17話
夢小説設定
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どこまでも黒く冷たい視線。元々整っていた顔立ちが能面のように色を失い、無機質に彼を見つめる。伯爵は思わず喉の奥を鳴らし、一歩後ずさった。彼が思っていたよりも深く、触れてはいけない場所に土足で入ってしまったのだと、彼は今さらながら気づく。
――殺される。
伯爵は現実味のない恐怖によってカチカチと歯を鳴らす。蛇を前にした蛙のように、立ち向かうことも引くこともできない。
「少しよろしいでしょうか」
そのとき、遠巻きに見守る貴族たちの中から、若く、しかし落ちついた声が聞こえた。その場にいた貴族たちのみならず、ロッタやエリック、伯爵までもが声のした方を見る。
(叔父様……!)
人ごみの中から、銀髪の男性が姿を現わした。珍しい髪色と相まって人々の注目を一心に集める。
伯爵は彼の一言で呪いから解放されたように息を吐き出す。そしてすぐさま醜態を取り繕い、ツェリ子爵を睨みつけた。
「デスデイン伯爵、ご無沙汰しております。ヨハネス・ツェリでございます」
「なっ……! 子爵とはお会いしたことがなかったはずだがね」
散々馬鹿にしていた子爵家の当主の登場に、伯爵は動揺をごまかすように高圧的に言い放つ。そこに含まれる明らかな侮蔑には、多くの人々が眉をひそめた。しかし当の子爵はその答えを予想していたようにどこ吹く風で受け流す。
「多忙な伯爵は覚えていらっしゃらないのも当然かもしれません。しかし私は、先代の当主の頃に、伯爵が子爵領に何度もいらっしゃっていたのを覚えております」
その言葉に、伯爵は今度こそ言葉を失った。何かに思い至ったようで、顔を真っ赤にして、声の出ない口をパクパクと開閉する。
「当時
へりくだった態度とは裏腹に、子爵ははっきりと主張した。
アイリスを手に入れられなかった悔しさゆえに、伯爵は彼女とロッタを中傷している。ツェリ子爵の言葉は、周りにそのような印象を植え付ける。
「何だと! わ、私は断じて」
「見苦しいぞ、デスデイン伯爵」
相手が子爵だからか、高圧的な態度を崩さない伯爵にとどめを刺したのはリュシオンだった。
「意味もなく身分を盾に取り、責められる謂れのない人間を中傷するとは。いささか羽目を外し過ぎではないか?」
王太子にそう言われてしまえば、伯爵は返す言葉がない。招待客たちも誰一人彼を擁護せず、むしろリュシオンに続くように彼の行動を咎める声が相次いで聞こえてくる。伯爵はさすがにいたたまれなくなったのか、気分が悪いと言い訳をして、一目散に逃げて行った。
「ロッタ!」
アマリーが駆け寄り、そのままロッタに抱きつくのと同時に、テラスの雰囲気は本来の明るさを取り戻した。
「あなたを助けられなくてごめんなさい」
「そんなこと……」
「あんなもの気にする必要はないわ」
「はい。まったく気にしていません」
朗らかに笑うロッタにアマリーはやっと身体を離す。それを皮切りに、微笑ましい会話を聞いていた令嬢や若い貴婦人が次々と彼女たちの元に近寄ってきた。
「災難でしたね、クラリス様」
「ただの言いがかりですわ! 失礼な方でしたわね」
「本当に! ご自分の血統がどれだけ優れていらっしゃるというのかしら」
たちまち二人の周りは、ロッタを慰めたりデスデイン伯爵を非難したりする女性たちでいっぱいになった。思わぬ勢いに男性陣は入っていくタイミングを失う。その様子を見れば、この場の多くの貴族たちが、アイリスの出自や結婚について何の偏見も持っていないことは明らかだった。
「それにしても、わたくし、エリック様がお怒りになるところを初めて見たわ」
「わたくしも! だけど、妹のために怒ってくださるなんて、本当に素敵なお兄様ですわね」
「うちの兄なんて同じ場面に遭遇しても、きっと知らん顔してますわ」
「わたくしの弟もきっとそうよ」
そして女性たちの間ではエリックの株が急上昇中なようだった。そもそも、エリックやランデンとロッタの母親が違うことは周知の事実である。異母兄弟ともなれば、仲が良いどころか殺し合いに発展する例も少なくはない。しかしエリックはロッタや、自分とは直接的な関わりのないツェリ子爵家が馬鹿にされたことに腹を立てた。それが彼女たちの目には好印象に映ったのだ。
令嬢たちが駆け寄ってきた辺りからリュシオンやツェリ子爵と共にその場を離れたエリックを、彼女たちはうっとりと見つめる。ロッタは乾いた笑みをこぼしながら、ふと思ったことを口にした。
「そういえば儀式が途中でしたね。わたし、指輪のお披露目をもう一度見たいです」
「だけど……」
ロッタの提案にアマリーは口ごもる。しかし周りの女性たちはそれはいい提案だと口々に同意した。その声は次第に会場全体に広がっていき、婚約式は再び進められることになった。