3話
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暑い。リュシオンは先ほどからそればかり頭に浮かんだ。そして前を歩く国王とリヒトルーチェ公爵、隣のジーンを順に見る。皆一様に涼しげな表情で雑談に興じていた。
見た目は脳筋、中身も時々脳筋な国王は期待を裏切らず夏が好きなようで、晴れていると聞くと意味もないのに外に出たがる。大抵リヒトルーチェ公爵に止められて執務室で仕事をすることになるのだが、今日は珍しく一枚上手だった。急ぎの政務が途切れたころを見計らってさっさと出て行ったのだ。公爵は見張りとして、リュシオンとジーンは無理やり連れてこられて今に至る。
「今年の夏は涼しいな」
「暑いだろうが。おまえが政務を滞りなく進めていれば、ミリエルと避暑に行けたんだがな」
「……」
切れ味抜群の返しに国王は押し黙る。これ以上何か言うと問答無用で執務室に押し込められそうだ。無難な話題がないかと視線をさまよわせていた国王は、奥宮の向こうからかすかに聞こえた声に視線を一点に集中させる。
「どうした、バート」
「いや、向こうからネイディアの声が聞こえた気がしたが、気のせいか」
その発言に公爵とリュシオンは一瞬沈黙する。王女の名前が出たことも原因だが、第一物静かな彼女の声が本宮にまで聞こえるはずがない。しかし公爵が話し出す前に誰かが近づく音が聞こえてきた。今度は国王だけでなくその場にいた全員の耳に入る。女官が歩いているにしては歩調が速く、兵士が走っているにしては軽い。
奥宮の影から姿を現した少女は彼らに気づく様子もなく中庭を突っ切るように走り去った。しかし飛び出してきた瞬間の少女の横顔と橙の真っ直ぐな髪を見て、誰もがその人物に思い至る。
「ロッタ……」
四人が同時に思い浮かべた人物を代弁するかのようにジーンはポツリと呟いた。彼女のただならぬ様子に息が止まったが、彼はすぐに冷静さを取り戻す。先ほど見えた彼女は泣いているようだった。
「陛下、父上、少し外します。失礼いたします」
「あ、おい待てジーン!」
丁寧に礼をするとジーンはロッタの去っていった方へ同じく走っていく。その後を追いかけるようにリュシオンも中庭へ飛び出した。
二人だけになった本宮の吹き抜けの回廊で、国王と公爵はしばらく無言だった。しかし会話の先頭を切ったのはやはり国王だった。
「なあ、ヴァン」
「……なんだ」
「血は争えんな」
公爵は再び無言になる。そしてジーンの去っていった方から視線を外すと隣の旧友に睨みをきかせた。
「一応聞いておく、何のことだ」
「『大恋愛』の予感、だ。俺には分かる」
そして国王は急に真剣な表情を作り前を見据えた。
「よりにもよって、というやつだ。芽を摘むなら今だぞ」
その言葉は言外に、今を逃せば手が付けられなくなると語っていた。公爵は苦い顔をして押し黙る。脳筋ならそれらしくしていればいいものを、時々鋭いから面倒くさい。
「よりにもよって、か」
「まあおまえの裏工作が上手くいく保証はないがな」
「黙れ」
その後執務室では大量の書類に囲まれた国王が嘆きながら政務に取り組む様子が多くの人間に目撃された。
近くで誰かの足音が聞こえた。ロッタは壁にもたれかかっていた身体を起こし息をひそめる。しかし彼女の願いとは裏腹に足音は迷わず彼女の方へ向かってきた。
「どうしたんだ」
声と同時に、うなじの下にそっと手が添えられた。その手は彼女を落ち着かせるように何度か同じ場所を叩く。ロッタはかすかに肩をこわばらせ、その人物を認識するとだんだん力を抜いていった。薄茶色の瞳が揺れながらジーンを見上げる。しかしすぐに逸らし、下を向いて小刻みに頭を振った。
「なんでも、ありません」
「……そうか」
涙声で呟かれたそれはロッタ自身から見ても説得力がなかった。
それから少ししてもう一つの足音が近づく。ジーンは彼女に触れていた手を離し、身をかがめて彼女の目の前に差し出した。
「立てるかい?」
「……はい」
彼女の心境を察したのだろう。彼はそれ以上の追求をしなかった。気遣う素振りを見せながらも彼女が気負わないようにいつも通りの態度を貫く。
座り込んでいたロッタが立つと同時にリュシオンがやっと到着した。先に着いて、しかも息一つ荒げていない友人を憎らしげ見る。紳士然とした見た目とは裏腹に意外と足が速い。暗い表情のロッタに声を掛けようとしたリュシオンだったが、その前にジーンが言葉を発した。
「この暑さに滅入ってしまったんだろう。室内に移動しよう」
「いえ。屋敷に帰ります」
「馬車の手配は?」
「……すぐに迎えが来るはずですので、お気遣いなく」
話している間、彼女は誰とも目を合わせなかった。むしろ意図的に顔を背ける。
「ありがとうございました。……失礼します」
彼女は一刻も早くこの場から立ち去りたかった。普段よりもおざなりに礼をして、二人の返事を聞く前に踵を返した。
その場にはリュシオンとジーンが残された。ロッタの思いつめたような表情は今まで彼らが見たことのないものだった。
「ロッタがあれほどまでに取り乱すのは大方エリック関連だろうな」
彼らがエアデルトから帰ってくるのとちょうど時期を同じくして倒れた彼女の兄を思い出す。それから数カ月、火急の用を除いては政治の場でほとんど姿を見かけなくなった。しかし数度話をした限り、生死の境をさまよっていたとは思えないほど隙のない状態だったため、実はそれもエリックの策略なのではないかと疑ったほどだ。
「……一度、ネグロ侯爵邸を訪ねてみようと思います」
彼女のことを考えていたら不思議とそんな言葉が飛び出してきた。
「そうだな。俺も付いていく」
ジーンは自らの胸中を知ることを無意識に回避した。そしてリュシオンの言葉に後押しされるように軽くうなずいた。