最適化令嬢



第19話
『薄明の誓い』

ソルフィア暦1282年、春。ゼルフィア王宮。

謁見の間は、静寂に包まれていた。高い天井から差し込む午後の光が、床の大理石に薄明光線を描いている。その光の中に、ティンダリス・オプティカ・ゼルフィア十七世は座っていた。24歳。ゼルフィア王国最後の女王。そして今は、ソルフィア統一王国の属国、ゼルフィア特区の名目上の君主。

「皆、下がりなさい」ティンダリスは侍女たちに命じた。

侍女たちが退出する。扉が閉まる音が、静かに響いた。

謁見の間には、二人だけが残った。玉座のティンダリスと、その前に立つリミッタ・エラスタンス・ソレラント。16歳。ソレラント公爵家の令嬢。そして、3日後にカレントリア王国へ嫁ぐことが決まった少女。

「リミッタ」ティンダリスは静かに言った。「顔を上げて」

リミッタは顔を上げた。彼女の瞳は、驚くほど冷静だった。16歳の少女が、異国へ売られる直前だというのに。

ティンダリスは、その冷静さに僅かな安堵を覚えた。しかし同時に、胸が痛んだ。

「シェライト陛下は」ティンダリスは言葉を選んだ。「『両国の技術交流促進のための友好的措置』と仰ったそうね」

彼女は微かに笑った。皮肉を込めて。

「美しい建前だわ。さすがは、磁場王」

リミッタは黙って聞いていた。

「リミッタ」ティンダリスは玉座から立ち上がった。階段を降り、リミッタの前に立つ。「私は、ゼルフィアの君主でありながら、ソレラント公爵家の令嬢一人守れない。あなたを止める権限も、力もない」

彼女の拳が、僅かに震えた。

「この無力さが、歯痒いわ」

リミッタは深く息を吸った。そして、静かに答えた。

「お気になさらないでくださいませ、女王陛下」彼女の声は、驚くほど落ち着いていた。「これは政略です。大国の都合。わたくしはただ、その駒として動くだけですわ」

「駒」ティンダリスは繰り返した。

「ええ」リミッタは頷いた。「でも、駒には駒の役割がありますわ。わたくしはこれから、カレントリアという未知の回路を最適化しに行くだけですの」

ティンダリスは、リミッタの瞳を見つめた。琥珀色の瞳。その奥に、炎のような何かが燃えている。

「あなたは」ティンダリスは微笑んだ。「エラスタンス家の最高傑作ね。フラクシアの娘だわ」

「母のことを」リミッタは僅かに驚いた。

「ええ」ティンダリスは頷いた。「あなたのお母様は、外交と世論を読む最強の女性だった。社交界の才女。そして、ゼルフィアの光を信じてくださった方」

彼女は窓の外を見た。ゼルフィアの街並み。薄明の光が、優しく建物を照らしている。

「あなたも、きっと」ティンダリスはリミッタを見た。「どんな場所でも光を放つでしょう。カレントリアでも、どこでも」

リミッタは黙った。しかし、その瞳は輝いていた。

「リミッタ」ティンダリスは彼女の手を取った。「いつか……あなたがその手で、ゼルフィアの光を取り戻す日を、私は待っているわ」

リミッタは息を呑んだ。

「光を、取り戻す」彼女は繰り返した。

「ええ」ティンダリスは頷いた。「ゼルフィアは、今は属国。シェライトの磁場に支配されている。でも、いつか必ず、独立する。自治を取り戻す。そのために、私たちは耐え忍んでいるの」

彼女は強く、リミッタの手を握った。

「あなたは、カレントリアで力をつけて。そして、いつか」

「承知いたしました、女王陛下」リミッタは深々と頭を下げた。

ティンダリスは彼女の頭に手を置いた。祝福するように。

「行ってらっしゃい。ソレラントの娘」ティンダリスは優しく言った。「そして、いつか帰ってきて。ゼルフィアの光を携えて」

リミッタは顔を上げた。彼女の瞳には、涙はなかった。ただ、静かな決意だけがあった。

「わたくしは」リミッタは言った。「必ず戻ってまいりますわ。ゼルフィアの光を携えて。そして、女王陛下のお役に立ちますわ」

ティンダリスは微笑んだ。

「ありがとう」彼女は囁いた。

リミッタは一礼して、謁見の間を出た。彼女の足音が、静かに遠ざかっていく。



ティンダリスは一人、玉座に戻った。高い背もたれに身を預ける。そして、拳を握りしめた。

「シェライト」彼女は小さく呟いた。「あなたは、今日、大きな過ちを犯したわ」

16歳の少女を、推し活の取引材料として売り飛ばす。その少女が、どれほどの才能を持っているか、シェライトは知らない。

「いつか」ティンダリスは窓の外を見た。薄明の光が、ゼルフィアの街を照らしている。「いつか、この屈辱を晴らす」

彼女は立ち上がった。玉座を降りて、窓辺に立つ。

「リミッタ。あなたが、ゼルフィアの未来を照らす光になることを、私は信じているわ」

薄明の光が、女王の横顔を照らした。24歳。無力な君主。しかし、その瞳には、静かな炎が燃えていた。

6年後。その炎は、シェライト王を焼き尽くすことになる。

しかし、今はまだ、誰もそれを知らない。



ゼルフィア王宮の外で、リミッタは馬車に乗り込もうとしていた。父アルケイオンが待っている。

「リミッタ」声が聞こえた。

振り返ると、セピアール・コロラントが立っていた。32歳。ゼルフィア特区総督。そして、かつてはティンダリス女王の記録参謀だった男。

「セピアール様」リミッタは頭を下げた。

「カレントリアへ、行くのだね」セピアールは万年筆を手に持っていた。いつも通り。「記録しておこう。ソルフィア暦1282年春、リミッタ・エラスタンス・ソレラント嬢、カレントリアへ出立。理由、技術交流促進のための友好的措置」

彼は万年筆を走らせた。記録帳に、美しい文字が並んでいく。

「建前だけを記録するのですの?」リミッタは尋ねた。

セピアールは顔を上げた。セピア色の瞳が、リミッタを見た。

「私は、事実しか記録しない」彼は静かに言った。「本音は、いずれ歴史が証明する」

リミッタは微笑んだ。

「では」彼女は言った。「6年後、わたくしがゼルフィアに光をもたらした時、その事実も記録してくださいませ」

セピアールは僅かに目を見開いた。そして、笑った。

「君は、面白い少女だね」彼は記録帳を閉じた。「分かった。6年後、君がどんな光をもたらすか、私はこの万年筆で記録しよう」

「ありがとうございますわ」リミッタは馬車に乗り込んだ。

馬車が動き出す。リミッタは窓から、ゼルフィア王宮を見た。ティンダリス女王がいる場所。そして、自分が生まれ育った場所。

「さようなら」彼女は小さく呟いた。「でも、必ず戻りますわ」

馬車は、ゼルフィアを離れた。カレントリアへ向かって。



16歳の少女は、異国へと旅立った。推し活の取引材料として売られた少女。しかし、その少女は、6年後に最強の実務の女王となって戻ってくる。

ゼルフィアの光を携えて。

そして、シェライト王を絶望の底に叩き落とす。

薄明の光が、馬車を照らしていた。優しく、しかし確かに。まるで、リミッタの未来を祝福するように。


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