最適化令嬢
第22話
『王室技術寵遇官』
ソルフィア暦1288年、秋。グラヴィス宮図書室。
三帝均衡会議の午後の休憩時間。表の舞踏会場では各国の使節が社交に興じているが、この静かな図書室では、別種の議論が始まろうとしていた。
ヴェルメ・リガーゼは、窓際の大きな机にサーモグラフィーカメラを置き、白衣の袖をまくった。彼の前には、カレントリア王国の古い宮廷文書が広げられている。
「そもそもこれは概念実験だったんです」ヴェルメは資料を指で叩いた。「アークオム前王の時代、カレントリア王国には深刻な技術者不足問題がありました」
大法官リーヴ・アルステッドは金縁眼鏡を押し上げた。「それで王室に技術顧問を置くと」
「ええ。ところが当時の宮廷規則では、女性技術者が王宮に常駐する法的根拠がなかった」ヴェルメは資料をめくる。「既存の枠組みでは、王族の妃か侍女か、あるいは……」
「愛妾枠」ヒノノギが冷徹に言い切った。
窓際のソファでは、ザクランが目を丸くしていた。「愛妾って、つまり王様の恋人ってこと?」
「正確には『寵遇枠』です」ヴェルメが訂正する。「中国の後宮制度のような厳格な人身所有ではなく、フランス宮廷のmaîtresse-en-titre、つまり公式愛人制度に近いものでした。政治的地位と機能を持ち、契約満了による退任も可能だった」
シェライトが眉をひそめる。「それを技術職と統合したと」
「統合というより、既存の寵遇枠に技術顧問機能を付与したんです」ヴェルメは淡々と説明を続ける。「結果として生まれたのが『王室技術寵遇官』。通称、技術系愛妾です」
ザクランが呆れた声を出す。「それって要するに、愛人兼技術者ってこと?」
「逆です。技術者兼寵遇官、が正しい」ヴェルメは微笑んだ。「主たる役割は技術顧問であり、寵遇は付帯的地位です。実際、アークオム王は彼女たちの多くと物理的関係を持たなかった。エミッタ・ファリテーナもその一人です」
リーヴが資料を覗き込んだ。「エミッタ・ファリテーナ。リアクトル君の母親ですね」
「ええ」ヴェルメは頷いた。「彼女は電磁工学の専門家として、1264年から1274年まで王室技術寵遇官を務めました。主な業務は王宮の配電システム設計と、技術者育成プログラムの策定」
「そして」ヒノノギが続けた。「アークオム王とは物理的関係を持たなかった」
◇
「無通電待機」ヒノノギが呟いた。「回路に接続されていない予備機器」
「その通りです」ヴェルメが頷く。「王の所有枠には入っているが、実際の寵愛は受けていない。形式上の地位を与えることで、女性技術者を王宮に常駐させる法的根拠を作った。それが『王室技術寵遇官』制度の本質です」
シェライトが腕を組んだ。「つまり、制度のハックか」
「まあ、そう言えますね」ヴェルメは認めた。「当時の法制度では、女性が王宮で技術職に就く道がなかった。だから既存の『寵遇枠』を流用したんです」
リーヴが資料を指差した。「しかし、1266年にエミッタは王宮を退去している。理由は?」
「ソルダ宰相との関係です」ヴェルメは静かに答えた。「彼女は在任中、ソルダ宰相と一夜の関係を持ち、リアクトルを懐妊しました」
ザクランが驚いた。「えっ、それってまずいんじゃないの?」
「形式上の問題です」ヴェルメは冷静に答える。「寵遇枠に属する者が王以外の男性と通電すれば、枠の汚染とみなされる。中国後宮なら極刑ですが、カレントリアでは円満退去という形で処理されました」
「円満退去」リーヴが繰り返した。「法的にはどう処理されたんですか?」
「『自己都合による退官』です」ヴェルメが資料を示す。「退職金と地方での生活支援が保証されました。エミッタは王国南部キャパシタス地方の故郷に戻り、リアクトルを育てながら、地方の技術者として活動を続けました」
「でも王宮にはいられなかった」リーヴが指摘する。
「ええ。それが制度の限界です」ヴェルメは頷いた。「寵遇枠という形式を利用した以上、その形式のルールに従わざるを得なかった」
◇
シェライトが書類を一枚取り上げた。「この制度、倫理的に破綻している」
「でも機能しています」ヴェルメが反論する。「エミッタは技術者として10年間王室に貢献し、退去後も地方で母子生活を営めた。中国後宮なら不可能です」
「それは制度の正当性を証明しない」シェライトは譲らなかった。
「陛下」ヴェルメは静かに言った。「あなたも似たようなことをしています。EMLD事業でヒノノギ博士を王立研究所に常駐させ、契約で縛り、事実上の監禁状態に置いた。それを『科学技術顧問』と呼んだ」
シェライトの瞳が深紅に変わりかけた。
「王室技術寵遇官は、権力者が才能ある者を手元に置くための制度装置です」ヴェルメは続ける。「愛という名の契約であれ、顧問という名の拘束であれ、本質は同じ。才能の囲い込みです」
「私は彼を愛妾にしたわけではない」シェライトの声が低くなった。
「ええ。でもヒノノギ博士を『自由電子』と呼び、磁場で束縛しようとした。それは寵遇ではないのですか?」
ヒノノギが小さく笑った。「鋭い指摘だ、ヴェルメ」
ザクランが手を上げる。「で、結局この制度、今も続いてるの?」
「名称は変わりましたが」リーヴが答える。「現在は『王室特任技術官』として法制化されています。性別を問わず、技術者を王室に招聘する正式な官職です」
「つまり、寵遇枠ではなくなったと」ザクランが確認した。
「そうです」ヴェルメが頷く。「1276年の宮廷法改正で、技術職としての独立した地位が確立されました。エミッタの前例があったからこそ、この改革が可能になった」
◇
「つまり」ザクランが笑う。「エミッタさんは制度の実験台だったってこと」
「そして成功例です」ヴェルメが淡々と言う。「彼女の前例があったからこそ、後の制度改革が可能になった。リアクトル君の存在も含めて」
シェライトが深く息をついた。「カレントリア、ヤバいな」
「陛下がそれを言いますか」ヒノノギが呆れる。「ソルフィアのEMLD事業の方が、よほど倫理的にグレーですよ」
「でも」ヴェルメは微笑んだ。「ヴォルティス陛下ならこう言うでしょう。『うちそれで上手く回ってる』と」
沈黙が落ちた。
ザクランが小さく呟く。「回ってるから、いいのかな」
「回っていても、倫理は問われるべきだ」リーヴが言った。「法律家として、私はこの制度を全面的には支持できない。女性技術者に『寵遇』という形式を強いたこと自体が、構造的な差別です」
「だが」ヒノノギが冷静に言う。「廃止すれば、エミッタのような女性技術者が王宮に入る道は閉ざされていた」
「それも事実です」ヴェルメが頷く。「不完全な制度でも、無いよりはマシだった。そして今、より良い形に進化している」
シェライトが書類を置いた。「結論として、これは過渡期の産物だったと」
「そうです」ヴェルメは答える。「王室技術寵遇官は、技術と愛と権力が混線した時代の、奇妙な回路でした。でもその回路から、リアクトル・ファリテーナという優秀な技術者が生まれた。それは否定できません」
◇
ザクランがヒノノギを見た。「君はどう思う?」
ヒノノギは少し考えてから言った。「制度としては歪んでいる。でも人間の関係は常に、制度の想定外で生まれる。ソルダとエミッタの一夜も、リアクトルの誕生も、設計図にはなかった」
「図面にない回路」ザクランが呟く。
「ああ」ヒノノギが頷く。「それが最も美しい回路だったりする」
ヴェルメは静かに資料を閉じた。「王室技術寵遇官とは何か。それは、愛と技術と権力が交差する点に生まれた、歴史の実験でした」
リーヴが立ち上がった。「そして、その実験は今も続いている。形を変えて」
「ええ」ヴェルメは微笑んだ。「リアクトル君が今、電導侯としてこのグラヴィス宮で活躍している。それが、最良の証明です」
シェライトは窓の外を見た。秋の光が、グラヴィス宮の庭園を照らしている。
「制度の歪みから生まれた才能か」彼は呟いた。「皮肉なものだな」
「でも」ザクランは笑った。「その才能があるから、今のカレントリアがある」
ヒノノギは紅茶を飲み干した。「歴史とは、常に矛盾を孕んでいる。その矛盾を認めながら、前に進むしかない」
ヴェルメは資料を片付けた。「さて、そろそろ会議の時間ですね。戻りましょう」
五人は図書室を出た。それぞれの立場で、それぞれの思いを抱えながら。
廊下を歩きながら、ザクランは小さく呟いた。
「制度の外から生まれた光が、一番美しかったりするんだね」
誰も、その言葉に答えなかった。しかし、全員がそれを理解していた。
グラヴィス宮の秋の光が、五人の背中を照らしていた。
