最適化令嬢
第35話
『中性子散乱の午後』
【第一部】発覚の瞬間——99.99%の衝撃
時刻:ソルフィア暦1285年9月23日、午後3時47分
場所:カレントリア王国・イオン宮(宰相府執務室)
シーン1:ヴォルティスからの報告
ソルダ・サイリスタは執務室の窓から、淡い青紫色に発光するイオン宮の外壁を眺めていた。ディアレイン裁判から三週間。あの地獄のような緊張から解放され、ようやく日常が戻ってきた。デスクの上には「ヒノノギ博士公式グッズ在庫リスト(9月度)」が広げられている。缶バッジの在庫状況を確認しながら、ソルダは小さく息をついた。
「ふむ、限定版の入荷は来月か。予約を……」
執務室のドアが勢いよく開いた。いや、開いたというより、ホログラム通信が起動した。空間に浮かび上がったヴォルティス王の姿は、例によってぐるぐるヘアを完璧に保ち、エレキギターを肩に担いでいる。
「ソルダ~、ちょっといい?」王は軽い調子で言った。「DNA検査の結果なんだけど~」
「DNA検査?」ソルダは眼鏡を押し上げた。「何の話ですか、陛下」
「サンダーランス整備中の事故あったでしょ?あのトニトルスって子。電磁過負荷で緊急搬送されて、軍の生体ID登録で自動照合かかったんだけどさ~」ヴォルティスはホログラム越しに書類を差し出す仕草をした。「これ、見てくれる?」
次の瞬間、ソルダのデスクに電子文書が転送された。モニターに浮かび上がった文字列を見て、彼は息を呑んだ。
【DNA親子鑑定結果】
被験者:リアクトル・ファリテーナ中尉
(雷撃第5分隊技術補佐官)
(通称:リアクトル・トニトルス)
生年:1266年
母:エミッタ・ファリテーナ(故人)
親子関係確率:99.99%
該当父:ソルダ・サイリスタ
時計の秒針が三秒進んだ。ソルダは完全に静止していた。眼鏡の奥の瞳が、文字列を追うことすらせず、ただ一点を見つめている。
「ソルダ?」ヴォルティスが首をかしげた。「聞こえてる~?」
「……ファリテーナ……」ソルダの唇が、ようやく動いた。「エミッタ……の……」
「うん。故人って書いてあるね。去年亡くなったらしい」王は相変わらず軽い口調だった。「で、その息子さんが君の……ってことみたいだけど。あれ、『いませんよ~』って言ってたのに~。Let it flow~♪」
ソルダの手が、かすかに震えた。書類を握りしめる指先が、白くなる。
「……記録してなかったつもりが……」彼は搾り出すように呟いた。「……流れていたとは……」
「流れてたね~」ヴォルティスは螺旋状にカールした髪を指で弄びながら言った。「電流は止められないからね。で、どうする?王命でDNA検査したから、公式記録になっちゃうんだけど」
「公式……」ソルダは眼鏡を外し、目元を押さえた。「陛下、少し……時間を……」
「あ、うん。じゃあ今日はこれで。後で正式な報告書送っとくね~」ヴォルティスはギターを構え直した。「ちなみにトニトルスくん、もう退院してるから。足首のサポーター付けてるけど、元気だよ~」
ホログラムが消えた。執務室に静寂が戻る。ソルダは椅子に深く沈み込み、デスクの上の書類を見つめた。缶バッジのリストと、DNA鑑定結果。二つの現実が、同じ平面に並んでいる。
「……トニトルス……」彼は震える声で呟いた。「あの、廊下で会った……」
春の記憶が蘇る。真っ暗になった小休憩室。廊下で出会った若い技術兵。雷撃第5分隊技術補佐官、リアクトル・トニトルスです——明るい声で名乗った青年の顔。
「……あれが……私の……」
ソルダは立ち上がり、執務室の奥にある書類保管庫へ向かった。壁一面の電子アーカイブ。彼は震える指で検索コマンドを入力する。
「1283年……技術特技兵……名簿……」
モニターに古い人事記録が表示された。雷撃第5分隊整備班の構成員リスト。そこに、確かにあった。
伍長M.カルドラ
伍長R.ファリテーナ
二等兵J.ヴェルツ
二等兵T.スパルク
「……ここに……いたのか……」ソルダの声が、室内に響いた。「私が……見落としていた……」
彼は次の検索を実行した。1284年、トニトルス称号授与記録。
【名誉称号授与】
トニトルス(雷鳴)
授与対象:技術特技兵リアクトル・ファリテーナ
所属:雷撃第5分隊整備班
年齢:18歳
功績:雷撃コイル暴走事故の鎮静化、他
母:エミッタ・ファリテーナ(元王宮技術部)
「……母の名まで……書いてあったのか……」ソルダは書類を握りしめた。「私は……この一行を……読んでいなかった……」
さらに検索。1285年春、配線改修作業記録。
【作業報告】
宰相執務室周辺照明系統点検
担当:R.トニトルス中尉(SRM-5-B)
作業内容:配線接続確認、系統図更新
「……あの時の……」彼の手が震えた。「君が……仕組んだのか……」
ソルダは書類保管庫の前に立ち尽くした。イオン宮の電離光が、窓から淡く差し込んでいる。その光の中で、44歳の宰相は、19年間見落とし続けた真実の重さに、静かに押しつぶされていた。
時計が午後4時を告げる。クリフォード・グレンウッド・シャルの誕生日。アルマン・イッポリート・ルイ・フィゾーの誕生日。見えなかったものが観測される日。19年遅延した光が、ようやく届いた日。
「……すまない……」ソルダは呟いた。「私は……何も……」
彼は眼鏡を外し、両手で顔を覆った。イオン宮の螺旋型移動システムが、遥か下方で静かに稼働している音だけが、執務室に響いていた。
