染まり合う心情
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「お疲れ」
「………お疲れでーす」
ガチャリと助手席の扉をあけて車内に入った俺を見て、運転席に座っていた苗字は目を丸くしている。
「動きはあったか?」
「ありませんけど……え、何で降谷さん?次は風見さんの予定でしたよね」
「別の案件で動きが合った。風見はそっちに行っている」
「……そーですか」
何か言いたそうな顔をしながら俺を盗み見る苗字に、俺はチラリと視線を向ける。
「不満そうだな、風見が良かったか」
「いや、こんな張り込みに…わざわざ降谷さんみたいな立場の人が出てこなくても。と思っただけですよ」
苗字はハンドルにもたれ掛かるようにして、前方にあるアパートの一室を見つめながらそう答える。
「俺だって張り込みくらいするさ」
「……そうですか」
「……お前こそ、今日の担当は山村だったはずだが?」
「山村さんは体調が悪いそうです」
「この前の真壁の提出した資料、作ったのはお前だろ」
「………。」
「他にもいくつか思い当たるが…何でもかんでも引き受けるな」
「そんなつもりはないですよ。所詮、他組織に学びに来ている身ですから。いろいろ経験しておこうと思いまして」
一見、信憑性のあるように聞こえるその答え。以前たまたま聞いた真壁との会話を知らなければ、きっと信じてしまうだろう。
「何か食べたか?」
「いえ、まだ」
「……ほら」
ポイッと投げるように渡した包みを受け取った苗字は、不思議そうに包みを開ける。
「サンドイッチ?」
「俺は来る前に食べてきた。それを食べて早く仮眠をとれ。俺は二時間したら戻る」
「………ありがとうございます」
訝し気に俺を見ながらも、苗字は素直に礼を言うとサンドイッチを口にする。
「え、これ美味しい!」
「そうか」
「どこのですか?」
「作った」
「………は?」
「既製品ではない。作ったものだ」
「誰が?」
「俺だ」
「嘘ですよね」
「俺が、こんなつまらない嘘をつくわけないだろ?」
しばらくの沈黙の後、苗字は「そういえば、以前は喫茶店に潜入してたんでしたね」と、どこか呆れたように呟く。
「よく知っているな。あの組織の件は、お前は本国で対応していたんだろ?」
「公安に来ることが決まったときに、赤井さんに聞いたんですよ。料理はお上手みたいですけど、ちゃんと店員やってたんですか?」
「当たり前だろ」
「そんな仏頂面で?店の売上、落ちたんじゃないですか?」
「はっ、バカ言うな。俺を目当てに客が増えて喜ばれたくらいだ」
「えー?」
苗字はモグモグとサンドイッチを口にしながら、信じられないと言うような顔をする。
「日本人は顔が良ければ何でも良いんですかね」
「ほー、俺の顔が良いことは認めるのか」
(というか、国籍が向こうなだけでお前も日本人だろ)
「顔は、ですよ。こんな愛想のない人は願い下げです」
「その言葉、そっくりそのままお前に返すよ。そもそも潜入捜査中にこのまま接客するわけないだろ?」
「………へー、ちょっと見せてくださいよ」
「は?」
「どんな風にやって、人気を博していたんですか?せっかく公安まで来たんですから。今後の参考に」
普段は愛想のないくせに、楽しそうにニヤニヤしながらそう話す苗字を見て俺は思わず眉を上げる。
(……舐めるなよ、FBI)
俺は小さく息をつくと、するりと苗字の髪を耳にかけながら顔を覗き込む。
「苗字さん、顔色悪いですよ?」
「………へ?」
「お仕事が大変だって伺いましたよ。あまり無理しないでくださいね?」
「…………。」
「今日は、僕の入れた珈琲を飲んでリフレッシュしてください。ああ、これはサービスのイチゴタルトです。苗字さん、確かお好きでしたよね?イチゴ」
数ヶ月前まで毎日のように振り撒いていた笑顔と共に、あの頃以上に甘ったるい声色で囁くようにそう言い終えると、スッと笑顔を引っ込めて顔を離す。
「どうだ?」
「……潜入先、ホストの間違いでは?」
「健全な喫茶店だ」
「…………イチゴが卑猥な言葉に聞こえる喫茶店がどこにあるんですか」
「ふっ、顔が赤いぞ。ハニートラップを嫌悪してみたり、アメリカ育ちのわりには案外ウブなんだな」
「馬鹿言わないでください。これは、あまりにも普段との違いを見せつけられた事による、共感性羞恥心ですよ」
「ふんっ、どうだかな」
赤く染まる頬を隠すようにふいっと窓の外に目を向ける苗字を見て、思わず吹き出しそうになるのを堪えながら俺は後部座席に置かれた紙袋を手に取る。その中から取り出したものを苗字に差し出そうとしたところで「この前はすみませんでした」と苗字が徐に口を開いたため、その手を止める。
「この前?」
「あなたのハニートラップについて偉そうに意見してしまって。捜査状況も把握していない余所者の立場で軽率でした」
「……………。」
窓を外を見たまま告げられた苗字の言葉に、思わず目を瞬かせる。あんな意見、女としては何かしら思うところがあるのだろう。と、大して気にしていなかったのに。
(わざわざ謝罪するとは、律儀な奴だ)
そんな事を考えながら、俺は手に持っていたものを改めて苗字に差し出しながら口を開く。
「さっきの俺の台詞だが、」
「は?」
「顔色が悪いというのは、本当だ。食べ終わったなら、さっさと寝ろ」
そう言って、張り込み用の車内に常備してあるブランケットを差し出すと、苗字は目をパチパチとして俺を見る。
「………わざわざ、ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
苗字は気まずそうにそれを受けとると、スッポリと口元までブランケットを抱き込みながら座席を倒して目を閉じる。わずか数分の後に聞こえてきた寝息に、俺は小さくため息をつく。
「………寝るのが早すぎだ」
呆れたように呟きながらチラリと寝顔を見てみる。やはり童顔であるせいか…こうやって寝顔だけ見る分には、とても凶悪犯相手に銃をぶっ放しているFBIの人間には思えない。それにしても、こんなに早く眠りにつけるとは。
仕事柄どこでも休息をとれる体質は利点ではあるが、こいつの場合は誰彼構わず仕事を引き受けすぎて単に疲れているだけだとも考えられる。真壁の一件がありよくよく注意してみると、家庭のある同僚や残業の続いている後輩の仕事を、奪い取るように引き受けている場面をよく見るようになった。今日も他の捜査員と張り込みを変わったと聞いて来てみれば、やはり顔色も悪くこの有り様だ。
「………ん?」
そこまで考えて、俺はふと先程のやり取りを思い返す。
--わざわざ、ありがとうございます--
(そういえば、あの時苗字は窓の外を見ていたな…)
俺が差し出したブランケット。張り込み用に車内に乗せてあるだけの物を差し出しただけなのに、やけに気まずそうに受け取っていて不審には思ったが。もしかしてわざわざ持参したものだと思ったのだろうか?
「……ま、いいか」
別にわざわざ訂正することでもないだろう。普段は生意気で淡々としているくせに、さっきもあの程度の接近であからさまに照れていた。変なところで感情を見せる奴だ。俺はそんな事を考えながら、前方のアパートを見張り続ける。静かな車内には、苗字の小さな寝息が一定のリズムで響き続けた。