幸せアイス
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……暗くなっちゃったな。でも楽しかった、散財最高。
最近色々あったストレス発散、という建前で日曜は昼から買い物三昧を楽しんだ。このチート顔面とチート躰、何を身につけても似合うし、カードの名義は自分では無いし、もう最高すぎる。
駅の構内を出れば星空の下だ。街灯の群衆は忙しないけれど、駅から遠ざかるにつれその流れも穏やかになる。閑静な高級住宅街が広がるこの町は、夜は静かだ。
「おう。むっちゃ買うたな」
「侑士。帰るところ?」
後ろから声をかけられて振り返る。ジャケットの下にパーカーを着て、黒のパンツが長い足を更に強調すればもうモデルさんみたいにかっこいい。
「食材の買い出し」
「自炊してるの? 偉いじゃん。私は帰るところ」
「少し付き合うて」
何故そう言われたのかわからず首を傾げた。うちの冷蔵庫に必要なものは入っているし、欲しいものは頼んでおけばハウスキーパーが経費で購入してくれる。
「いくら知った道でも、暗くなってから一人で歩き回るな、危ないやろ。どうせ同じ所に帰るんやから一緒に行こ」
「な?」と侑士は優しく笑う。 心臓がきゅんと動いたのが自分でわかった。甘やかで穏やかで、侑士のこういう顔を見るとほっとして、つい甘えたくなってしまう。
両手に持ったデパートの紙袋を、スマートにさっと持ってくれる仕草なんて本当に中学生とは思えない。
「侑士って天性のたらしだよね」
「褒め言葉として受けとっとく。しかし買うたなぁ。自分のカードの名義なら外商呼べるやろ」
「一回使ってみたけど性に合わなかった。ウィンドウショッピングしながら歩くのが楽しいの」
「なら、この先のスーパーもいけるか。会員制の高級スーパーやないとあかんとは言わんよな」
元庶民にそんな拘りは無い。頷くと少し嬉しそうな笑みがかえってきた。路地を何度か曲がり、全然知らない道へ入って行く。隠れ家的な小さなカフェや雑貨屋を発見したりしながら楽しく進むと、小さな明かりと人だかりが見えた。家族で営業してそうな、そんな感じの古びたスーパーだけど、お店の中は人でごったがえしている。
「この時間一番混むねん、むっちゃ安いから。自分そこで待っとき」
言われた通り大人しく待っていると、五分も経たないうちに手にエコバッグを増やした侑士が戻ってきた。のぞく長ネギの頭と、牛乳の出っぱり。
「よし行くで。なに?」
「侑士、意外と長ネギ似合うじゃん」
「家庭的と言え。結婚したい男、ナンバーワンの座は譲らへんで」
データベースはどこだと言ってやりたかったけれど、お茶目なウィンクに心臓を持っていかれてしまって何も言い返せない。何を買ったのか訊いてみると、菜の花やわらび、たらの芽なんて中学生男子らしからぬ食材を言い連ね始めた。
「やん、天ぷら食べたい」
「そのつもりやけど。うちで食ってけば。休日はハウスキーパー頼んで無い言うてたやろ」
「え、いいの? 嬉しい。それなら来週末は私作るわ。何食べたい?」
作れんのか、と訝しげな顔をされたけれど、「ハンバーグ」と嬉しそうに言われた。そんな様相は中学生男子らしくて、とても可愛い。思わずにっこりしてしまう。
帰り道はあっというまで、すぐにマンションに着いた。荷物を持っている侑士の代わりにエントランスを開けて、その後ろ姿に着いていく。最初家の場所を隠されていたことを思えば、家に上げて貰えるなんて出会ってからまだ2ヶ月も経っていないのに関係性は随分進歩したと思う。
「あがって」
「おじゃまします。おもしろ、同じ間取りのはずなのに全然違うね」
私の家は幸せアイスによって完全に私の好きなブランドで固められているから内装も全然違うのだけれど、侑士の家は「家族で住んでいる家」という感じがした。玄関ホールに飾られた、侑士かお姉さんどちらかが昔描いたのだろう絵とか、侑士らしくない色合いのプリザーブドフラワーの置物とか。リビングルームの家具や小物も、それが顕著で面白い。リビングに入ると侑士のつけているデオドラントの香りが少しだけ強くなって、同じくらい少しだけ気持ちが乱れた。
……中学生男子相手に何ドキドキしてるの私!
好きにしててええよ、と手慣れた様子で黒いエプロンを掛けた侑士は、お料理番組に出演するイケメン俳優にも負けないかっこよさだ。腕まくりが艶やかなのは言うまでもなくなく眼福である。
「手伝おうか?」
「まぁまかしとき。俺の料理は美味いで? その分来週期待してるわ」
奥まったキッチンから、良い声の鼻歌が聞こえて来る。リズミカルな包丁の音が心地よくて、ソファーに背を預けて目を閉じた。今のこの時間が、空気が、音が、とても愛おしい。
……嬉しいな、休みの日も誰かと家で食事が出来るの。しかもそれが気のおけない侑士なの、ありがたいなぁ。
この時間がずっと続けば良いと思う。そのために不必要な不安要素が過って、声が届かなければそれで構わないと思いながらキッチンの方へ呼びかける。
「侑士って彼女作らないの?」
「うん? よく聞かれるけど、今の生活に不足はないからなぁ。欲しいと思ったら作るわ多分。気になる?」
「んーん、興味本位程度」
可愛くないなぁ、という失礼な呟きと一緒に、パチパチと油が撥ねる心地よい音がしはじめた。欲しいと思ったときに作れると信じているのはすごい。平民と王子様の差を目の当たりにした気分だ。
……侑士に彼女ができて、この時間がなくなるのは嫌だな。
侑士の料理は自画自賛するだけあって美味しかった。料理アプリの通りの手順を踏んでいるのだから失敗するはずがないというのが本人の言い分だけれど、それよりまず侑士の器用さがすごいのだと思う。
次の週、私のハンバーグも「意外と美味い」と言ってもらえたから、わざわざ旗まで作ってお子様ランチ風にした甲斐があった。その次は侑士がうどんを作り、私が唐揚げを作り、侑士がカレイの煮付けを作る週末が続いた。次の週末は、オムライスがリクエストされている。
……卵半熟にしようかな? それとも固いのが好きかな? 聞いてみるか。
水曜の夜にふと気になって、ラインをしてみた。テニス部の練習が終わる時間は熟知しているけれど、その時間が過ぎてもメッセージは既読にならない。スマホが死んでいるのだろうか。
なんて思っていたら、次の日の昼に偶然カフェで会った向日に、侑士が月曜から休んでいることを聞いた。
「風邪だってさ。ダブルス組んでるやつが休んでどうやって練習するっていうんだよ、もう都大会始まるんだぜ」
都大会といえば氷帝は不動峰に負けてしまうのだけど、異世界転生作品によくある『未来を知っているから不幸を回避する』なんてスキルは私にはないからこっそり応援することしか出来ないし、シングルス3は宍戸じゃなくて跡部をオーダーすれば、なんて榊先生が聞き入れてくれるわけもないし宍戸にもきっと失礼だ。『不動峰って新生テニス部でめちゃ強いらしいよ』と雑談で言ってはみたけれど、ふぅん、と気のない返事が返ってきただけだったから原作軸はきっと変わらないと思う。
……敗北が宍戸や氷帝を強くするんだよきっと……はぁテニスの王子様本当に尊い。
「なあ聞いてる? 侑士明日は来るかなぁ」
「ただの風邪なら三、四日で治るんじゃない? 一応ラインしてみて、駄目そうなら様子みてくるよ」
スマホを振ってみせると、向日はただでさえ大きな瞳をもっと丸くした。
「あいつ自分ち教えてくれないんだけど。お前よく知ってんな」
「親戚だからね」
前に、一人暮らしをしているのがバレたら溜まり場にされるから秘密にしたいと言っていたのは継続しているらしい。中学生男子ならば逆に羽目を外す機会にしてしまいそうなイメージがあるけれど、侑士は一人の時間も大切にしているのかもしれない。
……だったら、私の過干渉は鬱陶しいと思われちゃうかな。
でもつまり、侑士が今看病してくれる家族と住んでいないことを知っている人はあまり多くなさそうだから、少し心配になった。前に送ったラインの既読はまだついていない。
『向日から風邪ってきいたよ。お見舞い行こうか?』
返信が返ってきたのは、その日の夜も遅くなってからだった。
『卵は半熟 見舞いはいらん』
要件だけのメッセージはあまり侑士らしくない。
……大丈夫そうかな? 明日学校休んでたら、押しかけよ。
でもどうせ登校しているだろうなと思って臨んだ次の日だったけれど、朝練を終えた向日を捕まえたところなんと侑士は来ていなかった。廊下をぐるりと回ってH組をのぞいてみたけど、見慣れた長身は見つからない。
「小夜、具合悪いから今日はやっぱり帰るね。担任に伝えておいて貰えるかな」
従兄弟の具合だけれども。居ないとわかると心配になってきて、昼休みまで待っていられない気持ちになった。絶えず努力しろ、と言った跡部の眼差しが一瞬頭をよぎったけれど、授業を受けるより従兄弟の安否を確認する方が私にとっては努力すべき正しい方向だと思った。
ゆっくり登校しているまばらな生徒たちとすれ違いながら、マンションに帰る。バッグを玄関に置いて、スマホだけ持って侑士の階へ向かった。インターホンの返事はない。
……寝てるのかな。まさか死んじゃってはいないと思うけど。
少し考えて、このまま帰ってしまったら心を閉ざしてる状態かもしれない彼の内側には入っていかれないように感じた。うるさくしてごめんねと思いながら、インターホンを連打する。暫く押し続けていると、ブツリとマイクの通る音がした。
「……やめろバカ」
低くて艶やかな声は、いつもよりもっと低くなってる上にガラガラ傷んでいてよく聞き取れない。怒気を孕んでいることはわかる。
「お見舞いに来たよ。開けて」
「……いらん言うたろ、ほんまアホやなぁ」
「そんなに喉痛めて何言ってるの。叔母様にも侑士をよろしくって言われてるんだから、早くここ開けなさい。じゃないと仙台に電話するよ」
「……」
少しの間無言が続いた後、通話の切れる音がした。あ、駄目だったかなぁなんて思った矢先、電子ロックが重い音を立てて解除される。この手ごたえのない態度は、そうとう弱っているのではないだろうか。
玄関扉を開けた先は、静かだった。物音ひとつしない部屋には住人の姿は無い。寝室だろうか。
「具合、どう?」
「……アカン、無理」
侑士はベッドに倒れていた。周りにはティッシュの屑が散乱していて、部屋の空気も澱んでいるような気がする。見慣れた丸眼鏡の無い顔は、無精ひげに鼻の下は荒れてボロボロ。唇も乾いてかさかさだし、髪の毛は汗でべっとり濡れていた。なにより顔色が悪いし、少し痩せたようにも見える。
「熱は?」
「測ってない」
「薬は飲んだ?」
「無い」
「ちゃんと水分取ってる?」
応えるのも辛いのか、視線をベッド脇へと動かした。そこには乾いたスポーツドリンクのペットボトルが転がっていて、ろくに水分もとっていなさそうな様子にゾッとした。
「脱水じゃん」
額に手をあてるとかなり熱い。呼吸も乱れて浅いのが気になった。ひとまずキッチンへ行って冷蔵庫を開くと、中は見事に空だ。やっぱり来てよかった。
寝室に戻ると、彼はうーとかあーとか唸りながら天井を仰いでいた。
「気持ち悪……グルグルする……」
「脱水症状だよ。経口補水液持ってくるから、待ってて」
社畜一人暮らしの必須アイテム、経口補水液に栄養ゼリー、冷えピタに各種市販薬はこの世界の家にもばっちり揃えてある。症状を聞きだすと、嘔吐に下痢に眩暈、それに多分高熱ということだった。
……病院連れて行った方がいいな。かかりつけ医はあるのかな。まずは水分取らせて、コンシェルジュにハイヤー頼んで……。
目の前の侑士は苦しそうに目を閉じている。素顔を見たのも、こんなに弱ってる姿を見たのも初めてだ。膝を折って枕元で囁く。
「侑士、一旦自分ち戻って色々手配してくる。待ってて」
「ん……」
うっすら開いた瞳は辛そうに充血している。口元がもごもごと小さく動いた。
「どうしたの? 何か欲しいものある?」
「……や」
「え?」
「……嫌や……いかんといて……」
侑士の目からぽろりと一粒。場違いなほど綺麗な雫が一粒こぼれて、そのまま枕へ落ちた。
「……ここにおって……」
彼はまだ十五歳だということに、胸が詰まった。いつもおおらかで包み込むような優しさをくれて、大人びていてる侑士。でもずっと具合が悪くて、脱水症状で頭グルグルして、不安にならないわけがない。
……もっと早く来ないで、ごめんね。
起き上がる力も無さそうな頭を、そっと撫でる。これまで私にそうしてくれていたように、優しく。大切に思っている気持ちが、少しでも伝わるように。
「大丈夫だよ、すぐに戻ってくるから。もう侑士を一人にはしないから」
「……おう」
呟くような小さな声だった。 不謹慎だけど、その可愛さに一瞬くらりとしてしまったのは絶対に内緒だ。
時間をかけて水分補給をした後は、一緒に病院へ行った。芸能人や皇室御用達のセレブ病院だったことにも驚いたけれど、受診科が小児科だったことにも驚いた。ファンシーなソファに身を預ける姿はミスマッチを通り越してCGみたいだった。
診断は流行りの風邪。沢山お薬を貰って帰ってくる頃には、侑士は輪をかけてぐだぐたになっていた。
「……死ぬかも」
「死なないよ。水分とってお薬飲んで寝なよ。何か食べなくても服薬出来るやつだって言ってたよ」
死にそうなだけあって、薬を飲ませるとすぐに寝息が聞こえてきた。呼吸が朝よりもずっとゆっくりなのは、受診して安心したのだろう。
……私もそうだし。良かった、大ごとじゃなくて。
この広い家に一人残していくのが心配で、家にパジャマとキルトケットを取りに行った。リビングのソファは大人が何人も寝られるほど長くてふかふかなのは体感済みだ。明日が土曜で良かった。勝手知ったるキッチンで白湯を沸かして一口飲むと、慣れないことをした疲れが段々と睡魔を誘う。
無垢のフローリングが軋む音、人の気配で目が覚めた。ロールスクリーンの隙間からはわずかに朝の光が差し込んでいる。眠い目をこすって無理やりあけると、侑士がけだるそうに立っていた。
「ん……おはよ、侑士」
「……はよーさん」
「お薬効いたみたいだね。声よくなってきてるよ」
「あー……まだ頭ガンガンするけどな」
眉をしかめてこめかみを抑えているけれど、昨日よりは顔色もずっとよくなっているし、声もいつものそれだ。ハウスキーパーが風邪で休みの週に限って、風邪をひいてしまったらしい。多分移されたとぼやく侑士は、業者から代わりの人材を断るくらい神経質だ。いつもと違う人に家の中を触られたくないという気持ちはなんとなくわかる。私がずかずか入って来てしまったのはちょっと申し訳なかったけれど緊急事態だから許してほしい。
「おかゆ作るけど食べれる? それとも林檎にしとこうか? 摩り下ろす?」
「……林檎普通に食うわ」
「了解。じゃ病人はベッドへ帰ってください」
「はいはい」
気持ち薄めに切って、白湯と一緒にトレイに乗せて寝室へ持っていく。侑士は熱を測っている最中で、大きく下げられた襟元から除いた素肌が眩しくて目を逸らした。
……もっと見たいけど、見ちゃいけない何かがあそこに……あそこに。
熱は昨日より下がったから、もう一安心だ。
「はい、林檎食べてまた薬飲もう」
「……おう」
林檎をもそもそと食べながら、侑士は改めて私を見た。
「ずるない?」
「何が」
「なんで自分ばっかそんな可愛いパジャマ着てんの。こっちは酷い見た目に汚れたスウェットやのに」
「具合悪いんだからボロボロでいいんだよ。そして私はいつも可愛いから仕方がない」
「……悪かったな、泊まらせて。病院も」
……悪かったのは私の方だよ。
「ごめんね、もっと早く来てあげられなくて。次はちゃんと来るから、具合悪くなったらちゃんと教えて」
「ふん、次なんてあるか」
侑士は視線をそらしてりんごを口に入れた。「甘い」って小さな声が聞こえる。ぺろりと食べ終えたお皿を受け取って、冷蔵庫から冷ピタを出してきて彼の額のそれと取り替えた。
「これならお昼はおかゆ食べられるかもね。卵のは大丈夫?」
「あぁ」
「そっか。じゃ。病人はまた寝ててください?」
部屋を出ようとすると、小さく呟く声が追いかけてきた。
「ありがとうな」
……私はいつも侑士から元気をいっぱいもらってるから、こんなのお返しにもならないよ。
最近色々あったストレス発散、という建前で日曜は昼から買い物三昧を楽しんだ。このチート顔面とチート躰、何を身につけても似合うし、カードの名義は自分では無いし、もう最高すぎる。
駅の構内を出れば星空の下だ。街灯の群衆は忙しないけれど、駅から遠ざかるにつれその流れも穏やかになる。閑静な高級住宅街が広がるこの町は、夜は静かだ。
「おう。むっちゃ買うたな」
「侑士。帰るところ?」
後ろから声をかけられて振り返る。ジャケットの下にパーカーを着て、黒のパンツが長い足を更に強調すればもうモデルさんみたいにかっこいい。
「食材の買い出し」
「自炊してるの? 偉いじゃん。私は帰るところ」
「少し付き合うて」
何故そう言われたのかわからず首を傾げた。うちの冷蔵庫に必要なものは入っているし、欲しいものは頼んでおけばハウスキーパーが経費で購入してくれる。
「いくら知った道でも、暗くなってから一人で歩き回るな、危ないやろ。どうせ同じ所に帰るんやから一緒に行こ」
「な?」と侑士は優しく笑う。 心臓がきゅんと動いたのが自分でわかった。甘やかで穏やかで、侑士のこういう顔を見るとほっとして、つい甘えたくなってしまう。
両手に持ったデパートの紙袋を、スマートにさっと持ってくれる仕草なんて本当に中学生とは思えない。
「侑士って天性のたらしだよね」
「褒め言葉として受けとっとく。しかし買うたなぁ。自分のカードの名義なら外商呼べるやろ」
「一回使ってみたけど性に合わなかった。ウィンドウショッピングしながら歩くのが楽しいの」
「なら、この先のスーパーもいけるか。会員制の高級スーパーやないとあかんとは言わんよな」
元庶民にそんな拘りは無い。頷くと少し嬉しそうな笑みがかえってきた。路地を何度か曲がり、全然知らない道へ入って行く。隠れ家的な小さなカフェや雑貨屋を発見したりしながら楽しく進むと、小さな明かりと人だかりが見えた。家族で営業してそうな、そんな感じの古びたスーパーだけど、お店の中は人でごったがえしている。
「この時間一番混むねん、むっちゃ安いから。自分そこで待っとき」
言われた通り大人しく待っていると、五分も経たないうちに手にエコバッグを増やした侑士が戻ってきた。のぞく長ネギの頭と、牛乳の出っぱり。
「よし行くで。なに?」
「侑士、意外と長ネギ似合うじゃん」
「家庭的と言え。結婚したい男、ナンバーワンの座は譲らへんで」
データベースはどこだと言ってやりたかったけれど、お茶目なウィンクに心臓を持っていかれてしまって何も言い返せない。何を買ったのか訊いてみると、菜の花やわらび、たらの芽なんて中学生男子らしからぬ食材を言い連ね始めた。
「やん、天ぷら食べたい」
「そのつもりやけど。うちで食ってけば。休日はハウスキーパー頼んで無い言うてたやろ」
「え、いいの? 嬉しい。それなら来週末は私作るわ。何食べたい?」
作れんのか、と訝しげな顔をされたけれど、「ハンバーグ」と嬉しそうに言われた。そんな様相は中学生男子らしくて、とても可愛い。思わずにっこりしてしまう。
帰り道はあっというまで、すぐにマンションに着いた。荷物を持っている侑士の代わりにエントランスを開けて、その後ろ姿に着いていく。最初家の場所を隠されていたことを思えば、家に上げて貰えるなんて出会ってからまだ2ヶ月も経っていないのに関係性は随分進歩したと思う。
「あがって」
「おじゃまします。おもしろ、同じ間取りのはずなのに全然違うね」
私の家は幸せアイスによって完全に私の好きなブランドで固められているから内装も全然違うのだけれど、侑士の家は「家族で住んでいる家」という感じがした。玄関ホールに飾られた、侑士かお姉さんどちらかが昔描いたのだろう絵とか、侑士らしくない色合いのプリザーブドフラワーの置物とか。リビングルームの家具や小物も、それが顕著で面白い。リビングに入ると侑士のつけているデオドラントの香りが少しだけ強くなって、同じくらい少しだけ気持ちが乱れた。
……中学生男子相手に何ドキドキしてるの私!
好きにしててええよ、と手慣れた様子で黒いエプロンを掛けた侑士は、お料理番組に出演するイケメン俳優にも負けないかっこよさだ。腕まくりが艶やかなのは言うまでもなくなく眼福である。
「手伝おうか?」
「まぁまかしとき。俺の料理は美味いで? その分来週期待してるわ」
奥まったキッチンから、良い声の鼻歌が聞こえて来る。リズミカルな包丁の音が心地よくて、ソファーに背を預けて目を閉じた。今のこの時間が、空気が、音が、とても愛おしい。
……嬉しいな、休みの日も誰かと家で食事が出来るの。しかもそれが気のおけない侑士なの、ありがたいなぁ。
この時間がずっと続けば良いと思う。そのために不必要な不安要素が過って、声が届かなければそれで構わないと思いながらキッチンの方へ呼びかける。
「侑士って彼女作らないの?」
「うん? よく聞かれるけど、今の生活に不足はないからなぁ。欲しいと思ったら作るわ多分。気になる?」
「んーん、興味本位程度」
可愛くないなぁ、という失礼な呟きと一緒に、パチパチと油が撥ねる心地よい音がしはじめた。欲しいと思ったときに作れると信じているのはすごい。平民と王子様の差を目の当たりにした気分だ。
……侑士に彼女ができて、この時間がなくなるのは嫌だな。
侑士の料理は自画自賛するだけあって美味しかった。料理アプリの通りの手順を踏んでいるのだから失敗するはずがないというのが本人の言い分だけれど、それよりまず侑士の器用さがすごいのだと思う。
次の週、私のハンバーグも「意外と美味い」と言ってもらえたから、わざわざ旗まで作ってお子様ランチ風にした甲斐があった。その次は侑士がうどんを作り、私が唐揚げを作り、侑士がカレイの煮付けを作る週末が続いた。次の週末は、オムライスがリクエストされている。
……卵半熟にしようかな? それとも固いのが好きかな? 聞いてみるか。
水曜の夜にふと気になって、ラインをしてみた。テニス部の練習が終わる時間は熟知しているけれど、その時間が過ぎてもメッセージは既読にならない。スマホが死んでいるのだろうか。
なんて思っていたら、次の日の昼に偶然カフェで会った向日に、侑士が月曜から休んでいることを聞いた。
「風邪だってさ。ダブルス組んでるやつが休んでどうやって練習するっていうんだよ、もう都大会始まるんだぜ」
都大会といえば氷帝は不動峰に負けてしまうのだけど、異世界転生作品によくある『未来を知っているから不幸を回避する』なんてスキルは私にはないからこっそり応援することしか出来ないし、シングルス3は宍戸じゃなくて跡部をオーダーすれば、なんて榊先生が聞き入れてくれるわけもないし宍戸にもきっと失礼だ。『不動峰って新生テニス部でめちゃ強いらしいよ』と雑談で言ってはみたけれど、ふぅん、と気のない返事が返ってきただけだったから原作軸はきっと変わらないと思う。
……敗北が宍戸や氷帝を強くするんだよきっと……はぁテニスの王子様本当に尊い。
「なあ聞いてる? 侑士明日は来るかなぁ」
「ただの風邪なら三、四日で治るんじゃない? 一応ラインしてみて、駄目そうなら様子みてくるよ」
スマホを振ってみせると、向日はただでさえ大きな瞳をもっと丸くした。
「あいつ自分ち教えてくれないんだけど。お前よく知ってんな」
「親戚だからね」
前に、一人暮らしをしているのがバレたら溜まり場にされるから秘密にしたいと言っていたのは継続しているらしい。中学生男子ならば逆に羽目を外す機会にしてしまいそうなイメージがあるけれど、侑士は一人の時間も大切にしているのかもしれない。
……だったら、私の過干渉は鬱陶しいと思われちゃうかな。
でもつまり、侑士が今看病してくれる家族と住んでいないことを知っている人はあまり多くなさそうだから、少し心配になった。前に送ったラインの既読はまだついていない。
『向日から風邪ってきいたよ。お見舞い行こうか?』
返信が返ってきたのは、その日の夜も遅くなってからだった。
『卵は半熟 見舞いはいらん』
要件だけのメッセージはあまり侑士らしくない。
……大丈夫そうかな? 明日学校休んでたら、押しかけよ。
でもどうせ登校しているだろうなと思って臨んだ次の日だったけれど、朝練を終えた向日を捕まえたところなんと侑士は来ていなかった。廊下をぐるりと回ってH組をのぞいてみたけど、見慣れた長身は見つからない。
「小夜、具合悪いから今日はやっぱり帰るね。担任に伝えておいて貰えるかな」
従兄弟の具合だけれども。居ないとわかると心配になってきて、昼休みまで待っていられない気持ちになった。絶えず努力しろ、と言った跡部の眼差しが一瞬頭をよぎったけれど、授業を受けるより従兄弟の安否を確認する方が私にとっては努力すべき正しい方向だと思った。
ゆっくり登校しているまばらな生徒たちとすれ違いながら、マンションに帰る。バッグを玄関に置いて、スマホだけ持って侑士の階へ向かった。インターホンの返事はない。
……寝てるのかな。まさか死んじゃってはいないと思うけど。
少し考えて、このまま帰ってしまったら心を閉ざしてる状態かもしれない彼の内側には入っていかれないように感じた。うるさくしてごめんねと思いながら、インターホンを連打する。暫く押し続けていると、ブツリとマイクの通る音がした。
「……やめろバカ」
低くて艶やかな声は、いつもよりもっと低くなってる上にガラガラ傷んでいてよく聞き取れない。怒気を孕んでいることはわかる。
「お見舞いに来たよ。開けて」
「……いらん言うたろ、ほんまアホやなぁ」
「そんなに喉痛めて何言ってるの。叔母様にも侑士をよろしくって言われてるんだから、早くここ開けなさい。じゃないと仙台に電話するよ」
「……」
少しの間無言が続いた後、通話の切れる音がした。あ、駄目だったかなぁなんて思った矢先、電子ロックが重い音を立てて解除される。この手ごたえのない態度は、そうとう弱っているのではないだろうか。
玄関扉を開けた先は、静かだった。物音ひとつしない部屋には住人の姿は無い。寝室だろうか。
「具合、どう?」
「……アカン、無理」
侑士はベッドに倒れていた。周りにはティッシュの屑が散乱していて、部屋の空気も澱んでいるような気がする。見慣れた丸眼鏡の無い顔は、無精ひげに鼻の下は荒れてボロボロ。唇も乾いてかさかさだし、髪の毛は汗でべっとり濡れていた。なにより顔色が悪いし、少し痩せたようにも見える。
「熱は?」
「測ってない」
「薬は飲んだ?」
「無い」
「ちゃんと水分取ってる?」
応えるのも辛いのか、視線をベッド脇へと動かした。そこには乾いたスポーツドリンクのペットボトルが転がっていて、ろくに水分もとっていなさそうな様子にゾッとした。
「脱水じゃん」
額に手をあてるとかなり熱い。呼吸も乱れて浅いのが気になった。ひとまずキッチンへ行って冷蔵庫を開くと、中は見事に空だ。やっぱり来てよかった。
寝室に戻ると、彼はうーとかあーとか唸りながら天井を仰いでいた。
「気持ち悪……グルグルする……」
「脱水症状だよ。経口補水液持ってくるから、待ってて」
社畜一人暮らしの必須アイテム、経口補水液に栄養ゼリー、冷えピタに各種市販薬はこの世界の家にもばっちり揃えてある。症状を聞きだすと、嘔吐に下痢に眩暈、それに多分高熱ということだった。
……病院連れて行った方がいいな。かかりつけ医はあるのかな。まずは水分取らせて、コンシェルジュにハイヤー頼んで……。
目の前の侑士は苦しそうに目を閉じている。素顔を見たのも、こんなに弱ってる姿を見たのも初めてだ。膝を折って枕元で囁く。
「侑士、一旦自分ち戻って色々手配してくる。待ってて」
「ん……」
うっすら開いた瞳は辛そうに充血している。口元がもごもごと小さく動いた。
「どうしたの? 何か欲しいものある?」
「……や」
「え?」
「……嫌や……いかんといて……」
侑士の目からぽろりと一粒。場違いなほど綺麗な雫が一粒こぼれて、そのまま枕へ落ちた。
「……ここにおって……」
彼はまだ十五歳だということに、胸が詰まった。いつもおおらかで包み込むような優しさをくれて、大人びていてる侑士。でもずっと具合が悪くて、脱水症状で頭グルグルして、不安にならないわけがない。
……もっと早く来ないで、ごめんね。
起き上がる力も無さそうな頭を、そっと撫でる。これまで私にそうしてくれていたように、優しく。大切に思っている気持ちが、少しでも伝わるように。
「大丈夫だよ、すぐに戻ってくるから。もう侑士を一人にはしないから」
「……おう」
呟くような小さな声だった。 不謹慎だけど、その可愛さに一瞬くらりとしてしまったのは絶対に内緒だ。
時間をかけて水分補給をした後は、一緒に病院へ行った。芸能人や皇室御用達のセレブ病院だったことにも驚いたけれど、受診科が小児科だったことにも驚いた。ファンシーなソファに身を預ける姿はミスマッチを通り越してCGみたいだった。
診断は流行りの風邪。沢山お薬を貰って帰ってくる頃には、侑士は輪をかけてぐだぐたになっていた。
「……死ぬかも」
「死なないよ。水分とってお薬飲んで寝なよ。何か食べなくても服薬出来るやつだって言ってたよ」
死にそうなだけあって、薬を飲ませるとすぐに寝息が聞こえてきた。呼吸が朝よりもずっとゆっくりなのは、受診して安心したのだろう。
……私もそうだし。良かった、大ごとじゃなくて。
この広い家に一人残していくのが心配で、家にパジャマとキルトケットを取りに行った。リビングのソファは大人が何人も寝られるほど長くてふかふかなのは体感済みだ。明日が土曜で良かった。勝手知ったるキッチンで白湯を沸かして一口飲むと、慣れないことをした疲れが段々と睡魔を誘う。
無垢のフローリングが軋む音、人の気配で目が覚めた。ロールスクリーンの隙間からはわずかに朝の光が差し込んでいる。眠い目をこすって無理やりあけると、侑士がけだるそうに立っていた。
「ん……おはよ、侑士」
「……はよーさん」
「お薬効いたみたいだね。声よくなってきてるよ」
「あー……まだ頭ガンガンするけどな」
眉をしかめてこめかみを抑えているけれど、昨日よりは顔色もずっとよくなっているし、声もいつものそれだ。ハウスキーパーが風邪で休みの週に限って、風邪をひいてしまったらしい。多分移されたとぼやく侑士は、業者から代わりの人材を断るくらい神経質だ。いつもと違う人に家の中を触られたくないという気持ちはなんとなくわかる。私がずかずか入って来てしまったのはちょっと申し訳なかったけれど緊急事態だから許してほしい。
「おかゆ作るけど食べれる? それとも林檎にしとこうか? 摩り下ろす?」
「……林檎普通に食うわ」
「了解。じゃ病人はベッドへ帰ってください」
「はいはい」
気持ち薄めに切って、白湯と一緒にトレイに乗せて寝室へ持っていく。侑士は熱を測っている最中で、大きく下げられた襟元から除いた素肌が眩しくて目を逸らした。
……もっと見たいけど、見ちゃいけない何かがあそこに……あそこに。
熱は昨日より下がったから、もう一安心だ。
「はい、林檎食べてまた薬飲もう」
「……おう」
林檎をもそもそと食べながら、侑士は改めて私を見た。
「ずるない?」
「何が」
「なんで自分ばっかそんな可愛いパジャマ着てんの。こっちは酷い見た目に汚れたスウェットやのに」
「具合悪いんだからボロボロでいいんだよ。そして私はいつも可愛いから仕方がない」
「……悪かったな、泊まらせて。病院も」
……悪かったのは私の方だよ。
「ごめんね、もっと早く来てあげられなくて。次はちゃんと来るから、具合悪くなったらちゃんと教えて」
「ふん、次なんてあるか」
侑士は視線をそらしてりんごを口に入れた。「甘い」って小さな声が聞こえる。ぺろりと食べ終えたお皿を受け取って、冷蔵庫から冷ピタを出してきて彼の額のそれと取り替えた。
「これならお昼はおかゆ食べられるかもね。卵のは大丈夫?」
「あぁ」
「そっか。じゃ。病人はまた寝ててください?」
部屋を出ようとすると、小さく呟く声が追いかけてきた。
「ありがとうな」
……私はいつも侑士から元気をいっぱいもらってるから、こんなのお返しにもならないよ。