最適化令嬢



第4話
『回路の共鳴』

ソルフィア暦1282年初夏。カレントリア王国、電力管理局。

トランス・サイリスタは、執務室の隣の資料室で書類の山に埋もれていた。彼の目の前には、配線図、予算書、そして伯父ソルダの「特別案件」と書かれた機密ファイルが積み上げられている。

「トランス」ソルダが資料室に入ってきた。「お前に最高の制御回路を用意した」

トランスは疲れた目で伯父を見上げた。「伯父上、今はそれどころでは」
彼は書類を指差した。「この予算処理と配線計画、今週中に仕上げないと」

「それは後回しでいい」ソルダは淡々と言った。「お前の婚約者が、今日到着する」

トランスの手が止まった。「婚約者?」彼は困惑した。
「そんな話、聞いていませんが」

「先月話したはずだ」ソルダは眼鏡を押し上げた。「ゼルフィア特区ソレラント公国、エラスタンス家の令嬢リミッタ。お前の妻になる」

「ゼルフィア?」トランスは立ち上がった。「あそこはシェライト王の支配下です。どうやって」

「心配するな」ソルダは手を振った。「特例承認は既に下りている」
彼は時計を見た。「そろそろ到着する頃だ。出迎えに行ってやれ」

「今からですか?」トランスは書類を見た。「この処理が」

「書類は待てる。婚約者は待てない」ソルダは資料室を出ていった。「よろしく頼む」

トランスは深く息をついた。婚約者。政略結婚。そして、自分には選択肢がない。彼は書類を片付け始めたが、その時、資料室のドアがノックされた。

「どうぞ」トランスは答えた。

ドアが開き、一人の若い女性が入ってきた。彼女は完璧な姿勢で立ち、青い瞳でトランスを見つめた。

「初めまして」彼女は優雅に一礼した。「リミッタ・エラスタンス・ソレラントと申します。トランス・サイリスタ様でしょうか」

トランスは驚いて立ち上がった。
「あ、はい」彼は慌てて頭を下げた。「申し訳ありません。出迎えに行けず」

「非効率な儀礼は不要です」リミッタは淡々と言った。「座標が分かっていれば、自分で到着できます」
彼女は資料室を見回した。「それより、その書類の山、処理の優先順位が間違っていますわ」

トランスは呆気に取られた。「優先順位?」

リミッタは書類を一瞥した。「配線計画は来週までに完成すれば問題ないはずです。それより、この『特別案件』と書かれたファイル、これが最優先でしょう」
彼女はファイルを手に取った。「伯父上、ソルダ氏の推し活関連ですわね」

トランスは息を飲んだ。「なぜ、それを」

「推測です」リミッタは静かに答えた。「ソルダ氏がシェライト陛下から特例承認を引き出せた理由、それは何か特別な取引材料があったからでしょう」
彼女は目を細めた。「そして、その取引材料に関連する実務が、このファイルに含まれているはずです」

トランスは椅子に座り込んだ。「君は」彼は呟いた。
「本当にエラスタンス家の令嬢か?」

「はい」リミッタは頷いた。「制御・復元・最適化を司る者です」
彼女はファイルを開いた。「では、このファイルの内容を確認させていただきます」

トランスは観念した。「分かった」彼は深呼吸をした。
「伯父上の最優先事項は『推し活』だ。毎週火曜、ソルフィアの諜報網を掻い潜って、ヒノノギ氏の『最新論文の未公開草稿』と『大学への登下校時の隠し撮り写真』が非公式ルートで届く」

彼は頭を抱えた。「これをカレントリアの国家予算からどうやって裏金で処理するかが、僕の仕事の半分を占めている」

リミッタは表情一つ変えなかった。「呆れた横領ですね」
彼女は淡々と続けた。「ですが、現在のルートは経由地が多すぎて情報漏洩のリスクと中間マージンが無駄に高くなっています」

彼女はファイルから地図を取り出した。「『特別光学部品の調達』という名目のダミー会社をエンシアスに設立し、外交行嚢に紛れ込ませれば、コストは40%削減され、安全性も確保できますわ」

トランスは驚愕した。「君は」彼は呟いた。「本当に16歳か?」

「年齢は関係ありません」リミッタは冷静に答えた。「サイリスタ家という回路を正常に機能させることが、私の『最適化』の役割です」彼女は次の書類を手に取った。「では、次の案件を」

トランスは深く息をついた。「分かった」彼はリミッタの向かいに座った。「君の言う通りだ。僕一人では、伯父上の無茶振りに対応しきれていなかった」彼は正直に言った。「助かる」

リミッタは小さく頷いた。「では、まず現状を整理しましょう」
彼女は手帳を開いた。「ソルダ氏の推し活スケジュール、具体的にお聞かせください」

トランスは観念して説明を始めた。「毎週火曜、ソルフィアからのルートで写真と論文が届く。毎月第一金曜、限定品のオークション情報が入る。そして、毎日夜8時、ソルフィア工科大学の周辺監視報告が」

「待ってください」リミッタは手を上げた。「毎日?」

「はい」トランスは疲れた顔で頷いた。「伯父上は、ヒノノギ氏の行動を完全に把握したがっている」

リミッタは手帳に書き込んだ。「非効率ですね」
彼女は淡々と言った。「毎日の監視報告は、週次のサマリーにまとめるべきです。ソルダ氏に必要なのは『ヒノノギ氏の無事確認』であって、『一挙手一投足の詳細』ではないはずです」

「でも、伯父上は」

「説得します」リミッタは静かに言った。「非効率な推し活は、推しのためにもなりません」彼女は目を細めた。
「ソルダ氏が本当に望んでいるのは、ヒノノギ氏の『光』が消えないこと。ならば、過剰な監視で情報漏洩のリスクを高めるより、安全で効率的なルートを確保する方が合理的です」

トランスは感心した。「君は」彼は呟いた。「伯父上を説得できるかもしれない」

「できますわ」リミッタは自信を持って答えた。「それが、私の役割ですから」



二人は数時間、書類と向き合った。リミッタは次々と最適化案を提示し、トランスはそれを現場に落とし込む形に変換していく。気づけば、夕暮れの光が資料室に差し込んでいた。

「これで、今週の処理は終わりだ」トランスは最後の書類を片付けた。「君がいなければ、徹夜確定だった」

「当然です」リミッタは立ち上がった。「私は、サイリスタ家の制御回路として機能するためにここに来ましたから」

トランスは彼女を見つめた。「リミッタさん」
彼は静かに言った。「これは、政略結婚だ。君も僕も、選択肢はなかった」

「ええ」リミッタは頷いた。「政略結婚ですね」

「でも」トランスは続けた。「君となら、完璧な回路として機能できる気がする」

リミッタは小さく微笑んだ。「では、完璧な回路として機能しましょう」
彼女は手を差し出した。「トランス様。いえ、トランス。あなたは『変換・調整』を、私は『制御・最適化』を担当します」

トランスは彼女の手を握った。「よろしく頼む」彼は真剣に言った。「リミッタ」

二人の手が握られた瞬間、まるで電流が流れたように、完璧な回路が完成した。恋愛感情はゼロ。しかし、互いの能力を信頼し、尊重する絆が、そこには確かに存在していた。



資料室のドアが開き、ソルダが顔を覗かせた。「どうだ、進んでいるか?」

彼は二人を見て、満足げに頷いた。「ああ、いい感じだな。完璧な回路が完成しつつある」

「伯父上」トランスは立ち上がった。「リミッタが、推し活ルートの最適化案を出してくれました」

「ほう?」ソルダは興味深そうに眼鏡を押し上げた。「聞かせてくれ」

リミッタは淡々と説明を始めた。ダミー会社、外交行嚢、コスト削減。ソルダは黙って聞いていたが、やがて小さく笑った。

「素晴らしい」ソルダは頷いた。「君は、本当に最高の制御回路だ」
彼はトランスを見た。「よかったな、トランス。君に最高の嫁を用意できた」

トランスは苦笑した。「はい」彼はリミッタを見た。「本当に、最高です」

ソルダは資料室を出ていった。二人きりになった資料室で、リミッタは窓の外を見つめた。

「カレントリア」彼女は呟いた。「私の新しい家」

「不安か?」トランスは尋ねた。

「いいえ」リミッタは首を振った。「不確定要素は多いですが、最適化すれば問題ありません」
彼女はトランスを見た。「あなたがいれば、完璧な回路として機能できます」

トランスは微笑んだ。「僕も、君がいれば大丈夫だ」
彼は窓の外を見た。「サイリスタ家の未来、一緒に作っていこう」

「ええ」リミッタは頷いた。「完璧な回路として」

窓の外、カレントリアの夕暮れは美しかった。16歳の令嬢と20歳の青年。政略結婚で結ばれた二人は、恋愛ではなく、実務と信頼で繋がる新しい夫婦の形を、静かに築き始めていた。



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