基礎を教わりました」
あの時、何かを感じていた。懐かしい気配。既視感。でも、深く考えなかった。ただの優秀な若手技術兵だと思った。まさか、自分の息子だとは。
「母から」ソルダは繰り返した。「エミッタから、技術を学んだのか」彼は目を閉じた。19年前の夏。送電点検で出会った女性技術者。静かで、確かな人。「名前は、ソルダ」彼女の声が耳に残っている。「ほんの一瞬だったが、まるで回路が閉じたような」
その一瞬が、息子を生んだ。エミッタは一人で育てた。ソルダに連絡することもなく。そして去年、48歳で亡くなった。息子を残して。彼女が何を思っていたのか、ソルダは知らない。あの夜、何を感じていたのかも。ただ、確かなのは、彼女が19年間、一人で息子を育て上げたという事実だけだ。
ソルダは事故報告書を読み返した。「電磁過負荷による内部損傷」医療班の診断。外傷はない。しかし体内の電気信号が乱れている。心臓に負担がかかっている。後遺症の可能性もある。
「私が推進した兵器が」ソルダは呟いた。「私が知らなかった息子を、傷つけた」彼の手が、報告書を握りしめた。紙が皺になる。「技術者として、父親として、私は何をしていたんだ」
執務室の窓から、王都コンダクタールの夜景が見える。送電線が街を照らしている。電流が流れ続けている。ソルダが整備し、管理してきた電力網。カレントリア王国を支える、巨大な回路。
しかし、彼は自分の息子という、最も身近な回路に気づかなかった。19年間、すぐそこに流れていた電流を、見ようとしなかった。
ソルダは頭を抱えた。肩が震える。声を殺して、彼は泣いた。44歳の宰相が、深夜の執務室で、一人静かに涙を流した。
「すまない」彼は呟いた。「エミッタ、すまない。お前に、全てを任せてしまった」息子を一人で育てさせた。苦労をかけた。そして、自分は何も知らずに、推し活に興じていた。ヒノノギ博士の缶バッジを集めて、喜んでいた。
「リアクトル」ソルダは息子の名前を呼んだ。「君を守れなかった。知ろうともしなかった」彼は机に額を押し付けた。「技術者は、回路を守るのが仕事だ。しかし私は、最も大切な回路を、19年間放置していた」
時計の針が進む。夜は深まる。しかし、ソルダは執務室を出ることができなかった。事故報告書を握りしめたまま、彼は座り続けた。
「せめて」彼は決意した。「せめて、これからは」声が震える。でも、確かな意志がある。「父親として、できることをしなければ」
窓の外で、送電線が静かに音を立てている。電流は流れ続ける。止まることなく。19年前に流れた電流が、今、形になって戻ってきた。知られざる回路が、ついに明るみに出た。
ソルダ・サイリスタは、その夜、宰相としてではなく、一人の父親として、深い絶望と後悔に沈んだ。しかし同時に、小さな決意も芽生えていた。遅すぎたかもしれない。でも、今からでも。息子に、何かを返さなければ。
深夜の執務室で、一人の男が静かに涙を拭った。そして、新しい朝を待った。息子に会いに行くために。
