最適化令嬢
第25話
『神話のアンキセスと推し活宰相』
ヴェルメが古い神話の本を開いた。「ギリシャ神話のアンキセスという人物をご存知ですか?」
ザクランが首を傾げる。「誰それ?」
「トロイアの王族の末裔で、美の女神アプロディーテーと一夜の契りを結んだ人間の男性です」ヴェルメが説明する。「彼女との間に、英雄アイネイアスという息子が生まれました」
ヒノノギが資料を見る。「エミッタとソルダの構図と似ている」
「そう」ヴェルメが頷く。「でも重要なのはその後です」
神話の悲劇
「アプロディーテーは、アンキセスに厳重な警告を残して去りました」ヴェルメが語る。「『この子の父親があなただと、決して誰にも言ってはならない。もし口外すれば、ゼウスの雷霆に撃たれて命を失うだろう』と」
リーヴが眉をひそめた。「なぜそこまで?」
「女神と人間の交わりは、神々の王ゼウスの怒りを買う禁忌でした」ヴェルメが答える。「アプロディーテーは、愛した男を守るために、沈黙を強いたのです」
シェライトが低く言った。「エミッタがソルダに告げなかった理由と同じだ」
「その通りです」ヴェルメが頷く。「王室という絶対権力の雷から、若き官僚を守るための沈黙」
神話の罰
「しかし」ヴェルメが続ける。「アンキセスは後に、酒に酔って秘密を口外してしまいました」
ザクランが息を呑む。「それで?」
「ゼウスの雷に撃たれました」ヴェルメが静かに言った。「一命は取り留めたものの、足が不自由になり、以後は杖をついて歩くことになった。最終的には、成長した息子アイネイアスに背負われて逃亡することになります」
沈黙が落ちた。
ヒノノギが鋭く指摘する。「ソルダも杖をついていた」
「ええ」ヴェルメが微笑んだ。「1285年10月中旬、研究室の外周で」
推し活の雷撃
「ソルダ宰相は」ヴェルメが資料を示す。「ヒノノギ博士を全力で観測しようとダッシュした際、自分で敷設した非常用配線ケーブルに躓き、右足首を捻挫しました」
ザクランが吹き出した。「自損事故じゃん!」
「アンキセスはゼウスの雷に撃たれましたが」ヒノノギが冷徹に言う。「ソルダは推し活フルスロットルによる自己配線事故で足を負傷した」
シェライトが深く息をついた。「神話の悲劇が、喜劇になっている」
「でも」ヴェルメが付け加える。「構造は完璧に一致しています」
神話の重なり
ヴェルメは比較表を示した。
「アンキセス:女神との一夜の契り→禁忌の息子誕生→秘密の口外→雷による足の負傷→息子に支えられる」
「ソルダ:技術系愛妾との一夜の通電→図面にない息子誕生→19年の沈黙→推し活による足の負傷→息子から杖を贈られる」
ザクランが笑った。「完璧じゃん。ただ雷の正体が推し活ってだけで」
「第3補助導線くん」ヒノノギが呟く。「リアクトルが命名した杖の名前だが、これも神話的だ」
「どういうこと?」ザクランが問う。
「神話では、アンキセスは息子アイネイアスという『第三の脚』に支えられた」ヒノノギが説明する。「ソルダも、息子リアクトルが作った杖という『第三の脚』に支えられている」
シェライトが静かに言った。「父は息子に、物理的にも比喩的にも支えられた」
スフィンクスのなぞなぞ
「実は」ヴェルメが別の資料を出す。「リアクトルは、このなぞなぞをソルダに出したことがあります」
リーヴが興味深そうに見る。「スフィンクスのなぞなぞか?」
「ええ。でもカレントリア仕様です」ヴェルメが笑う。「『初期起動フェーズでは4点支持、定常稼働フェーズでは2点支持、そしてシステム劣化、もしくは運用上の重大なエラーによる最終フェーズでは、3点支持を要求する自律型駆動ユニット。これなーんだ?』」
ヒノノギが即答する。「人間だ。赤ん坊、大人、老人」
「そう」ヴェルメが頷く。「でもソルダは、『フェイルセーフ機能搭載の可変型無人機』だと真面目に推論しました」
ザクランが大笑いする。「生真面目すぎる!」
「そして」ヴェルメが続ける。「リアクトルはこう言いました。『正解は、推しを追いかけて自作の配線ケーブルに引っかかり、靭帯を損傷して第3補助導線くんに頼っている44歳の宰相殿だよ』と」
シェライトが呆れた声を出す。「容赦がない」
「エミッタ譲りです」ヴェルメが微笑んだ。「彼女も、こういう冷静なツッコミをする女性だったはずです」
神話の真実
ヒノノギが静かに言った。「つまり、ソルダは二重の意味でアンキセスだ」
全員がヒノノギを見た。
「第一に、女神(エミッタ)との禁忌の契りで息子を得た」ヒノノギが整理する。「第二に、足を負傷して杖をつき、息子に支えられた」
「そして」ザクランが付け加える。「両方とも、自分の不注意が原因」
「アンキセスは、秘密を口外した」ヴェルメが言う。「ソルダは、推しを追いかけた」
シェライトが冷徹に答える。「どちらも、自制心の欠如による自爆だ」
「でも」リーヴが指摘する。「アンキセスは雷に撃たれて不自由な体になった。ソルダの怪我は治った」
「ええ」ヴェルメが頷く。「12月11日のリベレールタワー点灯式までには完治しています」
ザクランが笑った。「神話の悲劇より、推し活事故の方が軽傷だったんだ」
政治的効果
「しかも」ヴェルメが付け加える。「ソルダは怪我のおかげで支持率を上げました」
リーヴが資料を確認する。「10月18日の国会演説に杖をついて登壇し、『足を痛めても出勤するガッツの宰相』として称賛された」
シェライトが呆れる。「推し活自損事故が、政治的資産になったのか」
「アークオム王の愛弟子です」ヴェルメが微笑む。「政治的悪運の強さは、師匠譲りですね」
ヒノノギが最後に呟いた。「ヴォルティス王が椅子に貼った『Let It Sit(座ってなさい)』のステッカーも、良い話だ」
ザクランが笑う。「カレントリア王室、絶対楽しいよね」
結論
ヴェルメは本を閉じた。「ソルダ・サイリスタは、現代のアンキセスです。女神との禁忌の恋、隠された息子、足の負傷、そして息子に支えられる父。すべての要素が揃っている」
「ただし」ヒノノギが付け加ける。「神話の悲劇ではなく、推し活喜劇として」
シェライトが深く息をついた。「神話が、こんな形で再現されるとは」
ザクランが笑った。「でもさ、アンキセスは最後、息子に背負われて逃げたんでしょ?ソルダさんは?」
ヴェルメが微笑んだ。「リアクトルに『第3補助導線くん』を贈られ、スフィンクスのなぞなぞで完膚なきまでにからかわれました」
「ある意味」リーヴが言った。「息子に支えられている」
「そう」ヴェルメが頷く。「神話は形を変えて、今も繰り返されています。ゼウスの雷は推し活に、女神の警告は母の沈黙に、そして英雄の肩は技術騎士の杖になった」
ヒノノギが静かに言った。「美しい回路の継承だ」
ザクランが小さく笑った。「神話も科学も、結局は人間の物語なんだね」
「そう」ヴェルメは微笑んだ。「そして水晶宮では、その物語が電流として流れ続ける」
シェライトが最後に呟いた。「……推し活で足を挫くのだけは、神話にしなくていい」
全員が笑った。
