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「だから謝らないでって。観月くんから事情聞いたよ。私のせいで彼女と喧嘩しちゃったんだって?」
「……っ! なんであの人はああお喋りなんだ!」
「裕太のことフォローしてくれたんだよ? 周が言うより、全然いい人じゃない。」
「兄貴の場合はもうノリでけなしてるんだよ。揶揄って楽しんでるだけ」
どうしようもない連中だ、と肩を竦める裕太。いつまでも変わらない大切な弟分。
「……私もね、気になる人出来たから、裕太の気持ちちょっとわかる」
「うわ、身内の恋愛話とかキモ」
「煩い! あ、周助には内緒ね揶揄われるから。……そう、うん、だから、私がいけなかった。ごめんね」
「いやだから・・・うん。俺もさ、お前のこと俺の姉貴だって、いつかはわかって欲しいって思ってるし。彼女にな」
「……ありがと。お互いがんばりましょう」
こっちは気恥ずかしくて笑うしかないけれど、「マジでなんでこんな話姉貴としなきゃいけねーんだ」と裕太は心底嫌そうな顔でまた頭をかかえた。
「ふふ、裕太何してるの」
いつの間にか二人のところまで来ていた周助が、裕太に向かって笑う。
「頭なんてかかえちゃって。痛むの?」
「……別に、なんでも」
「さっきコックさんがデザート出してくれたよ。裕太の好きそうなものばかりだったな」
「マジ? 見たなら持ってきてくれればいいのに」
「マジだよ絶対裕太の好み。ついでに僕らの分も持ってきてくれると嬉しいんだけど」
「結局ぱしりたいだけかよ」と言いながらも、デザート欲しさに裕太はいそいそとテーブルの方へ戻っていった。空いた椅子に、今度は周助が腰掛ける。グラスを掲げられたから、同じように返した。
「まずはお疲れ様。悪かったね、急に連れてきて、変なことに巻き込んじゃって」
「周が謝ることじゃないでしょう? それにすぐに元に戻るだろうし」
「明日の朝までに元に戻らなかったらどうする気?」
「『うちに泊まりに来い』って跡部くんが」
思わぬ申し出に、思い出し笑いでつい顔が緩んでしまう。周助は困ったようにこちらを見ている。きっとにやけ顔キモいとか思っているに違いない。
「周助こそお疲れ様。実り多い合宿になったみたいだね。乾も手塚も、他校の人たちも周助のこといーっぱい賞賛してたよ」
「うん。姉さんの占い、当たったね」
「あー……なんて言ってたけ、由美姉」
『実り多い合宿になると思うわ。二人とも、それぞれ大切なものが見つかるかもしれないわね』
確かに私は懸命にサポート活動をしたし、周助はすごく懸命に練習していた。色々問題こそありはしたけれど、実りも多かったと思う。
……でも……『大切なもの』かぁ。
「周助は『大切なもの』、見つかったの?」
「うん、まあね。君は?」
「私は……」
大切なもの。跡部のことが一瞬で思い浮かぶ。揶揄われるから当分言うつもりはないけれど。
「私は特に思い当たらないなぁ」
「そう、残念だったね。当たるも八卦当たらぬも八卦だよ」
「そんなこと言ったら由美姉怒るから」
「ふふ、もちろん内緒にしておいて」
デザートをこんもり盛った皿を両手に、裕太が戻ってくる。周助の『大切なもの』とは何だろうか。少し興味もあったが、触れないでおこうと思った。跡部の、周助の元カノに対する認識があの程度のものなのだ。もしかしたら二人、寄りが戻ったのかもしれない。いずれにしろ、話したいと思ってくれたら周助の方から話すだろう。
……いつまでもベタベタ依存していても駄目だしね。
それを寂しいとあまり感じなくなったのは、跡部のおかげだ。跡部景吾という憧れができたことで、キラキラ輝いている周助や裕太に対して『置いていかれた』なんて言い訳しているのが恥ずかしくなったから。
「ほら姉貴。これマジうまいぜ」
「……うん、美味しい」
「なかなか楽しいクリスマスになったんじゃない? 独り身の君としては、ね。」
私を貶めることで裕太を揶揄う周助は、今夜も通常運転だ。本物の兄妹にはなれないけれど、それでもお互いを大切に思う気持ちは変わらない。
冬の夜は穏やかに、暖かくふけていく。
「はあ、楽しかった。パーティーありがとうね、跡部くん」
「パーティーをどう過ごすかは自分次第だ。お前が満足しているなら、良かったな」
跡部と二人部屋に戻っても、賑やかで煌びやかな雰囲気の余韻は冷めない。雪は降らなかったね、なんて澄んだ星空を二人で見上げながら話すこの一瞬が、とても幸せで心臓が煩い。入れ替わって四日目の夜。乾の予想では元に戻れるのはあと三日だ。
……予想通りならあと三日、入れ替わっていたいな。
そうすれば跡部の家にも行けるし、距離がもっと縮まるかもしれないと期待してしまう。けれどそれを口に出すのは余りに不謹慎だし、自分のわがままだということはよくわかっている。
「……山だからかな、窓辺は冷えるね。跡部くん、そろそろ寝よっか」
「そうだな」
合宿の夜は、こうして終わった。
はずだった。
……あっ……? く、るしい……?
途端胸の苦しさで目が覚める。捉えた視界は真っ暗だ。今が何時かもわからない。
……はっ、しん、ぞうが……!
心臓がものすごい速さでドクドクと脈打っているのを感じる。この「死ぬかもしれない」という恐怖は、つい最近も味わった苦しみだ。
……まさか私……⁈
「…………っぅ!」
最後に一度、心臓が大きく跳ねた。酷い痛みに目を見開くと、あとはドクドクと脈拍がもとに戻っていくだけだった。布団の中、肩で大きく息をする。
……元に戻った?
だとしたら余りにもいきなりだ。もう少し、跡部と一緒にいられると思っていたのに。恐る恐る自分の頬を触る。髪も手も胸も、一寸の疑いもなく、もとの私の体だった。
……そっか……私、戻れたんだ。
邪な気持ちでがっかりしたのも束の間、安堵に体の力が抜ける。まさか飲んだときと同じように気を失っていたのではないだろうかと、跡部の枕もとの上にある自分のスマホに手を伸ばした。画面は二十五日の午前三時で光っている。
あんなに苦しくても跡部は目が覚めなかったのだろうか。次第に慣れてきた夜の闇の中に浮かんだ跡部の美しい顔。マジマジと目を凝らした瞬間、固まった。
……嘘!
額に汗を浮かべた跡部は、苦しそうに顔をゆがめている。さきほど自分を襲った痛みを思い出し、思わず血の気が引いた。自分はなんとか元に戻れたが、跡部は違うのだろうか。慌てて、苦しむ肩に手を当てる。
「跡部くん⁈ 跡部くんしっかりして! 目を開けて!」
「っ……!」
「跡部くん起きて! 跡部くん! 跡部くん!」
もう一度肩を強く掴む。ぎゅっと閉じられていた跡部の瞼が勢いよく開いた。ヒュウと息を呑む音が、静かな室内に響く。
「跡部くん! 大丈夫⁈」
肩で大きく息をしていた跡部だったが、次第に状況が飲み込めてきたのだろう。息を整え上半身を起こし、じっと自分の両手をみつている。それから私と同じように、自分の体をさわって確かめている。
「……跡部くん? どこか痛いの?」
心配になり跡部の顔をのぞきこむと、跡部は呆然とこちらを見つめ返してきた。
「……お前か」
「……うん」
「俺は……俺か」
「戻れた、みたい」
途端、跡部はクツクツと笑みを漏らし始め、ついに声を出して笑い始めた。
「くっははっ! ようやく俺は俺に戻ったか!」
「……」
「はっ……面白かったな。こんな経験なかなかできねーぜ?」
「……」
元にに戻れた安心感だと思うけれど、跡部はいつまでも楽しそうに笑っている。
……こんなに、可愛く笑える人だったんだ……。
酷く衝撃を受けた。ついさっきまで『自分』だったものが一気に『他人』になり、そうして気が付いてしまった。
……私、跡部くんのことが大好きだ……。
跡部景吾という男の内面に惹かれ、今、笑顔に落ちた。内面と体が合致した『跡部景吾』本体が大好きだ。好きで、大切で仕方が無い。
……私も今、私に戻ったんだね。
体は単なる入れ物だと思っていた。けれど違う。体も意思も、どちらがかけても駄目だなのだ。両方揃わなければ、こんな大切な気持ちにも気がつけない。
ようやく笑いが収まったのだろう。跡部は余韻で息を大きく吐くと、改めてこちらを見つめてくる。部屋の中は暗いけれど、目が慣れた今これだけ距離が近ければいやおうにも相手の顔が見えてしまう。
……え、何?
何を言われるのかとつい身を固くしてしまう。息すらまともにできない。戸惑う私へと、跡部の腕が伸びてくる。硬い、ゴツゴツとした手のひらが、頬にそっと添えられた。
「跡部くん?」
「この体に、俺はさっきまで入っていたんだな」
「うん……」
こっちは身じろぎ一つもできないというのに、跡部の手は滑らかに動いている。親指が唇に触れて、ぞわりと背筋がときめく。跡部は小さく笑った。
「お前、結構可愛いぜ」
……え。
聞きなおそうとしたけれど出来なかった。唇が、跡部の唇でふさがれている。
……な、に?
咄嗟に息を止めた。今唇に感じる柔らかさに現実味がない。離れていく瞬間に触れた吐息も、そっと視線を外されたときに動いた長いまつ毛も。また見つめ直されて、少し気恥ずかしげににやりと笑われる様も。
「クリスマスプレゼントだ。とっておけ」
艶やかな声が静かな夜に響く。
自分の行動に満足した跡部が布団に潜ってしまっても、その場を動くことが出来なった。
◇
「それにしてもよかったですよねー、合宿が終わる前に先輩が元に戻れて」
「そういう朋香ちゃんこそ、越前くんとイブが過ごせてよかったね」
「もちろんよかったんですけど、進展一切なし! これでいい年越しが出来るかしら……」
「来年こそは」と呟きながら、朋香は一人ふらふらと歩いていってしまった。
クリスマスの朝、それぞれ自分の体に戻った私たち二人がカーテンを開けると、外は一面の銀世界だった。本降りにならないうちに山を降りたほうがいいという運転手の判断で、閉会式もそこそこに、帰り支度をしたメンバーたちはロビーに集まっている。
……昨日のキス……夢じゃないよね。
心臓が煩くて全く眠れなかった翌朝、跡部は入れ替わっているときと全く変わらない態度だった。あのキスはあくまでクリスマスプレゼント。それ以上の意味はないことを、その態度で思い知らされた。
恨めしい気持ちを込めて、忍足らと話している跡部を睨みつける。このまま別れて終わりなのだろうか。学校も違う。部活も違う。何の接点も無い生活に、舞い戻ってしまう。
……そんなの嫌だ。
いいわけがないと、心が強く言っている。いい加減幼馴染の影を追うのはやめようと決めた。跡部のようにかっこよく生きたいと思った。
……その一歩目がこれって、かなりやりがいがある気がする。
頑張れと自分を叱咤して、跡部のもとへと足を進める。気が付いた跡部は、忍足との会話を手で制していつもの厭味な笑みで笑った。
「お前か。挨拶なしに帰るのかと思ったぜ?」
「私が挨拶に来なきゃいけない理由もないと思うけど」
「俺様がお前の体を四日も世話してやったんだろう? 改めて礼を言いに来るのは当然だ」
「それなら私だって」
「俺様の体を世話させてやった礼も、言ってもらわなければ困るな」
「……」
……普通にムカつく。
出会った時と変わらない、高飛車で傲慢な態度。腹が立つことには変わりないが、それすらも可愛いと思ってしまうのはもう末期だ。それに、軽口を叩きにきたわけでもない。
「そうじゃなくてね」
「あぁ?」
「あの、昨夜くれたクリスマスプレゼントのことだけど」
忍足たちが近くに居るために敢えてそう隠して言うと、跡部は不思議そうな顔をする。
「なんの話だ?」
「っ!」
「クッ、冗談だよ。覚えているに決まっているだろう?」
心底楽しそうに、口元に手を当てて男はクツクツと笑う。そのたった一言で、心臓が上から下から動きすぎて情緒がめちゃくちゃになるから、本当にやめて欲しい。
「……もう、意地悪しないでよ」
「お前みたいな女をみるとついいじめたくなると言ったろう?」
跡部はなんてことなく笑いながら言うが、深読みすると気になる言葉だ。いじめたくなる女の子を見つけては、気軽にキスもしているのかもしれない。
……負けちゃ駄目!
きっとにらみつけた先、視線を受けた跡部は肩を竦めるジェスチャーをした。
「なんだ、何か問題でもあったのか。『周チャン』にでも泣きつくか?」
「……問題っていうより、不満」
「あーん?」
「私もっと、別のものが欲しい」
「ふっ、言うじゃねーの。だがねだるならもっと可愛くねだれよな」
「難しいこと言わないでよ」
「ふん、まあいい。くれてやるから言ってみろよ。何が欲しい」
欲しいものは決まっている。
……勇気、出せ!
「跡部くんの、電話番号とラインのアカウント」
「……」
ヒュウと、近くに居た忍足が口笛を吹いた。一昔前のその揶揄われ方にますます居たたまれなくなる。なんの言葉も返ってこないことも、また不安だ。
……跡部くんなんで何にも言わないの?
恐る恐る見上げた先。目に入ったのは柔らかく咲く微笑だった。勝手にフォルダに保存しかけた、私が作った笑顔と限りなく似ているけど。
……でも、全然違う。
中身のある跡部の、本物の笑顔だ。
「クッ。それなら簡単だ」
跡部はコートのポケットから一枚の紙切れを取り出した。それにメモしてくれるのかとドキドキしながら見守っていると、その紙には何もせず、そのまま私の手に握らせてくれた。
「え?」
「暇だったら誘ってやるよ。あとでお前のも、そこに送っとけ」
「……え?」
「じゃあな」
……え? え?
最後に私の名前を親しげに読んで、クツクツ洩れる笑みを隠そうともせずに、優雅にロビーを出て行く。握らされたメモをそっと開くと、流暢な字で電話番号とアカウントがメモしてあった。
……最初から、用意していてくれたってこと?
偶然かもしれない。もしかしたら別の人に渡すつもりだったのかもしれない。
……少しは期待してもいいの? 頑張る余地があるって思って良い?
青学の集合を促す声が耳に入る。すぐに行かなければいけないけど、こんな顔を誰にも見られたくなくて、俯きながらバスへと急ぐ。
嬉しくて泣いてしまったのは、生まれて初めてだった。
……ふふ。
帰りのバスの中。手の中に貰ったメモを大切に包み、窓の外を流れる雪景色に目を移す。朋香や桜乃が、越前の行動にいちいち一喜一憂する気持ちがようやくわかった。笑みがこぼれるのを自分でも止められない。にこにことメモを見つめていると、通路に人影が立った。
「ご機嫌だね」
「周助」
高速道路の入り口がもう遠く向こうに見えている。「立ってると危ないよ」と言うと、「すぐ戻らなくちゃだから」と、バスの後部座席の方を指差された。後部座席では三年生たちが再び汁をかけてUNO大会をしている。何故懲りないのか。
「何か用?」
「どうやら君も『大切なもの』、見つかったみたいだね」
「……ばればれですか」
「ばればれですよ」
うふふと笑ったあとの周助の動きは素早かった。あっという間に私の手からメモを奪い取り、びりびりに破いて通路に捨て去る。
……は? はああああ⁈
声を上げる暇すらなかった。
「僕も大切なもの見つかったから。今度は容赦しないよ」
じゃあねと柔和な笑みを残し、周助はデスマッチへと戻っていった。
……え、意味わかんない。嫌がらせ? もしかして周助が私を好きとか? いやないわ。どっちかっていうと周助も跡部くんを好きになっちゃったとかの方が余程納得いく……。
後部座席でギャアギャアと悲鳴があがる。通路にまるで雪のように散らばるメモの残骸を拾おうとしたけれど、バスのスピードが上がったから諦める。
……スマホに登録した後でよかった……。
バスに乗り込んだ時点で済ませてしまって良かった。貰ったものが消えてしまったのは悲しいけれど、実際困ることは一つもない。
……なんか、周助の意に反することにはなりそうだけど。
きっと不快を全面に出してくるだろう周助の苦い顔を思い浮かべながら、跡部に送るメッセージの文面を考える。絶対に欲しい。大切な幼馴染と喧嘩することになっても、手に入れたい。そう思うようになってしまったのは、全て跡部のせいでありおかげでもある。不二兄弟に依存していた自分の気持ちを、引き締めさせてくれた。心を完全に制圧された。
……今日は流石にそんなことは言えなかったけど。
来年の今日は『跡部が欲しい』と言えるようになりたい。言えるくらいに近づきたい。
そっと唇に触れると、『クリスマスプレゼント』の感触が甦ってくる。サンタクロースから貰ったプレゼントは、少しだけ大人の味がする苦いものだった。
ラインのメッセージを打ち終えて、もう一度周助のことを思い、それから送信をタップした。
大好きなあなたへ。
メリークリスマス。
「……っ! なんであの人はああお喋りなんだ!」
「裕太のことフォローしてくれたんだよ? 周が言うより、全然いい人じゃない。」
「兄貴の場合はもうノリでけなしてるんだよ。揶揄って楽しんでるだけ」
どうしようもない連中だ、と肩を竦める裕太。いつまでも変わらない大切な弟分。
「……私もね、気になる人出来たから、裕太の気持ちちょっとわかる」
「うわ、身内の恋愛話とかキモ」
「煩い! あ、周助には内緒ね揶揄われるから。……そう、うん、だから、私がいけなかった。ごめんね」
「いやだから・・・うん。俺もさ、お前のこと俺の姉貴だって、いつかはわかって欲しいって思ってるし。彼女にな」
「……ありがと。お互いがんばりましょう」
こっちは気恥ずかしくて笑うしかないけれど、「マジでなんでこんな話姉貴としなきゃいけねーんだ」と裕太は心底嫌そうな顔でまた頭をかかえた。
「ふふ、裕太何してるの」
いつの間にか二人のところまで来ていた周助が、裕太に向かって笑う。
「頭なんてかかえちゃって。痛むの?」
「……別に、なんでも」
「さっきコックさんがデザート出してくれたよ。裕太の好きそうなものばかりだったな」
「マジ? 見たなら持ってきてくれればいいのに」
「マジだよ絶対裕太の好み。ついでに僕らの分も持ってきてくれると嬉しいんだけど」
「結局ぱしりたいだけかよ」と言いながらも、デザート欲しさに裕太はいそいそとテーブルの方へ戻っていった。空いた椅子に、今度は周助が腰掛ける。グラスを掲げられたから、同じように返した。
「まずはお疲れ様。悪かったね、急に連れてきて、変なことに巻き込んじゃって」
「周が謝ることじゃないでしょう? それにすぐに元に戻るだろうし」
「明日の朝までに元に戻らなかったらどうする気?」
「『うちに泊まりに来い』って跡部くんが」
思わぬ申し出に、思い出し笑いでつい顔が緩んでしまう。周助は困ったようにこちらを見ている。きっとにやけ顔キモいとか思っているに違いない。
「周助こそお疲れ様。実り多い合宿になったみたいだね。乾も手塚も、他校の人たちも周助のこといーっぱい賞賛してたよ」
「うん。姉さんの占い、当たったね」
「あー……なんて言ってたけ、由美姉」
『実り多い合宿になると思うわ。二人とも、それぞれ大切なものが見つかるかもしれないわね』
確かに私は懸命にサポート活動をしたし、周助はすごく懸命に練習していた。色々問題こそありはしたけれど、実りも多かったと思う。
……でも……『大切なもの』かぁ。
「周助は『大切なもの』、見つかったの?」
「うん、まあね。君は?」
「私は……」
大切なもの。跡部のことが一瞬で思い浮かぶ。揶揄われるから当分言うつもりはないけれど。
「私は特に思い当たらないなぁ」
「そう、残念だったね。当たるも八卦当たらぬも八卦だよ」
「そんなこと言ったら由美姉怒るから」
「ふふ、もちろん内緒にしておいて」
デザートをこんもり盛った皿を両手に、裕太が戻ってくる。周助の『大切なもの』とは何だろうか。少し興味もあったが、触れないでおこうと思った。跡部の、周助の元カノに対する認識があの程度のものなのだ。もしかしたら二人、寄りが戻ったのかもしれない。いずれにしろ、話したいと思ってくれたら周助の方から話すだろう。
……いつまでもベタベタ依存していても駄目だしね。
それを寂しいとあまり感じなくなったのは、跡部のおかげだ。跡部景吾という憧れができたことで、キラキラ輝いている周助や裕太に対して『置いていかれた』なんて言い訳しているのが恥ずかしくなったから。
「ほら姉貴。これマジうまいぜ」
「……うん、美味しい」
「なかなか楽しいクリスマスになったんじゃない? 独り身の君としては、ね。」
私を貶めることで裕太を揶揄う周助は、今夜も通常運転だ。本物の兄妹にはなれないけれど、それでもお互いを大切に思う気持ちは変わらない。
冬の夜は穏やかに、暖かくふけていく。
「はあ、楽しかった。パーティーありがとうね、跡部くん」
「パーティーをどう過ごすかは自分次第だ。お前が満足しているなら、良かったな」
跡部と二人部屋に戻っても、賑やかで煌びやかな雰囲気の余韻は冷めない。雪は降らなかったね、なんて澄んだ星空を二人で見上げながら話すこの一瞬が、とても幸せで心臓が煩い。入れ替わって四日目の夜。乾の予想では元に戻れるのはあと三日だ。
……予想通りならあと三日、入れ替わっていたいな。
そうすれば跡部の家にも行けるし、距離がもっと縮まるかもしれないと期待してしまう。けれどそれを口に出すのは余りに不謹慎だし、自分のわがままだということはよくわかっている。
「……山だからかな、窓辺は冷えるね。跡部くん、そろそろ寝よっか」
「そうだな」
合宿の夜は、こうして終わった。
はずだった。
……あっ……? く、るしい……?
途端胸の苦しさで目が覚める。捉えた視界は真っ暗だ。今が何時かもわからない。
……はっ、しん、ぞうが……!
心臓がものすごい速さでドクドクと脈打っているのを感じる。この「死ぬかもしれない」という恐怖は、つい最近も味わった苦しみだ。
……まさか私……⁈
「…………っぅ!」
最後に一度、心臓が大きく跳ねた。酷い痛みに目を見開くと、あとはドクドクと脈拍がもとに戻っていくだけだった。布団の中、肩で大きく息をする。
……元に戻った?
だとしたら余りにもいきなりだ。もう少し、跡部と一緒にいられると思っていたのに。恐る恐る自分の頬を触る。髪も手も胸も、一寸の疑いもなく、もとの私の体だった。
……そっか……私、戻れたんだ。
邪な気持ちでがっかりしたのも束の間、安堵に体の力が抜ける。まさか飲んだときと同じように気を失っていたのではないだろうかと、跡部の枕もとの上にある自分のスマホに手を伸ばした。画面は二十五日の午前三時で光っている。
あんなに苦しくても跡部は目が覚めなかったのだろうか。次第に慣れてきた夜の闇の中に浮かんだ跡部の美しい顔。マジマジと目を凝らした瞬間、固まった。
……嘘!
額に汗を浮かべた跡部は、苦しそうに顔をゆがめている。さきほど自分を襲った痛みを思い出し、思わず血の気が引いた。自分はなんとか元に戻れたが、跡部は違うのだろうか。慌てて、苦しむ肩に手を当てる。
「跡部くん⁈ 跡部くんしっかりして! 目を開けて!」
「っ……!」
「跡部くん起きて! 跡部くん! 跡部くん!」
もう一度肩を強く掴む。ぎゅっと閉じられていた跡部の瞼が勢いよく開いた。ヒュウと息を呑む音が、静かな室内に響く。
「跡部くん! 大丈夫⁈」
肩で大きく息をしていた跡部だったが、次第に状況が飲み込めてきたのだろう。息を整え上半身を起こし、じっと自分の両手をみつている。それから私と同じように、自分の体をさわって確かめている。
「……跡部くん? どこか痛いの?」
心配になり跡部の顔をのぞきこむと、跡部は呆然とこちらを見つめ返してきた。
「……お前か」
「……うん」
「俺は……俺か」
「戻れた、みたい」
途端、跡部はクツクツと笑みを漏らし始め、ついに声を出して笑い始めた。
「くっははっ! ようやく俺は俺に戻ったか!」
「……」
「はっ……面白かったな。こんな経験なかなかできねーぜ?」
「……」
元にに戻れた安心感だと思うけれど、跡部はいつまでも楽しそうに笑っている。
……こんなに、可愛く笑える人だったんだ……。
酷く衝撃を受けた。ついさっきまで『自分』だったものが一気に『他人』になり、そうして気が付いてしまった。
……私、跡部くんのことが大好きだ……。
跡部景吾という男の内面に惹かれ、今、笑顔に落ちた。内面と体が合致した『跡部景吾』本体が大好きだ。好きで、大切で仕方が無い。
……私も今、私に戻ったんだね。
体は単なる入れ物だと思っていた。けれど違う。体も意思も、どちらがかけても駄目だなのだ。両方揃わなければ、こんな大切な気持ちにも気がつけない。
ようやく笑いが収まったのだろう。跡部は余韻で息を大きく吐くと、改めてこちらを見つめてくる。部屋の中は暗いけれど、目が慣れた今これだけ距離が近ければいやおうにも相手の顔が見えてしまう。
……え、何?
何を言われるのかとつい身を固くしてしまう。息すらまともにできない。戸惑う私へと、跡部の腕が伸びてくる。硬い、ゴツゴツとした手のひらが、頬にそっと添えられた。
「跡部くん?」
「この体に、俺はさっきまで入っていたんだな」
「うん……」
こっちは身じろぎ一つもできないというのに、跡部の手は滑らかに動いている。親指が唇に触れて、ぞわりと背筋がときめく。跡部は小さく笑った。
「お前、結構可愛いぜ」
……え。
聞きなおそうとしたけれど出来なかった。唇が、跡部の唇でふさがれている。
……な、に?
咄嗟に息を止めた。今唇に感じる柔らかさに現実味がない。離れていく瞬間に触れた吐息も、そっと視線を外されたときに動いた長いまつ毛も。また見つめ直されて、少し気恥ずかしげににやりと笑われる様も。
「クリスマスプレゼントだ。とっておけ」
艶やかな声が静かな夜に響く。
自分の行動に満足した跡部が布団に潜ってしまっても、その場を動くことが出来なった。
◇
「それにしてもよかったですよねー、合宿が終わる前に先輩が元に戻れて」
「そういう朋香ちゃんこそ、越前くんとイブが過ごせてよかったね」
「もちろんよかったんですけど、進展一切なし! これでいい年越しが出来るかしら……」
「来年こそは」と呟きながら、朋香は一人ふらふらと歩いていってしまった。
クリスマスの朝、それぞれ自分の体に戻った私たち二人がカーテンを開けると、外は一面の銀世界だった。本降りにならないうちに山を降りたほうがいいという運転手の判断で、閉会式もそこそこに、帰り支度をしたメンバーたちはロビーに集まっている。
……昨日のキス……夢じゃないよね。
心臓が煩くて全く眠れなかった翌朝、跡部は入れ替わっているときと全く変わらない態度だった。あのキスはあくまでクリスマスプレゼント。それ以上の意味はないことを、その態度で思い知らされた。
恨めしい気持ちを込めて、忍足らと話している跡部を睨みつける。このまま別れて終わりなのだろうか。学校も違う。部活も違う。何の接点も無い生活に、舞い戻ってしまう。
……そんなの嫌だ。
いいわけがないと、心が強く言っている。いい加減幼馴染の影を追うのはやめようと決めた。跡部のようにかっこよく生きたいと思った。
……その一歩目がこれって、かなりやりがいがある気がする。
頑張れと自分を叱咤して、跡部のもとへと足を進める。気が付いた跡部は、忍足との会話を手で制していつもの厭味な笑みで笑った。
「お前か。挨拶なしに帰るのかと思ったぜ?」
「私が挨拶に来なきゃいけない理由もないと思うけど」
「俺様がお前の体を四日も世話してやったんだろう? 改めて礼を言いに来るのは当然だ」
「それなら私だって」
「俺様の体を世話させてやった礼も、言ってもらわなければ困るな」
「……」
……普通にムカつく。
出会った時と変わらない、高飛車で傲慢な態度。腹が立つことには変わりないが、それすらも可愛いと思ってしまうのはもう末期だ。それに、軽口を叩きにきたわけでもない。
「そうじゃなくてね」
「あぁ?」
「あの、昨夜くれたクリスマスプレゼントのことだけど」
忍足たちが近くに居るために敢えてそう隠して言うと、跡部は不思議そうな顔をする。
「なんの話だ?」
「っ!」
「クッ、冗談だよ。覚えているに決まっているだろう?」
心底楽しそうに、口元に手を当てて男はクツクツと笑う。そのたった一言で、心臓が上から下から動きすぎて情緒がめちゃくちゃになるから、本当にやめて欲しい。
「……もう、意地悪しないでよ」
「お前みたいな女をみるとついいじめたくなると言ったろう?」
跡部はなんてことなく笑いながら言うが、深読みすると気になる言葉だ。いじめたくなる女の子を見つけては、気軽にキスもしているのかもしれない。
……負けちゃ駄目!
きっとにらみつけた先、視線を受けた跡部は肩を竦めるジェスチャーをした。
「なんだ、何か問題でもあったのか。『周チャン』にでも泣きつくか?」
「……問題っていうより、不満」
「あーん?」
「私もっと、別のものが欲しい」
「ふっ、言うじゃねーの。だがねだるならもっと可愛くねだれよな」
「難しいこと言わないでよ」
「ふん、まあいい。くれてやるから言ってみろよ。何が欲しい」
欲しいものは決まっている。
……勇気、出せ!
「跡部くんの、電話番号とラインのアカウント」
「……」
ヒュウと、近くに居た忍足が口笛を吹いた。一昔前のその揶揄われ方にますます居たたまれなくなる。なんの言葉も返ってこないことも、また不安だ。
……跡部くんなんで何にも言わないの?
恐る恐る見上げた先。目に入ったのは柔らかく咲く微笑だった。勝手にフォルダに保存しかけた、私が作った笑顔と限りなく似ているけど。
……でも、全然違う。
中身のある跡部の、本物の笑顔だ。
「クッ。それなら簡単だ」
跡部はコートのポケットから一枚の紙切れを取り出した。それにメモしてくれるのかとドキドキしながら見守っていると、その紙には何もせず、そのまま私の手に握らせてくれた。
「え?」
「暇だったら誘ってやるよ。あとでお前のも、そこに送っとけ」
「……え?」
「じゃあな」
……え? え?
最後に私の名前を親しげに読んで、クツクツ洩れる笑みを隠そうともせずに、優雅にロビーを出て行く。握らされたメモをそっと開くと、流暢な字で電話番号とアカウントがメモしてあった。
……最初から、用意していてくれたってこと?
偶然かもしれない。もしかしたら別の人に渡すつもりだったのかもしれない。
……少しは期待してもいいの? 頑張る余地があるって思って良い?
青学の集合を促す声が耳に入る。すぐに行かなければいけないけど、こんな顔を誰にも見られたくなくて、俯きながらバスへと急ぐ。
嬉しくて泣いてしまったのは、生まれて初めてだった。
……ふふ。
帰りのバスの中。手の中に貰ったメモを大切に包み、窓の外を流れる雪景色に目を移す。朋香や桜乃が、越前の行動にいちいち一喜一憂する気持ちがようやくわかった。笑みがこぼれるのを自分でも止められない。にこにことメモを見つめていると、通路に人影が立った。
「ご機嫌だね」
「周助」
高速道路の入り口がもう遠く向こうに見えている。「立ってると危ないよ」と言うと、「すぐ戻らなくちゃだから」と、バスの後部座席の方を指差された。後部座席では三年生たちが再び汁をかけてUNO大会をしている。何故懲りないのか。
「何か用?」
「どうやら君も『大切なもの』、見つかったみたいだね」
「……ばればれですか」
「ばればれですよ」
うふふと笑ったあとの周助の動きは素早かった。あっという間に私の手からメモを奪い取り、びりびりに破いて通路に捨て去る。
……は? はああああ⁈
声を上げる暇すらなかった。
「僕も大切なもの見つかったから。今度は容赦しないよ」
じゃあねと柔和な笑みを残し、周助はデスマッチへと戻っていった。
……え、意味わかんない。嫌がらせ? もしかして周助が私を好きとか? いやないわ。どっちかっていうと周助も跡部くんを好きになっちゃったとかの方が余程納得いく……。
後部座席でギャアギャアと悲鳴があがる。通路にまるで雪のように散らばるメモの残骸を拾おうとしたけれど、バスのスピードが上がったから諦める。
……スマホに登録した後でよかった……。
バスに乗り込んだ時点で済ませてしまって良かった。貰ったものが消えてしまったのは悲しいけれど、実際困ることは一つもない。
……なんか、周助の意に反することにはなりそうだけど。
きっと不快を全面に出してくるだろう周助の苦い顔を思い浮かべながら、跡部に送るメッセージの文面を考える。絶対に欲しい。大切な幼馴染と喧嘩することになっても、手に入れたい。そう思うようになってしまったのは、全て跡部のせいでありおかげでもある。不二兄弟に依存していた自分の気持ちを、引き締めさせてくれた。心を完全に制圧された。
……今日は流石にそんなことは言えなかったけど。
来年の今日は『跡部が欲しい』と言えるようになりたい。言えるくらいに近づきたい。
そっと唇に触れると、『クリスマスプレゼント』の感触が甦ってくる。サンタクロースから貰ったプレゼントは、少しだけ大人の味がする苦いものだった。
ラインのメッセージを打ち終えて、もう一度周助のことを思い、それから送信をタップした。
大好きなあなたへ。
メリークリスマス。