短い話まとめ
毎日が特別
テレビがドラマからニュースに切り替わったタイミングで、インターホンが鳴った。
仕事から帰って飯と風呂を早々に済ませ、同僚から貰ったシュークリームを食べようと飲み物の準備しているところだった。
街全体が静まり返るこの時間、身構えてもおかしくないところだが思い当たる奴がいる。だが今日は会う約束はしていなかったはずだ。
「あ、こんばんはすみません約束もなしに突然きて! えーっと、すぐ帰るんで……」
玄関を開けると予想通り松本で、ちらつく雪を背負い白い息を吐いて、頬と耳は赤くなっている。
「いいよ、とりあえず入りなさい」
「はい……お邪魔します」
ダウンコートの雪を軽く払ってやり、部屋に招き入れる。
こうして会うようになって三ヶ月が経つだろうか。だからといって、なにかある訳ではない。ただ一緒の時間を過ごす。それだけだ。
「寒かったろ。今ちょうどお茶の準備を」
「先生これ」
話し終わる前に声が重なった。松本は視線を泳がせながら、ダウンのポケットから紙の包みを取り出した。リボンのラッピングシールが貼られていて、無理にポケットに入れたのか角が折れている。
「このまえ地元に帰ったとき買ったんです。……誕生日おめでとうございます」
「そうか、知ってたか……ありがとな」
「今日渡せてよかった」
ああ、若いなと思った。
大人になれば誕生日なんて、特別はしゃぐような日でもない。ひとつ歳をとる。それだけだ。
それでも、松本のはにかんだ笑顔に胸がときめいた。はじめて見せる顔に、つい手を伸ばしてしまいそうになる。
差し出された包みを受け取ると、冷えた指先がかすかに触れた。もっと触れたいと訴えるように松本の手が伸びてきたが、気付かぬふりをした。
「シュークリームがあるんだが一つしかないんだ。半分、食うか?」
「あげたくないって顔に出てる……もう歯磨いてきちゃったんですよね、どうしようかな」
「じゃあ無理だな。お前には大好きな梅こんぶ茶を入れてやろう。ほら、座ってろ」
「はじめから分ける気なかったですよね?」
冗談めいて会話をすれば、流れる空気が軽くなる。そうでもしないと、期待に応えてしまいそうだった。
「おいしいですか? 甘そう」
「うまいよ、甘くて」
左隣からまじまじと見つめられ、どうにも食べにくくて横目で見ると松本は視線を移した。両手を温めるようにマグカップを持ち、飲まずに眺める横顔はまだあどけない。
普段ならば大人しく雑誌を読んだりテレビを見ているが、ちらちらと目をむけてきては溜息をついたり、両手で顔を雑に擦ったり、今日の松本は落ち着きがない。
そういえば、まだ貰った包みを開けていないことに気が付いた。選んだ贈り物が喜んでもらえるかは誰でも気になるものだろう。好きな相手からのプレゼントはなんでも嬉しいが、早く確認してそれを伝えてやろうと、残りを一気に食べ終えた。
「すまん、待たせたな」
お茶も飲み干し、松本の方に顔をむけたときだった。
肩がぶつかり、同時に唇が触れた。
女性の柔らかな唇とは異なる感触で、松本の唇は乾燥して皮が剥けている。強く押し当てられ、すぐに離された。
「松本……お前……」
「好きです。何度でも言います。先生が好きです」
ああ、若いな。
真っ直ぐな瞳に浮かぶのは純粋な好意だけだ。互いの立場を顧慮もせず――若気の至り、いや、悩んだ末での行動だろう。それが「今」しか見えていないだけだとしても。
「こういうことは、しない約束だったよな」
「お互い好きなのに……」
「それでも、だ。わかるだろ?」
「じゃあ特別な日だけ」
まさか子供のような都合のいい提案をされるとは考えもしなかった。だが、拒まれることを恐れながらも、懸命に食らいついてくる松本のこんな一面も好きだった。
床についていた左手に、松本の指さきが触れる。少しばかり触れただけで、硬い指さきをこれほど恋しく思うなんて、もう知らないころには戻れないだろう。
「そんなの……無理に決まってるだろ」
右手で松本の頭を引き寄せ唇を押しつける。
ひたむきな好意には、こちらも同じように向き合わなければいけない。そもそも気持ちを伝えてしまった時点で、後戻りはできないと覚悟を決めるべきだったのだ。
触れるだけのキスを繰り返し、合間に漏れる松本からの好きの言葉は、思考よりも感情で行動させるには充分だった。
少し痩せた頬を両手で包み、たまらず舌先で乾いた唇を舐めた。松本は一瞬強ばったが、ゆっくりと唇に隙間をつくり舌を受け入れていく。
舌が絡まる音と重なる吐息は、テレビから流れる音が隠してくれた。
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「あ、五郎さんいた。なに選んでるんですか?」
「シュークリーム。半分にして食べるか?」
「え、絶対足りないって言うじゃないですか。二個買いましょう」
「そうだよな」
「待ってください、なんで笑ってるんですか」
「ん? 昔を思い出してただけだよ」