トリプルフェイスとキスをする
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『会いたい』
久しく会っていない恋人からのメッセージに目を丸くする。わりと思ったことを素直に言う人ではあるけど、ここまで直接的に伝えることは珍しい。よく言えばムードを大切にする。悪く言えば婉曲でまどろっこしい。最もそれは口だけの話で、彼の瞳はいつも胸の奥を掴まれるほどにまっすぐだ。あの甘い美貌だけなら、あの瞳に気づかなかったなら、私は彼の傍にはいなかっただろう。そう確信してしまうほど私はあの真夏の空のような目に惚れ込んでいた。
『会いたい』
たいして時間をおかず同じ言葉が表示される。しばらく忙しくなる、いつ落ち着くか分からないけど待っていてほしいと一方的に伝えて私を二ヵ月放置した彼氏は約束通りきちんと連絡をよこした。何か事情があったのだろう。頭も要領もいい人だ。浮気などはなから心配していない。私は彼に対して全幅の信頼を寄せていた。
「ちょっと飲み物買ってきますね」
携帯だけ持って小走りに自分のデスクを離れる。数歩進んで、一度戻る。しまった、財布を忘れちゃだめだろう。どうやら私も久しぶりの彼からの連絡に浮ついているらしい。
「透さん?」
機械越しに息をのむのが聞こえた。お久しぶりです、と言うと、ひさしぶり、と気だるげな返事が返ってきた。本当に忙しかったのだろう。大丈夫かしら、ちゃんと寝てるかしら。あのひと、二徹くらいまだ余裕ですよ~とか言って動いてることしょっちゅうだから。
「おつかれさまです」
また息をのんだ。いつもと様子が違う。本当に大丈夫だろうか。少し間をあけて小さな声で「……ああ」と答えた。吐息に乗せたような声だった。
「……あいたい」
あいたいよ、なあ。同じ言葉を切れ切れに繰り返す。相当疲れているらしい。なんだが胸が苦しくなる。彼の傍に駆け出したくてたまらない。今どこにいるのだろうか。声は細いがしっかりしている。涙声なんかじゃない。でも逆にそれが不安をかりたてた。
「私も透さんに会いたい」
頭が良くて頼りになって、まっすぐな瞳をした年上の恋人。容姿端麗で運動神経抜群、腕っぷしだって強い。欠けたところの見つからない彼が今、ひどく脆く感じた。消えてしまうと思った。
「今晩、会えますか」
だから、はっきりとした返事を躊躇う彼に無理やり約束を取り付けた。
燃えるような夕焼けを見つめていると後ろから小さく名前を呼ばれた。
「とお、っちょ、透さん?!」
彼は酷い姿だった。グレーのスーツは焼けてほつれてボロボロ。頬に大きく貼られた応急処置用のガーゼに血が滲んで痛々しい。全体的にすすけていて、思わず駆け寄るとガソリンと煙と、挙句の果てに血のにおいまでするではないか。まさかこんなにひどい状態だと思っていなかった私はとても混乱していた。何があったのか知らないけれど病院に行く前だったのかもしれない。こんなことなら呼ばなければよかった。彼に無理をさせてしまった。とんでもないことをしてしまったと青くなる。
「っあ」
というのにこの男は遠慮のない力で私を抱き寄せて唇を重ねてくるではないか。今はそんなことしている場合じゃないだろうと彼の厚い胸板を押すけれどピクリとも動かない。どころか抵抗されたことが気に入らなかったのか、抱き寄せる力はますます強くなりキスも深くなる。
「ん、あぅッ、んんんッッ!!ぁあ、んーーっ!!」
「あ、うっ、ふゥ、ぐ、ぅう…!っっぁっが!」
「え、ぇ、っ透さん…?!ごめ、ごめんなさい…!痛い…?!ああ、ごめんなさい私…!」
背中を叩いたとき彼が大きく呻いた。私の肩に頭を押しつけてふうふうと荒い息をしている。力いっぱい掴まれた肩が痛むが自分よりも彼への心配が勝って気にならない。
「ぁ、ぐう、っふ、はあっ、っふう、…う、今のは、キいたな…」
「え?いや、本当にごめんなさい、そんなつもりじゃ、透さん、何があったのか知らないけどお話するまえに病院行こう…?」
じっとりとした不満げな目がのぞいた。ごそごそとバッグからハンカチを取り出し、汗の滲んだ彼の額に押し当てる。強張っていた顔が少し緩まった。こんな状態でよく来ようと思ったな、と彼の歩いてきた方向へ目線を向ける。見るも無残な彼の愛車のRX-7を見つけ、本当にこの人なにをしていたんだ、なにをしたらこんなことになるんだと開いた口が塞がらなくなった。
「透さん、助手席乗れる?運転私がするから、お願いだから、それ以上動かないで。しんどいなら後ろで横になって。病院行こう」
「………」
「そんな顔しないで。無駄です。車はひとまずここに置いておいてあとで何とかしよう。とりあえず入って、座って」
自家用車を持っていて心底良かったと思った。ドアを開き、彼を助手席に座らせる。次いで運転席に座り、病院へ向かおうとしたのだが。
「……透さん、車のキーを返してください」
「………」
見たことのない、むすっとした表情で窓の外を眺める恋人。なんとか彼の手からキーを取り返そうとするが到底無理な話だ。一つため息をついて彼に向き直る。
「分かりました。透さん、少しお話してから動きましょうか」
一瞬不安げに揺れた瞳が、それでもほっとしたようにこちらを見た。
「安室透は存在しない」
そう切り出されて始まった一連の話は物語のようで、にわかに信じられないものだった。守秘義務があるから全ては離せないけれど、と掻い摘んでぼやかして彼の口から伝えられた言葉を笑って流すには、彼の表情は真剣過ぎていっそ恐ろしい。
曰く、彼はとある国家組織に所属し国家の安寧を妨げるものと相対している。そのために別の人間である必要があり、そのために精巧に作られた人格が安室透である、と。この怪我は一つの区切りをつけるための代償である、と。彼は至って誠実に、目を伏せて、淡々と伝えた。
「透さんは、……」
呆然としながら考える。彼の話通りならこの呼び方すら正しくない。大きな衝撃だった。たくさんの経験と思いを重ねたはずの恋人が、実は全くの他人で名前も知らない。では、目の前にいるこの男は一体誰だろう?
「……信じてもらえないだろうが、君と出会ったのは本当に偶然だった。安室透が与えられた役割に、君は含まれていなかった」
その時胸に走った感情が何だったのか分からない。喜びか悲しみか、その区別すらつかない。
「今日、全部終わったんだ。後始末は山のようにあるが、神経を張り詰めて奴らの一挙一動を見る必要がなくなった。また一つ、日本が救われたんだ。俺の願いの一つが叶った。でも、でもな。」
皮の厚い、男性的な大きな手が私の頬に添えられる。優しく優しく撫でられる。バーボンの甘い香りと忘れられたようなグラスを思い出す。安室透の繊細な仕草を思い出す。
「…これで、安室がいる必要はなくなったんだ。この意味が分かるか?」
温度を感じさせなかった瞳がようやく変わる。苦し気に細められる。
「安室透は消える。いなくなる。…君を残して」
真夏の空に涙を見た。彼は、心の底から悲しんでいた。ああ、彼は一体誰だろう。
「離れたくない」
離れたくない、そばにいたい、触れたい。キスの合間に彼がくりかえし伝えてきた思いだ。溶けるような熱量で囁かれる思いに何度焦がれたことか。何度彼に恋をしたか。私が恋したのは、一体誰だったのか。
細かな傷のある手に触れる。体を寄せて、出来る限り密着する。熱い体に寄り添うと逞しい腕が私を閉じ込めた。至近距離で彼を見つめる。傷だらけの男。それでも変わらず美しい。
「好きです。あなたのことが、私はずっと好きでした」
名前も知らない恋人。それでもいいと思った。ただ、ただ、彼のことが愛おしくて仕方がない。くしゃりとゆがんだ顔が見えなくなった。抱きしめられている、と分かったのは速い鼓動が間近で聞こえたからだ。
「俺は、安室透よりがさつだ」
「うん」
「バーボンよりもずるい」
「うん」
「それでも、一番君が好きだ」
「……うん、」
「好きなんだよ」
「私も、あなたが一番好きです」
夕焼けが彼の頬に照りかえる。闇夜が迫っている。一日の終わりが、彼の、彼らの長かった日々が終わっていく。たくさんの後悔と犠牲を置いてけぼりにして。
「あなたの名前を教えてください」
こつんと額が合わせられる。彼が笑った。今までで一番いい笑顔だった。
「降谷零。零と呼んでくれ」
いい名前だ。彼の在り方を示すように凛として、美しい名前だ。零さん、と呼ぶと彼が答えた。どちらからともなくキスをする。触れるだけの優しく甘いだけのキス。しかし、今までで一番満たされたものだった。ああ、夜がくる。そしてまた朝がやってくるのだ。明日がやってくるのだ。
久しく会っていない恋人からのメッセージに目を丸くする。わりと思ったことを素直に言う人ではあるけど、ここまで直接的に伝えることは珍しい。よく言えばムードを大切にする。悪く言えば婉曲でまどろっこしい。最もそれは口だけの話で、彼の瞳はいつも胸の奥を掴まれるほどにまっすぐだ。あの甘い美貌だけなら、あの瞳に気づかなかったなら、私は彼の傍にはいなかっただろう。そう確信してしまうほど私はあの真夏の空のような目に惚れ込んでいた。
『会いたい』
たいして時間をおかず同じ言葉が表示される。しばらく忙しくなる、いつ落ち着くか分からないけど待っていてほしいと一方的に伝えて私を二ヵ月放置した彼氏は約束通りきちんと連絡をよこした。何か事情があったのだろう。頭も要領もいい人だ。浮気などはなから心配していない。私は彼に対して全幅の信頼を寄せていた。
「ちょっと飲み物買ってきますね」
携帯だけ持って小走りに自分のデスクを離れる。数歩進んで、一度戻る。しまった、財布を忘れちゃだめだろう。どうやら私も久しぶりの彼からの連絡に浮ついているらしい。
「透さん?」
機械越しに息をのむのが聞こえた。お久しぶりです、と言うと、ひさしぶり、と気だるげな返事が返ってきた。本当に忙しかったのだろう。大丈夫かしら、ちゃんと寝てるかしら。あのひと、二徹くらいまだ余裕ですよ~とか言って動いてることしょっちゅうだから。
「おつかれさまです」
また息をのんだ。いつもと様子が違う。本当に大丈夫だろうか。少し間をあけて小さな声で「……ああ」と答えた。吐息に乗せたような声だった。
「……あいたい」
あいたいよ、なあ。同じ言葉を切れ切れに繰り返す。相当疲れているらしい。なんだが胸が苦しくなる。彼の傍に駆け出したくてたまらない。今どこにいるのだろうか。声は細いがしっかりしている。涙声なんかじゃない。でも逆にそれが不安をかりたてた。
「私も透さんに会いたい」
頭が良くて頼りになって、まっすぐな瞳をした年上の恋人。容姿端麗で運動神経抜群、腕っぷしだって強い。欠けたところの見つからない彼が今、ひどく脆く感じた。消えてしまうと思った。
「今晩、会えますか」
だから、はっきりとした返事を躊躇う彼に無理やり約束を取り付けた。
燃えるような夕焼けを見つめていると後ろから小さく名前を呼ばれた。
「とお、っちょ、透さん?!」
彼は酷い姿だった。グレーのスーツは焼けてほつれてボロボロ。頬に大きく貼られた応急処置用のガーゼに血が滲んで痛々しい。全体的にすすけていて、思わず駆け寄るとガソリンと煙と、挙句の果てに血のにおいまでするではないか。まさかこんなにひどい状態だと思っていなかった私はとても混乱していた。何があったのか知らないけれど病院に行く前だったのかもしれない。こんなことなら呼ばなければよかった。彼に無理をさせてしまった。とんでもないことをしてしまったと青くなる。
「っあ」
というのにこの男は遠慮のない力で私を抱き寄せて唇を重ねてくるではないか。今はそんなことしている場合じゃないだろうと彼の厚い胸板を押すけれどピクリとも動かない。どころか抵抗されたことが気に入らなかったのか、抱き寄せる力はますます強くなりキスも深くなる。
「ん、あぅッ、んんんッッ!!ぁあ、んーーっ!!」
「あ、うっ、ふゥ、ぐ、ぅう…!っっぁっが!」
「え、ぇ、っ透さん…?!ごめ、ごめんなさい…!痛い…?!ああ、ごめんなさい私…!」
背中を叩いたとき彼が大きく呻いた。私の肩に頭を押しつけてふうふうと荒い息をしている。力いっぱい掴まれた肩が痛むが自分よりも彼への心配が勝って気にならない。
「ぁ、ぐう、っふ、はあっ、っふう、…う、今のは、キいたな…」
「え?いや、本当にごめんなさい、そんなつもりじゃ、透さん、何があったのか知らないけどお話するまえに病院行こう…?」
じっとりとした不満げな目がのぞいた。ごそごそとバッグからハンカチを取り出し、汗の滲んだ彼の額に押し当てる。強張っていた顔が少し緩まった。こんな状態でよく来ようと思ったな、と彼の歩いてきた方向へ目線を向ける。見るも無残な彼の愛車のRX-7を見つけ、本当にこの人なにをしていたんだ、なにをしたらこんなことになるんだと開いた口が塞がらなくなった。
「透さん、助手席乗れる?運転私がするから、お願いだから、それ以上動かないで。しんどいなら後ろで横になって。病院行こう」
「………」
「そんな顔しないで。無駄です。車はひとまずここに置いておいてあとで何とかしよう。とりあえず入って、座って」
自家用車を持っていて心底良かったと思った。ドアを開き、彼を助手席に座らせる。次いで運転席に座り、病院へ向かおうとしたのだが。
「……透さん、車のキーを返してください」
「………」
見たことのない、むすっとした表情で窓の外を眺める恋人。なんとか彼の手からキーを取り返そうとするが到底無理な話だ。一つため息をついて彼に向き直る。
「分かりました。透さん、少しお話してから動きましょうか」
一瞬不安げに揺れた瞳が、それでもほっとしたようにこちらを見た。
「安室透は存在しない」
そう切り出されて始まった一連の話は物語のようで、にわかに信じられないものだった。守秘義務があるから全ては離せないけれど、と掻い摘んでぼやかして彼の口から伝えられた言葉を笑って流すには、彼の表情は真剣過ぎていっそ恐ろしい。
曰く、彼はとある国家組織に所属し国家の安寧を妨げるものと相対している。そのために別の人間である必要があり、そのために精巧に作られた人格が安室透である、と。この怪我は一つの区切りをつけるための代償である、と。彼は至って誠実に、目を伏せて、淡々と伝えた。
「透さんは、……」
呆然としながら考える。彼の話通りならこの呼び方すら正しくない。大きな衝撃だった。たくさんの経験と思いを重ねたはずの恋人が、実は全くの他人で名前も知らない。では、目の前にいるこの男は一体誰だろう?
「……信じてもらえないだろうが、君と出会ったのは本当に偶然だった。安室透が与えられた役割に、君は含まれていなかった」
その時胸に走った感情が何だったのか分からない。喜びか悲しみか、その区別すらつかない。
「今日、全部終わったんだ。後始末は山のようにあるが、神経を張り詰めて奴らの一挙一動を見る必要がなくなった。また一つ、日本が救われたんだ。俺の願いの一つが叶った。でも、でもな。」
皮の厚い、男性的な大きな手が私の頬に添えられる。優しく優しく撫でられる。バーボンの甘い香りと忘れられたようなグラスを思い出す。安室透の繊細な仕草を思い出す。
「…これで、安室がいる必要はなくなったんだ。この意味が分かるか?」
温度を感じさせなかった瞳がようやく変わる。苦し気に細められる。
「安室透は消える。いなくなる。…君を残して」
真夏の空に涙を見た。彼は、心の底から悲しんでいた。ああ、彼は一体誰だろう。
「離れたくない」
離れたくない、そばにいたい、触れたい。キスの合間に彼がくりかえし伝えてきた思いだ。溶けるような熱量で囁かれる思いに何度焦がれたことか。何度彼に恋をしたか。私が恋したのは、一体誰だったのか。
細かな傷のある手に触れる。体を寄せて、出来る限り密着する。熱い体に寄り添うと逞しい腕が私を閉じ込めた。至近距離で彼を見つめる。傷だらけの男。それでも変わらず美しい。
「好きです。あなたのことが、私はずっと好きでした」
名前も知らない恋人。それでもいいと思った。ただ、ただ、彼のことが愛おしくて仕方がない。くしゃりとゆがんだ顔が見えなくなった。抱きしめられている、と分かったのは速い鼓動が間近で聞こえたからだ。
「俺は、安室透よりがさつだ」
「うん」
「バーボンよりもずるい」
「うん」
「それでも、一番君が好きだ」
「……うん、」
「好きなんだよ」
「私も、あなたが一番好きです」
夕焼けが彼の頬に照りかえる。闇夜が迫っている。一日の終わりが、彼の、彼らの長かった日々が終わっていく。たくさんの後悔と犠牲を置いてけぼりにして。
「あなたの名前を教えてください」
こつんと額が合わせられる。彼が笑った。今までで一番いい笑顔だった。
「降谷零。零と呼んでくれ」
いい名前だ。彼の在り方を示すように凛として、美しい名前だ。零さん、と呼ぶと彼が答えた。どちらからともなくキスをする。触れるだけの優しく甘いだけのキス。しかし、今までで一番満たされたものだった。ああ、夜がくる。そしてまた朝がやってくるのだ。明日がやってくるのだ。