幸せアイス
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「はぁ……」
隣の席から降ってきた溜息が心底鬱陶しく、日吉若は不快感を全開にその空気を振り払う素振りをした。溜息の主、旧友の鳳にはこういった主張は全く伝わらない……のか分かっていて無視をしているのか未だに判断しかねるが、またそれも日吉の繊細な琴線に触れる。
……カフェになんか来るんじゃなかったな。煩いし、鬱陶しいやつらには捕まるし。
普段は母の手作り弁当を持参しているが、たまたまそれが無い日にたまたまカフェに行くと部活の同学年の面子に捕まってしまった。こういうのもたまには悪く無いか、と思ったことを後悔したのは数分後だ。混雑しているため背中合わせの席に分かれて座った先、ともにテーブルを囲む運びとなった鳳はいかにも陰鬱な空気を隠そうともしない。折角の鯖味噌ライスバーガーが不味くなる。
「なあ日吉、女性と付き合うってどういうことだと思う」
「時間の浪費」
即答してやった。これに尽きると思う。テニス、古武術、学園の授業に塾、それに七不思議系や古書に触れる時間、カンフー映画に没頭する時間、自分に使う時間だけでも足りないというのに、何故それを他人に使うことができるのか日吉には理解できない。これで鳳がレギュラーでなかったら「それみたことか」と持論の正しさをひけらかしてやるのに、相手はサーブ一本でレギュラーを獲得している男だ。人に与える時間がある余裕の差が、レギュラーと準レギュラーの違いなのだろうか。
鳳は意外にも、「言い得ているかもね」と投げやりな言葉を選んだ。皮肉に塗れた持論のを肯定されて、少しだけ鳳の現状に興味が湧いた。鳳の恋人は、三年生だ。親同士の繋がりで幼稚舎から付き合いがあったらしいが、己の雰囲気とは随分掛け離れた人を選んだのだなというのが率直な感想だ。
「うまくいっていないのか」
「『うまい』の定義がまず分からないよ。俺たち忙しいだろう? でも彼女は俺にもっと時間を割いて欲しいって言うんだ。もっと自分のことを考えて欲しいって。『付き合ってるから』は彼女の免罪符なんだよ。いつもそれを盾に取られる」
ぞっとした。ただでさえ有限の時間を寄越せと言われて、誰からも干渉されるべきでない心を寄越せと言われるなんて、正気の沙汰じゃない。付き合っているというだけでどれだけの権利を得たつもりなのだろう。それが付き合うということならば、自分は一生彼女なんか要らない。
「率直に言って、地獄だな」
「……だよなぁ」
「俺にはそんな奈落に身を置く選択肢は無いね」
はぁ、ともう一度大きな溜息をつき、鳳は漸くハンバーガーに齧り付いた。床に落とされた湿っぽい視線が、いつの間にか初めて見る色を帯びている。
「あのさ、時間も気持ちも勿体無くない人が居たとしたら、それって何だと思う」
「意味がわからねえ」
「……この前、ある人と出掛けたんだ。気の毒な境遇だったし、何だか寂しそうに見えたから。でもその時間が、すごく楽しくて……友だちと居るのともテニスしてるのとも違う、俺あんな楽しいの初めてでさ。別れ際に引き止めたりして、帰ってからも、今でも、あのときのこと思い出す……」
……何の話をされているんだ俺は。
少なくとも恋人の話ではない。言種からして相手が女性であることも想像に難くない。ならば、浮気の話だろうか。
「気がつくと考えてるんだ。会えた日はすごいラッキーだと思うし、もっと沢山喋りたい、色んなところに行きたい。あの人がもし俺と同じように考えてくれてたらって思うと、死にそうになる。これってさ」
……恋だろうそれは。知らねーけど。
恋なんてしたことがないから断言は出来ないし口に出すのなんてそれこそ死んでも御免だ。「知らん」とだけ返すと、鳳は小さく溜息をついて、次の瞬間目を輝かせた。
「先輩! と、跡部さん」
「跡部さん」
好敵手として一方的に意識しすぎているのは分かっているがコントロール出来ない。『跡部』の三音に鳳の視線の先を慌てて追うと、最奥の席に跡部と、見知った三年生がともに居た。
そこだけ空気の色が違う気がした。外国のお上品な映画でも観ているような、そんな絵面だった。鳳が細く息を吐く音で、我に返った。
「……絵になるよなぁ、おふたりが一緒に居ると」
「あの人、跡部さんと仲が良いんだな」
「この間慈郎さんが変な助言をしてたせいかな……はぁ」
目の前で余りにも溜息をつかれるせいか、こちらまで気分が落ち込んできた。「おー日吉さぁ」と、後ろの席に分かれた友人が声を掛けてくる。
「あの美人な先輩さ、絶対お前のこと好きだと思ってた」
「「は」」
……何故俺とシンクロする、鳳。
「だってさ、めちゃお前に構ってきてたじゃん。通りすがりのときとかも『どこ行くのー』とか『お昼何食べるー』とか聞いてきてたし。……ビッチって噂本当なのかな?」
よく知りもしない人のことを悪く言うんじゃない、と嗜めようとしたが、自分の十倍正義感が強い鳳が先に同じことを言ってその他を黙らせていた。「おい、部長たちこっち来るぞ」と、誰かが声を顰める。見れば、件の二人は親しげにカフェをともに出て行こうとしていた。ならばこの席は必然的に通り道だ。背後には当然樺地も連れ立っている。
「鳳」
たった一声で何故こうも空気が変わるのか。自分が呼ばれたわけでもないのに、後ろの席の連中が背筋を正したのがわかった。かくいう自身も、太腿にぐっと力が入る。
「跡部さん、こんにちは。先輩も」
「お前の女がコイツと揉めているそうだ」
「……え? あの人が、先輩に何かしたんですか?」
……その視点は恋人としてどうなんだ。
恋人を支持するかはともかく、『揉めた』の一言で恋人の方を加害者扱いするのはいかがなものだろうか。そうは言っても、時間や心を欲する強欲な人間だ、鳳がそう考えるのにもっともな何かがあるのかもしれないが。
「ちょっと跡部待ってよ。鳳も、彼女とはもう関わらないから大丈夫」
慌てた様子で跡部の制服の裾を引っ張る仕草に、自分でも不思議なくらい驚いた。
……ふーん? 仲が良いんだな。
体の内側に広がるこの苦々しさは何なのだろうか。三人は暫くやり取りをしていたが、穏便な方向に事は落ち着いたらしい。
……ま、俺には一切関係無いな。
空になった包紙を片手で握りつぶして、残りの緑茶を啜る。
視線をちらりと寄越して、話しかけてきたのは件の先輩だった。いつもそうだ。日吉自身から話しかけたことなどただの一度もない。たとえ、彼女が自分に気付くずっと前から視界にその姿が入っていたとしても。
「日吉くん、お昼何食べた?」
「あなたに教える必要無いですよね」
「当ててみようか? 鯖味噌ライスバーガーじゃない?」
「違います」
……なんでわかるんだ。まあ、和食っぽいメニューはそんなに多く無いしな。
トレイを手にして席を立つ。そうすることで会話を断ち切りたくて素早く背を向けたというのに、鈴が鳴るような声は後ろ髪を強烈に引きながら、追いかけてくる。
「この前食べたけど、美味しかったよお薦め。絶対、日吉くん好きな味だと思う」
……アンタが俺の何を知ってるんだ。
と言ってやりたいのは、跡部を前にしてなんとか堪えた。彼らが深く親密な仲ならば、悪意をぶつけるのは得策ではない。
昼下がりの廊下は春の気配に満ちていた。ゆっくりと歩きながら、いつだったか好きな鯖缶のメーカーやお焦げが好きだというようなことを話していたことを思い出す。
……個人情報だだ漏らしだ。何をやっているんだ俺は。
正直に、正直に言ってしまえば、自惚れていた。友人たちがそう勘違いしたように、この先輩は自分に気があるのだと薄ら思っていたのは事実だ。
脳裏に、あの白い指が焼き付いて離れない。その先には茶色いブレザーがあり、それは跡部景吾のものだった。
……燃えるじゃないか。
あの先輩は時間も心も、跡部に与えるのだろうか。それが、その相手が万が一自分だったら、どれほどに。
隣の席から降ってきた溜息が心底鬱陶しく、日吉若は不快感を全開にその空気を振り払う素振りをした。溜息の主、旧友の鳳にはこういった主張は全く伝わらない……のか分かっていて無視をしているのか未だに判断しかねるが、またそれも日吉の繊細な琴線に触れる。
……カフェになんか来るんじゃなかったな。煩いし、鬱陶しいやつらには捕まるし。
普段は母の手作り弁当を持参しているが、たまたまそれが無い日にたまたまカフェに行くと部活の同学年の面子に捕まってしまった。こういうのもたまには悪く無いか、と思ったことを後悔したのは数分後だ。混雑しているため背中合わせの席に分かれて座った先、ともにテーブルを囲む運びとなった鳳はいかにも陰鬱な空気を隠そうともしない。折角の鯖味噌ライスバーガーが不味くなる。
「なあ日吉、女性と付き合うってどういうことだと思う」
「時間の浪費」
即答してやった。これに尽きると思う。テニス、古武術、学園の授業に塾、それに七不思議系や古書に触れる時間、カンフー映画に没頭する時間、自分に使う時間だけでも足りないというのに、何故それを他人に使うことができるのか日吉には理解できない。これで鳳がレギュラーでなかったら「それみたことか」と持論の正しさをひけらかしてやるのに、相手はサーブ一本でレギュラーを獲得している男だ。人に与える時間がある余裕の差が、レギュラーと準レギュラーの違いなのだろうか。
鳳は意外にも、「言い得ているかもね」と投げやりな言葉を選んだ。皮肉に塗れた持論のを肯定されて、少しだけ鳳の現状に興味が湧いた。鳳の恋人は、三年生だ。親同士の繋がりで幼稚舎から付き合いがあったらしいが、己の雰囲気とは随分掛け離れた人を選んだのだなというのが率直な感想だ。
「うまくいっていないのか」
「『うまい』の定義がまず分からないよ。俺たち忙しいだろう? でも彼女は俺にもっと時間を割いて欲しいって言うんだ。もっと自分のことを考えて欲しいって。『付き合ってるから』は彼女の免罪符なんだよ。いつもそれを盾に取られる」
ぞっとした。ただでさえ有限の時間を寄越せと言われて、誰からも干渉されるべきでない心を寄越せと言われるなんて、正気の沙汰じゃない。付き合っているというだけでどれだけの権利を得たつもりなのだろう。それが付き合うということならば、自分は一生彼女なんか要らない。
「率直に言って、地獄だな」
「……だよなぁ」
「俺にはそんな奈落に身を置く選択肢は無いね」
はぁ、ともう一度大きな溜息をつき、鳳は漸くハンバーガーに齧り付いた。床に落とされた湿っぽい視線が、いつの間にか初めて見る色を帯びている。
「あのさ、時間も気持ちも勿体無くない人が居たとしたら、それって何だと思う」
「意味がわからねえ」
「……この前、ある人と出掛けたんだ。気の毒な境遇だったし、何だか寂しそうに見えたから。でもその時間が、すごく楽しくて……友だちと居るのともテニスしてるのとも違う、俺あんな楽しいの初めてでさ。別れ際に引き止めたりして、帰ってからも、今でも、あのときのこと思い出す……」
……何の話をされているんだ俺は。
少なくとも恋人の話ではない。言種からして相手が女性であることも想像に難くない。ならば、浮気の話だろうか。
「気がつくと考えてるんだ。会えた日はすごいラッキーだと思うし、もっと沢山喋りたい、色んなところに行きたい。あの人がもし俺と同じように考えてくれてたらって思うと、死にそうになる。これってさ」
……恋だろうそれは。知らねーけど。
恋なんてしたことがないから断言は出来ないし口に出すのなんてそれこそ死んでも御免だ。「知らん」とだけ返すと、鳳は小さく溜息をついて、次の瞬間目を輝かせた。
「先輩! と、跡部さん」
「跡部さん」
好敵手として一方的に意識しすぎているのは分かっているがコントロール出来ない。『跡部』の三音に鳳の視線の先を慌てて追うと、最奥の席に跡部と、見知った三年生がともに居た。
そこだけ空気の色が違う気がした。外国のお上品な映画でも観ているような、そんな絵面だった。鳳が細く息を吐く音で、我に返った。
「……絵になるよなぁ、おふたりが一緒に居ると」
「あの人、跡部さんと仲が良いんだな」
「この間慈郎さんが変な助言をしてたせいかな……はぁ」
目の前で余りにも溜息をつかれるせいか、こちらまで気分が落ち込んできた。「おー日吉さぁ」と、後ろの席に分かれた友人が声を掛けてくる。
「あの美人な先輩さ、絶対お前のこと好きだと思ってた」
「「は」」
……何故俺とシンクロする、鳳。
「だってさ、めちゃお前に構ってきてたじゃん。通りすがりのときとかも『どこ行くのー』とか『お昼何食べるー』とか聞いてきてたし。……ビッチって噂本当なのかな?」
よく知りもしない人のことを悪く言うんじゃない、と嗜めようとしたが、自分の十倍正義感が強い鳳が先に同じことを言ってその他を黙らせていた。「おい、部長たちこっち来るぞ」と、誰かが声を顰める。見れば、件の二人は親しげにカフェをともに出て行こうとしていた。ならばこの席は必然的に通り道だ。背後には当然樺地も連れ立っている。
「鳳」
たった一声で何故こうも空気が変わるのか。自分が呼ばれたわけでもないのに、後ろの席の連中が背筋を正したのがわかった。かくいう自身も、太腿にぐっと力が入る。
「跡部さん、こんにちは。先輩も」
「お前の女がコイツと揉めているそうだ」
「……え? あの人が、先輩に何かしたんですか?」
……その視点は恋人としてどうなんだ。
恋人を支持するかはともかく、『揉めた』の一言で恋人の方を加害者扱いするのはいかがなものだろうか。そうは言っても、時間や心を欲する強欲な人間だ、鳳がそう考えるのにもっともな何かがあるのかもしれないが。
「ちょっと跡部待ってよ。鳳も、彼女とはもう関わらないから大丈夫」
慌てた様子で跡部の制服の裾を引っ張る仕草に、自分でも不思議なくらい驚いた。
……ふーん? 仲が良いんだな。
体の内側に広がるこの苦々しさは何なのだろうか。三人は暫くやり取りをしていたが、穏便な方向に事は落ち着いたらしい。
……ま、俺には一切関係無いな。
空になった包紙を片手で握りつぶして、残りの緑茶を啜る。
視線をちらりと寄越して、話しかけてきたのは件の先輩だった。いつもそうだ。日吉自身から話しかけたことなどただの一度もない。たとえ、彼女が自分に気付くずっと前から視界にその姿が入っていたとしても。
「日吉くん、お昼何食べた?」
「あなたに教える必要無いですよね」
「当ててみようか? 鯖味噌ライスバーガーじゃない?」
「違います」
……なんでわかるんだ。まあ、和食っぽいメニューはそんなに多く無いしな。
トレイを手にして席を立つ。そうすることで会話を断ち切りたくて素早く背を向けたというのに、鈴が鳴るような声は後ろ髪を強烈に引きながら、追いかけてくる。
「この前食べたけど、美味しかったよお薦め。絶対、日吉くん好きな味だと思う」
……アンタが俺の何を知ってるんだ。
と言ってやりたいのは、跡部を前にしてなんとか堪えた。彼らが深く親密な仲ならば、悪意をぶつけるのは得策ではない。
昼下がりの廊下は春の気配に満ちていた。ゆっくりと歩きながら、いつだったか好きな鯖缶のメーカーやお焦げが好きだというようなことを話していたことを思い出す。
……個人情報だだ漏らしだ。何をやっているんだ俺は。
正直に、正直に言ってしまえば、自惚れていた。友人たちがそう勘違いしたように、この先輩は自分に気があるのだと薄ら思っていたのは事実だ。
脳裏に、あの白い指が焼き付いて離れない。その先には茶色いブレザーがあり、それは跡部景吾のものだった。
……燃えるじゃないか。
あの先輩は時間も心も、跡部に与えるのだろうか。それが、その相手が万が一自分だったら、どれほどに。