幸せアイス
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「小夜、今日お昼どこ行く?」
「あ、ごめん。私今日彼氏と」
「ついこの間まで『私より忍足を取るの⁈』って拗ねてたくせに……」
小夜に振られたけれど、一人飯には抵抗がない。読みたい小説本も持ってきているし、どこかで美味しいものを買って読みながら食べよう。
「ねえ、振られちゃったの? 俺と食べるかい」
教室を出て行こうとしていた滝が振り向いてそう言ってくれるから、迷わず頷いた。この間買っていた基礎化粧品の使い心地が気になる……というのは建前で、滝と話すのは純粋に楽しかった。誘ってくれたのもとても嬉しい。
「君は何食べたい?」
「創業者応援のキッチンカーで何か買おうと思ってたところだけど、どう?」
「いいね。テイクアウトして講堂裏で食べようよ」
窓の外は麗かな光に満ちていて、とても素敵な時間になりそうでうきうきする。人混みを縫うように二人で歩く。不躾な視線にももう慣れてきた。
校舎を出て一番広い中庭に行くと、ロンドンバスみたいなキッチンカーに長い列が出来ていた。看板にはお洒落なホットサンドとスープが沢山あって、滝とあーだこーだ言いながら選んだ。私は食べたいものを食べるけど、滝としては美容観点と体力作り観点を両立できるものを選びたいらしいから大変だ。メニューを決めて列に並ぼうとしたところ、滝に呼び止められた。スマホを操作し出したかと思うと、列の前の方に手を振っている。よく見れば、鳳と宍戸だ。
「長太郎に俺たちの分頼めたよ。電子マネー送金してやって。ライン知ってるでしょ。この間二人で水族館行ってたくらいだし」
「あら、刺々しい」
「俺も行きたかった、タダなら」
祖父母に、『榊、跡部グループのアミューズメントが気になる』と話したところ、色々な施設のチケットを取って送ってくれるのだ。向日と行った動物圏もそうだった。お金持ちのおうちって素晴らしい。
「滝さん、先輩、買ってきましたよ」
「助かったよ長太郎」
鳳と宍戸が幸せを持ってやって来る。持つべきものは物分かりの良い後輩だ。滝が二人を誘ってくれて、一緒にランチが出来るのもラッキーだ。前を歩いていた宍戸が振り返る。
「お前、長太郎と二人きりで水族館行ったって? しかもカノジョに土産まで用意して。キレ散らかしてたぞ教室で」
完全に報復の気持ちからの行動なので、キレ散らかしていたのならば寧ろ望むところだ。言う必要のないことはにっこり笑って首を傾げてスルーする。
「宍戸の彼女にも会ったよ」
向日も宍戸も、他の女の子たちが苗字を呼び捨てにしているのを耳にして、同じようにすることにした。中学生の距離感に馴染めているかはわからない。
「ああいう感じの子が好きなんだ」
「わかりやすいよね」
「うぜぇ」
滝と一緒にニヤニヤしていると、本気で嫌な顔で背中を向けられてしまった。照れている顔、めちゃくちゃ可愛いご馳走様。
代わりに鳳が振り向いてにこりと笑う。
「アトベ・マリン・ワールド楽しかったですね。またご一緒出来る機会があったら教えてください。今度は俺がチケット買いますから」
「チケットなら沢山あるんだよ今うちに。直近だと次の日曜日に榊ミュージアムに行ってくれる人を探してる。特設はね、聖ヨハネ騎士団」
「いいですね! あそこは常設もとても面白いですよ。監督の趣味が全開で……あぁ、駄目だ、日曜は先約がありました」
大型犬が首を垂れてしょんぼりしているようだ。王子様たちは基本ブルジョワジーなので、塾に習い事におうちの行事にと忙しそうだというのは最近知った。
……でも、予定は彼女だろうな。お土産に二人で撮った目が大きすぎる気持ち悪いプリ貼り付けてやったし。
ここまでやって漸く溜飲が下がったから、もう関わらない。「気にしないで」とにっこりすると、鳳は「次の日曜日はどうですか?」と食い下がった。
……カノジョ大丈夫か? 凛々しい顔つきのせいでやけに真剣に見えちゃうけど、この子にとってこれは特なのか損なのか……。
澄んだ瞳に熱のようなものを感じて少しの違和感だ。まだボッチだと思われているのだろうか、大体合っている。
「また誘わせてもらうね」
講堂を過ぎると、昼休みの喧騒も一気に遠くなる。立木が多い構内は鳥も結構飛んできているのだけれど、ここまで来て漸くその囀りが心地よく聴こえて来る。
「あれ、ジローが居る」
「え」
音の響きに心臓がどきりと跳ねた。まだご尊顔を賜っていない唯一の推し、芥川慈郎で間違いないだろうか。間違いない。春の陽だまりの下、柔らかそうな金色の髪をほわほわさへて、ベンチで無防備な寝顔を晒している姿は紛うことなき天使だ。
「お前どけよ、起きろ。飯食う場所がねーだろ」
宍戸が遠慮とか微塵もない仕草で慈郎の体を蹴ってベンチの隅に寄せようとしている。昔からの友だちであることがわかる光景が堪らなく尊い。
「この子はね、芥川慈郎。C組でテニス部。テニス以外ではまあ大体寝てるから遭遇率は高くないよ。人畜無害だから、君はその端座ったら」
面倒見の良いことが最近になって分かってきた滝が、丁寧に説明して慈郎が寄せられたベンチの反対端を勧めてくれた。なんだか胸がいっぱいになってしまって声が出せずに、私は頭を目一杯縦に振って感謝の意を表明する。
「宍戸さんのサンドイッチ、チーズの量すごいですね」
「これまじうめーわ。キッチンカー常設しねーかな」
「このミネストローネも美味しい……幸せ……」
「跡部に言っておいてあげるよ。創業者応援カフェは彼が始めた事業だから。今回のお店、生徒に好評ってね」
……滝はみんなのお兄さんなのか?
精神年齢はかなり歳下なのに、気がつくと私も妹みたいなポジションになってしまっていることがある。
……若しくは私が身も心も女子中学生に擬態しているということですかね。
内心ドヤっていると、食事から視線を外した先、突然目が合った。
「あ……」
「E匂い、すんねー……」
何故、この子たちの瞳はこんなに澄んでキラキラしているんだろう。たとえそれが寝起きの半目でも。慈郎は横たわりながら私と目を合わせたまま、ふわりと笑った。
「人形みてーだな」
「俺のクラスの編入生だよ。忍足の従姉妹なんだって」
「んで、滝のカノジョ?」
「違うよ。俺はこの子が跡部と付き合えばいいのにと思ってる。二人でいると絵画のように美しいんだよ」
「私のようなものが烏滸がましい……跡部様には古の国からお忍びで来た妖精みたいな皇女様がお似合いなの」
「それ、くんね?」
私の手の中のサンドイッチに熱い視線が注がれている。そっと差し出すと、遠慮の無い大口に齧り取られた。
……歯、白ぉ。天使みたいなナリでそんな大口とかギャップ萌え。
「美味い!」
お食事をして一気に意識が覚醒したらしい慈郎は、小さな子供みたいな顔で笑った。いつもこうやって周りの人からご飯をもらっているのだろうか。そんな周りの人に、私はなりたい。
「君さぁ、跡部のカノジョになりたいならそんな立ち位置じゃダメだよ」
「だから違うんだって」
「サンドイッチのお礼のアドバイスな。俺曰く、跡部はぐいぐいくる女の子が好きだぜ多分。違ったら悪い」
「えぇ……」
それは本当にアドバイスなのか。可愛いから許すけれども。
……こんなこと誰にでも言ってるのかな? 全雌猫がぐいぐい来たら流石の跡部様もしんどくない?
「本気にするなよ」と苦笑する宍戸。「俺なら信じません」と一刀両断の鳳。「君と跡部がくっつけばって、いま俺が推したから、慈郎の親切心だよ。ハードルは高いけど」と滝。滝としては、アドバイスに賛同はするけど、難しいということらしい。それはそうだろう、相手はあの跡部様だ。
……でも一度、当たって砕けてみよう。
ファンクラブ会報誌や公式動画では見られない跡部様を拝見できるかもしれない。私はそのために転生しているのだから、挑戦しないのは幸せアイスを引き当てた者として怠慢だ。
……私も大分余裕出てきたな。
次の日、小夜とランチをした後に一人でカフェへ向かうと、早速侑士と二人でテーブルを囲んでいる跡部様を発見した。
……騒めいてる……。
二人を誉めそやす声は、学内では流石に控えめだけれど数が多ければ音量も上がる。昼休みに騒がしいのは当然だけど、オープンテラスの陽だまりは女の子たちの今にも爆発しそうな色めいた空気に包まれていた。
そんななかで跡部様に話しかけるのは少し気が引けたけれど、長い足を見せつけるように組んだ侑士が軽く手をあげてくれたので気が柔らかくなった。
「おう。これから昼飯? 遅くないか」
「もう食べたよ。カフェラテテイクアウトしようと思って来ただけ。そっちはデザート?」
「今日からの新作。先着五名様までや、ええやろ」
パステルカラーのピスタチオクリームだろうか、可愛いケーキが食べかけでお皿に乗っていた。クリームやチョコレートで作られた繊細な薔薇や蝶々、キラキラ光る飴細工にフルーツがごろごろ残るソースと、一目でお高いとわかる一皿で、お財布が厚いこの学園ならではのコスパが一瞬で見てとれた。
「え、美味しそう。一口ちょうだい」
「やだ」
「けち」
「つまり金を賢く使えるって美徳やんね。褒めてくれたから交換条件でええよ、俺の分もカフェラテテイクアウト買うてきて」
ここのカフェラテ高いんだけど、とは言わない。祖父母にとっては侑士も同じ孫なのだから財布を使わせてもらうことくらい許されるだろう。
「承知」
フォークに刺さったまま見せびらかされていたケーキに齧り付く。上品に整った甘さが口の中に広がるのと同時に、黄色い断末魔が青空に響いた。
……それはそう。私だって原作で侑士にこんな描写があったら叫び泣く。
本人は小さく笑って肩をすくめているけれど。
「あかんな。虐められんで自分」
「私と侑士が親戚だってかなりメジャーな情報らしいから、大丈夫でしょ」
「あんなぁ、従兄弟は法的に……まあええか別に」
法的に婚姻を結べることは知っているし、推しと殊更に絡むことを良しとしない勢がいることも知っている。だからと言って、この世界に生きるひとりの人間として、侑士に餌付けされることができる関係性を自分から手放すなんて絶対に嫌だった。
「美味しいー! もう一口」
「遠慮ないなぁ」
文句を言いながらもフォークで大きめに掬ってくれたから、大きな口を開けて侑士の手ずからケーキを頂いた。何を考えているのか、切長で深い色をした瞳が少しだけ細められて、その表情に一瞬でケーキの味がわからなくなった。
……なんで今更緊張してるの私。
「仲が良いんだな、お前ら」
穏やかなのに、一言一句が魔性の響きを持つ声。跡部様は、侑士とは違う紫色のケーキを美しく頬張りながら、揶揄うように口角を上げた。一見紫芋のケーキのように見えたけれど、表面にはスミレの砂糖漬けが乗っていて、その周りをチョコレートの蝶々がはばたいている。
「……跡部くんのは、スミレベース?」
「正解だ。美しいだろう」
スミレは青く、と、続けて英語でマザーグースを詩う跡部様は童話の王子様そのものだった。周りのテーブルの女生徒たちも、そして至近距離で打ち抜かれた私も、ほおっと感嘆のため息を溢さざるを得ない。
「自分まさか、跡部のケーキも狙ってるんか」
「侑士……」
このバカ、跡部様に対してなんて烏滸がましい……と続けようとして、昨日の慈郎の言葉が不意に浮かんだ。試すなら今しかない。でも烏滸がましい以前に、正直恐ろしい。
……覚悟決めろ、私は煩悩で異世界転生してきた女!
この間、およそ三秒。
「くれるの? 跡部くん」
小さく口を開けてみる。少し面食らった表情をされ、そんな姿も尊いと思っていた矢先、慣れない甘さが口の中に広がった。跡部様が、手ずから私めにケーキを施してくださったのだ。ふんわりと広がるスミレの香りと同時に、オープンテラスは阿鼻叫喚となった。
「自分、今度こそ殺されるでどっかの女子に」
「美味しかった、ありがとう」
「では俺はブラックコーヒーを貰おうか」
「しっかりしてるじゃん……」
砂糖漬けの甘さがいつまでも口の中に残るそのまま、踵を返してカフェのカウンターへと向かった。