安室透と契約結婚
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頭と身体の関節が痛い、寒気もする。
名前にお土産のケーキを渡した翌日から、急に"本職"が忙しくなり4日ほど泊まり込みで働いた。結局態度を改めるどころか、名前と会話する機会もあれ以降ほとんどなかったから、名前はあの日の俺の態度を前日の言い合いのご機嫌とりだと未だに思ったままだろう。
6.縮まらない距離
「……降谷さん、起きてますか?すみません、開けますね。」
部屋の外から名前の控えめな声が聞こえて、名前が顔を覗かせる。すでに3ヵ月は一緒に過ごしているが、名前が自室にいる俺に声をかけてくるのは初めてだった。
「昨日、今日は昼からポアロだと言っていたのに起きてこないので…大丈夫ですか?」
「…風邪をひいたようだ。」
「わあ、凄い声。」
寝起きの一言目は、自分でも驚くほど掠れた声が出た。まるで、デスヴォイスだ。どうやら、喉もやられているらしい。そんな俺を見ながら「まるで別人みたいですね~」なんて、名前は呑気に呟いて部屋から出ていったかと思うと、またすぐに戻ってきた。
「とりあえず熱を測ってみてください。病院には行きますか?」
「…いや、病院はいろいろ面倒だからやめておく。」
安室透としての偽物の戸籍は用意してあるが、保険証を使ったりするとあとあと手続きに手間がかかる。「そうですか。」そんな事情に気付いているのか、いないのか、名前はそれ以上追及しないまま体温計を手渡してくる。
「…38.5℃ですか。結構ありますね。この部屋って薬とかあるんですか?」
「いや、そういえば置いてないな。」
「…それなら、一度薬や食べられそうなものを買いに出ますけど…大丈夫そうですか?」
「…ああ、すまない。」
「いえ、病院に行かないならとにかく身体を休めていてください。飲み物はここに置きますね。出掛けている間に何かあれば連絡をください。」
端的に要件だけ告げると、名前は俺の枕元にスポーツドリンクを1本置いて立ち上がる。
「ポアロには、私から連絡しておきます。一応、安室さんの妻ですから。」そして部屋から出ていく間際、こちらを見ないままそう言って扉をしめた。
(…一応か。)
名前が玄関から出ていく音がする。大袈裟に心配してくるわけでもなく、必要なことを的確にこなしていく名前の対応が心地良い。そんな事を考えながら、俺はいつの間にか眠りについていた。
「あ、すみません。起こしましたか?」
どれくらい寝ていたのか。額に一瞬何かが触れたのを感じて目をあけると、目の前に自分の顔を覗きこんでいる名前の顔があった。ポアロに客として訪れた名前に出会い、何だかんだと結婚までして今に至るが、こんなに近い距離で名前の顔を見たのは初めてだ。
「すみません、ノックをしても返事がなかったので。」
「いや、」
「まだ結構熱がありそうですね。症状はどうですか?」
額に触れた感覚は、名前が手で体温を確かめたものらしい。
「寒気はおさまったよ。他は朝と変わりない。」
「そうですか、熱が上がりきったのかもしれませんね。薬を飲んだ方がいいと思うんですが何か食べられそうですか?」
「一応、お粥は作りました。食欲がないならゼリーを。」と、尋ねられて反射的にお粥を頼むと、名前が小さく頷いて立ち上がる。どうやら部屋まで持ってきてくれるようだ。
「あ、そこに温めたタオルがあるので良かったら汗を拭くのに使ってください。着替えもするなら、5分くらい待ちますけどどうしますか?」
「着替えは薬を飲んでからにするよ。」
「分かりました。」
(至れり尽くせりだな。)
部屋から出ていく名前の背中を見送りながら、小さく息をつく。成人してから、こんなに手厚く看病された記憶はない。特に入庁してからは、いつも一人でひたすら睡眠をとって凌いできた。元々他人に世話をやかれるのは好まないし、学生時代にしきりにお見舞いに来ようとする彼女たちも正直煩わしかった。そんな自分が、名前があれこれ自分の事を気にかけてくれる今の状況をどこか嬉しく感じていることが信じられない。
「これ何か入ってた?」
「あ、梅昆布茶が少し。自分がいつも食べるものと同じものを作ってしまって。口に合いませんでしたか?」
名前の持ってきたお粥を食べて薬を飲んだあと、空になった器に視線を向けながら尋ねると、名前は眉を寄せて答えた。
「いや、美味しくて食べやすかった。苗字家はいつもそうなの?」
「……いいえ、自分がよく風邪をひくのでいろいろ試した結果です。」
「へえ。俺は好きだな、また作ってほしい。」
素直な感想だった。体調が悪い上に、正直食欲もあまりなかったが、ただの白米で作ったお粥よりも自分好みだった。そんな思いを気付いたらただ素直に口にしていた。
「……そんなお世辞はいいので、もう体調は崩さないようにしてください。」
しかし名前はまた、あの日と同じように困ったように眉を寄せてそう答える。
どうしたら自分の思いが嘘やお世辞ではないと伝わるのか、自分が本当に名前に歩み寄りたくてやっている事も、名前には演技やご機嫌とりとして受け取られてしまう。
--もどかしい。そう思った時には、名前の細い腕を掴んで自分に引き寄せていた。驚いた名前の顔が自分を見上げている。
最近いつもの無表情じゃない名前の表情を見ると、自分の心がざわつくようになった。
"安室透"の言葉に照れる顔も、困ったように眉を寄せている顔も、今のように驚いた顔も…全部、全部。
無表情が崩れると、それだけ名前に近付けたように感じる。あわよくば、笑顔を見たい。演技なんかじゃない"俺"の言葉に、頬を染める姿が見たい。
「お世辞なんかじゃない、今日は本当に名前がいてくれて良かった。ありがとう。」
自分を見上げる名前の目を見て真っ直ぐそう告げると、名前は更に目を見開いて信じられないといった顔をする。
「……風邪のときは心細くなるってよく言いますけど、降谷さんでもそうなんですね。」
「…名前。」
「だけど、駄目ですよ。降谷さんみたいな人にそんな風に言われたら、単純な女はみんな勘違いしちゃいます。」
名前はなぜか泣きそうな顔でそう言うと、俺の返事を待たずに立ち上がる。
「私もきっと、そういう単純な女の1人なので……降谷さんは前みたいに私なんかに構わずにいてください。」
ゆっくり身体、休めてくださいね。
最後にそう言うと、食べ終えた食器を手に部屋から出ていく。
近付こうとしても、歩み寄ろうとしても、名前はふわふわと俺の言葉を聞き流して一定の距離を置いてしまう。名前は、前のような他人行儀の結婚生活の方が良いのだろうか。好きでもない男と暮らすのに、無駄な歩みよりは必要ないと思っているのかもしれない。
熱にうかされた頭でぼんやりと泣きそうな表情をしていた名前を思い出しながら、ゆるりと目を閉じた。