最適化令嬢



第21話
『あなたとは違うんです』

ソルフィア暦1288年、秋。グラヴィス宮図書室。

三帝均衡会議の午後の休憩時間。各国の要人たちは、この荘厳な図書室で思い思いに過ごしていた。天井まで続く書架には、ソルフィア王国が数世紀かけて収集した古文書や条約文書が並んでいる。窓から差し込む秋の光が、革装丁の背表紙を照らしていた。

ソルダ・サイリスタは、窓際の読書机で資料を広げていた。表向きは「過去の国際条約における技術共有条項の事例研究」だが、実際には机の下に隠した『ヒノノギ博士講演録・限定版』のページを密かにめくっていた。彼の指先が、博士の署名が印刷された箇所をそっと撫でる。

「ふふ……この時の博士の考察は、まさに光の本質を……」ソルダは小さく呟いた。

その時、軽快な足音が近づいてきた。

「ねえねえソルダさん!」ザクランが無邪気な笑顔で駆け寄ってきた。25歳。光エネルギー発光体。そして、空気を読まない天然の化身。

ソルダは慌てて限定版を資料の下に隠した。「ザクラン君、どうしたんだい」

「あのね」ザクランは手に持っていた古い歴史書を掲げた。『外交史に見る権謀術数』という題名だった。「この図書室、面白い本がいっぱいあるんだよ!さっき読んでたら、フランスのタレーランって人が出てきてさ」

「タレーラン?」ソルダは眉をひそめた。嫌な予感がした。

「うん!」ザクランは本を開いた。「すっごい策略家で、ナポレオンを裏切ったり、復古王政で生き延びたり、外交の天才だったんだって。で、ここに書いてあるんだけど……」

彼は該当ページを指差した。「『タレーランは姪のドロテア・ド・クールラントと親密な関係にあり、愛人として同居していた』って!」

ソルダの顔が引きつった。

「それでね」ザクランは屈託のない笑顔で続けた。「リミッタってソルダさんの姪っ子だよね?もしかして、ソルダさんもタレーランみたいに、リミッタと『そういう関係』なの?」

図書室にいた数名の要人が、一斉に顔を上げた。

窓際で別の条約文書を眺めていたシェライト王が、冷笑を浮かべて振り向いた。「ふん。カレントリアの宰相ともあろう者が、身内に手を出しているとはな」

彼は傲慢な口調で続けた。「日頃の『推し活』とやらも、単なる変態的性癖の隠れ蓑に過ぎんのではないか?実は姪との関係を誤魔化すための煙幕だったりしてな」

遠くのソファでは、ヒノノギが紅茶のカップを持ったまま、僅かに眉を上げた。ヴェルメは手帳を取り出し、ペンを構えた。

ソルダの顔から、表情が消えた。

彼は眼鏡を中指でゆっくりと押し上げると、静かに、しかし明瞭な声で言った。

「お言葉ですが、シェライト陛下、ザクラン君」ソルダは立ち上がった。「私をあのフランスの俗流と一緒にしないでいただきたい」

「えっ、違うの?」ザクランは首を傾げた。

「決定的に違います!」ソルダは突然、声を張り上げた。椅子が床を擦る音が図書室に響く。「本家のタレーランは『自己保存』と『肉欲』のプロですが、私は『推し保存』のプロです!」

彼は熱弁を振るい始めた。「私の全エネルギー、すなわちカレントリア全土を流れる電流は、ヒノノギ博士の光を穢さず観測するためだけに流れているのです!リミッタとの関係は、私の推し活スケジュールとグッズ調達ルートを管理する『完璧な実務的共犯者』であり、100%クリーンな関係です!」

シェライトは呆れたように眉を上げた。「むきになるということは、図星なのではないか?」

「図星などではありません!」ソルダは眼鏡の奥の目を光らせた。「私は『国と結婚した男』であり、技術一筋の回路人間です!6年前、リミッタがカレントリアに来た時、私が彼女に求めたのは『宰相府の実務最適化』と『推し活密輸ルートの構築』だけです!」

彼は胸を張った。「そもそも、PQEMSの光を兵器転用しないという倫理的『一線』を守る私が、身内に対してそのような非倫理的な真似をするはずがないでしょう!リミッタに手を出せば、私の推し活の純度が濁ってしまう!」



遠くのソファから、ヒノノギが静かに口を開いた。「身内への倫理観の理由が『推し活の純度が濁るから』というのは、それはそれで倫理的にどうかと思うが」

ヴェルメは手帳にサラサラと記録を書き込んだ。「観測結果:ソルダ宰相、本家タレーランとの決定的な違いを『推しへの純潔性』で証明。姪への性的関心を完全否定」

彼はペンを止めて結論を書き加えた。「彼のタレーラン力は、裏切りと愛人関係を排除し、推し活へと完全に昇華された変異型である。フランス外交史における『権謀術数』の要素を、『推し活最適化』という極めて限定的な分野に特化させた結果、倫理的グレーゾーンを回避しつつ実務能力を最大化している」

ザクランは目を丸くした。「わあ、ソルダさん、すごく真剣だね。でも、リミッタとは仲良いよね?」

「仲が良いのと、『そういう関係』は全く別です」ソルダは眼鏡を正した。「彼女は優秀な実務家であり、私の推し活を支える最強のサポーターです。それ以上でも、それ以下でもない」

シェライトは鼻で笑ったが、その瞳には奇妙な共感の色が浮かんでいた。「ふん。まあ、ヒノノギの真価を理解しているという点では、評価してやらんでもない」

その時、図書室のドアが静かに開いた。

リミッタ・エラスタンス・ソレラントが、淡いラベンダー色のドレス姿で入ってきた。彼女は一瞬で室内の状況を把握し、溜息をついた。

「伯父様」リミッタは冷静に言った。「お静かに。ここは図書室ですわ」

「あ、リミッタ」ソルダは慌てた。「いや、これはだな」

「聞こえておりましたわ」リミッタは優雅に歩み寄った。「タレーランとの比較論、興味深く拝聴いたしました」

彼女はソルダの机の上の資料を見た。その下に隠された『ヒノノギ博士講演録・限定版』に気づいたが、何も言わなかった。

「伯父様」リミッタは静かに続けた。「次回の推し活密輸スケジュールですが、ソルフィア税関の監視が厳しくなっておりますので、ルートBではなくルートCを使用することを推奨いたします」

「ああ、そうか」ソルダは即座に実務モードに切り替わった。「では、次回の博士グッズ調達は」

「既に手配済みですわ」リミッタはタブレットを取り出した。「11月10日のヒノノギ博士誕生日限定グッズ、全種類予約完了しております」

「完璧だ」ソルダは満足そうに頷いた。

ザクランは二人のやり取りを見て、ポツリと呟いた。「あ、これが『完璧な実務的共犯者』ってやつだ」



ソルダは深呼吸をして、眼鏡を正した。そして、図書室にいる全員を見渡して宣言した。

「あなたたちとは違うんです」彼は静かに、しかし確固たる信念を込めて言った。「私の電流は、ただ一筋の光のためだけに流れている。それ以外の何物でもない」

シェライトは腕を組んだ。「ふん。まあ、その点だけは理解できる」

ヒノノギは紅茶を飲み干した。「理解されても困るんだが」

ヴェルメは手帳を閉じた。「記録完了。『ソルダ宰相、推し活純度理論により姪との清廉潔白な関係を証明』」

リミッタは優雅に微笑んだ。「では、伯父様。執務に戻りましょう。次の会議まで、あと30分しかありませんわ」

「そうだな」ソルダは資料を片付けた。もちろん、限定版も一緒に。

二人は図書室を出ていった。完璧な実務的共犯者として。

図書室に短い沈黙が訪れた。窓の外では、エルレクサの秋風が木々を揺らしていた。

ザクランは本を閉じた。「タレーランって、結局どんな人だったんだろうね」

「生き残りの天才です」ヴェルメが答えた。「そして、ソルダ宰相は、その才能を『推し活』という極めて限定的な分野に昇華させた、稀有な変異型ですね」

シェライトは窓の外を見た。「ふん。推し活か。まあ、理解できなくもない」

彼の脳裏に、ヒノノギの姿が浮かんだ。あの冷静な瞳。あの知性。

「……いや、理解できる」シェライトは小さく呟いた。

図書室には、再び静寂が戻った。秋の光が、古い書物を優しく照らしていた。


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