最適化令嬢



第20話
『干渉縞の共鳴』

ソルフィア暦1288年、秋。グラヴィス宮大舞踏会。

オーケストラの優雅な旋律が、広大な舞踏会場を満たしていた。シャンデリアの光が、踊る人々のドレスに反射して、まるで星屑のように輝いている。三帝均衡会議の開幕から数日。表向きは華やかな社交の場だが、その実態は各国のスパイが入り乱れる情報戦の戦場だった。

リミッタ・エラスタンス・ソレラントは、夫トランスの腕を取りながら、会場の隅で各国の要人たちと談笑していた。22歳。カレントリア宰相補佐官夫人。そして、裏ではソルダ宰相の推し活密輸ルートを完璧に掌握する実務の女王。

「リミッタ」トランスが小声で言った。「あそこ」

リミッタは視線を向けた。舞踏会場の対角線上、大窓の近く。薄明の光を背に、一人の女性が立っていた。

ティンダリス・オプティカ・ゼルフィア十七世。30歳。ゼルフィア特区代表。そして、6年前にリミッタを送り出した女王。

二人の視線が、一瞬だけ交差した。

リミッタは心臓が高鳴るのを感じた。6年ぶり。あの日、謁見の間で交わした約束。「ゼルフィアの光を取り戻す」という誓い。

「トランス様」リミッタは夫に言った。「少し、化粧室へ」

「分かった」トランスは微笑んだ。「気をつけて」

リミッタは会場を離れた。優雅に、しかし目的を持って。彼女は廊下へ向かった。各国のスパイの視線を感じる。立ち止まってはいけない。長話をしてはいけない。

廊下は、舞踏会場よりも静かだった。壁には、ソルフィア王国の歴史を描いた絵画が並んでいる。リミッタは絵を見るふりをしながら、足を進めた。

そして、背後から気配を感じた。

振り返ると、ティンダリスが歩いてきた。薄明色のドレス。分光学の女王にふさわしい、虹色の刺繍が施されている。

二人は、すれ違った。立ち止まらない。しかし、その一瞬。

「立派な『最適化装置』になったわね、リミッタ」ティンダリスの声が、小さく響いた。

リミッタは扇子を開き、口元を隠した。そして、すれ違いざまに答えた。

「女王陛下も、表の舞台を美しく制圧しておいでですわ」

二人は歩き続けた。互いに背を向けて。しかし、リミッタの脳内では、既に情報が処理されていた。

表舞台。シェライト王がヒノノギ博士への嫉妬で磁場を暴走させている。各国の使節が、その隙を狙って政治的マウントを取ろうとしている。

そして、その中心に。ティンダリスを軸とした「女性連合」が形成されている。ソルフィア王妃ヴェローナ、そしてゼルフィア女王ティンダリス。被支配者たちの包囲網。プロイセン包囲網のように、シェライトを三方から締め上げている。

「ティンダリス様が」リミッタは内心で呟いた。「表でシェライト王を釘付けにしてくださっている。ならば、わたくしが裏で実利を奪い取るだけですわ」

彼女は廊下の突き当たりで立ち止まった。振り返ると、ティンダリスも立ち止まっていた。

二人の視線が、再び交差した。

言葉は不要だった。6年前の約束。あの日、謁見の間で交わした誓い。全てが、この視線の中にあった。

ティンダリスは微かに頷いた。そして、内心で呟いた。

「6年前の屈辱、今こそ晴らしなさい。ソレラントの娘よ」

リミッタは扇子を閉じた。そして、優雅に微笑んだ。

「お待たせいたしましたわ、女王陛下」彼女は心の中で言った。「今から、ゼルフィアの光を取り戻しますの」

二人は、それぞれの場所へ戻った。ティンダリスは舞踏会場へ。リミッタはティールームへ。

表と裏。光と影。しかし、目的は一つ。

ゼルフィアを救う。



舞踏会場では、シェライトが苛立っていた。ヒノノギが、全方位の令嬢たちに公平に社交術を発揮している。彼の独占欲は満たされない。磁場が乱れる。

「陛下」ティンダリスが近づいた。「お顔の色が優れませんわ」

シェライトは彼女を睨んだ。「君には関係ない」

「そうでしょうか」ティンダリスは微笑んだ。「ゼルフィアは、かつて陛下の『属国』でしたわ。臣下として、主君の体調を心配するのは当然ですわね」

「かつて」シェライトは言葉を拾った。「今は違うと?」

「さあ」ティンダリスは扇子を開いた。「それは、この会議の結果次第ではありませんこと?」

シェライトは歯噛みした。この女は、何を企んでいる。

しかし、彼にはティンダリスを問い詰める時間がなかった。王妃ヴェローナが近づいてくる。女性たちの輪が、彼を取り囲んでいく。

「陛下」ヴェローナが言った。「グラファイトケージの技術共有について、お話を」

シェライトは身動きが取れなくなった。磁場が暴走する。しかし、女性たちは動じない。

包囲網。完璧な包囲網。

ティンダリスは、その様子を見ながら、内心で微笑んだ。

「リミッタ。今よ」彼女は心の中で呼びかけた。「裏で、ゼルフィアの未来を手に入れなさい」



一方、グラヴィス宮東棟のティールームでは、リミッタがゼルフィア特区代表エインベルド・グリュドルアと向かい合っていた。

「リミッタ様」エインベルドは驚いていた。「最恵国待遇……それは」

「ええ」リミッタは微笑んだ。「他国が得た最良の条件を、自動的にゼルフィアも享受できる権利。さらに、カレントリアからの優遇的なエネルギー供給契約。これがあれば、ゼルフィアは経済的にソルフィアから自立できますわ」

エインベルドは頭を下げた。「しかし、なぜあなたがそこまで」

「わたくしは」リミッタは静かに言った。「6年前、ティンダリス女王陛下と約束しましたの。ゼルフィアの光を取り戻すと」

彼女は窓の外を見た。遠くに、舞踏会場の明かりが見える。そこで、ティンダリスはシェライトと戦っている。

「表と裏」リミッタは呟いた。「女王陛下が表で王を縛り、わたくしが裏で実利を奪う。完璧な連携ですわ」

エインベルドは書類に署名した。

「分かりました。ゼルフィアは、あなたの提案を受け入れます」

リミッタは書類を受け取った。そして、深く息を吐いた。

「ありがとうございますわ」彼女は言った。

6年前の約束。16歳の少女が、異国へ売られる直前に交わした誓い。

それが、今、実現した。



その夜、舞踏会が終わった後。リミッタは一人、グラヴィス宮のバルコニーに立っていた。

月が美しい。薄明の光が、空を染めている。

「女王陛下」リミッタは小さく呟いた。「約束、果たしましたわ」

背後から、足音が聞こえた。振り返ると、トランスが立っていた。

「リミッタ」彼は微笑んだ。「探したよ」

「トランス様」リミッタは夫を見た。「ゼルフィアに、光をもたらすことができましたわ」

「そう」トランスは彼女の肩を抱いた。「君は、本当にすごいね」

リミッタは夫に寄り添った。

遠くで、ティンダリスも月を見ていた。彼女の部屋のバルコニーから。

「リミッタ」ティンダリスは呟いた。「ありがとう。あなたは、約束を守ってくれたのね」

彼女は扇子を開いた。分光学の原理で作られた、虹色の扇子。

「6年前、私は無力だった。ソレラントの娘一人、守れなかった」ティンダリスは目を閉じた。「でも、あなたは強くなった。そして、ゼルフィアを救ってくれた」

薄明の光が、二人の女性を照らしていた。表と裏。光と影。しかし、目的は一つだった。

ゼルフィアの光を取り戻す。

そして、その光は、今、確かに輝き始めていた。



シェライト王が推し活で自爆している間に、二人の女性が世界を動かした。

6年前の屈辱への、完璧な復讐。

いや、復讐ではない。リミッタの言葉を借りるなら「最適化」だった。

最適化された未来。ゼルフィアが独立への道を歩む未来。

その未来は、もう始まっていた。


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