星の浮かぶ瞳
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「煙草を吸っていいか」
夏の気配を感じるようになった空の下、屋外に張り出したカフェテラスでのこと。少し窮屈そうにお洒落な椅子に腰かける友人は煙草をくわえてマッチ箱を緩く振った。幸い人の少ない時間帯だ。「どうぞ」と返事をすると慣れた手つきで煙草を吸い始めた。
彼の名前は赤井秀一。顔良し、スタイル良し、性格も(やや自由なところがあるが)まあまあ良しの少し年の離れた友人だ。休日のカフェで美味しいコーヒーを片手に読書を楽しんでいた私に彼が声をかけたことから知り合い、こうして度々食事をしては話をする仲である。普段はアメリカで働いているが、今は日本に長期出張中らしい。生憎こちらに友人が少なく、退屈していたところにホームズを読んでいるのがいたから声をかけたとは彼の言である。
「昨日『最後の事件』を読み終わりましたよ」
「ホォー…相変わらずの速読だな。どうだった?」
最初こそあの鋭い眼光と立派な体格のため怯んだものだが一度話しはじめれば彼は気のいいシャーロキアンであった。決してお喋りではないが頭がよく思考も柔軟で常識もわきまえている。何より彼の気に入る話題だったときの食いつきは見ているだけで嬉しいものがある。少し話しただけの見ず知らずの男性と連絡先を交換する気になるくらいには彼のことを気に入っていた。
「乱歩を読んだ時から思ってましたけど、探偵小説の楽しみ方って大別して二つですよね。一緒に推理するタイプと読み手として話を追っかけるのに精一杯なタイプ。私は後者ですけど赤井さんは違うみたい」
「Humm,江戸川乱歩は『屋根裏の散歩者』が面白かったな」
「あの人の作品、ホラーかミステリーかみたいなの多いから毛色が違いますけど。でも、いいですよね。私も好きですよ」
彼は蔵書家で読書家な友人がいるらしく日本の作品にも精通していた。大学を出てからここまでディープに語り合える縁に恵まれなかった私はこの出会いを大いに歓迎しているのだった。
会社を出ると短いクラクションが聞こえた。低いエンジン音と白のラインが入った真っ赤なマスタングが傍による。
「お疲れ様」
開いた窓からぞっとするほどの男前が覗いた。定期的に会うようになって時間はたっていないものの、彼とは休日だけでなく仕事終わりにも約束を取り付けるようになっている。その度に私は自慢の左ハンドルの送迎の恩恵にあずかるのだった。
「同僚にいい店を教えてもらったんだ」
出会った当初こそ食には興味が薄くてな、と言っていた彼であったが日本の同僚に舌の肥えた人がいるらしい。彼の紹介した店に行くのがここ最近の彼の楽しみになったようだ。
「今度は何が食べたいんです?」
「Yakinikuだよ。彼が全力で推していた店だ。きっと君も気に入る」
「わあ、いい金曜日の過ごし方ですね!その人に感謝しないと」
「俺には?」
「赤井さんも感謝してますよ、いつもありがとうございます」
ハンドルを握りながらクックと喉の奥で低く笑う。どうしたんだろう、今日はえらく上機嫌だ。不思議に思ってすっきりとした横顔を見ていると、一瞬目が合った。百点満点の流し目である。
「なあ、君の話を聞かせてくれ」
彼は幼いころはイギリス、成長してからはアメリカで過ごしたという。暮らした場所はどちらも街の真ん中であり、高校卒業までを日本の片田舎で山と田と畑に囲まれて暮らした私とは真逆である。だからなのか、彼は私の故郷の話を殊更に聞きたがった。あまり騒がしいのが好きな人ではない。もしかしたら静かな土地への憧れがあるのかもしれないなどと勝手に推測しながら私は幼い日のことを話すのだ。彼は決して私に食事代を払わせようとしない。私なりの僅かながらのお返しのつもりでもあった。
人の入れ替わらない小学校から高校までの話、鍵をかける習慣がなくて上京してから困った経験、目を見張るような桜並木、小さな神社で開かれる夏祭り、銀杏の絨毯を踏んで歩いた日のこと、焼き芋を友人と分け合って帰った冬の部活帰り、それから可愛がっていた猫に誘われて集会に呼ばれたことも。なんてことはない、ありふれたことだけど赤井さんは本当に楽し気に聞いてくれる。
「君のように生きられたらと思うんだ」
柔らかな深緑の瞳で言われた言葉には少々戸惑った。赤井さんは私にとって成功者の象徴のような人だったからだ。何が彼の琴線に触れたのか分からない。流されるままに生きてきた自覚のある自分にとって意外な思い以上に一種の恐ろしささえ感じさせることだった。
「いくらなんでも買いかぶりすぎです」
「そんなことはない。視点の話さ。感情が先走って見なくてはならないものを見られない人間はたくさんいる。職業柄、そうして不幸になった連中を相手にしてきた。あるがままを素直に受け止められるのは才能だ」
端正な横顔にビルの明かりが照りつける。憐れむような表情だった。
「……赤井さんは優しい人です。無責任なことを言うのは好きではないから断言はできないけど、あなたなら幸せになれると思います。それ以上に、幸せになってほしいとも思います」
目を細めて笑う。美しい男だと痛感した。皮の厚い、ごつごつした手が私の髪を梳き頬を撫でた。
「ありがとう。君もきっと、幸せになれる」
酸いも甘いも噛分けた大人の男。やたらと頭のいいシャーロキアンのイメージだった彼は鮮やかに魅力を増して私の中に根を張るのだ。
最近、赤井さんがおかしい。あいかわらずそれなりの頻度で食事はするしその度に話は弾むけれど、何と言うか、距離が近くなった。じっと見つめる、手慰みに髪を撫でる、頬をつついてくる。おかしい。確実にスキンシップが増えた。いつからだろうか。思い出せないのが恐ろしい。外堀を埋められた気分だ。前回なんかは手を握られた。赤井さんは何食わぬ顔でいるし、私は初動でぎょっとして固まってしまった。少なくとも友人間のスキンシップを超え始めている。どうしたものか。
「何を考えているんだ」
不満そうな美丈夫がのぞき込んできた。長い睫毛のつけねまで見える距離である。いくら彼がアメリカ人とはいえ、限度があるのではないか。流石に抗議の声をあげようとしたが、タイミング悪く彼は私の前にドリンクを置く。「あ、ありがとうございます…」違うこんなことが言いたかったんじゃないのだ。
「なあ」
机の下でこつんと彼の足が触れた。赤井さんの変化に気づいたのが手を握られてから。つまり前回、具体的に言えば二日前のことである。もっと早く気づけよ?鈍感にも程がある?私もそう思う。是非笑ってほしい。だって仕方がないじゃないか。じわじわと変わっていたのだ。
「こっちを見てくれ」
「分かったので足放してもらえます?」
拘束の強まった足に苦言を呈すると赤井さんはさも可笑しそうに笑った。いやだから放してってば。
「君は俺のことをどう思う?」
「……どう、とは」
どうしよう。混乱しすぎて頭が回らない。目の前でうっすらと笑っている友人は常と変わらず余裕綽々である。
「聞かせてくれ」
流暢な発音でPleaseと言われた。本当に言わせる気らしい、それっきり黙ってしまった。
「いい人だと思いますよ。頭いいし、話してて楽しいし」
嘘は言っていない。そっと赤井さんを窺うと満足げに二三頷いていた。もっと言わされるかと恐々していたのでほっと息をつく。
「ではオフィシャルな関係になってもいいということだな」
「まって」
アメリカには告白という文化がないらしい。それは知っている。だが同じようにこの優秀な男が日本の告白文化を知らないはずがない。
「悪い話ではないだろう?俺は君を愛していて、君も俺を良く思っている。何の問題がある?」
「愛」
展開早くないですか。いや、忘れていた。この人結構自由人だった。あわあわと口を開け閉めするだけになってしまった私の手を彼が包む。絶対もう一押しとか考えている顔だ。
「君と一緒にいたいんだ」
脳が蕩けそうな低音。火照りの引かない顔で必死に口を動かす。
「なんで、」
「君といると幸せなんだ」
「私なんて」
「そんなことを言うな。君はとても素敵な女性だよ」
「なんか慣れてる…」
「日本では年の功と言ったか?でもこれからは君だけだ」
「遠距離とか」
「君も意地悪を言うな……」
手の甲にキスをされる。何度も何度も。
「なあ、俺を受け入れてくれ」
耳元で囁かれたら、もう駄目だった。こんなの抵抗できる女がいるはずない。
「大事に、してください……」
「勿論だとも、sweetie」
赤井さんはとても幸せそうな顔で笑った。ああ、もう。
夏の気配を感じるようになった空の下、屋外に張り出したカフェテラスでのこと。少し窮屈そうにお洒落な椅子に腰かける友人は煙草をくわえてマッチ箱を緩く振った。幸い人の少ない時間帯だ。「どうぞ」と返事をすると慣れた手つきで煙草を吸い始めた。
彼の名前は赤井秀一。顔良し、スタイル良し、性格も(やや自由なところがあるが)まあまあ良しの少し年の離れた友人だ。休日のカフェで美味しいコーヒーを片手に読書を楽しんでいた私に彼が声をかけたことから知り合い、こうして度々食事をしては話をする仲である。普段はアメリカで働いているが、今は日本に長期出張中らしい。生憎こちらに友人が少なく、退屈していたところにホームズを読んでいるのがいたから声をかけたとは彼の言である。
「昨日『最後の事件』を読み終わりましたよ」
「ホォー…相変わらずの速読だな。どうだった?」
最初こそあの鋭い眼光と立派な体格のため怯んだものだが一度話しはじめれば彼は気のいいシャーロキアンであった。決してお喋りではないが頭がよく思考も柔軟で常識もわきまえている。何より彼の気に入る話題だったときの食いつきは見ているだけで嬉しいものがある。少し話しただけの見ず知らずの男性と連絡先を交換する気になるくらいには彼のことを気に入っていた。
「乱歩を読んだ時から思ってましたけど、探偵小説の楽しみ方って大別して二つですよね。一緒に推理するタイプと読み手として話を追っかけるのに精一杯なタイプ。私は後者ですけど赤井さんは違うみたい」
「Humm,江戸川乱歩は『屋根裏の散歩者』が面白かったな」
「あの人の作品、ホラーかミステリーかみたいなの多いから毛色が違いますけど。でも、いいですよね。私も好きですよ」
彼は蔵書家で読書家な友人がいるらしく日本の作品にも精通していた。大学を出てからここまでディープに語り合える縁に恵まれなかった私はこの出会いを大いに歓迎しているのだった。
会社を出ると短いクラクションが聞こえた。低いエンジン音と白のラインが入った真っ赤なマスタングが傍による。
「お疲れ様」
開いた窓からぞっとするほどの男前が覗いた。定期的に会うようになって時間はたっていないものの、彼とは休日だけでなく仕事終わりにも約束を取り付けるようになっている。その度に私は自慢の左ハンドルの送迎の恩恵にあずかるのだった。
「同僚にいい店を教えてもらったんだ」
出会った当初こそ食には興味が薄くてな、と言っていた彼であったが日本の同僚に舌の肥えた人がいるらしい。彼の紹介した店に行くのがここ最近の彼の楽しみになったようだ。
「今度は何が食べたいんです?」
「Yakinikuだよ。彼が全力で推していた店だ。きっと君も気に入る」
「わあ、いい金曜日の過ごし方ですね!その人に感謝しないと」
「俺には?」
「赤井さんも感謝してますよ、いつもありがとうございます」
ハンドルを握りながらクックと喉の奥で低く笑う。どうしたんだろう、今日はえらく上機嫌だ。不思議に思ってすっきりとした横顔を見ていると、一瞬目が合った。百点満点の流し目である。
「なあ、君の話を聞かせてくれ」
彼は幼いころはイギリス、成長してからはアメリカで過ごしたという。暮らした場所はどちらも街の真ん中であり、高校卒業までを日本の片田舎で山と田と畑に囲まれて暮らした私とは真逆である。だからなのか、彼は私の故郷の話を殊更に聞きたがった。あまり騒がしいのが好きな人ではない。もしかしたら静かな土地への憧れがあるのかもしれないなどと勝手に推測しながら私は幼い日のことを話すのだ。彼は決して私に食事代を払わせようとしない。私なりの僅かながらのお返しのつもりでもあった。
人の入れ替わらない小学校から高校までの話、鍵をかける習慣がなくて上京してから困った経験、目を見張るような桜並木、小さな神社で開かれる夏祭り、銀杏の絨毯を踏んで歩いた日のこと、焼き芋を友人と分け合って帰った冬の部活帰り、それから可愛がっていた猫に誘われて集会に呼ばれたことも。なんてことはない、ありふれたことだけど赤井さんは本当に楽し気に聞いてくれる。
「君のように生きられたらと思うんだ」
柔らかな深緑の瞳で言われた言葉には少々戸惑った。赤井さんは私にとって成功者の象徴のような人だったからだ。何が彼の琴線に触れたのか分からない。流されるままに生きてきた自覚のある自分にとって意外な思い以上に一種の恐ろしささえ感じさせることだった。
「いくらなんでも買いかぶりすぎです」
「そんなことはない。視点の話さ。感情が先走って見なくてはならないものを見られない人間はたくさんいる。職業柄、そうして不幸になった連中を相手にしてきた。あるがままを素直に受け止められるのは才能だ」
端正な横顔にビルの明かりが照りつける。憐れむような表情だった。
「……赤井さんは優しい人です。無責任なことを言うのは好きではないから断言はできないけど、あなたなら幸せになれると思います。それ以上に、幸せになってほしいとも思います」
目を細めて笑う。美しい男だと痛感した。皮の厚い、ごつごつした手が私の髪を梳き頬を撫でた。
「ありがとう。君もきっと、幸せになれる」
酸いも甘いも噛分けた大人の男。やたらと頭のいいシャーロキアンのイメージだった彼は鮮やかに魅力を増して私の中に根を張るのだ。
最近、赤井さんがおかしい。あいかわらずそれなりの頻度で食事はするしその度に話は弾むけれど、何と言うか、距離が近くなった。じっと見つめる、手慰みに髪を撫でる、頬をつついてくる。おかしい。確実にスキンシップが増えた。いつからだろうか。思い出せないのが恐ろしい。外堀を埋められた気分だ。前回なんかは手を握られた。赤井さんは何食わぬ顔でいるし、私は初動でぎょっとして固まってしまった。少なくとも友人間のスキンシップを超え始めている。どうしたものか。
「何を考えているんだ」
不満そうな美丈夫がのぞき込んできた。長い睫毛のつけねまで見える距離である。いくら彼がアメリカ人とはいえ、限度があるのではないか。流石に抗議の声をあげようとしたが、タイミング悪く彼は私の前にドリンクを置く。「あ、ありがとうございます…」違うこんなことが言いたかったんじゃないのだ。
「なあ」
机の下でこつんと彼の足が触れた。赤井さんの変化に気づいたのが手を握られてから。つまり前回、具体的に言えば二日前のことである。もっと早く気づけよ?鈍感にも程がある?私もそう思う。是非笑ってほしい。だって仕方がないじゃないか。じわじわと変わっていたのだ。
「こっちを見てくれ」
「分かったので足放してもらえます?」
拘束の強まった足に苦言を呈すると赤井さんはさも可笑しそうに笑った。いやだから放してってば。
「君は俺のことをどう思う?」
「……どう、とは」
どうしよう。混乱しすぎて頭が回らない。目の前でうっすらと笑っている友人は常と変わらず余裕綽々である。
「聞かせてくれ」
流暢な発音でPleaseと言われた。本当に言わせる気らしい、それっきり黙ってしまった。
「いい人だと思いますよ。頭いいし、話してて楽しいし」
嘘は言っていない。そっと赤井さんを窺うと満足げに二三頷いていた。もっと言わされるかと恐々していたのでほっと息をつく。
「ではオフィシャルな関係になってもいいということだな」
「まって」
アメリカには告白という文化がないらしい。それは知っている。だが同じようにこの優秀な男が日本の告白文化を知らないはずがない。
「悪い話ではないだろう?俺は君を愛していて、君も俺を良く思っている。何の問題がある?」
「愛」
展開早くないですか。いや、忘れていた。この人結構自由人だった。あわあわと口を開け閉めするだけになってしまった私の手を彼が包む。絶対もう一押しとか考えている顔だ。
「君と一緒にいたいんだ」
脳が蕩けそうな低音。火照りの引かない顔で必死に口を動かす。
「なんで、」
「君といると幸せなんだ」
「私なんて」
「そんなことを言うな。君はとても素敵な女性だよ」
「なんか慣れてる…」
「日本では年の功と言ったか?でもこれからは君だけだ」
「遠距離とか」
「君も意地悪を言うな……」
手の甲にキスをされる。何度も何度も。
「なあ、俺を受け入れてくれ」
耳元で囁かれたら、もう駄目だった。こんなの抵抗できる女がいるはずない。
「大事に、してください……」
「勿論だとも、sweetie」
赤井さんはとても幸せそうな顔で笑った。ああ、もう。
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