誓いの言葉を最期に
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『あんた達、まだ籍入れないの?』
「だから、それは1年様子見するって言ったじゃん」
久しぶりに母親から電話が来たかと思ったら、開口一番にそう言われて大きなため息が漏れる。
『そんな悠長なこと言える立場じゃないのよ。向こうの気が変わる前に早く籍だけでも入れちゃいなさい』
「気が変わったら、その時はその時だよ。倉持だって一生の問題なんだよ」
『あんたね!これを逃したら、もう誰にも結婚してもらえないわよ!』
「……もうその話はいいから。とにかく1年は口出さないで、これから倉持のこと迎えに行くから切るよ」
『あら、うまくやってるみたいじゃない。嫌われないように頑張りなさい』
◇◇◇◇◇◇
ハンドルを握りながら私は小さく舌打ちする。せっかくゆっくり二度寝もして、気分の良い休日を過ごした後に倉持を迎えに行くところだったのに。
「だいたい倉持は私を好きで結婚するわけじゃないって」
最後に言われた母親の言葉を思い出して自嘲気味に呟く。
苛々とした気持ちのまま、車を倉持からメッセージで教えてもらった居酒屋のすぐそばだというパーキングに駐車する。チラリと時計を確認すると、少し早く着いてしまったようだ。どうせなら、気分転換に近くまで迎えに行こう。きっと今ふて腐れたような表情をしている、こんな顔で倉持を迎えたくない。そう考えた私は、車を降りて居酒屋を目指しながらぐるりと周りを見渡す。飲み屋が並ぶ通りには、会社帰りのサラリーマンや若い大学生のグループが少し頬を染めて楽しそうに歩いている。ワイワイと盛り上がる人々を横目に歩いていると、急に寂しいような、世間から取り残されたような気分になってくる。おかしい、彼と別れてからずっと1人で暮らして来たのに。
ネガティブな思考を打ち消すように小さく首を振って目線を上げると、倉持が言っていた居酒屋が見えてきた。店の前に4~5人のサラリーマンと思われる男性グループが見えるが、倉持の姿はない。
(倉持、まだ中にいるのかな?)
「あれ、倉持は?」
もう少し店の近くまで行って待っていようと思ったところで、店の前にいた男性の一人が倉持の名前を出したのが耳に入る。あのグループが倉持の同僚だろうか?私は自分から挨拶するわけにもいかず何となく足を止めて、近くの自販機のそばで様子を伺う。
「まだ中でまとめて会計してるよ」
「ああ、そうか」
「そういえば、あいつ結婚考えてるらしいじゃん。」
「俺、今日その話聞きたかったのに何となく聞けなかったわ」
聞こえてきた話題にドキリとして嫌な汗が出てくる。そうか、結婚の予定がある事は周囲の人も知ってるんだ。まだ1年の期間があるから、誰にも言っていないのかと思っていた。
「あー、だって相手の子初婚じゃないんだろ?なんか聞きにくいよな」
「え?そうなの?バツ1って事は年上?」
「や、詳しく事情は知らねーけど。高校の同級生らしいよ」
「へー。何でわざわざ…ねえ?それでもいいってくらいイイ女なのかな」
「まあ、あいつの事だから変な相手は選ばないだろうけど。やっぱりちょっともったない気もするよなー」
聞こえてくる会話に私はグッと下唇を噛む。そうだろう、私だって散々思ってきた事だ。それなのに、分かっていたはずなのに、他人から言われると、どうしよもなく虚しい気持ちが込み上げてくる。
(どうしよう、やっぱり車で待ってようかな)
居たたまれない気持ちになって、くるりと踵を返しかけた時に、ガラリと店の扉が開く音が聞こえる。
「悪い、待たせたな」
そして同時に倉持の声が聞こえてきて、私は足を止めて自販機の影に隠れる。今戻ると見つかってしまうかもしれない。
「金足りた?」
「おー、大丈夫。俺ここで帰るから、待ってなくて良かったのに」
「本当に2件目行かねーの?」
「ああ、俺はパス。迎え呼んでるからお前らいけよ、またな!」
「おー、お疲れ」
自販機からチラリと様子を伺うと、同僚と別れた倉持が携帯を取り出しているのが見える。
「…倉持!」
「あ?名前?何やってんだよ」
私がたった今、到着したように小さく手を上げながら倉持に声をかけると、倉持は驚いたように目を丸くしている。
「少し早く着いちゃったから、お店まで来てみたの。会社の人は?」
「今、別れたとこ」
「そっか。ちょうど良かったね」
「良くねーよ、一人でフラフラして危ねーじゃん!」
「大丈夫だよ。まだたくさん人歩いてたよ?」
「……そういう問題じゃねーって」
倉持は呆れたようにため息をつくと「帰るか」と、言って私の隣に並ぶ。私はそんな倉持をじっと見上げる。
「倉持」
「何だよ」
「手、つないで帰ろ」
「……はあ?急にどうした?」
「この前、買い物の時はつないだじゃん」
私はそう言いながら、ポカンとした顔で私を見ている倉持の手を勝手に掴んでぎゅっと握る。
「何かあった?」
「んーん、寒いなって思って」
不審そうに私を見る倉持に、ヘラリと笑ってそう答えると倉持は困ったような不機嫌そうな表情を一瞬見せる。
「嫌だった?」
「嫌じゃねーよ。お前は相変わらずだな、と思っただけ」
「何が?」
「あー、もういいわ。早く帰るべ」
倉持は私の手をギュッと握り返すと、スタスタと車に向かって歩き始める。
倉持の手は暖かい。頭を撫でてもらうと高校の頃を思い出す。朝まで手を握ってもらうと、よく眠れるような気がする。
倉持にはもっといい人がいるだろう。ふと、思い直して私との結婚をやめたくなってもいいように1年の猶予を作ったつもりだった。いつか気が変わるかもしれない、ずっと自分の中でそう言い聞かせているつもりだった。
それなのに、今もし結婚をやめたいって言われたら私はきっと泣いてしまう。
一人じゃない生活が、倉持と暮らす日々が心地よく思ってしまう。もう一人になりたくないと思ってしまう。たとえ、私を好きじゃなくても、都合がいいからと選んだ結婚相手だとしても。このままずっと……。
そんな風に思い始めてしまう自分に嫌気がさす。もやもやとした気持ちを誤魔化すように、私もそっと倉持の手を握り返した。