14話
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庭園を歩くとチラチラとこちらを窺う視線を感じる。ルーナの料理が所狭しと並ぶ立食パーティーだというのに、ロッタはまだ一口も食事をとってはいなかった。踏みしめる度にサクサクと音を立てる芝生を歩きながら、彼女は誰とも目を合わせないようにエリックを見る。
「王妃様へのご挨拶は簡潔に済ませるよ。もしかすると貴族たちが騒ぐかもしれないが、気にしないようにね」
王妃の姿を視界に捉えたころ、黙っていたエリックは唐突にそう言った。有無を言わさない気配を感じ、ロッタは神妙にうなずいてみせる。
「ご挨拶が終わったら、ロッタに紹介したい人がいるんだ」
「紹介したい人? どなた?」
「それは会ってからのお楽しみ。だけど、ロッタはきっと喜ぶと思うよ」
緊張が顔に出ているロッタを安心させるように、エリックは優しげに微笑むと、左腕を軽く折り彼女の目の前に差し出す。
「さあ、行こうか」
大半の貴族は挨拶を終え、王妃の側に残っているのはベルフーア公爵に連なる貴族か、ネグロ侯爵に連なる貴族のみとなっていた。ロッタにとっては誰であろうと他人といっていい存在だ。しかしエリックを認識した途端、彼に道を譲るように脇へよける彼らは、ネグロ侯爵家の親戚筋としての誇りを持っているようだ。中にはエリックが倒れたときに見舞いと称して権力を握ろうとした貴族たちもおり、ロッタは内心暗い気分になる。
王妃は自分の元へやってくるエリックたちを、扇で顔をあおぎながら悠々と待っていた。
「王妃陛下にご挨拶申し上げます。ますますご健勝のこととお慶び申し上げます」
エリックが口上を述べるのに合わせ、ロッタも膝を折って礼をした。庭園を出た瞬間から彼女たちの一挙手一投足を見ていた貴族たちは、いよいよ注目する。
「そうかしこまる必要はない。そなたらはわたくしの甥と姪ではないか」
「もったいないお言葉でございます」
エリックは顔を上げ、穏やかな笑顔を向ける。神経質かついつも不機嫌そうだったネグロ侯爵とは、容姿こそ似ているものの態度がまったく違う。兄の顔に見慣れない表情がついているような気がして、王妃は無意識に眉をひそめ、隣の少女に目を逸らした。こちらは相変わらず兄の要素の欠片も感じさせない容貌である。しかし、王妃が初めて会ったときに予想した通り、好みではないがどこへ出しても恥ずかしくない娘に育っていた。
もっとも、王妃としては、ロッタが今一つ自分に従順でないことは耐えがたく、そのため彼女の後見になって裏から操ろうなどという政治的な思惑は芽生えていなかった。
王妃と簡潔に言葉を交わしたのち、エリックは宣言通りすぐさまその場を後にした。あまりの呆気なさに、王妃のみならずネグロ侯爵家に連なる貴族や様子見の人々までもが困惑した様子で彼を凝視する。このような場では王妃の側に侍り、話し相手になったり御用を聞いたりするのが今までのネグロ侯爵家だった。しかしエリックは自らそれを拒んだのだ。
――それは、見方によっては、侯爵家と王妃の関係悪化を意味する。
貴族たちは控えめに、しかし誰もがこの状況を理解しようと周りの貴族たちと話し合う。ただ一人、我に返った王妃だけは、持っていた扇を乱暴に閉じ震える手でそれを握りしめながら、エリックの後ろ姿を力いっぱい睨みつけた。
エリックとロッタは王妃たちの集まる庭園の中央から離れ、テラス近くまで歩みを進める。
「思ったより大きな話題になってしまったね」
「あんな態度を取ったら、こうなることはわたしにだって分かるわ」
「そうかい? あからさますぎたかな」
いたずらが見つかった時のようにつぶやくエリックに、いよいよ彼女は考えるのを諦めた。何となくだが、エリックは、困惑する貴族たちを楽しんでいるような気配がする。
「ところでロッタ、さっき紹介したい人がいるって言ってただろう? 前を見てごらん」
ロッタは彼に促されるままに前を見た。しかし何人かの貴族たちが見えるだけで、知り合いは見当たらない。
「誰なの、兄様?」
「ほら、あの銀髪の男性」
彼女は再び前を見る。すると、三十前後と思われる短い銀髪の男性と目が合った。灰色の瞳が彼女を見て僅かに見開かれる。彼は飲みかけのシャンパンを給仕に返し、ロッタたちの元へ歩いてきた。
「どなたなの?」
「彼はね、ツェリ子爵だよ」
「え……」
ロッタは予想外の言葉に男性を凝視する。名前を聞くまでは得体のしれなかったその人が、途端に身近に感じられる。彼はしっかりとした足取りで二人の前に来ると、初めにエリックにあいさつした。
「お久しぶりですね。エリック……いえ、今はヴィンセント伯爵でした。体調を崩していたと聞きましたが、すっかり回復したようで」
丁寧だが親しげな口調だった。ロッタは彼の身のこなしから、彼が軍人出身だと直感する。
「肩書きでお呼びいただく必要はありません。今まで通り、エリックと呼んでください。子爵、この子が妹のロッタです」
「一目で分かりましたよ。
「は、はい。わたしはクラリス・ロッタ・ネグロと申します。ロッタとお呼びください。あの、……叔父様と、お呼びしてもよろしいですか?」
差し出された手を両手で握りながら、彼女は控えめに尋ねた。ツェリ子爵は数度瞬きをしたあと、にこやかに快諾した。
「知っているでしょうが、わたしは子爵家に養子に入った身でして、アイリスさんとは遠縁の親戚にあたるのです。それでも『叔父』と呼んでくれるのですね」
「もちろんです」
「可愛い姪を持てて幸せです。ちなみにエリックもそう呼んでもいいのですよ」
「考えておきます」
素直なロッタとは違い、すぐにはうなずかないエリックに子爵は苦笑する。エリックは自分の存在が不必要に注目を集める原因になっていると判断したのか、打ち解けた二人の様子を見るとその場を立ち去った。