beautiful night
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どうしよう、果てしなく困った
連日の仕事の疲れが溜まっているのか、最近肩が異様に重くて体がとにかくだるかった
そんなあからさまに顔色と動きの悪い自分を見兼ねて、勤め先の店長が珍しく早上がりを許してくれた
現金なもので帰宅が出来ると思った瞬間、大分精神的な疲労は回復したのだけれど
せっかく気遣って帰してくれたのを無駄にしてはいけないと思い、家に着くまでの時間を短縮出来そうな、普段は通らない路地裏を使おうとしたのがいけなかったらしい
薄暗い道を慎重に歩いていたはずの足が突然がくりと折れて、そのままなんの抵抗も出来ずに、身体が奈落の底に落ちてしまった
正確には、奈落ではないけれど
「なんでこんな所に穴があるの……」
なぜか、落とし穴に見事に落ちてしまった自分
一体どこの誰がつくったのかは知らないが、この落とし穴は相当な深さだった とてもじゃないけれど、自力で這い上がれるような高さではない
しかも落ちた瞬間、私は着地と同時に足に大ダメージを負ってしまった
不幸中の幸い、骨折するまでには至っていないが、おそらく打撲程度の怪我はしているような気が、じわじわとした痛みから察せられる
「……だ、誰かー、誰かたすけてー!」
最悪なことに、落ちた時に携帯電話が入った鞄を手放してしまったようで、今手元にはだれかと連絡を取る手段がない
穴から這い上がることも出来ずにただただ途方に暮れながら、頭上に見える小さな入口へと叫ぶ
「誰か……、お願いだから誰か気づいてくださいー!」
路地裏なんか通らなければ良かったと激しく後悔する せっかく仕事を早く上がらせてもらえたのに、まさかの体調悪化に自分自身で拍車をかけてしまって、絶望的な気分になった
「ついてなさすぎでしょ……」
呟いて、力の入らない足を投げ出したまま頭上を見上げ続ける 路地裏なだけあって人が通りかかりそうな気配がない 大通りなら賑やかな夜の喧騒も、まったく聞こえないほどに辺りは静まり返っていた
とにかく、このまま本当に誰も通りかからずに、一夜を穴の中で過ごす様な真似だけはなんとしてでも避けたい
その為にはやはり助けを叫び続けるしかない 私は景色が覗く穴の上を見上げて、ゆっくりと深呼吸した
そして再び叫ぼうとした瞬間、コツ、と静かな靴音が辺りに響いた
「!」
はっとして立ち上がりそうになったけれど、やはり足に力が入らずその場で膝を突いてしまう
でも、とにかく、誰かいるのなら呼び止めなくては
「すみません、誰かそこにいるんですか!? お願いします、助けてください!」
今出せるありったけの声で叫ぶと、靴音が一瞬止んでこちらへやってくる気配がした
穴の上から顔がひとつ、覗く
「……そこで何をしている」
「お、落ちちゃったんです、なんだか知らないけど落とし穴に! た、助けてください!」
穴から覗いて来たのは、どうやら若い男性のようだった 彼は首を傾げると、こちらを観察するような視線を向けて来る
「あ、あの、助けを呼んで頂けませんか!? 多分、その辺にわたしの鞄が落ちていると思うので、その中のフォンで呼んでもらって構いませんので、」
「鞄……これか?」
「あ、それです!」
彼は私の鞄を軽く掲げた後、こちらに視線を落とす
「……怪我をしているのか?」
「え? あ、そうなんです、落ちた時に足をちょっと痛めてしまったみたいで」
自分の足を再度確認して、軽く息を吐く
別に今のところは耐え難いほどの激痛を感じるわけではないので、大丈夫といえば大丈夫だ けれど動こうとすると、嫌な感触がする
おそらくロープや梯子を下ろしてもらっても、自力で上るのは無理な気がする
だから出来ればレスキュー隊、警察でもなんでもいいから救助のプロを呼んで欲しかった
「あ、あの、とにかく呼んで……」
「それより早く医者へ行ったほうがいい」
「え、ええ 行きますよ あの、だから早く」
助けを呼んで、と再び言い掛けたところで 穴の上からこちらを見下げていた人物は一瞬にして、その姿を消してしまった
__いなくなってしまった
……え、うそ、見捨てられた……?
「ま、ちょ、ちょっと待ってください! お願い、見捨てないでー!」
「こっちだ」
「!? はっ!? え……!?」
突然後方から声が掛かり、驚いて思わず情けない声を上げてしまった
先ほどまで穴の上にいた人物がなぜか次の瞬間、私の真後ろに立っていた
「少し目を瞑っていろ」
「え、え!? え!?」
色んな事に驚き過ぎて私はもう、え、しか言えずに目の前の人物にされるがままになっていた 彼は私の手を取ると、もう片方の手で私の視界を遮る
「わっ、な、」
なに、と言う間もなく、一瞬だけふわっと浮遊するような感覚が身体を襲った
状況についていけず混乱していると、手が退けられ視界が開ける 開けた視界に広がったのは、先ほどまでの暗い地中からの景色ではなかった
「あ、あれ……」
いつの間にか私は穴に落ちる前にいた場所、地上へと戻っていた ぽかんとしながら何度か目を瞬かせる
呆気に取られしばらく動けずに膝を突いたままでいると、横で未だに私の手を掴んでいた彼がこれまた唐突に私の肩を抱いて、膝裏にも腕を通してきた
そうしてあっという間に身体を抱きかかえられて、思わず素っ頓狂な声が上がる
「ぎゃ、えっ、ちょっ、なに、……何してるんですか!?」
「医者には当てがある ……モグリだが、腕は悪くない そこまで運んでやる」
「ええ!? い、いいですよ、そんな、自分で行けますから、」
「……この足でか?」
「え、いや、と、とにかくこの運び方はその、重くないんですか!? 重いですよね!? だ、大丈夫ですから無理に、」
「重くはないからじっとしていろ あまり騒ぐな」
有無を言わせないような鋭い眼光を向けられると、私は簡単に口を噤んだ
非常に、ありがたいと言えばありがたいのだが… この運び方は本当に、言ってしまえば恥ずかしい
しかも運んでくれている人物の顔が間近に見えるので、余計に恥ずかしかった
なんて綺麗な男の人なんだろう
若干、いや、だいぶかなり雰囲気は恐いけれど 夜闇でもわかるほど整った横顔のラインと、瞳を縁取る白い睫毛が綺麗過ぎて、思わず生唾を呑んでしまった
(な、なんでこんな時に限ってこんな綺麗なひとが……)
対して自分は、穴に落ちていたせいもあって服はボロボロだし、元々顔色が悪いのにメイクも崩れに崩れてきっとひどい有り様だろう
普段は人並みに気を遣っているけれど、こんな時に限ってみっともない格好を……
足は痛んでいるし、よく見たら片方靴も無くなっていて本気で恥ずかしい
なんだか、散々すぎる日だ
本格的に絶望的な顔で沈んでいると、運んでくれている彼が少し心配そうな顔をこちらへ向けてくる
「痛むのか? もう少しの辛抱だから、我慢してくれ」
「え、あ、いいえ、その、なんだかすみません……」
見ず知らずの人に助けて貰った上に心配されて、思わず視界が霞んでしまう
(ダメだ、泣くんじゃない、よく分からないけれどここで泣いたら恥ずかし過ぎて死ねる……だから耐えろ自分)
しかしそう自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、どんどん視界はぶれていく 助けは願ってもない幸運のはずなのに、今は悔しさとちょっとした安堵と羞恥が混ざって吐きそうな気分だ
もう明らかに涙目になってしまっている気がして、咄嗟に下を向いた
そんな私の様子を見れば、彼はより一層困った顔をこちらに向ける
「……そんなに痛むのか?」
「ち、ちがいます、ちがうんです うぐっ……」
「……」
なんとも情けない声しか出せなくなってしまった私はひたすらに下を向いて、顔を上げないことだけに全神経を集中させた
そんな彼女とは反対に、彼女を抱える青年はずっとばつの悪い顔をしたまま、とにかく早く医者につれていこうとその足を静かに速めた
(まさか、悪魔用の罠に人間が引っ掛かってしまうとは……)
依頼の悪魔を一掃しようとして施した罠だったが、どうも上手くいかなかったらしい 本来なら悪魔の魔力にしか反応しない罠だ 間違っても人間がかかる事などないはずなのに
(使えんな、これは)
魔界についての情報収集の為、以前手に入れていた魔導書にはいくつか呪術専門の文献もあった 興味本位だったが、試しに記されていた通りに拵えて使ってみた結果が、これだ
やはり古びた呪術などに頼るものではないと結論付けて嘆息した瞬間、ふと抱えている人物の後ろ頭に目が留まる
下を向いた後頭部から微かに、本当に近付かないとわからないほど微々たるものだが、蠢く魔力を感じた
一体なんだと思って目を凝らせば、後ろ髪で隠されている首裏にその元凶が在る事に気づく
一度瞬いて、項垂れたままの彼女を見やってから、少しだけ背を支えていた腕を内側へずらした
そのまま、首裏に貼りついてた羽虫ほどの大きさのそれを気づかれない内に剥がす
軽く握りこんだだけで塵となって消滅した憑き物の痕を見て、もう一度深く溜め息を吐いた
「……こんな小者にも反応してしまうのか」
「え?」
「いや、」
なんでもない、と言って自分の言葉につられて少しだけ顔を上げた被害者へと胸中で謝罪する
静寂の中、自分の足音と泣くのを堪える彼女の呻き声だけがその場に響いていた
2020/9/13 修正
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