短い話まとめ
ダンシングサンタクロース
東北の冬は暗い。今日の天気はそんなイメージを吹き飛ばすほどの快晴で、その分冷え込んだ一日だった。後一時間もすれば日付けが変わって、外気温はマイナスになりそうだ。
顔がビリビリ痺れて、耳や鼻の先がじんじん痛む。鼻がつまって口で呼吸をすれば、白い息が吐き出されては空気中に消えていく。風呂で温まった体は気を抜けば身震いしてしまうほど寒くて、ダウンのフードを深くかぶり直した。
たまに怒っているのか聞かれる事がある。今誰かに会えば、きっと同じように問われるだろうが答えは真逆だ。頭のなかではソリを引くトナカイの鈴の音が軽快に鳴り響いているし、ソリのうえでは赤い帽子をかぶった老人が陽気に踊っている。
急ぎ足でむかうなか、会ったらまず何と言えばいいか考えた。普通に挨拶すればいいだけなのに、考えた。もしかしたら、「寒かっただろ」なんて優しく微笑んで、抱き締められるかもしれない。普段の様子を思い返せば、せいぜい頭を撫でられるくらいだろうが、期待してしまう。なんといっても今日は聖なる夜だから。いつになく浮かれている自覚があった。
「うわ、寒いな」
玄関が開いた瞬間に驚いた顔をした先生はTシャツ姿で、両腕を擦りながら「風邪ひくから早く入れ」と言い残しさっさと居間に消えていった。
寒いなか会いに来た恋人にその態度は如何なものか。頭のなかで踊っていた老人は動きを止めて、立派な白ひげを撫でながら渋い顔をしているし、トナカイにいたっては任務完了とばかりに欠伸をしている。
何だか釈然としないまま居間に入ると、煙突式のストーブがいつもよりも赤く燃焼していた。一気に体が熱くなって上着を脱いだ。鼻水がゆるんで垂れそうになる。慌ててテーブルのうえのティッシュ箱に手を伸ばし鼻をかんだ。見まわしても家の主の姿が見えなくて、奥の部屋からガサガサと音がする。
「先生ー?」
「ちょっと待ってろー」
まったく思っていたのと違う。むしろ普段訪れる時よりも雑な扱いを受けている。残念ながら老人とトナカイにはお帰りいただくしかないようだ。聖なる夜はただの夜、会えただけでも良しとしよう。なんといっても今日は、年内で一緒に過ごせる最後の夜だから。負の感情は邪魔でしかない。台所で手を洗うと、その冷たさがしみた。
冷えた手に息を吹きかけながら音のする部屋まで行くと、押入れを開けて何か探し物をしているようだった。側まで近付き、邪魔しない程度にTシャツの裾を少し引っ張った。会いに来ています。恋人が。心のなかで話しかける。
気持ちは届くはずもなく、先生は「あるはずなんだよなぁ」なんて言いながら、段ボールや紙袋の中を漁っている。
「手伝いますか?」
「んー」
「……あっち行ってます」
「んー……おっ、あった」
勢いよく振り返った先生と目があった。きらきらと輝く瞳が、まるで面白いものを見つけた少年みたいだと思った。手には、先にむかって尖った形の、赤い、帽子。奥底にあったのか、薄い生地のそれは畳み皺がくっきり付いていて、先端の白いぽんぽんは潰れている。
「……えっと」
予想外過ぎて言葉が出てこなかった。何だっただろうか、会ったらまず何て言うんだった?なんて今更考えてしまうくらいには、呆気にとられている。
まさか。と思うより先に、先生は得意気な顔で赤い帽子をオレの頭にかぶせた。納得したように頷いてから右手で口元を隠したけれど、唇をかみしめているのが見えた。左手で帽子の角度を調整して、先端部分を手前に持ってきたのか、ぽんぽんが額の端に触れて少しかゆい。
「っふ、ふふ。クリスマスだから、ほら。あった方が……ぶっ!」
小学生の頃クラスの女子に、真顔で前を向いていただけなのに、恐いと言われた事がある。今まさにそんな顔をしているが、目の前の人物は右手で口元をおさえ下を向いて、左手を俺の肩にのせて笑っている。たまにちらっと視線をあげては、肩を震わせて抑えるつもりのない声で、笑っている。
「すまん……くっ、笑うつもりはっ、なかったんだが」
きっとそうなんだろう。会いに来た恋人を蔑ろにするような人ではないし、帽子を見つけた時の表情は嘘じゃない。クリスマスには、赤いサンタ帽は必須なんだろう。
相手が例えば一之倉だったら、深津だったら、「くだらねぇ」と冷たく言い放ってやれるのに。相手が変わるだけで、気持ちまで変わってしまうものなんだろうか。くだらないと思うのは変わらないけれど、楽しそうな笑顔を見せられると、こっちまで面白くなってくる。
「寒いから戻ろう」
「帽子取っていいですか」
「駄目だ。似合ってるからかぶってなさい」
眉を寄せて、少しムッとしたような表情だった。でもこれは怒ったのではなく笑いを堪えたんだろう。どうやら似合わないサンタ帽をかぶったオレが相当お気に入りらしく、ちらっと見てきては口元を歪めている。
先生は仕切り直すかのように、大きく咳払いをした。右手に少し汗ばんだあたたかい感触がして、力強く握られる。
「ケーキ食べるか?」
「用意してくれたんですか? 食べます」
「クリスマスだからな」
居間までの遠くない距離を、手をひかれて歩く。普段手を繋いで歩く事がないから恥ずかしくなって、握られている手に力をこめた。一歩先を歩く先生の表情は変わらないけれど、痛いくらいに握り返してきているから、何かは伝わっているんだろう。
あっという間に居間について、最終地点は台所だった。途中台所を通り過ぎてテーブルを一周したが、何故無駄にテーブルを経由したのかは、あえて聞かなかった。
世の中の恋人達は、クリスマスという日をどう過ごすのだろう。例えば今のこの状況が、よくある事なのかも分からない。
テーブルには、とうもろこしのひげ茶にチョコのカットケーキが二つ、フォークも二本。テーブルにむかって座るオレに、先生は後ろから抱きしめるように座った。この体勢は別にはじめてではないけど、これからケーキを食べるはずだ。
「食べないんですか?」
「食べるよ。松本にも俺が食べさせる」
「え?」
「クリスマスだからな」
当然だろう、とでもいうような顔をしているけれど、その言葉を言っておけばいいと思っているんだろうか。答えはイエスだ。誰にも見られている訳じゃない、お互いが納得していたら何も問題ない。先生が楽しそうにしているなら、きっとオレは何でもいい。
フォークにのった一口分のケーキが、開けた口に入ってくる。噛むというよりは、すり潰して飲みこんだ。口を開くと次の一口が送られてくる。その時に、上半身をずらして覗きこんでくる先生も口を開くもんだから、すき間から赤い舌が見えている。ケーキの味を聞かれても、甘い。チョコ味。それしか言えないだろうと思った。同じケーキを食べる先生も、甘くてチョコの味がするんだろうか。
「……先生って、クリスマス好きなんですね。正直意外でした」
「ん?イベントなんて興味ないよ」
「嘘だ」
今度はオレが上半身をずらして、後ろの先生を覗きこんだ。赤い帽子をかぶったまま全力で否定する。「クリスマスだから」を合言葉に好き放題しておいて、興味ない。は無理がある。
先生はフォークを皿のうえに置いて、とうもろこしのひげ茶を飲んだ。
「何言ってんだ本当だって」
「……嘘だ。じゃあ今日は何なんすか……」
「いいだろ、今日くらい」
「今日くらいって」
「もう今年最後だろ……二人で会えるの」
言い終わる前に、きつく抱き締められた。着ていたトレーナー越しに先生の体温が伝わってきて、熱いと思った。いつもより室温が高いから、なおさらそう感じるのかもしれない。
少し前まで、好きで胸が苦しくなるなんて本当にあるのかと疑問に思っていた。今では、このまま死ぬならそれも本望。そんな馬鹿げた事を真面目に考えるくらいには好きで苦しくて大好きでたまらない。
「先生」
「……なんだ」
「先生」
「なんだよ」
「苦しいです」
ゆっくり腕がほどかれて、熱が逃げていく。体を無理矢理動かして先生に向き合った。寂しそうに視線を落とした表情は、もう駄目だった。何がもう駄目なのか分からないけれど、今度はオレがきつく抱き締める番だった。伝われと念じながら腕に力を込めたら、何か伝わったのかもしれない。背中を優しく撫でられて、じんわりとした温もりが心地よくて力が抜ける。
「……先生」
「好きだよ、松本」
「オレの方が好きです」
お互い譲らない言い合いをして、最後にはじゃんけんで決着をつけた。実にくだらなくて面白くて愛おしい。
「プレゼントください」
「そんなものないよ」
無言で、欲しいものをじっと見つめた。Tシャツの裾を伸びない程度に引っ張って、見つめ続けた。もう帰らないといけません。キスをしたいです。心のなかで訴える。
先生が頭を雑にかいて、髭を触った。眉根にしわを寄せ目を細めている。
時たま意志が強そうだとか頑固そうだとか言わ
ダンシングサンタクロース
東北の冬は暗い。今日の天気はそんなイメージを吹き飛ばすほどの快晴で、その分冷え込んだ一日だった。後一時間もすれば日付けが変わって、外気温はマイナスになりそうだ。
顔がビリビリ痺れて、耳や鼻の先がじんじん痛む。鼻がつまって口で呼吸をすれば、白い息が吐き出されては空気中に消えていく。風呂で温まった体は気を抜けば身震いしてしまうほど寒くて、ダウンのフードを深くかぶり直した。
たまに怒っているのか聞かれることがある。今誰かに会えば、きっと同じように問われるだろうが答えは真逆だ。頭の中ではソリを引くトナカイの鈴の音が軽快に鳴り響いているし、ソリの上では赤い帽子をかぶった老人が陽気に踊っている。
急ぎ足で向かうなか、会ったらまずなんと言えばいいか考えた。普通に挨拶すればいいだけなのに、考えた。もしかしたら、「寒かっただろ」なんて優しく微笑んで、抱きしめられるかもしれない。普段の様子を思い返せば、せいぜい頭を撫でられるくらいだろうが、期待してしまう。なんといっても今日は聖なる夜だから。いつになく浮かれている自覚があった。
「うわ、寒いな」
玄関が開いた瞬間に驚いた顔をした先生はTシャツ姿で、両腕を擦りながら「風邪ひくから早く入れ」と言い残しさっさと居間に消えていった。
寒いなか会いに来た恋人にその態度はいかがなものか。頭の中で踊っていた老人は動きを止めて、立派な白ひげを撫でながら渋い顔をしているし、トナカイにいたっては任務完了とばかりにあくびをしている。
何だか釈然としないまま居間に入ると、煙突式のストーブがいつもよりも赤く燃焼していた。一気に体が熱くなって上着を脱いだ。鼻水がゆるんで垂れそうになる。慌ててテーブルのうえのティッシュ箱に手を伸ばし鼻をかんだ。見まわしても家の主の姿が見えなくて、奥の部屋からガサガサと音がする。
「先生ー?」
「ちょっと待ってろー」
まったく思っていたのと違う。むしろ普段訪れる時よりも雑な扱いを受けている。残念ながら老人とトナカイにはお帰りいただくしかないようだ。聖なる夜はただの夜、会えただけでも良しとしよう。なんといっても今日は、年内で一緒に過ごせる最後の夜だから。負の感情は邪魔でしかない。台所で手を洗うと、その冷たさがしみた。
冷えた手に息を吹きかけながら音のする部屋まで行くと、押入れを開けてなにか探し物をしているようだった。そばまで近づき、邪魔しない程度にTシャツの裾を少し引っ張った。会いに来ています。恋人が。心の中で話しかける。
気持ちは届くはずもなく、先生は「あるはずなんだよなぁ」なんて言いながら、段ボールや紙袋の中を漁っている。
「手伝いますか?」
「んー」
「……あっち行ってます」
「んー……おっ、あった」
勢いよく振り返った先生と目があった。きらきらと輝く瞳が、まるで面白いものを見つけた少年みたいだと思った。手には、先にむかって尖った形の、赤い、帽子。奥底にあったのか、薄い生地のそれは畳み皺がくっきりついていて、先端の白いぽんぽんは潰れている。
「……えっと」
予想外過ぎて言葉が出てこなかった。なんだっただろうか、会ったらまずなんて言うんだった?なんて今更考えてしまうくらいには、呆気にとられている。
まさか。と思うより先に、先生は得意気な顔で赤い帽子をオレの頭にかぶせた。納得したように頷いてから右手で口を隠したけれど、唇をかみしめているのが見えた。左手で帽子の角度を調整して、先端部分を手前に持ってきたのか、ぽんぽんが額の端に触れて少しかゆい。
「っふ、ふふ。クリスマスだから、ほら。あった方が……ぶっ!」
小学生の頃クラスの女子に、真顔で前を向いていただけなのに、恐いと言われたことがある。今まさにそんな顔をしているが、目の前の人物は右手で口をおさえ下を向いて、左手を俺の肩にのせて笑っている。たまにちらっと視線をあげては、肩を震わせて抑えるつもりのない声で、笑っている。
「すまん……くっ、笑うつもりはっ、なかったんだが」
きっとそうなんだろう。会いに来た恋人を蔑ろにするような人ではないし、帽子を見つけた時の表情は嘘じゃない。クリスマスには、赤いサンタ帽は必須なんだろう。
相手が例えば一之倉だったら、深津だったら、「くだらねぇ」と冷たく言い放ってやれるのに。相手が変わるだけで、気持ちまで変わってしまうものなんだろうか。くだらないと思うのは変わらないけれど、楽しそうな笑顔を見せられると、こっちまで面白くなってくる。
「寒いから戻ろう」
「帽子取っていいですか」
「駄目だ。似合ってるからかぶってなさい」
眉を寄せて、少しムッとしたような表情だった。でもこれは怒ったのではなく笑いを堪えたんだろう。どうやら似合わないサンタ帽をかぶったオレが相当お気に入りらしく、ちらっと見てきては口を歪めている。
先生は仕切り直すかのように、大きく咳払いをした。右手に少し汗ばんだあたたかい感触がして、力強く握られる。
「ケーキ食べるか?」
「用意してくれたんですか? 食べます」
「クリスマスだからな」
居間までの遠くない距離を、手をひかれて歩く。普段手を繋いで歩くことがないから恥ずかしくなって、握られている手に力を込めた。一歩先を歩く先生の表情は変わらないけれど、痛いくらいに握り返してきているから、なにかは伝わっているんだろう。
あっという間に居間について、最終地点は台所だった。途中台所を通り過ぎてテーブルを一周したが、なぜ無駄にテーブルを経由したのかは、あえて聞かなかった。この無駄が大好きだから。
世の中の恋人達は、クリスマスという日をどう過ごすのだろう。例えば今のこの状況が、よくあることなのかもわからない。
テーブルには、とうもろこしのひげ茶にチョコのカットケーキが二つ、フォークも二本。テーブルに向かって座るオレに、先生は後ろから抱きしめるように座った。この体勢は別にはじめてではないけれど、これからケーキを食べるはずだ。
「食べないんですか?」
「食べるよ。松本にも俺が食べさせてやろう」
「え?」
「クリスマスだからな」
当然だろう、とでもいうような顔をしているけれど、その言葉を言っておけばいいと思っているんだろうか。答えはイエスだ。誰にも見られている訳じゃない、お互いが納得していたら何も問題ない。先生が楽しそうにしているなら、きっとオレはなんでもいい。
フォークにのった一口分のケーキが、開けた口に入ってくる。噛むというよりは、すり潰して飲み込んだ。口を開くと次の一口が送られてくる。そのときに、上半身をずらしてのぞき込んでくる先生も口を開くもんだから、すき間から赤い舌が見えている。ケーキの味を聞かれても、甘い。チョコ味。それしか言えないだろうと思った。同じケーキを食べる先生も、甘くてチョコの味がするんだろうか。
「……先生って、クリスマス好きなんですね。正直意外でした」
「ん?イベントなんて興味ないよ」
「ウソだ」
今度はオレが上半身をずらして、後ろの先生をのぞきこんだ。赤い帽子をかぶったまま全力で否定する。「クリスマスだから」を合言葉に好き放題しておいて、興味ない。は無理がある。
先生はフォークを皿のうえに置いて、とうもろこしのひげ茶を飲んだ。
「何言ってんだ本当だって」
「……ウソだ。じゃあ今日はなんなんすか……」
「いいだろ、今日くらい」
「今日くらいって」
「もう今年最後だろ……二人で会えるの」
言い終わる前に、きつく抱きしめられた。着ていたトレーナー越しに先生の体温が伝わってきて、熱いと思った。いつもより室温が高いから、なおさらそう感じるのかもしれない。
少しまえまで、好きで胸が苦しくなるなんて本当にあるのかと疑問に思っていた。今では、このまま死ぬならそれも本望。そんな馬鹿げたことを真面目に考えるくらいには、好きで苦しくて大好きでたまらない。
「先生」
「……なんだ」
「先生」
「なんだよ」
「苦しいです」
ゆっくり腕がほどかれて、熱が逃げていく。体を無理矢理動かして先生に向きあった。寂しそうに視線を落とした表情は、もう駄目だった。なにがもう駄目なのか。わからないけれど、今度はオレがきつく抱き締める番だった。伝われと念じながら腕に力を込めたら、なにか伝わったのかもしれない。背中を優しく撫でられて、じんわりとした温もりが心地よくて力が抜ける。
「……先生」
「好きだよ、松本」
「オレの方が好きです」
お互い譲らない言いあいをして、最後にはじゃんけんで決着をつけた。実にくだらなくて面白くて愛おしい。
「プレゼントください」
「そんなものないよ」
無言で、欲しいものをじっと見つめた。Tシャツの裾を伸びない程度に引っ張って、見つめ続けた。もう帰らないといけません。キスをしたいです。心のなかで訴える。
先生が頭を雑にかいて、髭を触った。眉根にしわを寄せ目を細めている。
時たま意志が強そうだとか頑固そうだとか言われる事がある。自分でそうだと思ったことはなかったけれど、今、まさに実感しているところだった。いつの間にか戻ってきていた頭のなかのサンタクロースとトナカイが、固唾をのんで見守ってくれている。
髭を触っていた手が伸びてきて、裾を掴んでいた手を包まれる。もう片方の手で頬を撫でられて、顔が近づいてくる。
聖なる夜はただの夜で終わったけれど、クリスマス当日に好きな人とキスをした。チョコの味なんてしなかったけれど、先生は確かに甘かった。