最適化令嬢



第32話
『知られざる回路の帰還』パート0-3

ソルフィア暦1285年3月12日。カレントリア王国の王宮イオン宮に、春の陽光が差し込んでいた。

「宰相府周辺の配線改修計画、本日より開始します」王宮総務官の声が廊下に響く。
リアクトル・ファリテーナは雷撃第5分隊の制服を着て、他の技術兵たちと共に整列していた。19歳。トニトルスの称号を持つ若き技術兵。しかし今日、彼の胸の内には誰も知らない目的があった。

「R.トニトルス中尉、宰相執務室周辺の照明系統を担当せよ」上官の指示が下る。リアクトルは姿勢を正した。
「了解しました」彼は答えた。
声は落ち着いていた。しかし心臓は激しく打っていた。

これは偶然ではない。彼は三日前、この配置を確実にするため、上官に直接志願していた。
「イオン宮の旧式配線には詳しいのです。母が昔、王宮技術部にいましたから」
嘘ではない。母エミッタは確かにここで働いていた。19年前、父と出会った場所で。

工具箱を手に、リアクトルは宰相府の廊下を歩いた。執務室の扉が見える。その隣の、小さな休憩室。母の日記に書かれていた場所だ。
「配線点検、入ります」
彼は声をかけたが、中に人の気配はなかった。扉を開ける。小さな部屋。ソファと本棚、そしてコーヒーメーカー。窓からは王都コンダクタールの街並みが見えた。

リアクトルは天井の配線カバーを外した。古い配線が露出する。彼は設計図を広げた。1265年の図面。母が残していたものと同じ構造だ。「旧式だな。効率は悪くないが、系統が複雑すぎる」彼は呟いた。そして、隣の執務室への配線ラインを確認する。

計画はシンプルだった。休憩室と執務室の電源ラインを、わざと連動させる。誰かが執務室の照明を切れば、休憩室の照明も消える。そうすれば、父が困って廊下に出てくるはずだ。そこで「偶然」通りかかる自分が、修理を申し出る。

リアクトルは配線を慎重に組み替えた。技術兵としての訓練が生きる。接続部は完璧に。誰が見ても「古い配線の構造上の問題」にしか見えないように。痕跡を残さない。疑われない。ただの老朽化した王宮配線の、よくある不具合として。

「ごめんなさい、父上」
彼は小さく呟いた。「でも、これしか方法が思いつかなかった」
工具を握る手が、わずかに震えていた。直接名乗り出る勇気はなかった。
「いきなり『息子です』なんて言えない。父は19年間、僕の存在を知らなかったんだから」

彼は配線カバーを戻した。見た目は何も変わっていない。しかし回路の中では、新しい接続が生まれている。執務室と休憩室を結ぶ、意図的な連動。偶然を装った必然。

「トニトルス中尉、進捗は?」上官の声が廊下から聞こえた。
リアクトルは工具箱を閉じた。「配線点検完了しました。一部老朽化が見られますが、機能に問題はありません」彼は報告した。
嘘ではない。機能には問題ない。ただ、意図的に連動するように設計しただけだ。

夕方、リアクトルは作業報告書を提出した。「宰相執務室周辺照明系統点検。担当:R.トニトルス中尉。作業内容:配線接続確認、系統図更新」淡々とした文面。その裏に隠された真実を、誰も知らない。

その夜、リアクトルは宿舎のベッドに横たわった。母の日記を開く。
「名前は、ソルダ」母の文字が、ページに残されている。「まるで回路が閉じたような、不思議な感覚だった」

「母さん」彼は日記に語りかけた。「僕も、もうすぐ父さんに会える。技術者として。同じ電流を扱う者として」
窓の外で、王宮の送電線が静かに音を立てている。電流は流れ続ける。止まることなく。

リアクトルは目を閉じた。計画は動き出した。あとは、誰かが執務室の照明を切るのを待つだけ。そして、父が困って廊下に出てきたとき、自分が「偶然」通りかかる。

「父さん」彼は呟いた。「もう少しだけ、待っててください」

春の夜風が、窓を揺らしていた。カレントリア王国の王都に、新しい回路が静かに接続されようとしていた。知られざる回路。19年間、誰も知らなかった父と子の、電流の記憶。


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