黒田さんの姪っ子の彼女と彼女が大好きな萩原さん 長編
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朝からどんより暗雲をまとった萩原は職場をぎょっとさせていた。理由を聞くことすら憚られる萩原の表情に強面の先輩隊員たちもしきりに目線を行き来させる。週明けの頭の月曜日。だがしかしここにいるのは日本を守る警察官だ。曜日で動く習慣は早々に捨てている。ではなぜムードメーカーたる萩原が沈んでいるのか。ひとえに、愛する彼女の言葉からだった。
「……はよ。辛気臭ぇな、どうした」
「…じんぺーちゃんおはよ。悪いけどほっといてくんね…?」
松田は凄まじい速さで後ろに控えた先輩隊員にアイコンタクトを送った。警察学校から育んだ勘が「これ以上はやめとけ」と警鐘を鳴らす。萩原は温厚で人当りも良く、殊更に優秀なフィジカルが無ければ交通課に配属されていたような社交的な男だ。しかし優しいだけではない。優しいだけの男では機動隊ではやっていけないし、警察学校の降谷を中心とした班にもいられなかっただろう。そう、彼こそ景光と並んで怒らせてはいけない2トップなのだ。
『む り で す』
アイコンタクト、ボディランゲージ、口パクと松田ができる限りで伝えたにも関わらず先輩隊員の許可は下りない。撤退禁止。そのまま進め。松田は心の中であらん限りの不平不満を吐き出した。
「んなこと言うなよ。お前そんな調子で仕事してたら危ねえだろ」
「……ぅ~~~~~…」
低く唸ってそのまま黙り込む萩原。松田はおおいに困惑した。確かに鬱陶しいくらい彼女のことが好きで常に頭の中が小春日和な面のある男だが、私情を仕事に持ち込んで周りを心配させることはなかった。本人も公私混同はかっこ悪いと思っているらしく程々に留めていたはずである。それがどうしてこんなことになったのか。しばらく考えて松田は最悪の結論にたどりついた。恐る恐る尋ねる。
「萩原、お前さ……愛想つかされたとかねえよな…?」
「そんなに坊主になりたいならバリカン持ってくるぜ?松田」
「おう、悪ぃな。そうだよな違うよな」
萩原のあんな重低音久々に聞いた、と背筋が凍る思いがした。そもそも本当に愛想をつかされたのならこの男はここに来られないほどのダメージを負うに違いない。
「なあ、ほんとにどうしたんだよ」
「……ほっとけって」
「マジで言ってんなら怒るぞ萩原。……たしかにここじゃ言いづらいよなァ」
よしっ、と松田が膝を叩いた。
「お前、今日の晩飯食いに行くぞ。いいな?」
親友の申し出をすげなくする萩原ではない。力なく片手をあげて了解した。
ちびちびとグラスの縁を舐めながら話を聞いた松田は、最初こそゲラゲラと笑い転げていたが段々神妙な表情になり、話の終盤は小さな声で時折「おう」と言うだけになった。飲まなきゃやってらんねえとばかりに何杯目かのビールグラスを空けた萩原が据わった目をして叫ぶ。
「___っとまあこんなこと!!!ああああ!どうすれば正解なのか全く分かんねえ!!」
「……おう。なんか、まあ、大変だったなあお前」
「せめて笑ってくれよじんぺーちゃん!ネタにでもしなきゃいたたまれないの分かるだろ?」
心ここにあらずと言った様子の松田が頭を抱えた萩原を横目に見ながらグラスを大きく傾ける。
「誰が笑うかよ。お前が夢ちゃん?だっけ?彼女のこと本気で好きなのも、あの管理官が姪っ子のこと大事にしてんのも、俺らの仕事が危ねえのも、全部本当のことじゃねえか。茶化さねえとやっていけねえのも分かるがどうにかしねぇとどうにもなんないだろ。笑って流す方法もあるけどよ、今じゃねえだろ。ここは曲げちゃいけねえ筋だと思うぜ、俺は」
「…………お前さあ」
「おう」
「めちゃくちゃかっこいいな」
「おう。褒めてもなんもでねえよ」
萩原はうっかり泣きそうだった。松田はコメントしづらくて黙っているのかと思ったら本気で考えてくれていたらしい。親友は今もじっと眉をひそめて何もない空間を睨んでいる。
しばらく無言の時間が続いた。それを勢いよく破り松田が声を上げる。
「ぃよおしッ、話は分かった!とりあえず、だ!同期集めるぞ!!」
萩原が反応するよりも早く松田は警察学校で同じ班だった降谷、景光、伊達にメールを送る。
「あの三人がいればなんとかなるだろ、こういう時こそのアイツらだ!」
「…松田あああああ……!!!俺お前のこと大好きだわ…!!」
松田の携帯が震える。勿論旧友たちからの返信だ。
「このスケジュールなら、……来週の月曜だな、全員集まれるのは。予定組みづらいなオイ」
感動にわななく萩原をよそに松田が事を進めていく。こうして一つ、萩原の恋路を支える予定が出来た。
そして来る月曜日。一人暮らしの萩原の家に男四人が詰めかけ小さな机を囲む。近況報告も程々に大本命である萩原の話になった。対策会議である。
「凄いな、世間って狭いんだな」
挨拶よりも先に「景光お前ひげ似合ってないぞ」と言われ続けた男が複雑そうな顔をする。
「しかもよりによって黒田管理官か。萩原も大変だな」
「正直死ぬんじゃないかってくらい笑った」
「まあ萩原なら何とかなりそうだからなあ、こっちも笑う余裕がでるぞ?」
伊達と降谷がアッハッハと豪快に声を張った。
「まあ萩原が彼女諦めるとか絶対ないだろ」
「自分でも絶対無理だと思う」
各々が持ち寄った既婚者の同僚に聞いた話、結婚した娘を持つ上司からの話に花が咲く。彼女持ちの伊達は勿論、年齢のせいか総じて食いつきがいい。
「黒田管理官のボーダーラインが分からねえんだよなあ…」
「姪に嫌われたくない思いか強引でも姪の幸せを願う思いか、そのバランス結構大事だと思うぜ?あの人どうだろうな、考えたことなった」
「そもそも対身内でどういう対応なのかが分からない、想像がつかない」
本人がいないのをいいことに忌憚のない意見がポンポン出てくる。顔が怖い、喋り方がぶっきらぼうで怯む、頭良すぎて別次元で話してる気がする、でもあの声はかっこいいと思う、立場といい怪我といい苦労してそうだなあの人等々。素直な悪意が出てこないのがこのメンバーらしいところだ。
「多分悪い人ではないんだろうし言うほど怖い人でもないんだろうけどさ、でもさ??状況と見た目を総合して考えてみ??むーーーりーーーだってえぇーーー!」
「めっちゃわかる」「あの人と彼女交えて面談だろ?辛すぎ」「考えただけで拒否したくなる」「ハードモードすぎる」
新しくアルコールを追加した萩原が「しかも俺そうとは知らずやることやってるからな、俺だったらぶちぎれる」と喉を鳴らして半分ほど飲み干す。
「萩原その日彼女とヤったの?」
「おー、混乱してたけど続行した。問題なし」
「マジかよお前肝座ってんな」
「ぁぁあーーー怒られそうだなあーーー怖えなあーーーっっ!!」
いい感じに酒がまわって気持ちよくなってきた面子がげらげらと笑い転げた時、萩原の携帯に着信が入る。萩原の目が鷹の如く鋭くなった。2コール目が鳴る前に彼は電話に出て、あれだけ騒いでいた周囲もぴたりと黙る。
「もしもし、夢ちゃん?うん、今大丈夫だよ」
「誰だよ」「声が、っひぃっ、優しいっっ…」「しぃッ、お前らちょっと黙れ!」
夢ちゃんは声だけでも可愛いなあと思っているのが分かる表情と聞いたことのない甘ったるい声に数人が腹を抱えて陥落する。
『良かった、あのさ、この前言ったこと覚えてる?叔父さんが会ってみたいって言ってたって話』
「ああ、覚えてるよ。どう?何か進展あった?」
『今週の金曜日の20時からどうかって』
「ん、大丈夫。その日丁度空いてる」
『うん…えへへ、嬉しい。楽しみができた。でね、場所なんだけど…』
「分かった、うん、俺も楽しみにしてるから。うん、おやすみ、夢ちゃん」
穏やかな顔で電話を切った途端萩原の表情が一変し悲鳴のような雄たけびを上げ、周りの男たちも堰を切ったように爆笑する。声が出るならまだいいもので、笑い上戸の降谷などは「しぬ、やめてくれ、しぬ」と床に沈んでしまった。
「う”わ”ああああああ”あ”あ”松田あああああ!!これ絶対俺の勤務日程調べてる間違いない絶対調べてるよなああ?!」
「ひ、っぐ、あっはっはっはっは!!お前マジ最高だわおもしれええええ」
「電話の時の声と終わった後のギャップ酷すぎるぞ萩原!ぁああ腹痛え!!」
「この格好つけめ!!!ゼロ笑いすぎて死にそう、ヒィッ、はっぁああ苦しいんだよ馬鹿野郎!」
そこからはもう何が何だか分かったものではない、まさしくカオスだ。好きなだけ飲んで好きなだけ笑っていつの間にか寝ていた。目を覚ますと大量の空き缶と床で雑魚寝する男たちという有様である。この晩のことは後も語り草となるが、それはまだ誰も知らない。
ニヤニヤした松田に骨は拾ってやると送り出され、旧友たちからのメールに手早く返信した萩原は高級感のある店の前で一つ息をつき、よしっ、と気合を入れた。恋人からは「先に入ってて」と伝えられている。黒田で予約があるはずなんですけどと店員に伝えると一番奥の部屋に通された。
この日のために髪も切りに行ったし、なんなら服も新しく買った。彼女はそこまでかっちりしたところじゃないから大丈夫だよと笑っていたがそうもいかない。悩みに悩んだ結果カジュアルスーツに落ち着いた。緊張しすぎだろ俺、と思わないではないが上下関係が絶対の警察だ。やりすぎではないはず。頭の中に可愛い彼女を思い浮かべると少しだけ心が和らぐ。
「失礼します。お連れ様がいらっしゃいました」
「っ、はい!」
椅子から立ち上がり直立不動。習慣とは恐ろしいもので、日ごろの訓練でやっていることがそのまま出ているのを感じる。開いた扉から見上げるような大男がゆっくりと入ってきた。まだ四十路のはずだがそれを感じさせない泰然とした空気がある。
「君が萩原君か」
「はい!お初にお目にかかります、黒田管理官!」
上から下までじっくりと眺められ、「まあ座れ」と促される。言われるままに席に着くが、萩原はおおいに混乱していた。聞きたくて仕方がなかった。
管理官、夢ちゃんどこです…?
***
おい松田、聞いてるか。俺今、黒田管理官と二者面談してるんだぜ。
現実逃避と知りながら親友に念を飛ばす。あれえおかしいなあ、夢ちゃん「三人でご飯食べようね♡」って言ってたはずなんだけどなあ…。世界で一番可愛い彼女が現れない現実に萩原は白目を剥きそうだ。
「所属と名前を言え」
「警視庁警備部機動隊、萩原研二です!」
「ふむ、姪が世話になっているようだな」
「はい、夢さんとは良いお付き合いをさせていただいています!」
夢ちゃん来ない。なんで夢ちゃん来ないの。同期で飲んだ時も、「まあ姪っ子の目の前で彼氏をけなしたりはしないだろう」という声があったがその前提が崩れた。「夢さんの姿が見えませんが何かありましたか」と聞けばいいのだろうがこの空気ではそれすらできない。
「あまり時間がないのでな。率直に聞かせてもらおう。萩原君の警察学校での成績を見せてもらった。優秀だったようじゃないか。特に爆発物の処理。将来的に君はそちらに回されてもおかしくない。立派な仕事だが、危険がつきまとう。それについてどう思っているのか聞きたい」
ほらなやっぱり、あの手この手で調べてるぞこの人。身の竦むような思いの反面、オーバーヒートした頭が急に冷えるのを感じる。機動隊に所属して彼女と付き合う中でいつも思っていたことを聞かれたからだ。真摯に答えなければならない。これは一警察官の意地であり、あの子の彼氏の意地であり、何より男の意地だ。
「私は、自分の仕事に誇りを持っています。プロとして手を抜くつもりはありません。同じように、あの子のことも本気で愛しています。悲しませるつもりはありません。なにがあってもあの子の隣を退くつもりはありません。必ずあの子の傍に帰ります」
クク、と喉の奥で低く笑う。それがどういう種類の笑いかが分からない。素直なものかひねくれた嘲笑か。
「精神論だな。根性論と言い換えたほうがいいか?」
「どちらでも構いません。それを理由に無茶を通すような組織なら問題ですが、機動隊はそうではありません。何より信条を疎かにしては仕事も私生活もうまくいかないと考えています」
結局はどんなに危険な仕事でも死ぬ気はないと言っているだけだ。もしかしたら答えになっていないかもしれない。管理官の言うように、精神論根性論と言われても仕方がない。しかし、今の自分に言える精一杯はここまでだ。危険な場所に行って善良な市民の生活を守るのが自分の役目なのだから。
「俺があの子に言えるのは必ず帰ってくるという口約束だけです。断言してやれないことがずっと苦しかった。これからもきっと変わらないでしょう。ならせめて、俺はあの子が不安にならないように最善を尽くすのが誠意だと思います」
誠意、と厚い唇が動いた。
「そうです。誠意です。俺を好きでいてくれるあの子の隣に帰ることが一番あの子に報いることになるのだと、俺はそう思っているんです、黒田管理官」
難しい顔をして黒田管理官が黙り込む。何となく今この人が考えていることが分かった。
「黒田管理官。きっと仕事と私生活と、両方大事にするのは管理官が思っているほど難しくないのかもしれませんよ」
どちらも人生の一部であるはずです。うまく付き合う方法はきっとあります。そこまで言って、黒田管理官が驚いた顔をしているのに慌てた。しまった、流石に生意気すぎた。
「余計なことを言いました!申し訳ございません!!」
「……いや、構わない。萩原君、君も知っていると思うが私は事故でしばらく眠っていた。性格や運もあったんだろう。結婚もしていないし子どももいない。そのせいか夢のことは我が子のように思っている節がある。……君が夢と結ばれて心底良かったと思っているところだ。あれもいい男をつかまえたものだな」
まじまじと管理官の顔を眺めてしまった。さぞや間抜け面だったに違いない。
「私も夢に約束しかしてやれないことを心苦しく思っていた。私の誠意は何としてでも彼らの暮らす場所の安寧を守ることだと思っている。間違っているとは思わん。ただ、」
管理官が立ち上がり、ぽんと肩に手を置いた。
「連れ添うなら君のような男が幸せだろうな」
怖い怖いと思っていた顔が少しだけ笑んでいた。
「聡い子だ。頼んだぞ」
「っはい!!」
詰めていた息がようやく解放された。
「しょうもないのが来たら夢に言わないまま東都湾に沈めようと思っていた」
「えっ…管理官怖いです……」
冗談なのだろうが真面目に案じていた部分もあるので背筋が寒くなった。萩原は体を縮める。
「だからあれには仕事が伸びたと言って一時間後に来るように言ってある。もうすぐ到着するはずだが」
「……ぁあーーーー…だからかあぁ…びっくりしましたよもう…!」
「あと、その管理官というのはやめてくれ。今は君の上司のつもりはないぞ?」
萩原はそういえば、と思い出す。この人は最初から自分のことを萩原と呼び捨てにしなかった。萩原君か、今のように君と呼んでいたように思う。
「ぁぁああーーー……!!」
クックッと押し殺したように笑う。もしかしてこの人は意外とお茶目なのでは?と萩原は思った。
「あらら…?お二人とももう来てたの?」
ようやく夢が入ってくる。お嬢様風のワンピースが似合いすぎて萩原は顔を手で覆い天を仰いだ。
「ひーちゃん可愛すぎ最高かよ…」
「……最近の若いのは随分直接的なんだな」
「思ったより馴染んでるね…?まあ、いっか。揃ってるならご飯たべる?」
二人の返事と共に、和やかな食事が始まるのだった。
「……はよ。辛気臭ぇな、どうした」
「…じんぺーちゃんおはよ。悪いけどほっといてくんね…?」
松田は凄まじい速さで後ろに控えた先輩隊員にアイコンタクトを送った。警察学校から育んだ勘が「これ以上はやめとけ」と警鐘を鳴らす。萩原は温厚で人当りも良く、殊更に優秀なフィジカルが無ければ交通課に配属されていたような社交的な男だ。しかし優しいだけではない。優しいだけの男では機動隊ではやっていけないし、警察学校の降谷を中心とした班にもいられなかっただろう。そう、彼こそ景光と並んで怒らせてはいけない2トップなのだ。
『む り で す』
アイコンタクト、ボディランゲージ、口パクと松田ができる限りで伝えたにも関わらず先輩隊員の許可は下りない。撤退禁止。そのまま進め。松田は心の中であらん限りの不平不満を吐き出した。
「んなこと言うなよ。お前そんな調子で仕事してたら危ねえだろ」
「……ぅ~~~~~…」
低く唸ってそのまま黙り込む萩原。松田はおおいに困惑した。確かに鬱陶しいくらい彼女のことが好きで常に頭の中が小春日和な面のある男だが、私情を仕事に持ち込んで周りを心配させることはなかった。本人も公私混同はかっこ悪いと思っているらしく程々に留めていたはずである。それがどうしてこんなことになったのか。しばらく考えて松田は最悪の結論にたどりついた。恐る恐る尋ねる。
「萩原、お前さ……愛想つかされたとかねえよな…?」
「そんなに坊主になりたいならバリカン持ってくるぜ?松田」
「おう、悪ぃな。そうだよな違うよな」
萩原のあんな重低音久々に聞いた、と背筋が凍る思いがした。そもそも本当に愛想をつかされたのならこの男はここに来られないほどのダメージを負うに違いない。
「なあ、ほんとにどうしたんだよ」
「……ほっとけって」
「マジで言ってんなら怒るぞ萩原。……たしかにここじゃ言いづらいよなァ」
よしっ、と松田が膝を叩いた。
「お前、今日の晩飯食いに行くぞ。いいな?」
親友の申し出をすげなくする萩原ではない。力なく片手をあげて了解した。
ちびちびとグラスの縁を舐めながら話を聞いた松田は、最初こそゲラゲラと笑い転げていたが段々神妙な表情になり、話の終盤は小さな声で時折「おう」と言うだけになった。飲まなきゃやってらんねえとばかりに何杯目かのビールグラスを空けた萩原が据わった目をして叫ぶ。
「___っとまあこんなこと!!!ああああ!どうすれば正解なのか全く分かんねえ!!」
「……おう。なんか、まあ、大変だったなあお前」
「せめて笑ってくれよじんぺーちゃん!ネタにでもしなきゃいたたまれないの分かるだろ?」
心ここにあらずと言った様子の松田が頭を抱えた萩原を横目に見ながらグラスを大きく傾ける。
「誰が笑うかよ。お前が夢ちゃん?だっけ?彼女のこと本気で好きなのも、あの管理官が姪っ子のこと大事にしてんのも、俺らの仕事が危ねえのも、全部本当のことじゃねえか。茶化さねえとやっていけねえのも分かるがどうにかしねぇとどうにもなんないだろ。笑って流す方法もあるけどよ、今じゃねえだろ。ここは曲げちゃいけねえ筋だと思うぜ、俺は」
「…………お前さあ」
「おう」
「めちゃくちゃかっこいいな」
「おう。褒めてもなんもでねえよ」
萩原はうっかり泣きそうだった。松田はコメントしづらくて黙っているのかと思ったら本気で考えてくれていたらしい。親友は今もじっと眉をひそめて何もない空間を睨んでいる。
しばらく無言の時間が続いた。それを勢いよく破り松田が声を上げる。
「ぃよおしッ、話は分かった!とりあえず、だ!同期集めるぞ!!」
萩原が反応するよりも早く松田は警察学校で同じ班だった降谷、景光、伊達にメールを送る。
「あの三人がいればなんとかなるだろ、こういう時こそのアイツらだ!」
「…松田あああああ……!!!俺お前のこと大好きだわ…!!」
松田の携帯が震える。勿論旧友たちからの返信だ。
「このスケジュールなら、……来週の月曜だな、全員集まれるのは。予定組みづらいなオイ」
感動にわななく萩原をよそに松田が事を進めていく。こうして一つ、萩原の恋路を支える予定が出来た。
そして来る月曜日。一人暮らしの萩原の家に男四人が詰めかけ小さな机を囲む。近況報告も程々に大本命である萩原の話になった。対策会議である。
「凄いな、世間って狭いんだな」
挨拶よりも先に「景光お前ひげ似合ってないぞ」と言われ続けた男が複雑そうな顔をする。
「しかもよりによって黒田管理官か。萩原も大変だな」
「正直死ぬんじゃないかってくらい笑った」
「まあ萩原なら何とかなりそうだからなあ、こっちも笑う余裕がでるぞ?」
伊達と降谷がアッハッハと豪快に声を張った。
「まあ萩原が彼女諦めるとか絶対ないだろ」
「自分でも絶対無理だと思う」
各々が持ち寄った既婚者の同僚に聞いた話、結婚した娘を持つ上司からの話に花が咲く。彼女持ちの伊達は勿論、年齢のせいか総じて食いつきがいい。
「黒田管理官のボーダーラインが分からねえんだよなあ…」
「姪に嫌われたくない思いか強引でも姪の幸せを願う思いか、そのバランス結構大事だと思うぜ?あの人どうだろうな、考えたことなった」
「そもそも対身内でどういう対応なのかが分からない、想像がつかない」
本人がいないのをいいことに忌憚のない意見がポンポン出てくる。顔が怖い、喋り方がぶっきらぼうで怯む、頭良すぎて別次元で話してる気がする、でもあの声はかっこいいと思う、立場といい怪我といい苦労してそうだなあの人等々。素直な悪意が出てこないのがこのメンバーらしいところだ。
「多分悪い人ではないんだろうし言うほど怖い人でもないんだろうけどさ、でもさ??状況と見た目を総合して考えてみ??むーーーりーーーだってえぇーーー!」
「めっちゃわかる」「あの人と彼女交えて面談だろ?辛すぎ」「考えただけで拒否したくなる」「ハードモードすぎる」
新しくアルコールを追加した萩原が「しかも俺そうとは知らずやることやってるからな、俺だったらぶちぎれる」と喉を鳴らして半分ほど飲み干す。
「萩原その日彼女とヤったの?」
「おー、混乱してたけど続行した。問題なし」
「マジかよお前肝座ってんな」
「ぁぁあーーー怒られそうだなあーーー怖えなあーーーっっ!!」
いい感じに酒がまわって気持ちよくなってきた面子がげらげらと笑い転げた時、萩原の携帯に着信が入る。萩原の目が鷹の如く鋭くなった。2コール目が鳴る前に彼は電話に出て、あれだけ騒いでいた周囲もぴたりと黙る。
「もしもし、夢ちゃん?うん、今大丈夫だよ」
「誰だよ」「声が、っひぃっ、優しいっっ…」「しぃッ、お前らちょっと黙れ!」
夢ちゃんは声だけでも可愛いなあと思っているのが分かる表情と聞いたことのない甘ったるい声に数人が腹を抱えて陥落する。
『良かった、あのさ、この前言ったこと覚えてる?叔父さんが会ってみたいって言ってたって話』
「ああ、覚えてるよ。どう?何か進展あった?」
『今週の金曜日の20時からどうかって』
「ん、大丈夫。その日丁度空いてる」
『うん…えへへ、嬉しい。楽しみができた。でね、場所なんだけど…』
「分かった、うん、俺も楽しみにしてるから。うん、おやすみ、夢ちゃん」
穏やかな顔で電話を切った途端萩原の表情が一変し悲鳴のような雄たけびを上げ、周りの男たちも堰を切ったように爆笑する。声が出るならまだいいもので、笑い上戸の降谷などは「しぬ、やめてくれ、しぬ」と床に沈んでしまった。
「う”わ”ああああああ”あ”あ”松田あああああ!!これ絶対俺の勤務日程調べてる間違いない絶対調べてるよなああ?!」
「ひ、っぐ、あっはっはっはっは!!お前マジ最高だわおもしれええええ」
「電話の時の声と終わった後のギャップ酷すぎるぞ萩原!ぁああ腹痛え!!」
「この格好つけめ!!!ゼロ笑いすぎて死にそう、ヒィッ、はっぁああ苦しいんだよ馬鹿野郎!」
そこからはもう何が何だか分かったものではない、まさしくカオスだ。好きなだけ飲んで好きなだけ笑っていつの間にか寝ていた。目を覚ますと大量の空き缶と床で雑魚寝する男たちという有様である。この晩のことは後も語り草となるが、それはまだ誰も知らない。
ニヤニヤした松田に骨は拾ってやると送り出され、旧友たちからのメールに手早く返信した萩原は高級感のある店の前で一つ息をつき、よしっ、と気合を入れた。恋人からは「先に入ってて」と伝えられている。黒田で予約があるはずなんですけどと店員に伝えると一番奥の部屋に通された。
この日のために髪も切りに行ったし、なんなら服も新しく買った。彼女はそこまでかっちりしたところじゃないから大丈夫だよと笑っていたがそうもいかない。悩みに悩んだ結果カジュアルスーツに落ち着いた。緊張しすぎだろ俺、と思わないではないが上下関係が絶対の警察だ。やりすぎではないはず。頭の中に可愛い彼女を思い浮かべると少しだけ心が和らぐ。
「失礼します。お連れ様がいらっしゃいました」
「っ、はい!」
椅子から立ち上がり直立不動。習慣とは恐ろしいもので、日ごろの訓練でやっていることがそのまま出ているのを感じる。開いた扉から見上げるような大男がゆっくりと入ってきた。まだ四十路のはずだがそれを感じさせない泰然とした空気がある。
「君が萩原君か」
「はい!お初にお目にかかります、黒田管理官!」
上から下までじっくりと眺められ、「まあ座れ」と促される。言われるままに席に着くが、萩原はおおいに混乱していた。聞きたくて仕方がなかった。
管理官、夢ちゃんどこです…?
***
おい松田、聞いてるか。俺今、黒田管理官と二者面談してるんだぜ。
現実逃避と知りながら親友に念を飛ばす。あれえおかしいなあ、夢ちゃん「三人でご飯食べようね♡」って言ってたはずなんだけどなあ…。世界で一番可愛い彼女が現れない現実に萩原は白目を剥きそうだ。
「所属と名前を言え」
「警視庁警備部機動隊、萩原研二です!」
「ふむ、姪が世話になっているようだな」
「はい、夢さんとは良いお付き合いをさせていただいています!」
夢ちゃん来ない。なんで夢ちゃん来ないの。同期で飲んだ時も、「まあ姪っ子の目の前で彼氏をけなしたりはしないだろう」という声があったがその前提が崩れた。「夢さんの姿が見えませんが何かありましたか」と聞けばいいのだろうがこの空気ではそれすらできない。
「あまり時間がないのでな。率直に聞かせてもらおう。萩原君の警察学校での成績を見せてもらった。優秀だったようじゃないか。特に爆発物の処理。将来的に君はそちらに回されてもおかしくない。立派な仕事だが、危険がつきまとう。それについてどう思っているのか聞きたい」
ほらなやっぱり、あの手この手で調べてるぞこの人。身の竦むような思いの反面、オーバーヒートした頭が急に冷えるのを感じる。機動隊に所属して彼女と付き合う中でいつも思っていたことを聞かれたからだ。真摯に答えなければならない。これは一警察官の意地であり、あの子の彼氏の意地であり、何より男の意地だ。
「私は、自分の仕事に誇りを持っています。プロとして手を抜くつもりはありません。同じように、あの子のことも本気で愛しています。悲しませるつもりはありません。なにがあってもあの子の隣を退くつもりはありません。必ずあの子の傍に帰ります」
クク、と喉の奥で低く笑う。それがどういう種類の笑いかが分からない。素直なものかひねくれた嘲笑か。
「精神論だな。根性論と言い換えたほうがいいか?」
「どちらでも構いません。それを理由に無茶を通すような組織なら問題ですが、機動隊はそうではありません。何より信条を疎かにしては仕事も私生活もうまくいかないと考えています」
結局はどんなに危険な仕事でも死ぬ気はないと言っているだけだ。もしかしたら答えになっていないかもしれない。管理官の言うように、精神論根性論と言われても仕方がない。しかし、今の自分に言える精一杯はここまでだ。危険な場所に行って善良な市民の生活を守るのが自分の役目なのだから。
「俺があの子に言えるのは必ず帰ってくるという口約束だけです。断言してやれないことがずっと苦しかった。これからもきっと変わらないでしょう。ならせめて、俺はあの子が不安にならないように最善を尽くすのが誠意だと思います」
誠意、と厚い唇が動いた。
「そうです。誠意です。俺を好きでいてくれるあの子の隣に帰ることが一番あの子に報いることになるのだと、俺はそう思っているんです、黒田管理官」
難しい顔をして黒田管理官が黙り込む。何となく今この人が考えていることが分かった。
「黒田管理官。きっと仕事と私生活と、両方大事にするのは管理官が思っているほど難しくないのかもしれませんよ」
どちらも人生の一部であるはずです。うまく付き合う方法はきっとあります。そこまで言って、黒田管理官が驚いた顔をしているのに慌てた。しまった、流石に生意気すぎた。
「余計なことを言いました!申し訳ございません!!」
「……いや、構わない。萩原君、君も知っていると思うが私は事故でしばらく眠っていた。性格や運もあったんだろう。結婚もしていないし子どももいない。そのせいか夢のことは我が子のように思っている節がある。……君が夢と結ばれて心底良かったと思っているところだ。あれもいい男をつかまえたものだな」
まじまじと管理官の顔を眺めてしまった。さぞや間抜け面だったに違いない。
「私も夢に約束しかしてやれないことを心苦しく思っていた。私の誠意は何としてでも彼らの暮らす場所の安寧を守ることだと思っている。間違っているとは思わん。ただ、」
管理官が立ち上がり、ぽんと肩に手を置いた。
「連れ添うなら君のような男が幸せだろうな」
怖い怖いと思っていた顔が少しだけ笑んでいた。
「聡い子だ。頼んだぞ」
「っはい!!」
詰めていた息がようやく解放された。
「しょうもないのが来たら夢に言わないまま東都湾に沈めようと思っていた」
「えっ…管理官怖いです……」
冗談なのだろうが真面目に案じていた部分もあるので背筋が寒くなった。萩原は体を縮める。
「だからあれには仕事が伸びたと言って一時間後に来るように言ってある。もうすぐ到着するはずだが」
「……ぁあーーーー…だからかあぁ…びっくりしましたよもう…!」
「あと、その管理官というのはやめてくれ。今は君の上司のつもりはないぞ?」
萩原はそういえば、と思い出す。この人は最初から自分のことを萩原と呼び捨てにしなかった。萩原君か、今のように君と呼んでいたように思う。
「ぁぁああーーー……!!」
クックッと押し殺したように笑う。もしかしてこの人は意外とお茶目なのでは?と萩原は思った。
「あらら…?お二人とももう来てたの?」
ようやく夢が入ってくる。お嬢様風のワンピースが似合いすぎて萩原は顔を手で覆い天を仰いだ。
「ひーちゃん可愛すぎ最高かよ…」
「……最近の若いのは随分直接的なんだな」
「思ったより馴染んでるね…?まあ、いっか。揃ってるならご飯たべる?」
二人の返事と共に、和やかな食事が始まるのだった。