あなたと生きる。
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「ギンちゃん」
私を呼ぶ声が聞こえた。
優しいその声は懐かしくて、心地よくて、温かい波に揺られ、まるで赤子のように揺り篭であやされている気分になった。
「観てください。鬼ヤバ動画が撮れました!」
返事をしようとしても、喉にひっかかり声がでない。
あの頃は楽しかったな。どうして今まで忘れていたのだろう。よくブラックとカメラちゃんと撮影をして……撮影?…どんな撮影だっただろうか。思い出せない。
嬉しかった。怒っていた。泣いていた。笑っていた。
そんな断片的で曖昧な記憶なのに、どうしてか胸が温かくなる。
時折胸が締め付けられ、溺れるかのように呼吸が苦しくなるが、声を聞くと頭や頬を撫でられているみたいで気持ちがいい。
このまま声を聞いていたい。ずっと。
「ここでは沢山の鬼ヤバ動画を撮影できました…。オレちゃん、新しい場所でもっと鬼ヤバ動画を撮影します」
待ってブラック、嫌だよ。…声がでない……待って待って、嫌だどうして置いていかないで。
「……じゃ、またいつか」
あの時と同じ声音で言い、それから何も聞こえなくなった。
ああ、これは夢なんだ。
最後に会ってからどれくらいたったのだろう。私は小さかったから。もう一度会いたいけれど、彼がどこにいるのかわからない。
今もまだ動画を撮影しているのだろうか。もう一度だけ…違う、私はずっと一緒に居たかったのに。
寂しいよ……ブラック。
頭が痛む。眩しくて目が開けられない。
「ギンちゃん」
声が聞こえる。
さっきまで聞いていた、懐かしい声。夢の続きがあるのなら、このまま寝ていたい。
けれどありありと肌に伝わる感覚に、ゆっくりと瞼を開いていくと、懐かしい目が私を見つめていた。
「ギンちゃん」
変わらない笑顔。変わらない声。
「………ブラック…?」
この感覚はきっと夢ではない。
「大きくなりましたね……」
近づいた手が私の頬に触れた。黒手袋越しに顔を包み込まれる。この感覚もいつぶりだろうか。
ずっとずっと会いたかった。
どうして忘れていたのだろう。
目頭が熱くなり頬を濡らす。ブラックが親指を軽く押しあて拭ってくれた。
「……会いたかったよ、ずっと……」
「オレちゃんもですよ」
「嘘だ…だって全然、会いに来てっ、うぅ…くれなかったぁ……」
「会わない方が良いこともあるのです」
「どうして…?」
「本来歩む筈だった…ギンちゃんの未来を奪ってしまいますから」
笑っているのに寂しそうに言うブラックの顔を見ると、夢の出来事みたいに喉がひっかかり言葉がでてこない。
あの頃のように駄々をこねても、どうにもならないのだと思った。
だけど、それでも。
「……嫌だ。ブラックがいないと嫌だ…!!」
心が張り裂けそうで、みっともないくらい声を出した。
「じゃあどうして!今こうして…会ってるの…っ」
「あの時、オレちゃんに関する記憶は消しました。ですが…」
ブラックの手が顔から離れ、背中に腕の力を感じる。
「ギンちゃんは今、事故にあって…僅かな時間ですが、意識を失っていました。それがきっかけとなり、思い出したのかもしれません」
周りを見ると、車が不自然なところで停まっており、男性が電話でなにかを話している。
「あとは…。記憶を消す時、オレちゃんにも迷いがあったのかもしれません。……全てを消しきれなかった」
背中に回されている腕の力が、さっきよりも強くなる。
圧迫された胸が苦しい。けれどこれはそれだけじゃない。
「一緒にいたいよ…これからもずっと。わ、私はどんどん年を取るかも、しれないけど…っ」
「……。ギンちゃんには本来の未来があります」
「私の未来は私が決める!ねえ、そうでしょ…ブラック。私はもう、あの頃の子どもじゃないの……」
ブラックの背中に腕を回して、精一杯伝えた。
ずっとずっと、心の隅で大切にされていた気持ち。
「私は、ブラックと生きていく」
そう告げると背中が軽くなり、ブラックに回していた腕もほどかれる。
子どもの頃と同じ不安がよぎり身体が強張った。
けれど私の両手に伝わってきた黒手袋の感触が、少なからず心を落ち着かせてくれ、握られた手には力が込められていく。
「…ギンちゃん。オレちゃんと契約しませんか?」
ブラックの言葉に顔をあげると、勘違いかもしれないけれど、大きな丸い目が、記憶のものよりもずっと優しく、私を見つめていた。
「まあでも。企画契約書はいらないんですけど」
カカカ、と笑って、私たちはもう一度抱き締め合う。
「ギンちゃんを忘れたことはありません。それはこれからも。…一緒に、沢山の思い出を作りましょうね!」
凄く嬉しくて、泣きながらブラックの胸に頬を寄せた。
「………………大丈夫ですか?」
その声に、記憶を辿っていた意識が戻る。驚いた顔で見つめられ、自分の目から涙があふれ流れている事に気づく。
「…失礼しました。目にゴミが入っちゃいまして」
胸騒ぎがし、いつの間にかここへ来ていた。
動かない様子に不快感が押し寄せたと同時に、懐かしい面影を残し大人になった姿に自分との違いを再認識させられる。
子どもの気持ちは純粋だからこそ未熟に構成された不確かなもの。成長につれ自我が確立されていく。
自分への危うい感情を知らないふりは出来ず離れたというのに、彼女を構成していく思い出を消しきれず、奥底に隠した僅かな記憶は断片的だが何層にも重なりあい、未だ消失することなく守り合うように残されていた。
過去の自分と同じようにためらったが、その過ちも精算した。
けれど僅かに痛むようで冷えるような、経験のない気持ちの悪さは未だ治まることなく胸を圧迫している。
それでも契約を守る為、黒手袋で目元を拭い、いつもの笑顔を作る。
「オレちゃんは悪魔系ヨーチューバーのブラック!! …あなた、鬼ヤバスターの素質がありそうですねえ?」
怪訝な顔へ迫るように近づいた。
いつかまた、あの笑顔が向けられるだろうか。
「オレちゃんと契約しませんか?…ギンさん」
もしも、無くせない存在でいられたなら。
もしも、成長したあなたが望んでくれたなら。
「………ブラック…?」
そう悪くない未来を夢見て、あなたと生きる。