2話
夢小説設定
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宮中の奥深く、バラのアーケードをくぐると小さな白いガーデンテーブルが置かれている。本宮と奥宮をつなぐ中庭は多少の人通りがあるが、その小さな庭園は、意図せず訪れる人間はいないほど隠れた場所にあった。アーケードは
「ネイディア様」
ひっそりと、身を縮こませるようにテーブルに向かっていたネイディアは懐かしい声にハッと顔を上げる。以前に会ったときよりも少しだけ背が伸びていたが、声の主は間違えようもなく従姉だった。ロッタは帽子を脱ぎ彼女にはにかむ。光が当たったところから橙の髪が金色に輝き、ネイディアは一瞬目を奪われた。
「わたしをお忘れですか?」
「い、いいえ。まさか、そんなわけないじゃない。……久しぶりね。でも、どうして」
首を傾けおどけた口調で話しかけるロッタに慌てて否定の言葉を紡ぐ。ネイディアは混乱の中から喜びが湧き上がってくるのを感じた。やっと来てくれた。自分が安堵していることに気づいたとき、彼女はようやく寂しかったのだと自覚する。
「今日は王妃様にお招きいただきまして、先ほどまでお話していたのです」
ロッタは軽く言ったが、ネイディアには王妃が散々雑言を浴びせたのだろうと想像がついた。しかしロッタがそうと言わない以上詮索するわけにもいかず、彼女はあえて納得する素振りをみせる。
それからはいつも通り紅茶や菓子をつまみながら取り留めのないことを話し合った。久々のお茶会は、彼女が思っていたよりもずっと楽しかった。ロッタは静かで控えめな性格をしていて、彼女はさらにそうなのだが二人の間には少しの静寂も訪れない。およそ十カ月、会えなかった分の長い空白を埋めるように、彼女たちはそれぞれの身に起こった出来事を話す。
話がひと段落したあと、ネイディアはふとロッタに尋ねた。
「そういえば、以前絵葉書を送ってくれたことがあったでしょ? あなたのお兄様が届けてくださった……」
エリックもネイディアにとってはいとこなのだが、彼女は無意識に距離のある言い方をした。
「庭園のアイリスを描いたのです。届いていて何よりです」
「あれから一週間くらいあとかしら? わたくしも彼に手紙を渡したの。あなたからの返事をずっと待っていたのだけれど」
その言葉にロッタは目を丸くして彼女を凝視する。まるでまったく覚えがないという反応だ。彼女もロッタを見てしばらく固まった。
「まさか、届いてない?」
「ええ。兄からは一言も。エアデルトへの出発が迫っていたからかもしれませんね」
「……。そうなのね」
ネイディアは表情を暗くして紅茶を飲んだ。ロッタは慌てたように慰めの言葉を口にする。
「兄はわたくしが帰還する直前に体調を崩しましたので忘れているのでしょう。帰ったら早速返事を書きます」
しかしネイディアにその言葉は届いていなかった。暗く沈んだ思考の中でエリックの姿が思い出される。
ロッタからの絵葉書を渡しに来たときも、彼女の手紙を渡してほしいと頼んだときも彼は一貫して穏やかな姿勢を崩さなかった。女官たちは彼がやって来るたびに浮足立っていたし、彼が丁寧な物腰で『出来損ないの王女』に接したのは周知の事実である。しかしネイディアには分かっていた。エリックはきっと彼女を身内だとは思っていない。彼の態度、表情、すべてが表面的に見えた。
(……そう。そういうことだったのね)
心の奥が冷え切っていく。彼の身内がロッタだけなのが問題なのではない。ただ、彼女をエアデルトに行かせたこと、手紙を渡さなかったこと、ネイディア自身の情報をほとんど彼女に伝えていないことを考えると、おのずと答えは出てくる。
エリックはネイディアからロッタを引き離そうと考えているのだ。あるいは逆かもしれない。ともかく、彼女をずっと支えてくれた存在を彼は奪おうとしている。
そう思い至った瞬間、彼女は勢い任せに切り出していた。
「ねえロッタ、返事も嬉しいけれど、以前のようにたくさん来てほしいわ。わたくし、ロッタがいなくて寂しかったの」
懇願するような言葉だった。数拍置いて意味を理解したロッタが目を瞠るのを冷静に眺める。ネイディアの心の中は不安とともに期待があった。きっと彼女なら聞いてくれる。エリックがどんなに遠ざけようとしてもきっと大丈夫。昔からロッタはネイディアの言うことを、困りながらでも聞いてくれたから。
「以前のようにはいかないかもしれません」
だから心苦しそうなロッタの返答を聞いたとき、今度はネイディアが目を瞠った。途端に眉を寄せて、悲しみと共に言葉を吐き出す。
「どうして……」
「レングランドの研究が忙しいこともあるのですが、何より、兄が心配なのです。わたしが目を離すとすぐに仕事を始めてしまって。少しでもエリック兄様の力になれるよう、出来る限りそばにいたいと思っています。兄様の調子がいいときはお伺いしますね」
「また」
「え?」
また、エリックだ。ネイディアは口を引き結ぶ。エリックがロッタを身内だと思うように、ロッタもまたそうなのだ。ネイディアの願いを断るほどに心配し、大切に思っている。彼が回復したら会いに来るだろうか。きっと今度は彼がロッタを行かせまいとするだろう。
彼女の思考はどんどん暗い方へ転がっていった。そして口をついて出た言葉は日が照り付ける夏の庭園を凍り付かせるものだった。